今から語るのは安住菜々花という女の子のこと。
広島生まれの菜々花は友達になーなと呼ばれていた。なーなのお母さんはまだ小さい頃に家を出て行ったから、なーなはお父さんと二人のお兄さんとで暮らしていた。お父さんはなーなのことを叩く人で、二人のお兄さんのことも叩いたし、お兄さんもなーなを叩いた。なーなには叩く人がいなかったから口が悪くなった。なーなは家族に恵まれていない女の子だった。なーなは男嫌いだったけど、その原因が家族にあるのは誰から見てもあきらかだった。
なーなは中学生のとき、ついに家を出た。プチ家出じゃなくて本当の家出。そのときには歳をごまかしてバイトをしていたし、バイト先の先輩の部屋に転がり込んだ。そんな状態だったからお先真っ暗だし、一発逆転のためアイドルになることなんかをぼんやりと思い描いたりした。
ちょうどその時期に降灰禍が起きて、なーなは灰病になった。仕方なく実家に戻ったんだけど、すぐに病院に送られた。なーなは診察でイローデッドとしての素質が見つかって、出雲の病院でなら医療費全額免除だと言われたお父さんは二つ返事で了承した。お父さんはなーなのことを心配なんて全然してなくて、単に使えない病人を厄介払いしたいだけだった。どうせ死ぬなら自分の目につかないところで死んで欲しいとさえ思っていた。お葬式もお墓もお金がかかるからとお父さんは嫌がっていた。
そして、なーなは出雲の病院でイローデッドとなって、三石日ノ杜学園に生徒として入学することになった。なーなは高校に行っていなかったけど、入学試験は当然のように免除だった。
なーなのイローデッドとしての能力は近接パワー型だったから、特殊部隊内ですぐに結果を出した。そのときにバディだった樹里の能力とも相性がよくて、ふたりは息ぴったりのまさに相棒だった。性格もかなり似ていて、樹里も負けん気が強くて荒くれだった。なーなと同じように家庭に恵まれていなかったから、家出をして一人で生きていたし、灰病になって出雲に捨てられたところまでそっくり同じだった。
樹里はけっこう本格的にアイドル活動をしていて、地下アイドルとしてそれなりに名を上げていた。そんな樹里がなーなをアイドルに誘った。なーなにとってアイドルは漠然とした幻みたいなものだったけど、樹里に出会ってとたんに現実味を帯びたものになった。だって、樹里はもう「アイドル」だったのだから。
それからなーなは樹里とレッスンに明け暮れた。お金は部隊から報酬として支給されていたから、異灰を倒すなーなの拳にも力が入るってもの。だからなーなは頑張って戦ったし、歌や踊りのレッスンも頑張った。
でも人生はいいことばかり続かない。樹里はクイーンに体を乗っ取られてしまって、なんとか元に戻したいなーなの思いは通じなかった。
こうしてなーなはバディを失った。
このころの部隊は立て続けにメンバーを失っていたから、何人か補充要員が加わった。他校からリーダー候補の男の子、イローデッド候補の春日詩帆、イローデッドの久野きららの三名が新たに入隊した。そして久野きららがなーなのバディ候補として選ばれた。
かつて樹里だったクイーンは新生部隊の手で殲滅されてしまって、はじめは部隊となーなの折り合いも悪かった。すごーく悪かった。でも新リーダーはそんなに悪い人じゃなかったし、喧嘩というよりもなーなが噛みついてるだけって形になることも多かった。男の子の割に嫌じゃないという印象はなーなにとってとても新鮮だったみたいで、関係は少しずつ良いものになっていった。
あるとき、もしかしたらと思い付き、なーなはリーダーを使って男に慣れようと目論んだ。暴露療法と呼ぶらしいネットで調べたそれになーなは飛びついた。お医者さんの指示の下での治療じゃないから、本当はなんの意味もない。けれど、なーなは自分が病気だなんて認めたくなかったし、他人を信用することにも慣れていなかった。だからお医者さんなんて信用していなかったし、そんな人に自分のすべてをさらけ出すなんて考えたくもなかった。リーダー相手だったら自分が有利に立てる。そう思って始めた暴露療法だったけど、結局は解決なんかしなくて、元々大丈夫だったリーダーがやっぱり大丈夫だとわかっただけだった。つまり、変化なし。なーなの男嫌いは治らなかった。
