ヒロインシナリオアフター   作:やわらかな土

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スウィーテストキャッツ

 星谷かんなには秘密があった。実は彼女はこの世界とは別の世界線からやってきた少女なのだ。

 こちらの世界は原種に滅ぼされそうになっても、雫世界という狭間の世界に逃げ込んで世界を再構築できるというルールがある。つまりループみたいなもの。かんなはこちらの世界の再構築のルールを乗っ取って、滅んでしまった彼女の世界を再構築しようと目論んでいた。

 そして、かんながこの世界にやってきた技術には時間を遡行する効果もあったから、かんな自身もループすることができた。けれど、かんながループするためには「自分が死ぬこと」というトリガーが必要だったみたい。こちらの世界は何度でも再構築されるし、かんな自身もループできるのだから、かんなは何度だって挑戦できるはずだった。でも、かんなはループのための自殺は選ばずに、毎回誰かに殺されることを選んだ。憎まれ役になって、誰かを焚き付けて、自分を殺させた。かんなはこちらの世界を滅ぼそうとしていたのだから、それが失敗したなら殺されなくちゃいけない――そんなふうに考えていたのかもしれない。

 そしてこの世界はいまだに乗っ取られていない。つまり、かんなはそういう律儀な子だってこと。

 星谷かんなには秘密があった。そして彼女は嘘がつけなかった。

 

 かんなはお父さんと二人暮らしで育ってきた女の子で、絵を描くことが大好きだった。お母さんがいないことは、かんなの性格に大きな影響を及ぼさなかった。かんなは明るくて前向きで、悪い評判を気にしない女の子だったのだ。

 そして遊ぶことも大好きだった。鬼ごっこやかくれんぼ、トランプやカルタやオセロや人生ゲーム、それからもちろんテレビゲームだって大好きだ。ゲームと名がつくものならなんだって興味を示したし、心からそれを楽しんだ。かんなは嘘をつくのが苦手だったけれど、嘘をつかないことは得意だった。だからポーカーフェイスはかんなの十八番だ。嬉しくても悲しくても、それを顔や態度にまったく出さずにやり過ごすことができた。自分の感情を相手に知られたくないとき、かんなの沈黙は完璧だった。

 

 かんなの完璧な沈黙は学校生活でも大いに役に立った。どんなに腹の立つことがあっても、かんなは完璧に沈黙した。けれど沈黙していると怒っているように見えてしまうから、かんなは沈黙を笑顔のベールで包んだ。失笑や苦笑などではない、本当の笑顔だ。その笑顔に感情はない。かんなはただ沈黙しただけなのだ。

 だけど自分の心に嘘をつくことなんてできないから、嘘をつかないことを選んだ夜は当然嫌な気持ちに襲われてしまう。そんなとき、持ち前の前向きさがあだになって、怒りは正義の刃のような鋭さを持つ。そして、それを大鉈のようにふるって悪を断罪したくなってしまう。でも、かんなにはそんなこと、とてもできないから、その煮えたぎった暗い思いを大好きな特撮ヒーローに投影して発散するのだった。

 

 かんなははじめ、自分は世界を救う最後の希望――『ヒーロー』なのだと思っていた。飛んだ先の世界(つまりこちらの世界のこと)が再構築される仕組みを利用すれば、滅んでしまったかんなの世界を蘇らせることができるかもしれない。そうすればまたみんなに会えるのだと。

 再構築後の世界の品質は、どれだけ質の良い雫世界を作れるかにかかっている。雫世界の品質はフラグメントの数で決まる。それらフラグメントとかんなが深く関わればそれだけかんなの世界の密度も上がる。もし、そこにいる人たちがかんなに同調してくれれば、かんなの世界を再構築することだって可能になるはずだ。

