エアシャカールは菊花賞を危なげなく勝利し、三冠を達成。ナリタブライアンに続くクラシック三冠ウマ娘となった。
その後は海外重賞で勝利を果たすなど一定の成績を残すが国内G1勝利はテイエムオペラオーらに阻まれ、シニア1年目の大阪杯1つに留まる。
そしてシニア2年目の有マ記念9着を最後に引退を発表、トゥインクルシリーズを去ることを決めた。
年も明け、春の訪れも近くなり、卒業式まですでに秒読みの3月始め。
消灯時間も過ぎ、誰もが寝静まる深夜。
ひとり寮を抜け出したエアシャカールは三女神様像の噴水前にいた。
もう脱いだはずの勝負服に袖を通し、靴は勿論蹄鉄付。
髪も、ピアスも、レース前のシャカール好みの最高のパンクスタイル。G1レースを走る前と同じの、ゲートインしてスタート合図を待っているのと変わらない本気の格好で噴水の前に立っていた。
「奇跡は、二度はあると思うか?」
シャカールは三女神像に問いかける。
返事は、勿論無い。
石像が話すわけもない。当然の事だ。
だがエアシャカールは知っている。
三女神像には奇跡を起こすことが出来る。
ウマ娘の願いを聞き届けるための耳と、
願いを叶えるための脚がある。
「最後の勝負だ」
ポケットから取り出したコインを、親指で高く弾く。
「裏だったら何もしなくて良い。
そういう『運命』だったんだろう。
だが、もしコイツが表だったンなら」
弾いたコインの表裏は。
「もう一度、連れて行け。アイツの」
「アグネスフライトのいる、あの世界へ」
「元気そうだな」
「..................なんで居るの?」
「オレが知りてえ」
レース前の取材で、このレースを最後に引退すると発表していたアグネスフライト。
自分がターフから見る最後の観客席。人気も下位で勝利を期待されている訳ではない。でも投票してくれた、応援してくれた人のために頑張らなければとセンチメンタルな気分で観客席を見上げたら。
「よう」
などと言って、見知った見る筈のない顔が手を振っていたのだから思わず駆け寄ってしまったという。
アグネスフライトからすれば、引退レースのはずなのに幾分と力が抜けるような出来事だった。
「なんでいるの?!」
「知らん。またお前の部屋にいた」
「というかそのジャケットにパンツ......勝負服?」
「レース場に寝巻きで来いってか」
「そうは言わないけど......」
「いいじゃねえかよ。ハレの日だろうが」
ラチにもたれかかって世間話でもするようにおしゃべりを始める様子を遠巻きに眺められながら、我関せずと話を続ける二人。
「んで勝算は?」
「微妙、いや、だいぶ厳しいかな」
「衰えか?」
「いや、怪我。脚、屈腱炎になちゃって、騙し騙しやって走れはするけれどダービーの末脚はもう出せないよ。今はタキオンの真似して前につけてるけどまーゲートが下手だからさ、上手くいかないね」
「勝ち目が無いとは言わないんだな」
「厳しいけど勝ちたいもん。最後なんだしさ」
「最後?」
「これで引退にしようと思うの」
「......そう、か」
「トレーナーさんも引退してチームも無事に畳めたし、タキオンも専属トレーナーができて、今はちょっと休憩中だけど復帰に向けて頑張ってる。私もクラシックも取れたし、背負うものももうない。あとはもう好きにするって決めてたんだ」
かかる重圧もなくなったからか、憑き物が落ちたように晴れやかな表情を浮かべるフライト。それが気に入らないのかシャカールは鼻を一つならして、ポッケからとあるものを引き抜いて投げ渡した。
「あ、わ、わ。ちょっと、レース前の物品の受け渡しは反則だよ」
「気にするほどのもんじゃねえ、ただのお守りだ」
「このUSBが?」
「中身はお前の走りだよ。あのダービーのシュミレーションのデータが入ってる。消すわけにもいかねえし、持ち主が持ってるべきだろ」
「いや、シュミレーションなんだからシャカールさんのものだよ」
「じゃあオレのならオレの勝手だな」
怪しいものを見るような目つきでじっと眺めていたが、フライトはそれをポッケにしまった。
「これがシャカール流の励ましってこと? 回りくどいなあ」
「あとそれと一つアドバイスだ」
「今更? もう身体もボロボロだし何かできるかな」
「前につけるなんて狡い真似はすンなよ」
「狡いなんて、先行策だって立派な戦術でしょ」
「ここ数戦は前につけて上手く行ってるなんて嘯いてるが前残りの展開に上手くノっただけだ。今回のレースは前残り展開があるとすりゃあ自力での差で二番人気と三番人気が残るだけ」
「コイントスちゃんとノーリーズンちゃんだね」