ある日の夜、なーなは寮をこっそり抜け出して、次の日の朝になっても戻って来ない事件が起きた。部屋にはなーなのお父さんからの手紙が置きっぱなしになっていて、手紙にはお金がなくなったから工面してくれというような内容が書かれていた。
お父さんの電話番号はなーなに着信拒否されていたから、きっと手紙で出すしかなかったのだろう。それで、お父さんが寮に来るくらいならと、なーなの方からお父さんのところに向かったのだろうなというのはすぐにわかった。
なーなは寮を出て行った次の日の夜遅くに帰ってきた。なーなはまず寮長にたっぷり叱られて、次の日には学校をサボったことで担任に叱られ、任務放棄にもなりかねないと部室でも司城先生に叱られた。なーなは元々問題児だったし、実家に戻っていただけでもあったから、そこまで大きな事件にはならなかった。
大人たちからのお説教が一巡すると、次は部員たちからの質問攻めだ。そこでなーなは「クソ親父に金をせびられたから叩きつけてきてやっただけよ」とうそぶいた。なーなの家庭の事情はみんななんとなく察していたから、誰も踏み込んだことを言わなかった。
「とにかく、今回のことは心配かけてごめん。本当ならちゃんと言ってから向かうべきなのはわかってたけど、クソ親父に金を渡しに行くだなんて言いにくかったの。今だって恥を晒してるみたいで気まずいんだから」
そうしてなーなは疲れたから自室で休むと言って部室から出て行った。リーダーをはじめとしたみんなが、いまなーなを一人にしないほうがいいと思っていた。でも、なーなの心の壁の内側にまで入って打ち解けているメンバーはいない。本来なら樹里がその相手だけれど、樹里はもうこの世からいなくなってしまった。
はい、と言ってきららが胸の前で小さく手を挙げた。きららは「きららが行く。これもバディのつとめ」と言ってなーなの部屋に向かった。
きららが部屋の扉をノックすると、中から「きららでしょ。まったく」となーなの声がした。
「すごい。なぜきららだとわかった? ハッ――! まさかなーなにも超能力が!?」
「叩く位置と強さ。でも、たぶん来るだろうなって思ってただけ」
扉が開いてなーなが顔を出した。表情はさっきと変わってないように見える。入って、となーなに言われて、きららは部屋に入った。
「ご苦労様。バディのつとめってやつ?」
「その通り。なーなはなんでもお見通しだ」
「そのくらいわかるわよ。別に心配されるようなことはないから」
「そうなの?」
「当たり前でしょ。別にどうってことないわよ」
「パパに叩かれなかった?」
「なかった。きららにはこの顔に傷があるように見えるわけ?」
そう言ってなーなはずいっと顔をきららに寄せた。きららには見慣れた、なーなの綺麗な顔だった。いつも通り以上にいつも通りの仕上がりだった。まるで「いつも通り」になるように丁寧に仕上げたような。
「なーなは相変わらずいい顔。ごちそうさまです」
「ふん。こんなことでいちいち参ってられないわよ。はっきり言うけど、私はあいつのこともう親だなんて思ってない。ダニみたいなもの。お金を払ってどこかに行ってもらった。それだけ」
「さすがなーな」
「わかった? 私は大丈夫だから。ちゃんとみんなにもそう言っといてよね」
「その言い方じゃ、まるできららがみんなを代表してスパイに来たみたいに聞こえる」
「その通りでしょ」
「その通りです」
「はい、ご苦労様。行った行った」
なーなは勢いよく立ち上がり、お開きというような雰囲気を出した。けれどきららは立ちあがろうとせず、なーなの目をじっと見つめた。
「なによ」
「なーな」
「だからなに?」
「なーな」
「……」
「困ってることがあったら、きららはいつでも力になるからね。そして、それが今だと思ってる」
「うん。わかってる」
「ちゃんときららの目を見て言って」
なーなは腰を落としてきららに目線を合わせ、大丈夫、と言おうとした。けれど、口を開けても言葉が出て来なかった。なーなは何度かしゃくりあげ、瞳を黒く滲ませた。そこに「いつも通り」のなーなの顔はもうなかった。
なーなは時間をかけて呼吸をととのえ、それからきららに言った。
「あのね、少し混乱しちゃってて。まだ言葉が出て来ないの。それに疲れちゃったから少し一人の時間が欲しいのも本当。だからごめんね」
