飛行機雲を探して   作:通りすがる傭兵

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世界を跳び越えて

 

 

「別の世界だと?」

「並行世界理論だね」

「なにそれ?」

「有名な話だよ姉さん」

 

 姉という味方を得てすっかり立ち直ったらしいタキオンは落ちていた書類を2枚手に取ると、いつもの調子で説明を始めた。

 

「世界というものはひとつだが、より高度な次元から見ればこの世界が重なり合っているとするものだね。

 

 例えばわかりやすいのはレースの勝敗だねぇ。

 レースには勝敗があり、出走しなかったあるいはできなかった場合などのパターンがある、

 

 勿論私たちがいる世界は選んだ選択肢は1つだ。昨年末の有馬記念をグラスワンダーが勝ったようにね。

 しかし、この理論は選択肢の数だけ世界があるとするもの」

 

 タキオンは手に持った書類を、少しだけスペースを空けるようにしながら重ね合わせる。

 

「昨年の有馬記念をスペシャルウィークが勝った世界があるかもしれない。あるいはセイウンスカイが逃げ切るか、キングヘイローが差し切ったかもしれない。テイエムオペラオーが勝つ事もあったかもしれない。

 あるいはエルコンドルパサーが出走してガラリと結果が変わったかも。

 

 他にも我々の知らない結末があったかもしれない。

 

 けれど私達が知る結果は一つだけ、今年の有馬記念はグラスワンダーの勝利に終わった。

 

しかしとある科学者は考えた訳だ。

 

 選択が違った結果、別の結果を迎えた世界があるのではないかとね?

 

 もしかしたら世界はいくつもの層になっていて、お互いが影響しあうことはなく観測もできないが、そこに在るのではないだろうか?

 

 勿論これを証明する方法はない。観測する方法がないからだ。だが、君はどうやら例外らしい」

 

 興味深い事象に対面することでいつもの調子を取り戻してきたのか、暗い目をシャカールの方へと向けて口角を釣り上げ胡散臭い笑顔を浮かべながら言った。

 

「もしカフェの言うことが正しければ君は別の世界の記録を持ち合わせていることになる。君と私とで、お互いの認識が食い違うことにも納得のいく仮説にもね。

 つまるところ君自体が科学者垂涎のデータの塊、実験材料というわけだ、では早速だがこの薬を」

「飲むかよ。そんなことよりどうやったら帰れんのか教えてくれ」

「そんなもの知るわけないだろう」

「ハァ!?」

「これは提唱されただけの仮説に過ぎないしただの机上の空論なんだよ! それに私の専門外だ、ひぃん!」

 

 シャカールの声に驚き涙目でフライトにしがみついて震え出す様はまさしく小動物。タキオンが自分のトレーナーのことをモルモットと呼んでいるが、このタキオンは自分がモルモット(小動物)のようだった。

 

 普段の自分の無責任さを棚に上げて押し付けるような図太さはかけらもない別人で、シャカールは本当に別人なのかもしれないという疑いを持ち始めていた。

 

 縮こまってすっかり役立たずになったタキオンを見限ったカフェが場を取り仕切るようにひとつ息を吐いてから口を開く。

 

「メイショウドトウさんには私から話しておきます。不要なトラブルを避けるためしばらくはここにいてください。出来れば、外出も」

「そいつは出来ない相談だ」

「何故ですか」

「こちとら日本ダービーを控えた身だぞ。1日でも練習をサボれば結果が変わる。はいそうですかと首を縦には振れねえよ」

「ですが......」

 

 この状態が何日続くかわからないなら無理は通す。もし軟禁生活が1ヶ月も続いたら勝てるレースも勝てなくなるしな、とシャカールは付け加えた。

 

 しかしカフェは渋い顔。無用なトラブルは避けたい気持ちはシャカールにも理解できる。しかし、彼女にだって譲れないものがある。一生に一度のクラシック・レースに万全の体制で挑みたいのは誰であろうと同じだ。

 

 このまま議論は平行線になるかというところで、助け舟は意外なところから来た。

 