 そんな思いからかんなはできるだけいい子を演じるように心がけた。なにせかんなは沈黙を笑顔で隠すのが上手い女の子だったから。

 だからかんなはできるだけ多くの人と関われるようなことをした。クラスの仕事は積極的に手伝ったし、面倒なプール掃除を押し付けられたって笑顔で引き受けた。部活で人手が足りないと聞けば助っ人にすばやく馳せ参じた。買い物代行のアルバイトも始めた。すべてかんなのことを好きになってもらうための作戦だった。そうしてかんなの顔と名前だけは知られていった。

 かんなの知名度は上がったが、仲が良くなったかというと、そうはならなかった。それどころか関係は表面的なものに過ぎなくて、表面的な仲の良さはむしろ距離を遠ざけた。もしかんなが迷惑をかける存在だと知られたら、あっけなく縁を切られるだろう。その程度の関係性だ。そうなってしまうのには理由があった。

 かんなにとってこの世界の住人とは、結局はいつか滅びる運命にある人たちでしかないのだ。そんな人たちと深く繋がれるほどかんなは冷血ではなかった。大切なひとを失う痛みを、誰よりもかんな自身が一番よく知っているからだ。腹を割れない関係では、あと一歩の距離を詰められない。

 

 あるとき、かんなのクラスで誰かの私物が紛失するという騒ぎがあった。そこで、担任は独断と偏見で怪しいとにらんだ生徒の持ち物だけを検査した。そこにかんなも含まれていた。かんなは色々な生徒とのパイプ役になっていたので念のため調べられただけだったけど、かんなは担任に激しく抗議した。かんなは嘘なんかついていないし他人の物を盗んだりしない、なのに理由もなく疑うなんて許せない、といった怒りだ。普段温厚なかんなの怒りはクラスを動揺させた。けれど担任は謝罪することなく、怒りを露わにしたかんなにむしろ呆れるような素振りを見せた。

 実はこのときかんなには犯人の目星がついていた。動機だって予想できていた。良く言えばいたずら、悪く言えば仲間内の制裁だ。こんなものは当人同士で解決すればいい問題だった。だからかんなは、犯人やその動機について沈黙した。犯人本人が名乗り出ないなら、かんなが暴露する筋合いはない。かんなが疑われる原因は犯人にあるが、実際に疑ったのは担任だ。だからかんなは担任にだけ反抗し、犯人のことは沈黙したのだった。

 

 何度ループを繰り返しても、学校行事の日程は変わらないし、テストの内容も同じだった。あまり勉強の得意でないかんなでも、毎回同じ問題が出されれば答えを覚えてしまう。だからかんなは赤点や追試とは無縁だった。勉強が好きではないから飽きてしまう。そんな中、美術の課題だけは楽しみにしていた。絵だけは何を描いても自由だからだ。かんなは好きな絵を描いた。そのときだけは何も考えずにいられた。過去は元の世界と一緒になくなってしまったし、未来だってどうなるかわからない。仲のいい友達だっていない。同じ毎日をループするのと足踏みとは何が違うのだろう。

 でも、たったひとつだけ変化してしまうものがあった。かんなの心だ。かんなはとにかく嘘がつけない女の子だった。

 

 ある日、生駒彩未は文芸部室で楽しそうに音楽を聴いているかんなと出くわした。スマホの画面に表示された歌詞を読みながら鼻歌混じりで上機嫌。

「なに聴いてるの?」

「あっ、あやみんだ。ええとね、『純愛ラプソディ』っていう曲。知ってる?」

「知ってるよ。ずいぶん昔の曲だねえ」

「そうなんだ。よく知らないけど、テレビで流れてて気になったから買っちゃった」

「そっかー」

 

 純愛ラプソディは、明るいだけが取り柄だと自称する女子の毎日が恋をきっかけにして輝き出した、とはじまる曲だ。

 かんなは言ったきり、内容には特に触れずに曲に聴き入ってしまった。

 かんなは自分の好みや思いをあまり他人に伝えようとはしない。そんなときのかんなの笑顔はまるで線を引いているようでもあった。

 