「わかった。ねえなーな、きららが触っても平気?」
「触るって、なにするつもり?」
きららは立ち上がって、床に膝をついたままのなーなの前に立った。それから体を寄せて、なーなの頭をお腹の辺りで抱きかかえた。
「なにしてるの?」
なーなのくぐもった声がきららのお腹から響く。なーなはきららが触れることを拒絶しなかった。
「だっこ。きっとなーなの心はまだトゲトゲしてる。そういうとき、誰かに触るときららは落ち着く。なーなはどう?」
「嫌じゃない。きららの匂いがする」
なーなは、きららにされるがままお腹に顔をくっつけて言った。
「また後で来るからね。なーなは少しお昼寝するといいかもしれない。お腹がすいたら、一緒にごはんを食べよう」
なーなはきららのお腹でこくんとうなずいた。そのとき、少しだけきららに体重を預けた。
なーなの部屋から出て、きららは廊下を歩きながら自分にできることを考えた。けれど、なにも浮かばなかった。きららにできることは片手ほどもない。きららはそんな自分の無力さを思い知るのだった。
その日の晩ごはんのとき、なーなは部屋から出て来なかった。きららはおかずをタッパーに詰めて、ご飯をおにぎりにして、それをきんちゃくにまとめて、なーなの部屋に向かった。けれど、扉をノックしても返事がなかった。きららはきんちゃくをノブに掛けて、自室に戻った。それから何度か様子を見になーなの部屋の前まで来たけれど、きんちゃくはノブに掛かったままだった。
もうすぐ日付が変わるくらいの時間になり、きららは外に出てなーなの部屋を見た。電気は点いていた。きららは急いでなーなの部屋まで行き、扉を静かに叩いた。音の位置と強さで、扉の前にきららがいることがなーなに伝わっているはずだ。
「なーな。きららが来たよ。ドアを開けて?」
きららは内緒話のように扉の隙間に手を当てて言った。けれど返事はなかった。扉に耳をつけると、なーなのすすり泣く声が聞こえた。
「なーな。ご飯あるよ。きららがおにぎり作ったんだよ。一緒に食べよう」
きららが囁くと、部屋の中でなーなが床を踏むかすかな足音がした。足音は扉の前までやって来て止まった。
「一人にしてって言ったでしょ」
扉の向こうからなーなが声を殺して言った。涙に濡れた声だった。
「後で来るからって言ったよ」
「来なくていいのに」
「なーな。ここを開けて」
「絶対イヤ」
きららは扉の前に膝をついて座った。自分になにもできないからといって、なーなを手放すつもりはない。きららは自分勝手な悪い子なのだ。そう決めたし、それでいいのだ。
大切な人と他の人、天秤にかけること自体が間違っている。大切な人のためなら、他の人にかかる迷惑なんか構ってられない。
だから、きららは普通の声で言った。
「一人でいるとよくないことしか浮かばない。きららはそれをよく知ってる。でも、よくないことはずっと考えてしまうし、すぐに考えが変わったりもしない。少しずつ強くなっていくしかない。きららも強くなりたい。どうすれば勇気が出る? きららはわからない。変わることってすごく難しい」
きららは自分の考えを言葉にすることに慣れていなかったから、これで伝わるのか自信がなかった。扉はひんやりと沈黙していて、もしかしたらなーなに聞いてもらえなかったんじゃないかって不安がよぎった。すこし離れたところで蛍光灯がチカチカと音を立てて明滅していた。でもきららは諦めるつもりもなかったし、伝わるまで何度でも言ってやる――そんな気持ちから大きく息を吸い込んだ。
「一人でいるとよくないことしか浮かばない。きららはそれをよーく知ってる。でも――」
きららが同じセリフを繰り返し始めると、鍵が外れる音が鳴り、それから静かに扉が開いた。扉の隙間から、涙で目を真っ赤にしたなーなの顔が覗いた。
「入って。そこで喋られたら迷惑」
部屋に入って、きららはなーなのベッドに腰掛けた。なーなは、きららと少し離れた位置に腰を下ろした。
「なーな。なにがあったの?」
「言いたくない」
「わかった。それでいいよ」
「いいの?」
「うん。きららは考えた。一人で生きていくのは難しい。すごくすごーく難しい。まずお金、次に住む場所。人生にはいろんなイベントがある。いいことも悪いこともある。病気や怪我だって起こりうる。そんな大変な道のりを一人でやっていくのはハードモードすぎる」
