「短ェ一月だったな」
「でも準備は万端、そうでしょう?」
「まァな」
東京レース場、出走者控え室。
勝負服に袖を通し、『Parcae』のシュミレーションを通じた戦略の確認を終わらせたシャカールはパソコンの画面を閉じた。
コンディションは良好。
出走メンバー18人、全て予想通り。
想定外は存在しないレース。
あとはシュミレーションをどれだけ自分が再現できるかの勝負になる。
皐月賞のように自分が想定していた通りだと、普段のシャカールであれば上機嫌に笑みすら浮かべているのだが、今日はそうではなかった、
不満気に鼻を鳴らし、何か別の事に意識を割いている。それを見るトレーナーからすれば、あまりにも彼女らしくない。
「ねえ」
「ん」
「7cmは、越えられそう?」
「......わからねェな」
トレーナーの言葉にシャカールは少しだけ考えてから自分の考えを伝えると、トレーナーは目を丸くした。
「シャカールが言葉を濁すなんてどうしたの、珍しい」
「確定してねェ事実を断言するほどバカじゃないんでな」
「いつもは自信持って言い切るのに」
「今回ばかりはそうもいかねェ」
シャカールの前に立ちはだかり続ける『幽霊』、7cm差の敗北についてはトレーナーも把握はしていた。
シャカールがそれにひどく重い悩み解決しようと頭を抱えている様子を何度も見てきた。
担当トレーナーとして自分がどうすれば解決するのか、自分に出来ることは無いだろうかと日本ダービーを前にして当のシャカールよりもナーバスになっていたのだが、
『全面的にプランを見直す。いいか』
とある日を境にしてそのシャカールが変わった。
悩みが吹っ切れたように、ケンの取れた晴れやかな表情をする日が少しだけ増えた。
当のシャカール本人が吹っ切れた顔でそう言ったのだから、トレーナーとしては問題が解決したと捉えるのは当然だった。どう本人の中で折り合いをつけたのかはさておいて、だ。
「私にできることはあるかな」
「今は無え。レースも真っ向勝負で捩じ伏せる」
「真っ向勝負、今度もらしくない」
「レースはフィジカルだ。オツムがあってもフィジカルがなきゃ走れねえし、頭の使いようがねェ場面は必ず出てくる。今回はそうなりそうなモンでな」
シュミレーション上では2番手を4バ身は離して勝てる。
ただし幽霊──アグネスフライト──を除けばだ。
彼女との勝負に勝てるかどうか、その結果がどうしてもシュミレーション上では負ける確率の方が高かった。
「最終直線残り300m。勝負どころはそこだ」
「坂を駆け上った瞬間、だね」
「絶対に負けねぇ。勝てるレースなんだ」
問題はそれを越えた先にある、アイツに勝てるかどうかの勝負なんだとシャカールは爪を噛む。
「アグネスフライト......そいつにどう勝つかなんだ」
「アグネス......フライト? 前に言ってた、探してた子? 見つかったんだ」
「いろいろあってな。っと、忘れるところだった」
『勝負の前にはちゃんと渡してね!』
そこまで考え込んだところで、シャカールは思い出したように鞄からあるものと取り出してトレーナーに投げ渡した。そこら辺の神社で売っているような大量生産品であろうお守りをだ。
「お守り? シャカールが?」
「信じられねえか、オレがそんなのに頼るなんて」
「うん」
「フェイクに丁度いい入れ物がそれしかなかったんだよ。中身は......あー、尻尾の毛だ」
「尻尾の毛? シャカールの?」
「ちげえよ」
「じゃあ」
誰のもの、という言葉をシャカールは言わせなかった。トレーナーの口に指を当てて静かにというジェスチャーをして喋らせない。
「それは言えねえし、言っても伝わらねえ。
だが見れば理解できる」
あまりにも抽象的な、シャカールらしくない言葉。逆にそれが今のシャカールの言葉の説得力を高めていた。
「そいつはあっちのカフェの言葉を借りれば『入場券』だ。レース中肌身離さず握ってろ。それと、見たものは誰にも言うなよ? アイツとの約束なもんでな」
「うん。わかった」
シャカールらしく無い、オカルトチックな言葉でもトレーナーはそれを受け入れた。トレーナーにはわからないが『アイツ』はシャカールにとって大切な人なのは語り口から察することはできる。
レース中? ライバルだろうか、なんて想像がトレーナーの頭を駆け巡るが、すぐに止めることにした。
きっとレースが答えを教えてくれる。