「その曲にハマってるんだ?」

「ハマってる……うーん、どうなんだろう。わかんない」

「いい曲だよね」

「そうだね」

 

 命懸けの恋に憧れて、けれどもドラマチックな出来事など起こるはずもない日常を過ごしてきた彼女は、恋をした相手とは違う人と結ばれてしまう。好きになった相手とは既婚者だったからだ。けれど彼女はそんな彼に手を出した――もしくは彼の思いを受け入れた。そして彼女は好きな人にだけ向かう特別な優しさと、誰にも言えない悪いことだけど、そんな孤独にも負けない強さを知って幸せだという歌。

 

「明るいだけが取り柄の女の子っていうところに共感しちゃったんだ?」

 そう彩未が尋ねた。

「あはは。やめてよ、もう。でも、ちょっとかんなと被るところあるかも」

「知ってる? その歌って実は不倫の歌なんだよ」

「えっ、嘘」

「だって彼は見えない鎖に繋がれているし、友達は結婚していくのに自分だけお嫁さんにはなれないし、形で愛の深さは測れないって言ってるでしょ。彼女は不倫しちゃったんだよ、きっと」

「えええ〜! なんかショック。がっかりだ〜」

「どういう歌だと思ってたの?」

「うん、好きな人と付き合えなくて、他の人と付き合ってみたけどやっぱり前の人が好きだなって歌」

「だいたい合ってるじゃない」

「えー全然違うよ。思うだけなのと行動することは全然違う!」

「そうだね。思うだけじゃなく、彼女は行動することで大切な思いを手に入れられたわけだし」

「でも裏切りじゃん。ひどいよ」

「彼女にとって彼はそれだけ特別で、許されぬ恋だとしてもほんの一瞬結ばれたその思いだけで彼女は生きていけるんだよ。かんなにはそういうことない?」

「ないよ、ない」

「そうなんだ、ないんだ〜。かんなはいい子なんだねえ」

 

 彩未がそう言ってからかうと、かんなはむっつりと押し黙ってしまった。かんなは怒ったけれど、だからといって真っ直ぐ言い返すだけの正しさが自分の中にはない。かんなは嘘がつけないから沈黙したのだ。

 

「……考えてみる」

 たっぷり時間を置いてから、かんなは絞り出すように言った。

 

 かんなの中には相反する感情がある。やっていることが罪だと知っているから、不道徳な恋の歌は慰めになる。

 過去の仲間が大事だし、優先するのが正しいことだと知っている。けれど心は違う方を選んでしまっていて、そんな自分が認められない。好きだという本当の気持ちは不道徳なことだから受け入れられないのだ。

 

 何日かして、部室で二人きりになったとき、かんなが神妙な面持ちで話しかけてきた。

「あやみん。あのさ……」

「うん。なあに?」

「この前の話。考えてみるって言ったやつ。覚えてる?」

「うん。覚えてるよ」

「あのさ……好きでいても、いいのかな?」

「いいに決まってるじゃない。だって事実なんだから。あの歌の二人はお互いの幸せのためにお別れした。悪いことだけど、彼女は大きなものを彼からもらった。そのことは死ぬまで誰にも内緒」

「それでいいのかな……?」

「事実を否定するほうが嘘だと思うなあ」

「でもそれじゃ誰にも褒めてもらえないよ」

「そんなことどうでもいいじゃない。永遠の絆って、一緒にいると感じられなくなっちゃうけど、でも離れた人のことは忘れないんだよ。かんなにはお別れした人っている?」

「……いる」

「どんな人――ううん、言わなくていい。その人はかんなの中で笑ってる? 泣いてる? どんな声で話してる? 体温は? 匂いは? そういうこと、全部思い出せるでしょ」

 

 かんなは複雑な顔をしていた。いつものような沈黙顔ではあったけれど、今にも泣き出してしまいそうに見えた。

 