「そうね」
「でも一人じゃなければ案外いけるのかもしれない。二人ならお金も住む場所も半分で済む。いいことも悪いことも二人で分け合える。病気や怪我の心配も半分。二人なら食べていくくらいはできそうな気がする。どう?」
「どうって、まるで二人でなら生きていけるって言ってるように聞こえるけど」
「そう言ってる」
「つまりどういうことなのよ。はっきり言ってくれなきゃわかんない」
「なーな。一緒に暮らそう?」
「それ本気で言ってる?」
「本気も本気。きららは必死に考えた」
「さすがに能天気すぎでしょ……」
「それに神様のお墨付き」
「へえ。ちなみに神様はなんて?」
「神様は言った。ケセラセラ、あるいはセラヴィ、それはレットイットビーと」
「それほんとに神様が言ったの?」
「うん。正真正銘神様の言葉」
「ほんとうは?」
「ほんとう。なるようになる。あるがままなり。きららのやりたいようにやりなさいって」
「未来予知っぽさがどこにもない。なんだかアドバイスみたい」
「神様のお告げはいつもこう」
「まあ、きららが言うなら本当なんでしょうね」
「信じてくれるの?」
「当たり前でしょ。きららのその力で何度も助けられてるし、私はそこまで恩知らずじゃない」
「神様ありがとう。きららはなーなの信用を勝ち取りました」
「なによ、私はきららに言ってるんだけど?」
「だってこれは神様の力だから」
「きららの力よ」
「未来予知が?」
「違う」
「じゃあなに?」
「きららが今ここにいること。これはきららが決めたことなんでしょ。自分でそう言ったじゃない。私はいまその場にいないやつの言葉なんか聞かないし信じない。いま私の前にいるのはきらら。私の面倒見るって言ったんだから、ちゃんと責任取りなさいよね」
「おっ。いつものなーなっぽい言葉」
「なるようにしかならないって神様の言葉、本当にその通りかもしれない。なんか喋ってたら腹立ってきた。いい? 今から愚痴るけど、最後まで聞きなさいよね。口挟むの禁止だから!」
「りょーかい」
「みんなにクソ親父を見られたくなかったし、惨めな私を見られたくなかったし、そんな自分の気持ちをアイツに人質に取られた感じがずっとしてた。お金あげますから私の生活を壊さないでくださいって気持ちだった。お金を渡すときだって、殴られるんじゃないかってすごく怖かった! それがすっごく悔しいの!」
「うん」
「お金渡すとき、通帳よこせって言われた。私はそのときむかついてたのに、上司が預かってるから私の手元にないって嘘ついたの。本当はつっぱねてやりたかったのに、怖くて言えなかった。嘘つかされたのよ。ちくしょう。まじ腹立つ」
「なーな。クッション叩く?」
きららが胸のところでクッションを構えて言った。
「叩く」
「ばっちこい」
「きらら。変身して。できるよね」
「プライベートな変身はかたく禁止されている。それに我々イローデッドの存在は世間から慎重に隠されている。でもきららは――」
きららが天を仰ぐ。瞳が虚ろになり、黒い粒子がきららの体を包み込んでいく。部屋に濃密な獣の匂いが立ち込める。黒い粒子の霧の中からまず硬質な竜の首が現れ、続いてイローデッドとなったきららの姿が現れた。
「――変身しちゃった」
いたずらがバレてしまった子供のような顔できららが笑った。続いてなーなも変身した。
「明日きっときららたちはこってり絞られる」
「二人でならイヤなことも半分なんでしょ。いい、集中して。思いっきりいくわよ」
エーテルがなーなの右腕に収束していく。なーなの右腕は歪に肥大化して、巨人の腕を縫い付けたフランケンみたいだった。
「クソ親父。死ね!」
なーなと一緒に両脇の番犬が咆哮した。突き出したなーなの拳が、きららの胸のクッションに沈み込む。きららの背中にいる八匹の龍が雄叫びを上げ、なーなの放ったエーテルに喰らいついた。異なるエーテル同士がぶつかって、真夜中の寮内に、まるで工場で金属を切っているような怪音を響かせた。
やがてエーテルは収束し、なーなの腕の肥大化が解けた。なーなが変身を解除したのを見て、きららも変身を解除した。
「きらら、ありがと。痛くなかった?」
「平気。でもきらら、なーなに傷モノにされちゃった。この責任はとってもらわないと」