「それに中段に付ける一番人気を無視できねえ。3000mの長丁場、今回の面子じゃあペースを作りたいヤツも不在。ハイペースにどう考えてもなりようがねえ」
丸めた競バ新聞で肩を叩きながらエアシャカールはニヒルに笑った。
「勝ちの目があるとすれば4コーナーからの直線勝負だ。テメェの十八番だろうが」
「今の私にできるかな?」
「できる。できなきゃ困る。でなきゃリベンジマッチのしがいが無ェ。まだ勝敗がついてねえだろうが」
「勝敗?」
「ダービーの結果だよ!」
「そうだったそうだった。結局私が勝ったんだっけ?」
「違ェよ。アレはオレが──」
『さあ、まもなくゲート入りが始まります。阪神大賞典。春の天皇賞を占う大一番ですが、どうでしょうか? 解説の──』
「っと、呼び止めて悪かったな。さっさと行けよ。ラストランなんだろ」
「......それはシャカールの願い?」
「何?」
「シャカールは、私に勝ってほしい?」
シャカールを見上げるタキオンのようなノイズがかった暗い目。いつかのソレは演技でシャカールを失望させるだけだった。だが、今回は違う。
「おう。勝てよ、アグネスフライト」
「うん。その願いを叶えるよ。その先には何があるかな」
「オレとのリベンジマッチだ。今度こそ白黒つけてやる」
「わかった。もっと、負けられなくなっちゃったな」
瞳の奥がきらりと光る。
意思を宿した、眩い光がそこにある。
「あ、フライト先輩。いやあ重賞の雰囲気って慣れないですね。なんだか場違いな気がして」
「ヒシミラクルさん、だっけ」
「おや、名前を覚えてもらえるなんて光栄ですね」
ゲートインを済ませ、集中しようと目を閉じていると隣枠のふわふわとした雰囲気の芦毛のウマ娘がフライトに話しかけてきた。
ヒシミラクル。昨年の菊花賞を人気薄から勝利したステイヤーで、今回のレースでは5番人気のウマ娘。
少し末脚のキレは鈍いが、スタミナに優れスパート距離が長いのが強みだ。
それくらいのことしか、フライトは彼女を知らない。
「当然だよ。名誉あるクラシックを勝った後輩なんだ。ちゃんと対策もしてきてる」
「そんな大袈裟な。私なんて5番人気ですし、菊花賞だってマグレみたいなもんですよ」
「マグレでもなんでも勝者は勝者。胸を張りなよ」
「その考え方、あんまり好きじゃないんですよね」
「どうしてだい?」
「私はフツーのウマ娘ですから」
少し俯き加減になって頬をかくヒシミラクルに、フライトの世話焼きな部分が放って置けないとセンサーを鳴らしていた。
「なんかトントンびょうしにG1ウマ娘になっちゃいましたけど、ほら、先輩と違って私はフツーの生まれのフツーのウマ娘ですし。レースに人生賭ける、みたいなのって凄く苦手で......」
「なんでそう思うの?」
「レースが終わった後の方が人生長いじゃないですか。ほどほどに頑張って、その後のことを考えておくのがフツーですよ」
「じゃあなんで君はここに居るんだい?」
「応援してくれる人がいるから応援に応えるくらいは頑張っちゃおうかな、なんて」
やっぱりちょっとヘンですかね私、なんて謙遜するそぶりを見せて笑うヒシミラクル。それを見たフライトは、こんなウマ娘もいるのかと思わず吹き出していた。
「応援に応えるくらいは、ね」
「みんなみたいに凄いものは背負えませんよ。私、フツーのウマ娘ですし」
「応援だって凄いものだよ」
そうだった。
体操着にハーフパンツが今日の勝負服。
日本ダービーのように自分の勝負服は纏えなくても、
期待を背負って走ることに変わりはない。
「だからそんなのにも人生を賭けられるのさ」
「フライト先輩......?」
「誰だって、何かを背負うことができる。それが軽くても重くても関係ないんだ」
最後の一人がゲートに収まりゲートインが終わる。スタートダッシュの姿勢を作りながら、フライトはヒシミラクルに告げた。
「先輩からの最後のお節介だ、ヒシミラクル」
「ふぇ?」
「忘れないで。いつだってキミの勝利を望む人がいること。それに答えたいと願うなら、ウマ娘はどこまでだって頑張れるのさ」
『スタートしました! ほぼ揃ったスタート』
ゲートが開く。
アグネスフライト、最後のレースが始まった。
『先頭はシアトルリーダー、2番手にノーリーズンがつけています。三番手は少し離れてミツアキサイレンスでしょうか。先頭ちょっと速いペースになりそうです』
「君には夢はあるかい?」
「ちょっ先輩?! レース始まってますよ!」
「いいじゃないか。前半はどうせ飛ばさないさ、シャカールの分析が正しいならね。ゆっくり体力温存していこうよ」
「走りながら喋るのって疲れるんですけど!」