「どちらを選んでもきっと間違いじゃない。でも選ばなかったらきっと一生後悔する。ううん、きっとじゃない。絶対に。選択って、どちらかしか選べないんだよ。選ばれなかった方、切り捨てられたほうはかんなの罪なの。罪からは逃げられない。だからかんな、後悔しない方を選んで。みんなのため、だなんて選択は絶対に後悔するよ」

「そんなの選べないよ」

「じゃあ約束する。かんながどんな選択をしても、お姉さんだけは絶対に味方になる」

「……あやみんに良くない選択でも?」

「うん」

「あやみんがひどい目に遭うかもしれないんだよ」

「それでもいいよ。かんなが選んだことだから、お姉さんは絶対味方だよ」

「嘘だよ。そのときが来たら、きっとあやみんは私を裏切るよ」

「裏切らない。許してあげる」

「実は、あやみんのとっておきのおやつ食べちゃったんだよねえ」

「あ、こら!」

「ほら怒ったー」

「あはは。嘘」

「ほんとに〜?」

「だってかんな、本当は食べてないでしょ」

「ううん。今から食べてくる」

「じゃあお姉さんも食べようっと」

「半分ちょうだい」

「ダメー」

「けち」

「じゃあさ、これからいつもの喫茶店にいこうか」

「いくいくー。……あのさ、あやみん。これって恋の話だよね?」

「恋の話だよ」

 

 それからも、かんなはこの曲と難しい顔で向き合っていた。

 その歌好き? と聞くと「わかんない。わかんないから聴いてる」と答えるのだった。

 

――いま好きな人を選んでもいいのかなあ?

 

 かんなが一度だけ、うわ言のように呟いた。誰かに向けた言葉ではなかった。

 いま好きなことは紛れもない事実。嘘はつけない。嘘がつけないから沈黙する。かんなはとても正直な子なのだ。だから、これから先、大きな岐路に立った時、きっと自分に一番正直な決断をするのだろう。それがたとえどんな答えであっても、そこには本当のかんなが存在する。

 願わくば、その決断をした自分のことが好きでいられますように。

 

 彼女の名前は星谷かんな。生駒彩未のバディ。それから希望。

 

 ♡ ♡ ♡ ♡ ♡

 

 生駒彩未は蓬莱館製薬の重役の長女として生まれた。そして下には弟がいた。

 彼女の家はお金持ちだったから、お父さんは家を空けがちだった。よくある話だ。

 だからお父さんは彼女へのメッセージをお母さん越しに伝えた。彼女にとってお父さんとはお母さんの向こう側の人だった。それが彼女には不満だった。

 お母さんの言葉はお父さんのものなんだから、そこにお母さんはいなかったし、お母さんの言葉の中にお父さんを感じることもできなかった。自分のものではない言葉と嘘は、どのくらい距離が離れているのだろう。

 いつからか、彼女はお母さんによそよそしい態度を取るようになった。お母さんは彼女のそんな態度をみて、お父さんからの言葉を自分流に言い換えて伝えるようにした。それが彼女には逆効果で、いままで「嘘っぽかった言葉」だったものが、ついに「嘘」になってしまったとしか受け取れなかった。

 言葉に対して彼女が何かを思った時、その思いは誰にぶつければいいのだろう。お母さんに言ったところで言葉はお母さんのものでしかないのだから、反抗はお母さんを困らせるだけで何も解決しない。一時的にすっきりするだけだ。本当に伝えるべき相手はお父さんだけど、お父さんに思いを伝えられる時間はほとんど存在しない。

 一度だけ、彼女は限られた時間を使ってお父さんに思いを伝えたことがある。そのときお父さんは、「お母さんの言いつけをちゃんと守りなさい」と、彼女を突き放した。

 お父さんはお母さんを盾に使っているし、お母さんは彼女の言葉をお父さんに伝えない。

 そのときから彼女の心は冷えていき、お母さんのいいつけ(お父さんの命令)に理解も反抗もせず、従順さを示すだけになった。そして従順さを示すほどに、彼女の心の中は裏腹に煮えていくのだった。

 