「それだけ軽口言えるなら平気よね。さて……」
なーなはしずしずと扉を開け、辺りをうかがった。廊下は静まり返っているが、いくつもの耳がこちらの動向をうかがっていることが手に取るようにわかった。
「ごめーん。ゲームしてたらヘッドホン外れちゃって。ご迷惑おかけしましたー」
と、なーなは廊下に向かって誰にともなく言った。
「もう力でならクソ親父にも余裕で勝てる。なのに心が負けちゃってるのが悔しい」
「なーな。一緒にゆっくり強くなっていこう」
「私はねえ、こんな顔見られたくなかった。いい、もう一回言うからね。きららにこんな顔見られたくなかった! わかる!?」
「はい……」
「きらら! 私おなかすいた! おにぎりあるんでしょ。出してよ」
「がってん」
きららはきんちゃくからおかずの詰まったタッパーとおにぎりを取り出して机に並べた。
「どうぞ、召し上がれ」
「作ったの春日でしょ」
「おにぎりはきららだよ」
「まあいいや、いただきます。あ、そうだ。今夜ここで寝るでしょ」
「いいの?」
「こんな状態で一人でほっとかれても微妙でしょ。今夜は一緒に寝るの」
「美少女とひとつのベッドで同衾……。当然なにもおこらないはずもなく――」
「きららほんとそういうの好きねえ。オタク表現ってやつ? でもまあ、女は女に興奮するっていうし、そういうものかもしれないわね」
「まさか、なーなはきららのことそういう目で見てたの!?」
「ないない。私がかわいすぎるから、きららが興奮するのも無理ないって言ってるの」
なーなは自信満々にそんなことを、おにぎりを口いっぱいに頬張りながら言った。
それから二人は顔を洗って、ひとつのベッドに潜り込んだ。なーなはきららを抱き枕のようにした。ふたりで寝たことがないからなかなか寝付けないね、と言ってるうちにどちらともなく眠りについた。
翌日、なーなときららは怪音騒ぎを寮長に叱られ、エーテルの放出がばれて司城先生に叱られ、一緒にご飯を食べなかったことでメンバーに叱られた。イヤなことは半分と言ったが、イヤなことは半分にも満たなかった。二人で並んで怒られているとき、なーなの体がきららの体に触れた。こんなことは以前までなかった。ソファに並んで座るときも、なーなはきららに触れるくらい近くに座ったし、普通に触るようにもなった。
なーなとの心の距離が近づいたような気がして、きららはそれを嬉しく思った。
安住菜々花は久野きららのバディ。ふたりは誰から見てもまごうことなきマブダチ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
久野きららを一言で表すと、未来が予知できる異能を持った女の子だ。それも神様に直接聞くという方法で。
灰が降り出してから世界は異灰で溢れかえり、イローデッドという化け物じみた人間までいるこんな世界じゃ未来予知なんてあまりレアな能力ではなくなってしまったけれど、だとしてもきららの能力は生まれながらに備わった本物だ。
そんな能力だけど、本人は占いだと言い張って、大きな水晶玉やら変な絵のタロットなんかを使ってそれっぽく装っている。そんな小道具なんて雰囲気作りなだけだ。きららには本当に神様の声が聞こえているんだから意味はなかった。
それが詐欺を避けるための行動だとわかるのは、きららという子のことを理解した後になる。
きららは東京の奥多摩にある集落でひっそりと育った。
子供の頃のきららは両親には言動のおかしな子だと思われていた。見えない誰かと会話していたり、子供のきららでは知りようのないことを急に語り出したりするのだから無理もない。けれど、それらが事実だと発覚すると、まず父親の態度が変わった。父親はきららの能力を検証し、それが正確な未来予知だと判断すると、きららの能力を利用して村でのし上がった。大雨による河川の氾濫や土砂崩れ、行方不明者の捜索にはじまり、果ては役員選挙の結果まで、きららの能力を利用した「父親の未来予知」はズバズバと的中した。当然のこととして村での父親の発言力はとても大きなものになった。父親はその裏で証券取引でも成果を上げてひと財産を築いた。