『──そして菊花賞ウマ娘ヒシミラクルはここ、その外側には先日に引退を発表したダービーウマ娘アグネスフライトがつけています。そしてシンガリにトシザブイの形で1周目の3コーナーへ向かいます。集団は縦に長い形になっています阪神大賞典』
「私の夢はね、無かったんだ。君の友人のように覚悟を背負うことも、君のように普通であろうとする事もね」
「え、でも」
「背負うものはあったろう、って? あるね。家族やトレーナーからかけられる夢や期待があったよ。私のものでは決して無かったな」
『先頭シアトルリーダーがまもなく1200mを通過しようというところ。続くノーリーズンから10バ身ほど離れたところに先行集団がいます。3番手コイントスはその先頭。さあ先頭のタイムは1分14秒、1分14秒は平均ペースくらいでしょうか』
「だから私の夢を探すのは凄く大変だったよ。ダービーを勝った後は何も背負うものがなくなって、誰も私に夢や期待を託さなくなった」
日本ダービーを勝利した後、アグネスフライトはG1どころか重賞も勝利することはなかった。
1番人気すら、菊花賞の一度きり。
世紀末覇王と後に呼ばれるテイエムオペラオーを筆頭にナリタトップロードやメイショウドトウを擁する『覇王世代』。
ダービーウマ娘ジャングルポケットを代表にダンツフレーム、マンハッタンカフェを排出することになる『最強世代』。
そして今年からシニア級に参戦することになるシンボリクリスエス、タニノギムレット、ヒシミラクルを筆頭とする世代。
「ズルズルと負け続けてたら、最弱世代なんて言われちゃってさ。最弱のダービーウマ娘、なんて心無い言葉を見た事もある」
その最強世代と比較して、『最弱世代』とすら呼ばれたのがこの世代だ。アグネスフライトをはじめとしてクラシック・レースを制覇したウマ娘の中で、シニア級G1を制するウマ娘は現れていない。
アグネスデジタルやタップダンスシチーをはじめとして大成するウマ娘はのちに現れることになるがそのどちらも海外の血が入っていることから、世代としての現時点での評価は低い。
「でも、そんなのって関係なかったんだ」
「私もう行きますね!」
『人気ウマ娘が思い思いの位置につけながら、2コーナーを抜けて向正面へ向かいます。
先頭は変わらずシアトルリーダー。そこから7バ身ほど離れてノーリーズン、その後ろにコイントスがつけてここが先行集団。後方からダイタクバートラムは仕掛けているのか、ヒシミラクル、サンライズジャガーがアクティブバイオと一緒に位置を上げて行きます。後方アグネスフライトはじっと息を潜めて居るのでしょうか最後方。
もうまもなく1000mの標識を過ぎようとしています』
「......ま、ここら辺が勝負どころだから仕方ないか」
位置を上げにいって遠ざかるヒシミラクルの背中を見送りながら、アグネスフライトはコーナーの先に目をやった。
3コーナーを抜けていく逃げウマ娘はもう息が上がって一杯のようだが、その後ろにつけたノーリーズンにはまだまだ余裕があるように見える。
ぐっと位置を上げた中段には実力バがズラリ。コイントス、ダイタクバートラム、ファストタテヤマらが勝負所を窺っている。
そして最後方には自分、アグネスフライト。
位置を上げる機会を逃した以上、もう内ラチ沿いに割って入る余裕もなければ、バ群ど真ん中を駆け抜けて先頭を目指す道もできそうにない。
「そう、関係ないんだ。シンプルな話だったのさ」
最初から、答えはあった。
「私はみんなに失望されるのが嫌だった。みんなが落胆する顔を見たくなかった。夢破れ途中で倒れてしまう姿を見せる事が私は嫌なだけだった。自分だけならどうでも良かったけれど」
どこかでレースを見ているであろう、未だ療養中の妹に伝えたいこと。
「お姉ちゃんってのは、見栄を張るものさ」
頭の才能に劣り、走りの才能に遅れを取り、身体は同じく弱い。
ただ早く産まれただけしか取り柄がないとしても、姉として、格好悪いところは見せられないと。
「何より」
「ライバルにみっともない姿を見せたくないじゃないか」
初めてできた、対等以上の実力者。
初めてできた、競い合うことのできる友達。
初めてできた、嫌いなやつ。
「そんな格好悪い姿は見せられないよ」
彼女達に送る最後の走りだ。
格好悪い負け方を見せられない。
「ラストフライトと行こうじゃないか」
ライバルに、妹に、恩師に。
そして、
「ダービーウマ娘を舐めるなよ」
世代の頂点に立った優駿としての、誇りに賭けて。
『さあ第4コーナーに差し掛かって、14人がほぼ一団になって最終直線に向きます!