 カタナは降灰禍対策として立ち上げられた団体で、多くの企業からの協賛を得ていた。内部は蓬莱館製薬を筆頭とする製薬系と、三石グループを中心とした重工系の二大派閥に割れていた。製薬系の理念はイローデッドの力を使って異灰を殲滅しようとするものだったけど、重工系はイローデッドを異灰のクイーンに変化させて、それを制御しようとしていた。両社の理念は相いれず、派閥争いは苛烈化していた。カタナはコズミックファングを奪還するという目的だけが共通点だった。

 降灰禍が起こると、彼女と弟はかなり早い段階で灰病に罹患したが、両親と会社はそれを幸運だと喜んだ。彼女と弟はすぐに入院させられて、ありとあらゆる検査を受けさせられた。なにせ身内から出た貴重な症例患者なのだ。会社は普通ならやらないような踏み込んだ治療を二人に施した。治療という体裁だったが、実態は人体実験だった。体内のエーテル量を制御して病状の変化を調べるうち、彼女はイローデッドとなった。人為的にイローデッドを作り出せてしまったのだ。弟にも同じ治療――人体実験――を施したが、こちらはうまくいかなかった。

 彼女への実験は進んでいき、やがて彼女はイローデッドの次の姿――アナザースピリットに変化した。一方で弟はイローデッドにすらなれず、末期の灰病状態のまま延命措置が施されていた。

 彼女と弟の違いは心の中に抱える怒りの存在だったが、彼女の醜く膨らんだ怒りが変化に関係していたかはわからなかった。

 

 こうして彼女は退院し、次は一般生徒として学園に紛れ込んで三石グループの思惑を邪魔するためのスパイとなった。この命令だけはお父さんの口から直接伝えられた。お金はいくら使ってもいいし、方法は問わないといって限度額無制限の黒いクレジットカードが渡された。

 彼女は人間がクイーンになってしまうくらいなら、アナザースピリットの姿で最期を迎えるほうがいいと考えていた。蓬莱館製薬は三石の支持するクイーン化ではなく、アナザースピリットを使役する目的があるから彼女の考えと一致しているけれど、お父さんの姿は彼女の目に、とにかく三石グループに負けたくないだけのように映っていた。けれど彼女と弟に施された治療――人体実験――の多くが実際の現場で成果を上げていて、諦めるしかなかった灰病にとっての光明になっているのは確かだった。このまま続けていればいつか弟も回復する日も訪れる――そんな希望が彼女の背を後押しした。けれども、お父さんの本心がどこにあるのか結局わからずじまいだった。

 

 彼女の主な任務は生徒のクイーン化の阻止だ。

 各学園にはイローデッドで組織した特殊部隊がたいてい存在していて、それは慎重に隠されていた。学園の表向きの名目は学生が治療を受けながら勉学に励める施設だったから、イローデッド候補には事欠かなかった。イローデッドになってしまったらすみやかに専用病棟に移送され、カタナの特殊部隊員としての心得が叩き込まれる。イローデッドになってしまったらストラプルという蓬莱館製の治療薬が必要だったし、治療費だって莫大だ。特殊部隊員になればそれらが全て無料で受けられて、しかも報酬だってもらえるのだ。その代わり、いつ終わるともしれない戦いに放り込まれる。生徒に拒否権など事実上なかった。イローデッドとなった生徒の行く末は戦いで最期を迎えるか、クイーンになってしまって仲間に討伐されるかだけど、それらは生徒には伝えられない。生徒は現場で自分の運命を理解するのだった。

 そこで彼女の役目は生徒をクイーン化しないように監視することと、クイーン化した生徒のすみやかな殲滅だ。クイーン化してしまえば三石の駒として利用されてしまう。三石はクイーン化しそうな生徒をさらって実験台にしていたから、それを未然に防ぐ意味もある。彼女はカタナ本部ではなく製薬系上層部に逐一報告し、指示の通り従順に実行した。