村での確固たる地位を得た父親は、満を辞して村人たちにきららを紹介した。きららの能力はすんなりと村人に受け入れられて、それから父親はきららのことを神の子として祭り上げた。父親は村のある山のさらに高いところに集落を作り、そこに自治会館の名目できらら専用の本堂を建てた。同時に父親はきららを使って政党との繋がりも得た。村できららは特別扱いされ、学校や買い物などの外出はほとんどさせられず、毎日のように誰かの未来を予知させられた。集落と本堂は実質的にきららを監禁する施設だった。
こうなってしまえば、もう父親を止めることなど誰にもできなかった。父親はきららの言葉だと偽って、嘘の予知で有力者に取り入ろうとした。悪い土地だと言って住人を立ち退かせたり、都合が悪い人物にはありもしない過去をでっち上げて悪評を流布したり。嘘の予知なのだから当然未来は違ったものだったけれど、父親は口先で強引に辻褄を合わせたし、きららの未来予知が本物である以上、父親の言うことを嘘だと看破することは誰にもできなかった。
そんなきららに転機が訪れた。降灰禍だ。
灰によってきららも灰病に罹り、病院でイローデッドとなってしまった。それから療養の名目で出雲に送られた。
村にも灰病が蔓延していて、父親は支配するどころではなくなってしまった。なにせ村にも集落にも人がいなくなってしまったのだ。
村人たちはきららを崇めていたし、有力者にとってもきららから直接聞く未来予知だから価値がある。欲の皮の張った大人たちは父親の持ってくるうまい話に興味があったのであって、別に父親に魅力があったからではなかった。きららがいなくなった今、嘘ばかり吐く父親の自分に都合のいいだけの妄想まじりの儲け話に耳を貸すものは誰もいなくなった。
父親は今まで邪険にしてきた村人に恨まれていたし、有力者たちからも煙たがられるようになった。その人たちにとって、ご利益があると言って売りつけられたお札やブレスレットは父親を切り捨てるのにうってつけだった。父親はきららの威光を借りて村でただで飲み食いしたり、宴会だって村人のお金で開かせていたりもしていた。土地の権利書を騙し取ったり、有力者から寄付を受ける代わりに普通の壺をご利益があるといって渡したりもしていた。
これらが詐欺罪の構成要件となって、父親はついに逮捕されてしまった。その後、父親は実名報道された。
その日、きららは司書の当番だったから、生徒たちの占いをそこそこに切り上げて図書室に向かった。
図書室にはすでに文芸部のメンバーがいて、みんなでタブレットを囲んで何やらやっていた。きららも後ろに回り込んで見てみると、タブレットにはある集落の牧歌的な風景が映っていて、視聴者のコメントが文字になって画面を横に流れていった。
集落は山の中ほどを拓いたところにあって、本堂を中心として何軒かの平屋と少しの畑で構成されていて、ほぼ自給自足のような生活をしているようだった。インタビューを受けている村人は元々都会にいたらしく、この集落に感銘を受けて越してきたと言っている。この集落は、そのようにして他の地域から移り住んできた人たちで構成されているらしかった。他の村人も映っていたが、みな同じような服を着ていて、それがユニフォームめいているのが特徴的だ。
場面が切り替わり、本堂の中が映し出された。取ってつけたように豪華な仏像が上座であぐらをかいていて、村人たちが神妙な顔つきで正座をしていた。供物台には魚とお米と鶏の首が乗っていて、白装束の女の人が鍬のような杖を両手で握りながら舞をしていた。その両脇には楽器隊がいて、笛を吹いたり太鼓を叩いたりしている。村人たちが曲に合わせて「ヨッ!」とか「ハッ」とか言いながら手拍子をとっていた。
映っていたのは歴史や文化的な背景の感じられないお祭りだった。画面にはお祭りを揶揄するコメントで溢れた。中には惨劇描写のあるホラー映画との類似点を指摘するものもあった。映画と同じように惨劇が起き、最終的に火事ですべて焼失することを望むコメントが流れると、コメントの空気も同調して罵倒一色になった。
――まあ、インチキだよね。
動画を見ていたメンバーの誰かが言った。
――本人たちは真面目にやってるんだろうけど、騙されてるとしか。
と、別の誰かが言った。
――なんだかかわいそうです。
――これがエコーチェンバーってやつかしら。
――本人たちが楽しければいいんじゃん?
