飛行機雲を探して   作:通りすがる傭兵

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7cmの『幽霊』

 

「ちっ、またお前かよ」

 

 ボヤけてきた頭を無理やり動かすために容器を振って、出てきたラムネを口に放り込んで噛み砕く。

 シンプルな甘さを頭の片隅に追いやりながら、キーボードを叩いてプログラムを書き換えてもう一度キーを叩いてシュミレートを試行。

 

結果は──2着。

 

 思い通りにならない結果に、エアシャカールは頭をかきむしった。

 

また2着だった。

 

日本ダービー、たったの7cmが届かない。

 

その結果は変わらなかった。

 

だがそれは『現状』のデータでの話。

 

 レース当日までの予想される成長曲線、出走メンバーなどまだまだ不確定要素は多い。

 

しかもこれはシュミレーション上。本番ではない。

 結果を踏まえ何故敗北したのかを分析し、その原因を特定し修正すればいい。

 

 誰が高確率で勝利するのか、取りうる戦略と進路の可能性。本番で発揮されるポテンシャルの最大値と、それを最大限発揮するためのレースメイク。

 

 シャカールが独力で制作したAI『Parcae』は全て応えてくれる。然るべきデータがあればシャカール自身が必ず1着を取るための道筋を示してくれる。

 

 全戦全勝、あの有名なシンボリルドルフのように無敗というわけにはいかないが、エアシャカールの目標であるクラシック三冠達成には必要不可欠な存在だ。

 

『Parcae』に不可能はない。

 

あるとすれば操る自分に不可能があっただけだと、シャカールは言い切っている。

 

数字はミスはしない、嘘もつかない。

プログラムは使い手がフラットな操作をすれば然るべき答えを返してくれる。

 

だからこそ、シャカールは今混乱している。

 

『Parcae』が原因不明のバグを吐くなんて、はじめてだったからだ。

 

 今までエラーやバグを吐くことはなかったと言えばそうではなく、シャカールも完璧なプログラマーではなかった。

 

 だが何年も修正や改善を重ねた今の『Parcae』は軽微なエラーを年に数えるほどしか吐かない。根幹部分のエラーを吐いたのもバグ挙動を起こしたのも入学後に1度したのが最後。

 

 だからこそこのバグが何故発生するのかシャカールには見当がつかなかったのだ。

 

 『Parcae』が表示する、日本ダービーで1着になるウマ娘の名前がおかしい。

 

 皐月賞を終えてからそのバグは現れた。

 

 予測演算に紛れ込み、日本ダービーのシュミレーションでシャカールを7cm差させず粘りこむ。シャカールの追走を振り切って勝つウマ娘の名前が何度もシュミレートしても同じなのだ。

 

 進路を塞ぐようなダーティな走りをしようが、反則ギリギリの接触までしようが、暴雨風や積雪などあり得ないほどの天候データを叩き込もうがその予想が変化した事はない。 

 

 想定メンバーを変えようがレース展開が変わろうが、シャカールが直線最後に抜け出す理想的な展開、シャカール自身が勝つシチュエーションを整えた時に限り、それは必ず現れる。

 

 シャカールが勝つ状況が整っている限り、そのウマ娘は彼女を抑え日本ダービーを勝利する。

 

 勝てない相手がいるならデータを取って対策を練る傾向と対策は基本だ。しかし、データが取れない相手はどうしようもない。どこにもいない相手のデータをどうやって集めればいい?

 

 皐月賞の出バ表、前哨戦の出走予定メンバー、考えられる日本ダービーの想定メンバー、クラスメイト。

クラシック登録メンバーどころか今年デビューしたウマ娘を総浚いしてもその名前は名簿には無かった。

 

 自分が知らないだけかもしれない。そう考えたエアシャカールは、友人やツテを頼ることにした。

 

 最初に、件のウマ娘と似たような名前のウマ娘に声をかけた。しかし首を横に振るだけで、彼女の望む結果が返っては来なかった。

 

「うーん。私が入学してから入ってきた生徒の中にはその名前の人はいませんね」

「本当か?」

「もちろんです。オタクとして、デジたんはちゃーんと推しの名前から好きなものまでプロフィールは頭に叩き込んでいますとも。このデジたんデータベースに死角はありません!」

「お前のデータは信頼している。それでもダメか」

「ですね。親戚の集まりでもそういった名前の人は見たことがありません。ウマ娘ちゃんのことを私が見逃すはずがないのですが」

「そうか、邪魔したな」

 

 次に、生徒会長(シンボリルドルフ)に頼った。

 顔と名前を忘れないという特技、もし学園の生徒なら必ず名前か顔を知っているはずなのだが、

 

「本当なら一生徒のアポイントメントを受けることはないのだけれど、どうやら君の悩みは少し特殊なようだからね」

「手段は選ばねえだけだ」

「些細なこととはいえ頼ってくれて嬉しいよ。しかし、キミの望む答えを私は示すことはできないかもしれない」

「ああん?」

「生徒会長である以上、全校生徒の名前と顔は覚えているとも。名前だけなら家族だって知っている、もちろん入学予定の生徒の情報なども、全てではないが、限りなく目は通しているつもりだ。だが──」