 三石は強力な異灰にも目をつけて、どうにか制御できないか実験をしていたから、彼女はそれら強力な異灰の殲滅も担当した。

 そんな彼女が一箇所に止まると三石に怪しまれてしまうから、何ヶ月か活動したら別の学園に転校する。彼女はたくさんの人の死に立ち会った。強い人、優しい人、親切な人、残酷な人。お互いを思い合う二人が殺し合う姿も目の当たりにした。彼女と思いを交わした人をその手で終わらせたこともあった。辛い別れを繰り返すうち、彼女は誰にも心を開けなくなった。どんなに心を砕いても、その相手とは必ず悲しい別れが訪れたし、別れは彼女の心にいつも深い傷をつけていった。彼女が心を開かない裏には恐怖があった。彼女は自分の全部が暴き立てられてしまえばいい、こんな嘘、こんな生活、こんな世界、すべて終わってしまえばいいと思うことも少なくなかった。

 なにもかもに嫌気がさしながら、最後の一歩を踏み出すこともできず、やがて彼女はコズミックファングに程近い学園に転入することになった。その学園の特殊部隊は「国内最弱」と揶揄されていたけれど、最前線の危険地帯だから生徒が頻繁に補充されていて――つまりどんどん死ぬからどんどん補充されるということ――不名誉な呼称は生徒が強くなる前にいなくなってしまうからだというのはすぐにわかった。そんな最前線なら本来は戦闘のエキスパートが着任するべきなのに新人ばかりあてがわれているのは、イローデッドを使った実験場だったからだ。ここなら生徒はすぐにクイーンになってしまうし、クイーンになりかけの生徒をアナザースピリットに変化させるチャンスも多い。厄介な生徒を放り込む箱としても便利だ。つまりコズミックファング奪還の最前線はカタナの派閥争いの最前線でもあった。

 

 クイーンを制御するということは操縦可能なリモコンにするということだけれど、アナザースピリットとの違いなんて自立可能か否かくらいしかない。結局はただの武器で、両者に大きな違いはない。人として生きるためにアナザースピリットに変化することを選んでも、結局は武器としての価値しか見出されないなら、彼女のやっていることとは一体なんなのだろう。

 彼女は製薬系の理念を命令としてではなく自分の思いとして選んだけど、クイーンとアナザースピリットの岐路に立つ生徒に対して「選択」するたび痛みを抱えることになった。別の可能性について考えると後悔がつきまとう。痛みは後悔を麻痺させてくれなかった。

 彼女が良かれと思ってやっていることは、結局は友達を実験動物にするための詭弁だ。自分の正体、相手の運命、それら本当のことを告げずに活動するのは騙しているのと同じことだ。そんな関係は友達ではなく実験動物と研究者ではないか。そんな思いが拭えなかった。本当のことを告げずに都合のいいことを言うばかりでは、後ろめたさは決して消えない。それでも自分の信じる未来のために――なんて思えるほど彼女はダークヒーローではなかった。悪意を仲介しながら太陽の下を大手を振って歩いている自分のような人間こそ、ヒーローに倒されるべき悪役なんじゃないのか――そんな思いがつきまとう。

 そうして彼女は自分を殺して(殺して)くれる人を待ち望むようになった。

 

 ある日、彼女が文芸部室に行くと、部屋にはかんなが一人だけで座っていた。ふたりは笑顔で挨拶を交わし、それからかんなが言った。

「あやみん、前に言った話覚えてる? 歌について考えてみるって言ったやつ」

「覚えてるよ」

「あれからまた考えてたんだけどさ、かんな、やっぱり繋がりを裏切れないし、好きな人にだって裏切るような選択をして欲しくないよ。でもさ、もし好きになっちゃったらきっと、かんなが思っているよりずっと簡単に裏切れちゃう気がするんだ。だから、新しく人のことを好きになりたくないし、ならないような暮らしがしたい」