シャカールはそう伝えたいのだと思ったから。
『それでは、レース出走者の皆さんはパドックの方に......』
「じゃ、勝ってくる」
ヒラヒラと手を振りながら部屋を後にしたシャカールの尻尾。毛先の一部がいつもより短く切り取られていたように見えたのは気のせいではない。
このお守りの中の尻尾の毛と同じなんだろう。
切り取られた黒い尻尾の毛が入ったお守りを、誰かが握りしめながらレースを待っているんだろう。
『アイツ』の勝利を、祈りながら。
「大丈夫。シャカールは、強いから」
その誰かに向かって、トレーナーはハッキリと宣言した。
「勝つのは、シャカールだよ」
◇◇◇
想像通り、だな。
余りにも上手くシュミレーション通りのレース進行にニヤつきながら、エアシャカールは最終コーナー大外、集団後方からギアを一つあげた。
強力な逃げウマ娘が不在の今年の日本ダービー。1番人気は無論シャカールで、次いでの実力者であろう皐月賞ではクビ差に迫り二番人気に押されたウマ娘に、2400mは長すぎるとシャカールは分析していた。
上位人気が殆ど後方脚質に固まっているとなれば、前を行くウマ娘はスローペース展開に持ち込み、逃げ切りたい。ハイペースで前残りになるほど、実力が拮抗しているわけではないからだ。
逆にいえば上位人気はスローペースを作っておきたい。しかし、一番注意するエアシャカールの末脚を警戒しなければいけない。
いつ行くのか、どうだし抜くのか、コースの状態は、自分のスタミナは、折り合いをつけに行くべきタイミングは。そもそも1位を狙いに行くべきなのか。
18人の絡み合う思惑を、エアシャカールは殆ど読み切っていた。
だからこそ、一番勝てる展開に誘導できる。
レース展開も、シュミレーション通り。
その崩し方もシャカールには織り込み済みだった。
中盤あたりからシャカール自身が位置どりをあげる素振りを見せれば、マークをつけるか前につかせまいとして全体のペースは上がる。
長いスパートをかけられる脚は自分の長所であることがわかっていれば、活かさない手はない。
後半1000mから徐々にペースを上げ、全体を加速ラップの消耗戦にするコトでまず前を潰す。
先行集団は大外からかわせば、整った芝が距離ロスをカバーできる速度を保たせてくれる。
同じ後方脚質組に自分を凌ぐ末脚を持つものはいない。ハイペースでスタミナを削り更に足を鈍らせる。
理想的な後方からのゲームメイキング。
『さあ最終直線を向いてまったくの一団になっています! 直線を向いてジョウテンブレーブかアタラクシアか、さらに外からエアシャカールが上がってくる、これはもうひとり桁が違うのか坂を駆け上がる!』
逃げウマを一息に躱し、先行バを競る間も与えず抜き去ったエアシャカール。
最終コーナーからバ群の外を大きく周って、コースの中心ど真ん中に躍り出る。少しだけ右にヨれながら全員を振り切ってもエアシャカールは手を緩めず全力を振り絞る。
『残り200mでエアシャカールが完全に抜け出した! エアシャカールだエアシャカールこれはもう二冠で間違いなし! 二番手争いがどうなるか!』
『そのさらに大外からはアグネフフライトッ!!!!! エアシャカールに並びかけるのかどうか!』
実況がハウリングして、ノイズが走る。
2バ身後方。
観客席の歓声に混じって聞こえる現地実況の声に、聞こえるはずのない足音が加わった。
長い間隔の鈍く、強い足音。
ストライド双方特有のテンポと、地面を掘り返すほど強く踏み込むことで生まれる、鈍器を叩きつけるような低く響く音。
地面を大きく蹴って前に飛ぶ走法が発する、弾けるような足音。
「来たかよ!」
エアシャカールは、ライバルの来訪に嬉しそうに声を上げた。
オカルトでも、奇跡でも、三女神の導きとやらでもどうでもいい。
ただ勝ちたい相手が、そこに来た。
それがどれだけウマ娘の本能を、エアシャカールの勝利への欲求を刺激するだろう。
学園に戻ってたったの数日だけあった時間を使い、エアシャカールと二人で一緒にチューンした彼女本来のあるべき走法。脆い脚を壊しかねない諸刃の剣。
アグネスフライトが手に入れた、ダービーのためだけの、レース後には溶け落ちるだろうイカロスの翼。
「やっと、完成したかよ。遅かったな」
「こうでもしないと来れなかったからね。
うん、来たよ」