「まあまあカフェさんいいじゃないですか。練習については私のトレーナーになんとか話はつけておきます。同じダービーを走るというなら協力は惜しみません」

「先輩。ですが、貴方だって大事な時期じゃないですか。次のレースに勝てばダービーなんですよ?」

「困った人は放って置けなくてね」

 

 にへら、と人の良い笑みを浮かべるアグネスフライト。だがその発言に一つだけ引っかかるものがあった。

 

次のレースを勝てば日本ダービー。

5月になったカレンダー。

丸のついている日付は、シャカールには見覚えのあるレースの日付と同じ。

 

「なあ、お前次のレースってなんだ?」

「ん、どうしたの急に?」

「いいから答えろよ」

「確か京都新聞杯、だったかな?」

 

 京都新聞杯は今年から春に移行した京都で開催される中距離の重賞レース。以前は秋に開催される菊花賞のトライアルレースだったが、今年からはダービーのトライアルレースになっていた。

 

 シャカールだってライバルの情報を集めるため京都新聞杯の出走メンバーを抑えていた。しかし勿論予想メンバーにもアグネスフライトは無い。

 

「丁度いい。誰が出るくらいは把握してるんだろうな」

「確か、あの子とあの子......えーと」

 

 指を折って数え始めたフライトを横目に、データと照らし合わせようとPCを開き、京都新聞杯のデータを開いたシャカールの手が止まる。

 

 何故なら、出バ表には入力した覚えのないアグネスフライトの名前が入っていたのだから。

 

「嘘だろ......?」

「急にパソコンいじり出して、どうかしたの?」

 

 ダービーの時に出てくるアグネスフライトのデータは勿論保存してある。出走者の中にそのデータを放り込みエンターキーを叩いてシュミレーターを動かすと、『Parcae』は数秒のうちに結果を提示した。

 

 しばらくシャカールは逡巡した後画面を他3人に見せるようにPCを回し、口を開いた。

 

「オレのPCには高精度のシュミレーターが入ってる。データを打ちこめばレース結果を演算出力してくれるってヤツだ」

「ほーう、それは随分高度なプログラムだ。頭いいんだね君」

「テメエ程じゃねえ」

 

 タキオンはいつものように適当にあしらいながら、アグネスフライトの方を見て言う。

 

「皐月賞はそうやって勝った。オレの組み上げたプログラムと集めたデータに狂いはなかった。だが、お前が例外だ、アグネスフライト」

「わたし?」

「そうだ」

 

 シャカールにとってこれはは千載一遇のチャンス。存在しないはずの対象が目の前にある。この生きたデータを逃すほど間抜けでもない。

 

「今オレがダービーを勝つためにはお前のデータが必要だ。ただ施しを受けるのも気分が悪ぃ。

 

 だから、ギブアンドテイクだ。

 

 テメェのデータと走りをオレによこせ。その代わりお前に京都新聞杯、日本ダービーを勝つための方法を教えてやる」

 

 勝利の欲求に目が眩まないウマ娘がいないはずはない。データから推測すれば1年目のジュニア重賞戦線にはおらず、皐月賞にも間に合わなかったエリートじゃないことくらい直ぐにわかる。

 

 敗北も経験して、勝利への渇望は高まっているに決まっている。口ではギブアンドテイクとは言うがただの通告、お前にオレの提案は断れねえ。

 

 シャカールのそんな打算的な思惑は、真っ向から打ち破られる。

 

「そんなことしなくても大丈夫だよ。見返りなんていらないから」

「............は?」

「困ってるなら助ける、当然でしょ?」

 

 人の良さそうな笑みを変わらず浮かべながら、アグネスフライトは手を振ってシャカールの提案を跳ね除けた。

 

「とりあえずトレーナーさんに電話してくるね。ちょっと席を外すよ」

「え、あ、おう」

 

 そのまま電話を片手に教室の扉を開けて外に出て行くアグネスフライトにどう声をかけていいかもわからず、背中を見送る。

 

「うちの姉さんが底抜けのお人好しだからね。損得勘定で引っ掛けようとすると痛い目を見るのさ、いたあっ!?」

 

