とっても嬉しいです
エアシャカールは電子音で目を覚ます。
手探りで携帯のアラームを切り、しょぼつく目をこすりながら身体を起こし一つ伸びをしてから、
「......あん?」
首を傾げた。
どうにも違和感があった。
部屋の空気が、雰囲気が違う。まるで自分の部屋じゃないような居心地の悪さがあった。
こちらから見える同室のドトウのパーソナルスペースに異常はない。
布団からはみ出したハネた毛、ベッド周りの小物類。壁に掛かる応急キットが入った革の肩掛けカバンもいつも見るのと同じだ。
じゃあ、どこが違うのか?
手元に目線を落とすと布団カバーの色が違った。
顔を上げ視界に見えた机には電子化して段ボールの奥に叩き込んだはずの教科書が規則正しく並んで見えた。
枕元の棚に置いてある、鳥の羽根を模したような水色の髪飾りを見たことがない。
棚の上に飾られた旅客飛行機の模型に見覚えがない。
「......な、ンだ?」
他人のベッドに自分が入り込んだような、そうと形容するしかない状況だった。
「待て、待て待て待て、そんな筈はねえ。オレは他人のベッドに潜り込むような頭お花畑な間違いをするわけがねェだろ」
そうでもなければ説明がつかない。
視界に見えるあの布団からはみだした特徴ある毛といい見覚えのあるモノの配置といい、あれはドトウのもので間違いないことを改めて確認する。
シャカールは自分が模様替えをした覚えもなければ、された覚えもない。ドドウは気がきくほうだがどんくさく、寝る前に部屋にいなかったあの短時間でここまでの模様替えが出来るはずがない。
「そうだ、オレのパソコンは?!」
布団から飛び出し、いつもパソコンを置く机の上を見た。自作ステッカー塗れのノートPCは昨晩置いたまま規定の位置に置いてあることに安心し胸を撫で下ろす。
電源も入れ中身を改めて、何もデータに異常ないことを確認してひとつ息がつけた。
そしてやはりこの現象はファインのドッキリか何かだろうと結論づけた。あの王女様の突拍子のないユーモアと行動力があればこんなこともするだろうと。
PCを閉じたところで、机そのものに目が行った。
整理整頓された教科書類、磨き上げられ、整然と並べられた筆記用具。使い込まれたノートなんかも汚れなく丁寧に仕舞い込まれていて、持ち主が几帳面で勉強熱心であることが窺える。
机に向かって勉強しない自分の机ではない。
「まさか、な」
整頓された小物入れの1番上には生徒手帳が置いてあった。それを手に取り表紙を開く。
もしかしたら、いつか撮ったまだ荒れていなかった頃の自分の写真でも入っていたりするんだろうなどと楽観的に考えて。
「嘘、だろ、オイ」
表紙を開いて顔写真と名前を見たシャカールは生徒手帳を取り落とした。
「ん、ぅ......ドトウ? どうしたの、こんな朝早くにどうしたの、って寝てるか。ってことは寮長、さん......?」
硬い表紙が机にぶつかる乾いた音で目が覚めたのかもぞり、と布団が動き誰かが顔を出す。
ウェーブがかかった栗毛のウルフカット。
真意が読めない少しくすんだ、栗色の暗い虹彩。
垂れて柔らかい目元と、胡散臭く釣り上げられていないことに違和感しか感じない口元。
寝ぼけ眼を擦るそのウマ娘こそ生徒手帳の持ち主。
「お前、が......?」
「だれぇ、お客さん?」
寝ぼけ眼を擦るとぼけたウマ娘が、あの自分とソリの合わないアグネスタキオンの鏡写しのようなソイツが、シャカールの探し人。
「お前が、アグネスフライトだと......!」
「そうだけど?」
アグネスフライトその人に間違いなかった。
寝ぼけた目をこすりながらベッドの上に座り直したフライトは、シャカールを見つけて首を傾げるが気にしない様子で手を振りながら言う。
「朝早くに押しかけてどうしたの? 朝から騒がしくしてるとドトウちゃんが起きちゃうから、続きは廊下で話そっか。ああ、妹に用事なら......」
いつもは気色悪い、光の反射しない暗い目が普通のやつのように光っている様が気持ち悪い。
アグネスタキオンのイかれた部分を削ぎ落とし、常識と普通を詰めたような顔。
体格も、見た目も、平々凡々なウマ娘。今までオレが倒してきたようなウマ娘と差異のない、どこにでもいそうなウマ娘。