「新しく人を好きにならないためには心の中で線を引くしかない。それってすごく辛いことなんだよ」

「あやみん、まるで知ってるみたいな言い方だね」

「まあね。なにせお姉さんですから」

「へー」

「だってね、関わってしまえば、どうしても好きになってしまうものなの。友達としても、恋愛としても。だったらその気持ちを認めるしかないじゃない」

「なんか経験してきたみたいに言うじゃん」

「お姉さんにも色々あるんだよ」

「じゃあさ、あやみんが新しく好きになった人たちって、今どこで何をしてるの? それともみんな死んじゃった?」

「それはね、離れてしまえば段々思い出せなくなるから大丈夫なんだ。髪の長さが変わると気持ちも変わるじゃない、それと一緒」

 

 そう言った彼女の顔には完璧な笑顔が張り付いていた。完璧な笑顔は沈黙しているのと同じだ。

 かんなが睨みつけながら口を開いた。

 

「ううん。忘れないよ。忘れられない」

「……そうだね――まるで呪いみたい」

「違うと思う」

「じゃあ愛かな」

「あやみん、呪いを愛って言い換えてない?」

「だって、人はすぐに死んでしまうから、思いを残さないようにしないと自分がダメになっちゃうでしょ」

「なんだかなー。あやみんさ、ずっと嘘ついてるよね」

「え?」

「いま好きな人が一番って言ったのに、その人が死んじゃっても忘れれば大丈夫とか言ってるし、なんか全然気持ちがこもってないよ。どの口がって思っちゃう。それって嘘だからだよね」

「かんなだって本当のこと言ってないでしょ。私たちは似たもの同士なんだよ、きっと」

「ううん。あやみんがしてるのは自分語りだよ。ずっと『本当はこうだったらいいのに』って思ってることを言ってるだけ。あやみんはかんなのこと見てない。かんなはね、本当のあやみんの考えが知りたい」

 

 彼女は、好きな人を連れ去る死の影にずっと怯えている。

 彼女の部屋から大量のストラプルが発見された事件があった。盗んだものとか、転売目的とか、そういう類のことではなく、単純に自分に支給されたものを飲まずに取っておいたのだ。そうして溜め込んだストラプルを事あるごとにチームのメンバーに分け与えていた。

 彼女は他のメンバーに比べて極端にストラプルを摂取しなかったし、その理由をエーテル消費が少なくて省エネだからと言っていた。

 実際は、彼女はもうアナザースピリットになっていたからクイーン化の恐れはなかったし、だから多少の無理がきいていただけだ。最低限のエーテルしか補給しないのだから日常的に体調不良だったのに、全然大丈夫そうな笑顔でみんなを騙していたんだ。これが後ろめたさの罰のつもりだったのだろう。自己満足にも等しいその行為は、罪滅ぼしになったのだろうか。

 

「あやみんはあの歌好き?」

 かんなが改めて訊いた。

 彼女は怖いと言う気持ちに嘘をついて、「わかんない」と言って沈黙した。彼女の沈黙は嘘のための沈黙だ。

――すべて終わってしまえ。

 きっと彼女はそんな気持ちなのだ。嘘をつき続ける生活にも、それを強要する環境にも、壊れてしまった世界にも。

「かんなはちゃんと考えたよ。裏切れないから好きにならないって」

「……でも、きっと好きになっちゃうよ。そしたらどうするの? 自分の気持ちに嘘つくんだ?」

「……」

「ほら、何も言えなくなっちゃった」

「あやみんはさ、好きになっても忘れれば大丈夫なんだよね? 今まで出会ってきて死んじゃった人のことはもう忘れちゃった? 亜美のことは? 樹里は? みんな忘れちゃった? 前の学校にだって友達はいたでしょ。その子たちのこともぜーんぶ忘れちゃったんだね」

「……」

 

 彼女は沈黙した。もちろん完璧な沈黙だった。

 うん、忘れたよ――そんな言葉が彼女の喉まで出かかっていた。ほとんど売り言葉に買い言葉のそれは、彼女の口から出てくることはなかった。

 