 ぷくく、と口元を膨らませて吹き出したタキオンにはその辺にあった丸めた書類をぶつけて憂さ晴らしをしたあと、適当な書類の詰まった段ボールの上に座り込んで大きくため息。

 

「......マジで理解できねェ」

 

 自分のトレーナーによく似た底抜けのお人好し。シャカールにとって損得勘定の欠けている人種はどう頑張っても思考回路をトレース出来ず、どう動くか理解し難い。

 

「大丈夫みたい。今日の放課後の練習面倒見てくれるって!」

「いい。勝手にやる」

「怪我しちゃうからダメだよ。いい、15時から第7練習場だからね。ちゃんと来てね! 日直なのにもう授業が始まっちゃう〜!」

 

 トレーナーと連絡が取れたらしいフライトは手元のメモ帳に鉛筆を走らせ、ページを破ってシャカールに押し付けた後慌ただしく教室を出ていった。

 

 押し付けられた時に少し丸まってしまったが、乱雑に書きつけたメモには場所が地図付きで丁寧な字で書いてある。

 

「随分と生真面目だな、オマエの姉は」

「いや」

「ああん?」

「もっと自由だよ。そう()()()

「ハァ?」

「じゃあ、私もこれから授業だからね。カフェ〜、コーヒーは淹れ終わったかい?」

「いえ、あと20分ほど」

「なんだってぇ!? それだと1限目に間に合わないじゃないかぁ、ほらはーやーくぅ!」

「仕方ないですね。シャカールさん、メモを渡してもらうので手順通りに。次の休み時間に取りに行きますので」

「お、おう」

 

 授業に遅刻するからとカフェ急かすタキオンという、普段絶対にありえないような光景を見ながら、ドタバタと慌ただしく教室を出た2人の背中を見送ったシャカール。

 

「マジで意味がわかんねぇ......」

 

 見かけは同じなのに中身がまるっきり異なる有様に、頭がどうにかなってしまいそうだった。

 

 

そして放課後。

 

「今日からチームに体験入部することになったエアシャカール君です。しばらくの間ですが、仲良くしてあげてくださいね」

「「「はーい」」」

「よろしくね、シャカール」

「......どうも」

 

 フライトに手を引かれるままにやってきたはいいが、揃わない気の抜けた挨拶とそれを注意もしないトレーナー。

 

 一目見て「ぬるま湯みてえな環境」とシャカールは結論づけた。

 

 アグネスフライトの所属するこのチームはもうすぐ引退だという老トレーナーが率いる小規模なチーム。

 

 白髪が混じりの背の小さいこの老人は、かつてあのメジロラモーヌやダイイチルビーなど名家の令嬢を幾人もG1勝利に導いた名伯楽だという。

 

 しかし今は腰が曲がり始めた覇気のない老人だ。

 

 その威厳のなさに比例してか、身だしなみが小綺麗すぎたりあるいは無頓着すぎたり、熱意のあるようには感じられないメンバーが何人か居るようだった。

 

 彼女たちチームメンバーにフライトが手を叩いて発破をかけ練習が始まる。

 

 いつものルーティンといった感じでラダーやパイロンなんかの練習器具を用意しにメンバーが散っていく様を見送っていると、その老トレーナーが近くで準備をしていたフライトに声をかける。

 

「タキオン君は今日も休みかい」

「実験があるみたいです。夜のは来ると」

「老体には応えるねぇ。キミを見習って欲しいものだけれど」

「タキオンはあの自由気ままさが良いんですよ」

 

 耳を立たせて会話に注意を向けていると意外な情報が入ってきて、シャカールは少し驚いた。

 

 あのタキオンも籍はこのチームらしい。価値観が凝り固まった頭の硬そうな老トレーナーと、自由で突飛な事ばかりするタキオンの相性はあまり良くないだろうに。

 

「解散後の振り分けの方は進んでいるんですか?」

「頼み込んではいるが、少々厳しいね。もっとやる気があればいいのだけれど皆空回りするかあまりやる気のない子達ばかりだから」

「らしいといえばらしいですね。みんな良い子なのに、あらら」

 

