シュガーライツ博士と彼女の開発した等身大ウマ娘型ロボット『
クラシック三冠ウマ娘の称号というチートを用いて半ば入試を顔パスしていたシャカールはプロジェクト参加を快諾。メンバーの1人として名を連ね、『Parcae』と共に卒業までの日々を怠惰ではなく忙しない研究とともに過ごすことを決める。
そして今日も割り当てられたプロジェクトルームでライツ博士と共に液晶画面に向かい作業に没頭していた。
プログラムの最後の一行を書き込み、エンターキーを叩く。長時間液晶を睨みつけた目を労るように目頭を揉みながら、シャカールは博士に進捗を報告する。
「脚部設置圧のシュミレート終了。このセッティングなら年末の中山最内だって問題なく完走できらぁ」
「それは凄い! キミと『Parcae』は本当に素晴らしいな」
「博士だって大概だろ。俺たちが作業を進めてる間にソフトとハードの更新を同時並行してんのは凄ェよ」
「そこまで言われると少し照れるな」
目の下に隈を刻んだ水色の髪の、車椅子に身体を預けるウマ娘は恥ずかしそうに頬をかく。
彼女の名前はシュガーライツ。トレセン学園の卒業生であり、日本のロボット工学新進気鋭の研究者、そして、このプロジェクトの総責任者でもある。
ライツ博士はシャカールの報告に嬉しそうに声を上げつつも、ふと何か思いついたように首を傾げた。
「とはいえ、それだけのAIを独力で組み上げるなんて凄いことだよ。その原動力は何だい?」
「......あー、それは」
「話したくないなら構わない。人に話したくないことの一つや二つ誰だってあるさ」
「そんな訳でもねえよ。ただ、説明が難しい。簡潔にいうなら」
「簡潔にいうなら?」
「三冠ウマ娘になるために必要だった、それだけだ」
「名誉の裏にはプログラマーとしての積み重ねあり、かい?」
「まァな」
他にも様々な理由はあるが、それを他言するつもりはシャカールにはなかった。あの不思議な思い出はトレーナーを除いては誰にも話していないし、トレーナーも知るのはごく断片的な出来事だけ。
0と1の数字の法則外な出来事を認めるのはシャカールの信条として許容できないことであったが、何よりもあの数日間の出来事を汚したくないという論理的なシャカールらしくないセンチメンタリズムな感情ゆえだった。
「AIを使ったシミュレーションか。私が現役の時には思いつきすらしなかった」
「博士は昔っからこうじゃねえのか?」
「現役の時は理屈っぽいだけだったさ。この技術は大学進学してから身につけたものばかりでね。怪我をして時間だけはあったから、進路には充分悩めたよ」
「......退学しなかったんだな」
「トレーナーさんが手を回して卒業させてくれたんだ。その間はずっと、こっちの勉強をしていた」
ライツ博士はコンコン、と自分が座る電動車椅子を叩く。
「まず手っ取り早くウマ娘と同じ速度に達する方法を考えて、思いついたのが車椅子と電子工学さ。次に義肢の人間工学、最後にロボット工学。そして、今に至るというわけ」
電動の車椅子を動かし、整備用の作業台に横たわるサティの脚を愛おしそうに撫でながらライツ博士は話を締めくくる。
「コレでやっと夢が叶うと思ったんだけど、どうにも前途多難だよ」
「確かにタスクはまだまだ山積み。あんだけのメンバーを持ってしても足りねェとはな」
大量に積まれた未達成タスクの多さと難易度にため息をつきながら、シャカールはタスクマネージャーを落とした。
世代きっての才媛、学園職員でありドリームトロフィーリーグ選手として未だ学園に残っていた「ビワハヤヒデ」。