――で、これを私たちに見せてなにがしたかったんだ?
――なんか変なお祭り動画が流行ってるらしくて、一人で見るのが怖かったから誰かを誘おうとしたら、こんなに集まっちゃっただけ。
メンバーが会話している間も動画の再生は続いていた。「キモいし山から出てくんなw」「どうぞ死ぬまでそこにいてください」というコメントが流れると、きららはいたたまれなくなって、何も言わずに司書の席へと踵を返した。
きららが受付で貸出カードをまとめていると、菜々花がやってきた。
「ああいうカルト? って私はよくわからないんだけど。変な決まりって結構あるよね。たとえば我が家では普通のことなのに、一旦外に出るとおかしいことに気づくってやつ。シチューにご飯はありかなしかとか、食べてる時はおしゃべり禁止とか、お風呂の水は洗濯に再利用しなきゃいけないとか」
「でもあの人たちは教義にのっとってやっているから、家庭のルールとは少し違う。あの人たちの宗教の教義は、やがて来る滅びの日をノアの方舟に乗って、預言者の女の子と一緒に生き残ろうとするもの。そのためにあの集落で自給自足の生活をしている。まるで家族みたいに」
「ふーん。さすがきらら、そういうのに詳しいんだね。家族かあ。私には無理だなあ。家族に縋るってやつがなんかキモいし」
「きもい……。なーなもそう思うの?」
「キモいのは家族に縋るってところ。閉じた世界でマイルールに縛られるなんて生理的に無理。宗教に関しては――そうねえ、本物がここにいるから白けちゃうっていうか。あ、意外と『預言者の女の子』も本物かもね」
菜々花が言うと、きららはばつの悪そうな顔をした。
「なによその顔」
「なーな、ちょっといい?」
そう言ってきららは菜々花を廊下に連れ出した。そのまま階段を上がって屋上前の踊り場まで来ると、きららは口を開いた。
「実はあの動画に映っていた村はきららの故郷だったりする」
「うっそでしょ!」
「本当。それから、きららはあの教団の巫女でもある」
「まじ? 世界って狭いのね」
「さらに、教祖――つまりきららのパパが最近逮捕されちゃった」
「大変じゃない」
「それも詐欺で」
「詐欺?」
「信者や村人から強引に寄付を募っていたから、いろんな人に恨まれていた」
「そりゃそうでしょうね」
「だから、あの村から離れられたのはきららにとって都合がよかった。灰病さまさま」
「えっと、ちょっと待ってよ。ということは、きららも騙してた側ってことじゃない」
「……そうともいえる」
「最低」
「そう言われるのも仕方ない。認めざるを得ない。でも言い訳のチャンスが欲しい」
「まあ、きららがそんな奴だなんて思えないし、いいわ、聞くだけ聞いてあげる」
「簡単に言うと、あの宗教は神様の未来予知を使ってパパが作り上げた組織。パパは予知を使って村を乗っ取った。きららは嘘の予知をしなかったけど、それだけじゃパパの暴走を止められなかったし、もうきららじゃどうすることもできないところまで行ってしまった」
「まあ、やめてって言ってやめてくれる親なら誰も苦労しないわよね。じゃあ、あの村はいま教祖も巫女もいないのに、熱狂的な信者が残って維持してるわけか。大変じゃない。どうするの?」
「あの村できららは崇められていた。きららは神様を尊敬しているから、きららが崇められるのは違う」
「うーん。あそこにいるのは信者の人だし、きららの言うことなんかまともに聞いてくれなそうね……」
「きららの経験上、言ったことはすべてご神託になってしまう。仮面やトーテムの良さについて語れば、それが神器になっちゃう。ラノベの新刊が欲しいといったら、経典扱いになって文章の中から神様の予知を探しはじめちゃう。だからきららは何も喋れなくなった」
「うわあ……。やっぱりキモいで正解じゃない」
「でも、みんながきららを信じる気持ちは本物だった。救われたがっていた。でも、きららにはどうすることもできない。中にはきららの予知を信じていない人もたくさんいた。陰口もたくさん聞いた。直接言うと村八分にされちゃうから隠れるのは仕方ない。神様はご利益と祟りをもたらすものとして畏怖されている。きららもそんな感じに思われていた」