先頭はノーリーズンノーリーズンが先頭かコイントスかノーリーズンかコイントスかノーリーズンか、内からダイタク、内からダイタクバートラムか!外からはファストタテヤマも来て居るが!』
(あー、ダメそうかなー)
バ群の壁に阻まれながら、ヒシミラクルは内心でぼやいていた。
変な先輩に喋りかけられて集中できず、途中で位置を上げたものの集団の外につけたのが良くなかった。コーナーでは外に回され、直線に向く際には遠心力でコースの真ん中よりも外へと弾き出される。
そしてほぼ同時にスパートをかけた切れ味勝負になった以上ズブい自分に勝ち目もないだろう。
走りに手を抜くつもりはないが、
(うん、ダメかも。トレーナーさんにどう言い訳したもんかな)
勝てる気がしない。
ヒシミラクルの位置から先頭までおおよそ7か8バ身。ここを抜くには、あのダービーを勝ったタニノギムレットくらいの物凄い末脚でもないといけない。
いや、それでも届くかどうか。
(まあ、今日はダメだったってことかな)
「最後まで勝負はわからないよ」
「へ?」
彼女のさらに外を、風が駆け抜けていった。
『その大外からアグネスフライト来たァッ! あの日本ダービーの再現になるのか、しかし先頭までまだ5バ身はある!』
跳ねるように飛ぶように。
大地を踏みしめ、跳ね駆ける。
怪我で封印したはずの、ダービーの時と同じフォームでアグネスフライトは走っている。
怪我をした右脚が裂けるように痛む。まるで脚が悲鳴をあげているかのような熱を持った痛みだった。
屈腱炎になった右脚にこれ以上負荷をかければ、普段の生活にも支障が出るほどになるかもしれない。
それがどうしたと、アグネスフライトは切り捨てた。
「私は」
『残り200m、先頭はコイントス、内からはダイタクバートラム! 外からはファストタテヤマと来たぞアグネフライト!
先頭はダイタクバートラムに変わって追い込む2人が届くかいやもう1人になっている!
アグネスフライトが届くか、届くのか!? のこり3バ身! 2バ身! 1バ身! 半バ身! 並んで!』
ゴールラインに、もつれるように飛び込んだ。倒れ込みそうになりながらバタバタと不格好に少しだけ走って、観客席の方に目をやる。
大番狂せに静まる場内で、2人の目が合った。
「いい、走り、だったでしょ?」
エアシャカールは笑みを浮かべて。
アグネフライトは右手を掲げた。
『僅かにかわしたか! 僅かに、僅かにアグネスフライトか! 大きく右手を挙げていますアグネスフライト! アグネスフライト、これで有終の美!』
「レースから数日も経ってないってのに、無茶言うね」
「しょうがねえだろ、いつまでいられるかわかったもんじゃねえからな」
「そっちはどうせ万全なんでしょ、不公平だよ」
「ウルセェな。受験勉強してろくすっぽ走ってねえよ」
「外部進学なの!? すごいね、どこ大?」
「イギリスの─、ま、オマエにはどうでもいいだろ」
「凄い凄い!」
「お陰で3ヶ月も真面目に調整できてねえ」
「またまたご謙遜を〜」
トレセン学園の、すっかり夜も更けた深夜。
夜間演習を名目に貸し出され、ライトに照らされる練習コースに2人のウマ娘がいた。
2人ともが勝負服に袖を通し、軽口を叩き合いながら準備運動をしているようだった。
「んじゃ、そろそろ」
「行きますか」
片方が、コインを指で高く弾いた。
くるくる。
くるくる。
コインが光を乱反射しながら、ゆっくりと放物線を描いて。
「負けないから」
「オレが勝つ」
そして、レースが始まる。
短いですが、お付き合いありがとうございました。