その友人であり、現役時代彼女と鎬を削ったライバルであり、現在はプロのストリーマーとして競技大会にも顔を出すゲーマー、「ナリタタイシン」。
現役世代注目株の1人であり、かのシンボリ家期待の留学生「シンボリクリスエス」と同世代の名門クラブ出身「タニノギムレット」と粒揃いのプロジェクトメンバーが揃ったにも関わらず、プロジェクトの歩みは牛歩と同じかそれ以下だ。
トレセン学園側の推薦に不満はない。強いて言えばもう少しデータに強いメンバーも欲しかったが、いないものはしょうがないとシャカールも納得はしている。
(ただ、何が悪ぃかと言えば)
「なんだい?」
「一朝一夕でどーにかなる問題でもねえしな」
ライツ博士自身、彼女の運動能力の低さに依る。
怪我の影響で車椅子や杖の補助がなければ歩けないほど脚が不自由であり。
研究漬けのために全身の筋力は衰えていて、
度重なる徹夜と不摂生のために体力は少なく、
そもそも未勝利止まりの、走りの才能のないウマ娘。
(噛み合ってねえんだよな、感覚が)
いくらサティにG1ウマ娘級の身体スペックがあるとしても、それを操る博士のスペックが低いならどうしようもない。
現役組はまだ未知数だが現状のポテンシャルで見れば来年デビューする世代ではトップクラスの優駿。
引退組は全員がG1ウィナー。ビワハヤヒデとシャカールはG1を3勝以上、タイシンは1勝止まりとは言え入着複数、重賞では勝利経験もある学園の中でも上澄みも上澄みな天才達。
ハヤヒデは博士に歩み寄る姿勢を見せてはいるが、ライツ博士の考える基準とシャカール達の考える走りの基準はどうしてもズレる。この感覚を擦り合わせる時間が無駄なロスを生んでいると感じていた。
(こっちの感覚を下げるよりは、博士の感覚を仕上げきっちまう方が合理的だ。サティのスペック上G1レコードと同ラップの走りをしても問題ねえが、それを操作する博士の走りが不合理すぎる。本人は気がついてる様子はねえが、どうせウマ娘だしな)
より速く、より高みへと。誰もが持ち合わせるウマ娘本来の欲求に博士が逆らえるとはシャカールは思っていない。要は、何かキッカケがあればいい。
負け続けていたウマ娘が化けるケースは多々ある。
例えばシャカールの同室だったメイショウドトウ。
彼女の場合は未成熟だった体と、それに伴う敗戦続きによるネガティブな精神構造が、身体の仕上がりによる劇的な重賞勝利によって上書きされた。
結果としてあの無敗のテイエムオペラオーの喉元に迫り続け、G1勝利をもぎ取った。
サティ博士の場合はとにかく経験だ。速く走ること、博士が想像するよりもずっと速い、スピードの向こう側へ連れて行ってやれさえすればいい。
自分が走れないという劣等感を吹き飛ばすほどの鮮烈な走りが必要だ。
そこまで考えたところで、シャカールはある考えに行き着いた。
(待てよ? サティのスペック上は問題ねえんだよな?)
普通ならば無理だ。引退したウマ娘をG1レベルにまで引き上げることなんて不可能に近い。
走れない博士ならなおのこと不可能だ。
でもサティは違う。
サティの速さの上限は才能ではない。
純粋なマシンスペック、ただひとつ。
身体上のスペックは足りているなら、一度無理やり走らせてこちらの目線に合わせてしまえば。一度思いついてしまった思いつきに動かされるまま、キーボードの指を走らせてもう止まらなかった。
(サティのマシンスペックがあればG1レコードを再現できる。何度もは難しいが、2〜3度の併走やレース形式の練習であればパーツの損耗率も問題無ェ)
走行データはどこにある?
走行プログラムはどう組む?