「……あはは」

 彼女が笑った。

「……あはは」

 それにつられてかんなも笑った。

「あやみんでも嘘がつけないなんてことがあるんだね」

「なに言ってるの。お姉さんは嘘なんかついたことないよ。嘘つきのかんなにはわからないかな」

「あー、なにそれ。ひどいなあ」

「嘘つきかんなの味方になってくれる人ってきっと私だけだよ。だからお姉さんのことは大事にしないとね」

「同じ穴のムジナ」

「ずいぶん難しい言葉知ってるんだねえ。褒めてあげる」

「またバカにして」

「ねえ、かんな。あの歌だけど、もし最後にお別れしなかったら、いつ嘘がバレるかわからなくて、それが怖くて、きっとその恋を後悔しちゃうんじゃないかな。だから、全部バレてしまえ、全部終わってしまえって思うようになる。それから惨めに縋り付いて、私を選んでよ、あなたが好きなの、捨てないで、どこにも行かないでって喚き立ててしまうの――ううん、ちょっと違う。そうしたい。そうやって全部終わってしまえって気持ちで迫りたいんだ。でも決断されちゃうかもしれない。ほとんど確実にお別れしなくちゃいけなくなる。でも、本当はそうするべきなんだよね」

 

 彼女が言った。かんなは言うべき言葉がないので沈黙したけれど、笑顔は浮かべなかった。

 

「また黙っちゃった」

 彼女が言った。

「だって、そんなの何も言えないよ」

「言っていいんだよ。今ってそういう流れだよね?」

「じゃあ言うけどさ、つまり新しく好きになった人とはうまくいきっこないけど、自分に嘘はつけないから、お別れする前提で付き合わなくちゃいけないってこと? 元々の人を裏切ってでも?」

「うーん。比喩になっちゃうけど、お別れを怖がってたら未来なんかないんだよね。そんなことわかってるんだけど、私には割り切れないんだよ。なのに心はどうしようもなく誰かを好きになっちゃう。これってきっと神様が私を前に進ませるために呪いをかけたんだろうね」

「あやみん、やっぱりかんなには何も言えないよ」

「そっか、そうだよね」

「うん」

「かんなは誠実だね」

「そんなこと初めて言われた。ハッ――! まさかそれも嘘だったり!?」

「まさかー」

「まさかねー」

「まさかだよー」

「……」

「……」

 しばしの沈黙のあと、ふたりは見つめあって笑った。

 

 嘘はつかずに沈黙を決め込むためにはかなりの意志が必要だ。それを勇気と呼ぶのかもしれない。彼女は残酷な真実を隠すために沈黙し、その沈黙を嘘で中和したがっていた。

 どんなに愛しても最後には死んでしまうんだから、それなら実験動物と割り切るしかない。けれど、実際はそんなことがうまくいくはずがない。ボタンを押したら世界のどこかで誰かが死ぬのではない、目の前で死んでいくのだ。

 彼女はもう、目の前にいるかんなを実験対象として見ることはできないかもしれない。

 今までそういう対象だと見てきたことに、それとこれからも実験対象として見るよう努力することに、後ろめたさが付きまとう。自分のストラプルを分け与えても、その思いはきっと拭えないだろう。

――どうか軽蔑して欲しい。私を許さないで欲しい。

 そんな思いで彼女は今日も自分用のストラプルを飲まずに引き出しに隠す。ストラプルを飲まなければ、いつか自分に死の順番が回ってくるかもしれないじゃないか。これは彼女なりのロシアンルーレットだ。彼女は今夜も賭ける。朝には答えが出る。そして朝が来てカーテンを開け、朝日を浴びながら彼女はこう思う――私はまだ終わらせてもらえないのだと。

 こうして彼女の新しい朝がはじまり、罪が重なっていく。彼女はそんな自分に罰が下るときを待っている。

 

 彼女の名前は生駒彩未。星谷かんなの最新のバディ。そして道標。

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