レース中、小さな声でも聞こえるくらいの距離はおよそ3バ身前後と言われている。
会話がはっきりできるくらいが、2バ身ほど。
呟きに返事が返ってきたということは、たったの2バ身以内にいるということ。
レース前の想定よりも遥かに近かった距離に、エアシャカールは驚かなかった。この程度の誤差は織り込み済みだ。これくらいできなくては困る。できなくては、手伝ってやった甲斐がない。
残り150m。すぐ背後に、ヤツがいる。
「やっとか」
「やっと、来れたよ」
「遅えよ」
「私が勝つ」
「オレは負けねえ」
因縁の7cmは互いに全力で、持てる全てを出し切った上で勝つものでなければいけないのだ。
残り100m、50m、25m。
『大外からアグネスフライトが来たぁっ! 外からアグネス! 外からアグネス! ──の夢も飛んできているっ!』
何処からハッキリと聞こえる実況の声。見える筈のない二人のデットヒートを見届けようとするこの声はウマソウルが繋いできたものなのか、はたまた幻聴の類なのかエアシャカールにはわからない。
(意味不明の数字の羅列もシュミレーションに現れた影も、ウマソウルが縛ってきた運命って言うンなら)
楽しそうに獰猛に、歯を剥き出して笑うアグネスフライトがこちらにチラリと目線を向け、目を細めた。
きっと自分も同じ顔をしているんだろうとエアシャカールは思った。
シュミレーションの勝率はこちらに分がない。元より99%勝ち目のない勝負が、辛うじて50%になっただけのこと。
二分の一なんて、確率論で言えば低すぎる。
だが、いつかクラスメイトが言っていた。論理的ではないと切り捨てた言葉だったが、変に脳裏に残っていた言葉。
『運以外で埋まるものを全部塗りつぶして、運だけが残った時ってのが......最高の賭けになるんだとさ』
バカバカしいとその時は切り捨てた。確率を信頼するなら9割以上。8割は妥協、7割は確実に信用できるものではなく、6割以下は失敗して当たり前。
だが、可能性があるのなら。
99.9%不可能だった事象が、コイントスの表裏と同じ確率で成功するのなら。
全てを尽くしてなお確率が50%なのならば。
そこに賭ける価値がある。
一歩を踏み出せ。
脚を止めるな。
「オレが」
「私が」
「「勝つんだぁああああああっ!!!」」
風を切って、土を跳ね上げ。
黒と茶色の風が一体になってゴールラインを駆け抜けた。
『決着ーッ! エアシャカールダービーを制して二冠達成! 秋の京都に伝説は引き継がれます! 2着にはアタラクシア、3着は微妙ですがトーホウシデンでしょうか?』
「勝っ──」
思わず見上げた掲示板に、アグネスフライトの枠番は存在しない。見上げたとしても一番上には自分の枠順の数字があるだけだ。
今の勝負にどう決着がついたのか、それは誰にもわからない。シャカールにも、そのトレーナーにも、この場にいた、ウマ娘と人間の観客の誰にも。
だが、シャカールとほぼ同じタイミングでゴール板を駆け抜けた黒い影は確かに笑っていた。
笑って、こう言ったのだ。
『次は決着をつけるよ』
「二度とごめんだ。次やって勝てるかわからねえ」
もう消えてしまった影に格好つけてそう返しながら、エアシャカールは笑った。
「本当にキッカリ7cmだけ縮めるヤツがあるか」
ターフに全身を預けるように倒れ込みながら、なんだかおかしくて、エアシャカールは笑い続けた。
「シュミレーションの結果がこれかよ! 不確かなものに頼って、オカルトなんざ当てにしてまでたった7cmを縮めるだけしか出来なかったとはな!」
自分のシミュレーションは正しかった。
アグネスフライトに勝つことはできなかった。
クラシックレースは、一度きり。
リベンジマッチの機会はもう来ない。
燃え上がるような日本ダービーは二度とはない。
ライバルとの決着の機会は永久に失われた。
それが。
「クソ、ヤロウがッ......!」
「大丈夫?! シャカール!」
ライバルが、もういない事が。
「クソが、クソが、クソが、クソがァッ......!」
アイツには、もう会えないことが。
シャカールの胸をひどく締め付ける。
「許さねえ」
同着の勝ち逃げなんて、許さねえ。
「もう一度、勝負、しろよっ......!」
だが。
「もう一度、もう一度だけでいいからっ......!」
もう一度は二度とはない。
それが、トゥインクル・シリーズなのだから。