1から作るにはあまりにプロジェクトからかけ離れすぎていて転用できそうなデータは博士自身の走りだけしかない。
(じゃねえ)
手元にある。あの時、フォームを改善する為にデータ分析したアイツの走りが丸ごと。
(Parcae』の中には、アイツがまだ「いる」)
「博士、ちょっといいか?」
「なんだい?」
「サティなんだが、コイツ自身は誰でも動かせるんだな」
「ま、まぁ? でも、私用にカスタムしてるから私専用機といっても過言じゃないぞ。多分シャカールが操作したとしてもうまく動くとは思わない、脚の長さも走り方も全部違う」
「データの打ち込みでも動かせンだよな」
「......不可能ではない、が。高精度のプログラムが必要だ。一朝一夕に用意できるものではない」
「ある」
「なんだって?」
「プログラムは揃ってる。ちょっと試してみたいことがある」
「聞こう」
翌日。
研究室ではなくターフに集められたメンバーの目の前には、ジャージ姿のシャカールと軽いジョギング程度の速度でコースを周回するサティの姿があった。
「どうしたシャカール君。急に併走をするなんて言い出して」
「博士の走りを無理矢理一段階引き上げるためのレースだ。セッティングとプログラミングは昨日のうちに済ませた」
「それはどういうことだ?」
「サティにダービーの時のデータをぶち込んだ。博士の認識を乗せたまま走らせる」
「......やめるべきだ」
少し考える仕草を見せたのち、ビワハヤヒデはシャカールの意見に反対する立場を示した。
「博士も言っていただろう。身体と思考の同期をワザと違えるような行為はフィードバックに悪影響を及ぼす。君の走法はライツ博士のものとは違う。どんな影響が出るかわからないぞ、最悪、歩けなくなる可能性も」
『すまないハヤヒデ、私の方から賛成したんだ。脚を引っ張っている自覚はあるからね』
「しかし」
「相変わらず頭でっかちだねハヤヒデは」
「誰の頭がデカいって!?」
「よくわかんないけどさ、リスクを背負わなきゃ勝てないって判断なんでしょ。どっちかって言えば博士はハヤヒデじゃなくてアタシ側のウマ娘なんだから」
タイシンは心配するなとハヤヒデの胸を軽く叩いた。
ナリタタイシン自身も体格としては小柄で、それだけディスアドバンテージだ。並のウマ娘に簡単に当たり負けするハンデを跳ね除けるために選んだ追込は、小さなタイシンの体格では怪我を誘発するリスクを伴うはずだが──。
「勝算はあるんでしょ?」
「ああ」
「じゃ、アタシは止めないよ」
リスクを冒しても、勝利は掴む価値がある。
ナリタタイシンはそういうウマ娘だ。
『迷惑をかける』
「であるならば、舞台には戦士が不足だな?」
「raceならば、相手が──必要だろう」
「お前以外は乗り気だぞ、どうする」
「......キミがギャンブルをするとは思わなかったよ、シャカール君」
他の、自分以外のメンバーがやる気だと知って諦めたように、ハヤヒデはため息をつく。
生徒側のまとめ役は間違いなくハヤヒデの方だ。彼女が最後まで反対すれば、こちらも折れざるを得ないが。
「異変が出ればすぐに止める。それが条件だ」
『ようし!』
「......フゥ」
シャカールは見えないよう、ほんの少し拳を握り締めた。第一段階、めんどくさいやつの説得クリア。
第二段階。
まずは単走で調子を見る。違和感が出れば間違いなくハヤヒデは止めてくるだろうが、ここでエラーを吐かなければ問題ない。
「2人がウォームアップを終わらせる前にまず1本だ。
ゴール前、4コーナーは膨らんで大外にぶっ飛んでくるからぶつかンなよ新入生共!」