「勿体ぶるんじゃねえ」

「では、結論から行こう。この学園にその名前の生徒はいないし、今年の春に入学もしていない」

「そォかよ。邪魔した」

 

 話しかけたくはなかったが、ソリの合わない後輩にだって頼った。いくら他人に興味が無かろうが、似たような名前をしてるなら覚えがあるはずだと。

 

「本当にいないんだな?」

「この私が珍しく実家に出向いて調べてきたんだ、感謝したまえよシャカールくぅん?」

「オマエのトレーナーが、だろ?」

「モルモット君がやろうが関係ない。少なくとも正式な役所の書類だから偽造しようもない。

 客観的にも、法的にも、結果は信用できるとも」

「で、本当なのかよ」

「本当さ。キミの探し人はアグネス家には存在しない」

 

 ここではなく海の向こうにいるのかもしれない。友人のツテを頼りに、見ず知らずの他人ばかりの留学生コミュニティに足を踏み入れた。

 

「ごきげんようみなさん、少し宜しいかしら?」

「WoW! 珍しいお客サーンデスネ! Hmm、人探し、デスカ」

「ああ。この名前に見覚えは? あっちにいた時も含めて見た事はないか? お前らもどうなんだ」

「およ、見た事ナイ名前ですね。フラッシュはどうデスカ?」

「私も見た事はありませんね。この名前であれば日本人のはずでは? アグネス家といえば日本の名家でしょう?」

「......邪魔したな」

 

 最後の砦。頼りたくなかった人物、自身のトレーナーにすら頼ったが呆気ないものだった。

 

「トレーナー」

「うん? どうしたんだいシャカール」

「このウマ娘知ってるか」

「アグネス......なんだろう? 知らないね。デジタルでもタキオンでもなくて?」

「ああ」

「うーん。少なくとも見た事はないかな。そのウマ娘がどうかしたの?」

「......なんでもねぇ」

「そっか。困ったことがあったらいつでも相談してね。頼りないだろうけど、これでもトレーナーだからサっ!」

「はっ。だったら、もう少しマシなデータを取れるようになりな」

 

 インターネットの海にも、埃を被った古臭い図書館にも求める答えはなかった。

 

このウマ娘は現実世界には存在しない。そう結論つけるしか無かった。

 

「じゃあ、お前はなんなんだよ」

 

名前のある幽霊。存在しないはずのウマ娘。

そいつは自身の前に何度も立ちはだかる。

何度もオレの夢(三冠)を奪い去る悪夢。

 

「テメエは一体何なんだよ」

 

 シュミレーションレースで何度も勝利をもぎ取って行った無機質な白いアイコンの名前を睨みつけて吠えても、何も変わらない事はわかっている。

それでもシャカールは叫びたかった。

 

「答えろ、答えろよ()()()()()()()()()!」

 

 そうでもしなければ、頭がおかしくなってしまいそうだったから。

 

「しゃしゃしゃ、シャカールさん、ど、どうしたんですか?

「......すまねぇムシャクシャしちまってた。頭を冷やしてくる。電気は消しといてくれ」

 

 同室のメイショウドトウが声をかけられてやっと存在に気がつくくらい、熱くなってしまっていたことに気がつく。

 

 画面端の時計が示す時間はもう日付を回っていた。

 

 シャカールは夜中に大声で起こしてしまったことを謝罪しながら、プログラムを閉じノートPCを畳んで部屋を出る。

 

 数学に解けない問題はない。不可能な証明問題はいずれ解明される事は歴史が証明してきた。だがいずれでは遅い。

 

自分たちにとっては今しかない。

 

 この問題を日本ダービーまでに解かなければオレのの夢は、三冠達成は叶わない。

 

皐月は基礎能力の高さで押し切れた。

菊花賞はとっておきの策がある。

だが、日本ダービーだけがダメだ。

あの幽霊をどうしても越えられない。

 

その解法が、どうやっても見つからなかった。

 

「クソッ」

 

 シャカールは外行き用のパーカーを被り、愛用のノートパソコンを抱えて寮を飛び出す。

 

 日付が変わる前後ほどの深夜。

 いつものように学園の外に出る事はできず、あてもなく校内を彷徨った。

 

 照明の落ちた夜のトレセン学園はひどく不気味だ。

 

 窓に光はほとんどなく、ガス灯を模したライトも電源を落として静かにその場に佇んでいる。

 

普段はうざったいほど騒がしい声も聞こえない。

自分の足音すら不快に感じるほどに響く世界。

 

シャカールの思考を邪魔する者は誰もいない。

 

人物、という意味では。

 

 シャカールが顔を上げれば、三女神の噴水が月光を浴びて浮かび上がるように立っていた。

 