こんなやつに、シュミレーション上とはいえ負け続けたのかと愕然とした。
「......ところで、君、名前は?」
「エアシャカール。別に覚えなくていい」
会話の間も、目の前のウマ娘の観察する手は止めない。
平凡すぎる外見にショックを受けたとはいえ、シャカールは外見で侮るつもりはなかった。名前の『アグネス』から考えられるに名家のアグネス家のウマ娘である事。それに名前も顔もアグネスタキオンによく似ているのは理由があるはずだ、と思考を巡らす。
双子のようにそっくりだが、タキオンの演技を見抜けないほどシャカールは間抜けではない。つまり限りなく顔の似た他人、少なくとも血縁関係のある誰かであると推測できる。
ここまで顔が似てるともなれば姉妹や従姉妹の可能性が高い。そこまで考えが及んだところで、さっきの発言に引っ掛かかりを覚えた。
『妹に用事なら......』
「そういや妹、って言ったか。いるのか?」
「そうだよ? タキオンって言ってね、手はかかるけどかわいい妹なんだ。もしかしてタキオンのお友達かい?」
タキオン。その名前を聞いてシャカールは悪態をつかずにはいられなかった。
「タキオンてのは、アグネスタキオンか?」
「うん、アグネスタキオン。よく似てるって言われる。なんたってお姉ちゃんだしね」
「......あの野郎、嘘吐きやがったな」
『HAHAHAHA、誰にだって間違いはあるとも!』
遠くで気色悪い笑顔を浮かべながら高笑いするタキオンの幻聴が聞こえるようだった。
わざと隠しやがった。ハメやがった。
「あ、ん、の、や、ろ、う!」
全部知っててすっとぼけたな、わざわざ役所の書類を書き換えるなんて随分と手間なことまでしやがって。
憤りを隠さずそのまま回れ右して、ドアを蹴破るように勢いよく開く。
「人をからかうのもいい加減にしやがれ、オレだって超えちゃいけないラインくらいは引いてあるんだ、デジタルどころかオレのトレーナーまで巻き込んだ盛大なドッキリだってか? その思考リソースをそのガラスみてえに脆い脚の対処に割り振れって話だろうが」
(今日の朝練はパスだ。あいつを締め上げなきゃどうにも示しがつかねえ。幸い今日は軽い調整用のトレーニング、別日に割り振っても問題ねえ)
タキオンへの苛立ちを口に出しながら、スマホのLANEを起動してトレーナーに今日の朝練習を休むことを伝える。
それと背後を振り返らず、しかし聞こえるように少し強めにフライトを呼びつける。
「おい」
「ん、なあに?」
「タキオンを締めあげる。オレのことコケにしやがった」
「まあまあ。よくわかんないけど、タキオンが何かしたんなら私が謝るよ。私お姉ちゃんだから」
「だったら尚更だ。こんな与太話に乗ってないでちゃんと言うこと言いやがれ!」
「ふええ......」
しおらしくふにゃふにゃと泣き顔をする、同じ顔のタキオンがおよそしない顔と態度に思わず苛立ちをぶつけながら、ジャージのままで部屋を飛び出した。
アグネスタキオンが校舎の一角にある理科準備室を根城にしているのは周知の事実だ。当然寮の門限は守らないし、泊まり込みで実験してる確率は高い。寮の部屋にいってデジタルごと叩き起こすより実験室に行く方が確率は高い。
朝練に行くであろうジャージのウマ娘を避けながらシャカールは校舎に向けて走った。夜間警備員を出し抜くためにいつも空いている校舎の窓を開けて中に入り、階段を駆け上って理科準備室、タキオンが根城にするその部屋の扉を開ける。
実験器具や服や書類の山、ゴミなど雑多なもので溢れた雑然とした部屋の真ん中の机で書類を枕に突っ伏している、後ろから追いかけるウマ娘ととおんなじ跳ね毛のついたウルフカットの鹿毛のウマ娘。
探し人を見つけたはシャカールはすぐに彼女の耳を持ち上げよく聞こえるように大声で怒鳴りつけた。
「起きろタキオン!!!」
「うわあっ!? なんだいなんだい!」
「てめえよくも騙してくれたな!?」
「ふひぃ!?」
顔をスレスレまで近付けるくらいにして、わざと目を細めいかにも不機嫌という表情を見せつける。
もしシャカールの虫の居所がもっと悪ければ掴み掛かっていたくらいには、キレていた。お互いこんなことをして無駄な時間を消費する余裕はないというのに、こんなことに時間を割くなんて信じられないほど愚かな事だからだ。