「愚問だな」
「roger」
ウォームアップは2人とそのトレーナーに任せ、データの打ち込みと再確認作業を始める。距離のセッティングは2400m、想定コースは東京レース場。ゴールラインから200m後ろからスタートしてコースを1周するセットアップ。
学園練習コースは高低差が緩くて本番通りとはならないが、元々この場所で取ったデータに問題はない。
二人と一機が並んだところで、スターター役のタイシンが腕を振り下ろす。
「用意、スタート!」
『ん、ぐぅっ!?』
「出遅れ!?」
「ンなところまで再現してくれるかよ。優秀だなァオイ」
案の定出遅れた。意識とはワンテンポ遅いスタートダッシュに博士の驚きと呻き声がこちらでも聞こえる。
しかし先にスタートして好位置を取ったクリスエスやその一バ身ほど後ろをとるギムレットを無理に追いかけるのではなく、2バ身ほど話した位置につける。
「タイムは少し遅いようだ。スローペースの記録を参考にしたのか?」
「アレは追い込み。走り方には随分と余裕があるし、出遅れたのに無理にペースを上げて行ってない。出遅れなんて織り込み済みってヤツの走り方だよ、でも──」
第一線は外れたが、その分析力は衰えていない。サティの走りを見て一瞬で分析を終えたタイシンが、何故かシャカールのことを睨みつける。
「アンタの走りじゃない。アンタ出遅れないし」
「正解」
「ギムのともクリスエスのとも違う」
「それも正解」
「アタシでもない。ハヤヒデは絶対違う」
「正解正解、よく見えてる」
「誰の走り?」
「オレのライバル」
「そんなのいたっけ?」
「
「なるほど、シュミレーション上の仮想のライバルか」
「まァな」
タイシンの質問に早合点したハヤヒデの言葉に適当に乗りながら、シャカールはサティ、ではなく、アグネスフライトの走りを見やる。
まだまだ暖機運転気味の前半の走りは、フライトのやっていた軽い飛ぶような、悪く言えば力の分散するフワついた走り方だった。サティのボディが重いからか跳躍の高さが低く身体が沈みこみ飛んでいる感じがしない分、普通の走りに見えるらしい。
自分だけがわかる分析をしながら、最後のコーナーに差し掛かり、スパートをかけ始めるサティの方を見るシャカール。
(最終コーナー。ここから、アイツは)
バ群を避けるように大きく外に進路を取り、遠心力を加速度に変えてスパートをかけるはずだ。
シャカールの見立て見立て通りサティはぐわっ、と先行集団を大きく交わすように外に進路を求め、遠心力を殺さないまま全力で脚を回す。そして第4コーナーを抜け軽い登り坂に差し掛かり、あっという間に最後の直線へ。
前を走る2人に並びかけ、抜かしかけた瞬間のことだった。
『おっとっと......とっ』
「故障か!?」
「オレが見る」
そこで何かに気がついたように減速し、サティはゴール板ピッタリのところで脚を止めてしまった。
何か異常でもあったのかと慌てて駆け寄るが、サティは駆け寄ったシャカールを気にもせず感覚を確かめるように拳を開いたり閉じたり、足を大きくストレッチするように体を動かしていた。
「博士、異常でもあったか」
『なんでもないよ。ちょっとせつぞく? が切れただけ』
「エラーは出ていないんだな? なら本番行くぞ」
『シャカールは走らないの?』
「今の身体じゃ追っ付かねえよ」
『そっちから誘ってそれはズルいよ。一緒に走って』
「しょーがねーな。ハヤヒデ、計測任せる」
「ああ、わかった」
何か感覚を確かめるよう手を握ったり開いたり、軽く飛んだりしている博士。やっぱりトラブルか?