「じゃあどうするのよ。まさか村に帰るとか言い出さないでしょうね」
「村人と信者の折り合いが悪くなってるというのは聞いてる。パパのしたことを考えると帰る筋合いはない。でも信者を残している責任はきららにある。それに、パパとあの村を狂わせたのはきらら。でも、きららはもうあそこには帰りたくない」
「それを聞いて安心したわ」
「なーな、軽蔑しちゃった?」
「はあ? するわけないでしょ。きららはこんなことになるなんて予知できなかったでしょ。予知できたとして、それが今なにになる? この後はどうする? ね、関係ないでしょ。知ってようが知るまいが、自分で決めて自分でやるしかないのよ。大体ねえ、きららの未来予知って他人からすれば占いでしかないのよ。たとえば、靴を投げて裏が出たから雨が降るって占いの結果が出て、だから傘を買ったのに雨が降らないだなんて詐欺だ、金返せなんて言われても正直勘弁して欲しいじゃない。死んだ方がいいって占いに言われても死なないでしょ。占いで得をしようとしたのに損したと思ってるからそんなことが言えるのよ。占いなんて気構えの問題でしかない。つまり、きららのパパも村人も信者もみーんな馬鹿ってこと」
「お、おう」
「だから別にきららが気に病むようなことじゃない。私はきららを軽蔑しない。わかった?」
「うん。ありがとう。なーなならそう言ってくれると思った」
「……神様もそう予知したのかしらね」
「ううん。これはきららの直感」
「知ってるわよ。ただの照れ隠し。それにしても、私よりついてないヤツなんていたのね。それもこんな近くに。親に殴られてお金取られるのと、娘を盾に詐欺して逮捕されるの、どっちが最悪なんだろうね」
「比べるようなことじゃない」
「そうね。比べるまでもなくどっちもクズよ。こんなふうに生んどいて、後は勝手にしろって、自分のしたことも理解できない低脳のクソ野郎。そんなやつのこと気にしてたって仕方ない。私たちは私たちで生きていくしかない」
「でもパパは実名報道されちゃったから……」
「ああそうか。火の粉がきららに降ってくるのも時間の問題ね」
「うん……」
「怖い?」
「怖い」
「まあしばらく様子見て、やばくなったらばっくれましょ」
「ばっくれる……いい言葉。でもどこに?」
「どこにでも行けるわよ。二人で暮らせばなんとかなるでしょ――なによその顔。『二人で住もう』ってきららが言ったんじゃない」
「確かに言った」
「大丈夫。いつかなんとかなるわよ。なにせきららは本物なんだから」
「でもなーなに迷惑がかかる」
「確かに迷惑ね。でもきららが言い出したことなんだから、今さら取り消そうったってそうはさせないからね。迷惑かけた分、責任持ちなさいよ」
「責任……。きららにも責任って取れるのかな」
「占いで食べてくってのはキツそうよね。あ、そうだ、前にきららがキャラ変したことあったじゃない。高校デビューで清楚になりました、みたいなやつ。あれ配信でウケそうよね」
「あれは本当のきららじゃない」
「だから良いのよ。画面の向こうに本当の自分なんか見せてどうするの。ファンは友達じゃないんだから」
その言葉に触発されて、きららの脳裏に昔のたった一人の友達――ユカがよぎった。ユカは確かにきららの信者ではなかった。
「たしかに」
と、きららは強くうなずいた。
「かわいくなりたいのはみんな同じでしょ。今度メイクしてみよっか」
「うん、なーなに任せた。でもきららはパパのことで身バレしちゃうから……」
「親が馬鹿だからってなんで子供まで日陰歩かなきゃいけないのよ。私たちを日陰に押し込める奴らとはバイバイ。私たちは日向を歩いていく。文句ある?」
「ないです」
図書室に戻ろっか、と言って菜々花が歩き出した。きららもその後について行く。
図書室にいるメンバーはきららのことに気づいただろうか。軽蔑するだろうか。そんな不安がよぎったけれど、神様に聞いてみるようなことはしなかった。きっと大丈夫だと信じることにした。菜々花もいるんだから。
つまり久野きららは安住菜々花のバディだってこと。超ついてない人生で数少ないラッキー。