大理石を削り出してできた、水瓶を携えたウマ娘の石像。

 

 普段はその肩に担いだ水瓶から水を流して荘厳な雰囲気とやらを作り出しているが、夜は止まっていて水音ひとつ立つこともない。

 

 ウマ娘はこの三柱から始まったと言われる伝承とオカルトでできた、デジタル派のシャカールには理解し難い過去の遺物だ。

 

「そォいえば、願えば何か貰えるんだったっけか?」

 

 観光客のように噴水にコインを弾き入れたら願いが叶うのか、なんて話をファインが言っていたことを思い出す。そんな与太話を信じてるなんてと言い返してシャカールらしいやとくすくす笑っていたっけか。

 

「......ケッ」

 

 のっぺりと表情のない顔をした像を見上げて、道端に唾を吐き捨てる。オカルトに頼るほど落ちぶれるつもりはなかった。もしチャンスを掴むなら自分自身の手で、カビの生えたものに頼るつもりはない。

 

 だからこのポケットの小銭を投げ入れるなんて愚かな真似はしない。こんなことをするより、この金で練習器具の一つでも買った方が建設的に決まっている。

 

だが、迷ってしまった。

 

 もし仮に願いが叶わないのなら、オレはコインを投げ入れた上で日本ダービーに敗北しやっぱりカビ臭い伝説は嘘っぱちだと笑ってやれる。

 

でも願いか叶うとしたら──

 

 オカルトなんて迷信めいたもの信じたくはない。

 だからこれはそれを否定するための作業だ。縋るだけで何も起きない気の迷いを振り払うための反証作業。

 

 あらゆる状況からデータは観測されるべきだ。例えそれがどんなに不確定でバカバカしいようなデータであってもな。そう自分自身に言い聞かせる。

 

 こんなことを考えてしまう時点で迷いが生じているだけだ。こんなつまらないものに縋るより、振り切って次に目を向けるほうが建設的に決まってる。

 

 シャカールはポケットに突っ込んでいた右手を取り出し、握っていたコインを指に乗せて、弾いた。

 

「────────────」

 

 綺麗な放物線を描いたそれは小さな水音を立てて噴水に落ちる。

 

1秒、5秒、10秒、30秒、1分。

 

身構えても特に何も起こる事はなかった。

 

「ハン。やっぱり、カビ臭え伝説じゃねえかよ」

 

 ただの与太話。結局、不可解なことなんてこの世界には存在しない。あの幽霊のバグもどうせ別路線のアグネスデジタルのダート芝適性周りが悪さをして不具合が起きただけだ。明日周辺のプログラムを整理すれば居なくなるに違いない。

 

「寝るか」

 

 夜更かしは自律神経を崩す上、筋肉の生成を阻害する。ましてや今は本格化を迎えた身体、成長曲線を下方修正しては勝てるレースも勝てなくなる。さっさと部屋に戻ってサッサと寝て何もかも忘れてしまうべきだ。

 

 自分を納得させるように理論を構築して、ふと気がつく。

 

「そういえば今、オレは何を願ったんだっけ」

 

 余計なことを考えてたせいで肝心の「どんなことを望んだか」が思い出せない。ただコインを噴水に投げ入れて無駄にしただけかもしれないが、それでも結果は変わらない。

 

「すぐ忘れるくらいだ、どうでもいいことだろ」

 

願掛けなんざ、所詮ただの思い込みだ。

 

「じゃあな、三女神様」

 

 何もしない石でできた像に手を振って、エアシャカールはその場を後にした。

 

 何事もなく寮の部屋に戻りルームメイトのドドウも寝静まった静かな部屋で、パーカーを適当に脱ぎ捨ててジャージのまま自分の布団に潜り込む。

 

 

いつも、シャカールは悪夢しか見ない。

7cm差で敗北する夢。誰かに蹂躙される夢。期待され続けても結果を残すことができない悪い夢だ。

 

ただ、珍しくそうでない夢を見た。

 

 

 大観衆の詰めかけた東京レース場のスタンドと、その大観衆が上げる心からの喝采と大歓声はいつもの悪夢と同じだった。

 

だが、視点が違った。

 

普段より高い視線。

普段よりも力強く、万能感に溢れる大きな身体。

 繰り出す4本の脚は力強く大地を踏み締め芝を抉り取るように巻き上げる。

 口角から白い泡を吹きながら死力を尽くし、体全体を使ってしなるように、跳ねるように走る。

 

背中に乗せた奴とソリが合うわけじゃない。

だが目的は同じだった。

 

勝ちたい。

あいつに勝ちたい。

このレースに勝ちたい。

あいつだけには負けられない。

 

身体が沈む。

一歩を踏み込み蹴り出し跳ね駆ける。

 

あと一歩、隣に並びかけるて来る鹿毛のアイツに。

 

『──の夢か! ──の意地か! どっちだ! どっちだ! どっちだーッ!』

 

 

────────に、勝つために。

 

────────って、誰だ?

 

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