「何かトラブルでもあったか?」
『いや、むしろ調子がいいくらいだよ』
「......?」
ハヤヒデの訝しむような声に対する博士自身の声をベースにした合成音声の返事はいつも通りだが、幾分と話し方が砕けて柔らかいような気がした。ともすれば別人とも取れるほどに口調が違う。
思い当たる節はひとりだけ。だが、絶対にありえないことだとかぶりを振って──
「まさかな」
『まさかだと思う?』
首を振りながら溢した独り言に返ってきた言葉。思わず顔を上げた先にいたサティの影に栗毛の誰かが重なって見えたのは、きっと思い違いではない。
「......相変わらずゲートが下手だな」
『こればかりはどうしようもないね』
嘘なんかでも、決してない。
「博士は?」
『今頃大急ぎで向かってるところじゃないかな。でも、ズルはダメだよシャカール』
「ズル?」
『頂の景色は自分で見なきゃ。他人の景色なんて面白くもなんともない。自分で掴むからこそ輝いてみえる。そうでしょう?』
「ンな悠長なこと言ってるかよ。取れる手段は全部取る。そうでなきゃ届かねえモンだってあるだろ」
「ははっ、リアリストなシャカールらしいね」
「お前がロマンチストなだけだろ」
「そうかもね。けど浪漫を追わなくちゃ後輩に背中は見せられないよ。シャカールにもできたんでしょ?」
「アレは違ェよ」
「またまた照れちゃって」
「後輩先輩なんざどうでもいいって話だ。その身体を作ったやつの夢を叶えてやりてェお人よしの集まりさ」
「フゥン?」
「だーっ! 思わせぶりな顔してんじゃねえ! 恋バナ語る時の頭お花畑の王女様みたいな顔しやがって!」
「いやぁ、別にぃ?」
「だいたいテメェがそんな勿体ぶった態度してっとタキオンにそっくりなんだよ、ムカつくからやめろって」
「たっ、タキオンがムカつくだって?! あんなにいい子トレセン中を探して見つかるもんじゃないんだぞう!」
「あいつはもう飛び級で大学生だしテメェの目は節穴だ! 手っ取り早くその目ん玉を高性能カメラに入れ替えて来いっ!」
「もう入れ替わってまーす」
「ん、な、ろー!」
「シャカール君、博士、そろそろ準備を」
ハヤヒデの声かけがなければ、いつまでもこのくだらない口喧嘩を続けていたに違いない。話は切り上げだと地面を蹄鉄付きのシューズで蹴り上げながら、サティを睨みつける。
「後輩どもをぴいぴい言わせんじゃねえぞ、ラフプレーは禁止だ」
「そんなつもりはないけど泣かせちゃうかもね。ついでにシャカールも」
「もう勝負事で泣くほど入れ込めねェよ」
「思い出させてあげよっか?」
「余計なお世話だ。それと負けてもアイツらのデータも叩き込んだはずだから情報不足って言い訳も通じねえぞ。その頭には全部入ってンだからな」
「末脚キレキレのギムレットちゃんに、三拍子揃った優等生のクリスちゃんでしょ? あとはシャカール」
「よくできましたッてか? そんくらいできて当たり前だ」
「問題はその3人にどう勝つか、だもんね。当然、作戦も練ってあるから」
「抜かせ」
軽口をお互いに叩き合いながら、2人はスタートゲートへ向かう。
本格的にゲートを使用した模擬レースに4人の緊張が否応なく高まる。当然、それは練習を見守る外野も同じものを感じていた。
しかし、クリスエスとギムレットが感じていたのは、もっと別のもの。
(これが──G1ウマ娘)
(さながら
ギラギラと殺気立つほどの集中力を隠さないシャカールの威圧感。今までの練習では感じたことのないほどの入れこみ方は、泰然自若を貫くクリスエスが気押されるほど。
もし仮に現役時代のシャカールを知るものがいれば日本ダービー前後の一番荒れていたあの時のようだと評しただろう。
だが、それ以上に感じるものがあるのが......サティからだ。
機械の身体では不必要に短く息を吐く音や、微細な身体の震え。として、バランサーとしての役割しか持ち得ない尻尾を所在げなく動かす様子に、ちょうど隣のゲートに並ぶクリスエスは強烈違和感を感じていた。
(博士──では、ない、ような──)
更に隣に並ぶシャカールの殺気を受けても平然として集中力を高める様子。
柔軟のように手足を動かし、深く息を吐き、2、3度軽くその場でジャンプ。今までに見たことのない、生身らしすぎる癖。
何より、あまりにも普通で、教科書通りな佇まい。
まるで、シャカールの放ち殺気のような威圧感には慣れていると言わんばかりの、平常心。
博士ではない。
「──who are you?」
思わず口をついて出た故郷の言葉に、そのウマ娘は答えた。
「君たちが目指すべき場所さ」
「スタート!」
タイシンの合図とともにゲートが開く。
一番に飛び出したのはシャカール。そのまま2人の前に躍り出ると、ペースを落とす事なく最初のコーナーに入った。
(今回は追い込みなんてやる必要はない。最終直線の追い比べで現役生に勝つ見込みは低い。ペース読みの経験の浅さをついて、ハイペースでそのまま粘り切る)
後方一気を得意にするギムレットと中終盤からのまくり戦法をよく使うクリスエスの土俵に乗るつもりはなかった。
現役でも度々やった先行策。スタートの出が良かった時には積極的に決められる教科書通りの王道戦法だ。
そのままコーナーを抜けたタイミングで後ろにほんの少し目をやり、シャカールは思わず呟いた。
「やらしいことするな、アイツ」
(私の更に後ろ、だと!?)