 集中が切れて私語が増え始めたらしいメンバーを見かねて、みんなしっかりしてよーとまた声を張り上げ統率を取っている様子のフライト。

 

 トレセンでも良くある風景に、シャカールはつまらないチームだとため息をついた。

 

 しばらく練習風景を観察していたが練習内容といえば教科書通りの手垢のついた、言い換えれば特に記憶にも残らないような平凡な練習内容。

 

 その練習も滅茶苦茶な量をこなす訳でもなく、教科書通りに一般的な量をこなすばかり。

 

 それもアグネスフライトが丁寧に説明しながら、というのだから、本人の練習量は推して知るべし。

 

 今度は基礎中の基礎練の見本をトレーナーでもないのに見せ始めたフライトを見かねて、1人になった時を見計らって声をかけた。

 

「いいのかよ自分の練習はしなくて。それでダービーに勝つつもりか」

「時間は有限なのはわかってる。けど、時間が有限だからこそこうしたいんだ」

「禅問答かよ」

「ゼン? そこまで達観してなんかないよ。みんなの力になりたいだけさ」

 

 しっかりやろうよ、と手を抜いていた年下らしいウマ娘の頭を強めに撫で回すアグネスフライトの手には、たまに見るトレーナーが担当ウマ娘を可愛がるような慈しみの心が込められていたように思えた。

 

少なくとも、現役ウマ娘がするような目ではない。

 

「......ムカつくな」

 

シャカールは、非効率的な行為は嫌いだ。

 モチベーションのないウマ娘に興味は湧かないし、そんな奴らは決まって出来る奴の足を引っ張りたがる。距離を取らなければ目の前のフライトのように手間ばかり取られて自分の時間を失うだけだ。

 

「さっさと終わらせるか」

 

 借りてきた練習用具と、タキオンの機材を借りて自作した測定器具の入った箱を持ち上げながら、話しかけられることのないよう少し離れたところで練習をする事にした。

 

 シャカール自身が練習を切り上げるのと同じくらいに、チームの練習も何事もなく終わったようだった。

 

 シャカールは自身に課した規定のメニューを規定通りにこなし、フライトはこちらに話しかける事もなく、そのトレーナーも2、3つ声をかけることはあったがそれも最初だけだった。

 

 日も沈みかけた頃にフライトが終わりの合図に手を何度か叩き、集まったチームメンバーに対してトレーナーがいくつか言葉を述べて、全員で声を揃えてお辞儀をしている様子を少し離れたところで眺めていた。

 

 解散後、熱心でもないウマ娘は帰り支度を始め、熱心なものがトレーナーに幾つか助言を求めに行く傍らで、フライトといえばひとりで散らかった練習用具を片付けていた。

 

 ひととおり機材を纏めた後どんなわけかあたりを見渡し、シャカールを見つけると駆け寄ってきて、

 

「シャカールさん。練習用具はしまっておくから帰っていいよ。タキオンが話をしてくれたから寝床は用意できたみたいだし、ある程度スペースも作ってくれたみたい。

 あと、夕飯は外食か買ってきてもらう必要があるからタキオンにお願いすること。もわからないなら案内してくれるように頼んだから。それから──」

「いい。自分でできる」

「いいよいいよ。シャカールはお客さんだから」

「客じゃねえ」

「え?」

「3番用具庫でいいんだろ、自分でできる」

 

 フライトの指を折りながらの話を断ち切るように用具箱を持ち上げ、あっちにいけと首をしゃくる。

 

「もう子供じゃねえんだ」

 

 不必要なまでの過干渉具合(こどもあつかい)に自分の鬱陶しい母親の影を重ね、拒絶する。

 

「......そう、だよね。私が未熟なだけだもんね。ごめんね、おせっかいかけちゃってさ」

「そのお節介とやらを自分に向ければ良いんだよ」

 

 ダービーに勝ちたいならそうするべきだというシャカールの言葉の裏に込めた進言を、フライトは。

 

「でも、これがやりたいことだったからさ。迷惑だったらごめんね。じゃあ」

「......気に食わねェ」

 

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