怒声に飛び起きたタキオンはシャカールの顔をまじまじと見つめていたかと思うと、
「ひーん! 助けて姉さん! 知らない人がいるよう!」
情けない事を言いながら白旗をあげた。
あのタキオンが堂々と助けを求める様子が予想出来るわけもなく、この意味不明な状況に硬直してしまうシャカール。
追いついたフライトが扉の前に現れると同時に、タキオンはフライトの胸に飛び込んでぴいぴいと泣き始め、フライトは慣れた様子で優しそうに頭を撫でていた。
「......よしよし」
「もしかして生徒会の人なのかい、トレーナーだって見つけたし退学なんて言わないでおくれよう。姉さんも何か言ってやってくれないかい」
気味の悪いほどナヨナヨとした見たことのない意味不明なタキオンの態度に、自分の頭がバグったのかと頭を抱えていると、
「......朝から騒がしいですね」
「カフェか」
「カ〜フェ〜!」
「カフェさん」
この意味不明な状況を打破できるであろう、数少ない人物が現れた。
膝丈まで届きそうな黒鹿毛の長髪の、不気味な雰囲気と意味不明な現象を連れてくるタキオンの同級生。そしてこの実験室のもう1人の持ち主、マンハッタンカフェだ。
朝っぱらから騒がしいのが気に障るのか不機嫌そうなカフェに近寄って、
「今日のタキオンはどんな薬の副作用でああなったんだ、あいつが普段あんな子供っぽい性格なわけないだろ」
「いえ? いつも通りですが」
「オイオイウソが下手だな。名女優は名乗れねえぞ?」
「私は嘘はつきませんよ。それより......おや」
何か言いかけたところでカフェの目線がシャカールからその背後の少し上にズレて、またかと頭を抱えた。
「幽霊が見えるとかオカルトが好きなのはわかるが、毎度毎度意味不明な論理で途中式をスッ飛ばして結果だけ出力するのはやめろってアレほど」
「少し静かにしてもらえますか?」
カフェの不機嫌な顔が更に歪む。どちらかといえば怒りではなく困惑、あるいは危機感に。
そういえばトレーナーに聞いたことがある。一度、カフェのトレーナーが一晩中ポルターガイストや不可解な現象に襲われた時があったと。
「オイオイオイオイオイ嘘だろ冗談って言ってくれ幽霊なんて存在しないに決まってんだろナァそう言ってくれ頼む!」
「..............................わかりました」
「ンだよ!?」
長い沈黙の後、カフェはタキオンが何かやらかした時のように不満気に眉間に皺を寄せたあとさっきの不機嫌さは嘘のようにいつも通りの澄ました顔をして問いかける。
「エアシャカールさん、ですね?」
「知らねえ仲じゃねえだろ。こないだ顔合わせたばかりだ」
「いえ。私はあなたに初めて会います」
冗談、とシャカールは言いかけたがカフェの表情は真剣そのものだった。つまり直面するこれがカフェのいうオカルトな事態か、本人にとって至極真面目な話ということになる。
いつも通り鼻で笑いとばしたいところだが、シャカールだってその場の空気くらいは読める。
カフェは振り向きもせずに、
「先輩も、タキオンさんも同じでしょう。彼女とは初対面、ですよね?」
「そうだよ」
「そうですね」
「でもエアシャカールさんはそうではない、ですね?」
「......そうだ」
「不思議なこともあるものです。片方は面識があって片方にはそれがない。双方の認識にズレが生じているのですから」
カフェは静かにシャカールとタキオンたちの真ん中に立って双方を見ながら、ゆっくりと言った。
「貴方の記憶喪失であればタキオンさんだけではなく先輩も、勿論私も知らないと言うのはおかしい。
貴方以外が記憶喪失というのも考えにくいでしょう。タキオンさんの薬品の副作用としても、効果を及ぼす人が多すぎますし、範囲も狭すぎます。
外部犯による語りである、も難しいでしょう。
あなたが着ているそれは紛れもなくトレセン学園のジャージ。
それに厳重な警備を掻い潜って部外者が侵入するのは、たとえウマ娘であったとしても難しいでしょう。
そこで私はある仮説を提示します。
エアシャカールさん。あなたは──」
カフェの金色の鈍く輝く二対の目は、シャカールをを射抜いた様に真っ直ぐと見つめた後に、断言した。
「別の世界から来たのではありませんか?」