より驚異を感じていたのは、シャカールから3バ身ほど離れて後ろにつけたクリスエスと、その真後ろに並ぶギムレット。
(......やはり、違う)
「ちゃんと前向いて走らないとダメだよ」
ガシャン、ガシャンと特徴的な足音を立てて最後尾を走るのはサティ。
わざとらしく音を立てて、2人を追い立てるように1バ身だけ話してピッタリと、おんなじペースで背中に張り付いている。
(追い込みをやるウマ娘は、自分の後ろに誰かがいるのがすごく
ギムレットちゃんは大仰な仕草から察するにノらせると怖いタイプ。崩すなら、貴女から)
ターゲットは、タニノギムレット。
(距離を取りたいが、ペース自体は速い。ペースを上げれば足を溜められん。この間合いを保つしかない)
(脚をためる展開は、シャカールが一番させたくないこと。今回は前に出たから勝ちパターンは前残り。
長距離をこなせるシャカールがやりそうなのは、スタミナ差を活かしたハイペース展開での前残り。
じゃあ、ちょっとこうしてと)
(アイツ、突くだけ突いてペースを下げやがった。巻き込まれたのはギムレットの方か!)
彼女がやったのは、ほんの少し、1ハロンだけペースを上げてから、それを元に戻しただけ。
セイウンスカイや、海外の名トレーナーが得意とする逃げウマ娘の必殺技の「幻惑ラップ」。
ハイペースとスローペースを織り交ぜ、無駄に脚を使わせたり、先頭のペースが早過ぎると誤認させる作戦。
本来ならば先頭というアドバンテージがなければ通用しないようなことをそれをサティ特有の特徴的な足音と存在感を使って最後方でやってみせた。
(作戦が崩れた、どうする?)
(さぁ次はどう出るの?)
残り1000mのほぼ折り返し。向正面も半分をすぎ、残りはもう一つのコーナーと、400強の最終直線が残るばかり。
(このリードはセフティリードじゃねえ)
(今の位置関係なら、最終直線で十分捲れる)
(突き放すなら、どこだ?)
(シャカールの得意なコーナーだよね?)
(違う)
(でも、そうじゃないでしょ?)
(アレだな)
(アレだよね?)
練習コースは整備は入るが、基本内側が荒れがち。
それに直線の長いコースだからこそ取りやすい策もある。
奇しくも、あの日本ダービーの再現になる。
(コーナーで加速し、遠心力に逆らわず大外に)
(速度が乗り切った状態での、残りの最終直線)
((200mで、勝ち切る))
差し掛かった、最終コーナー。
彼女はコーナーでも速度を落とさず進路を直線気味に取って、大外に進路をとる。
(とか、浅ェこと思ってンだろ?)
内ラチに身体が擦れるほど身体を倒しながら、シャカールは進路を内側へ取った。
「っ!?」
「下調べが足りねェな! スクリーニングはしただろ! このコースは昨日整備したばっかりだぜ!」
「話し込ませといて!」
しかしながら、まだ五分だとシャカールは内心歯噛みしていた。コーナリングの上手さは歴代トップクラスなシャカールであっても、コーナーはスピードが落ちる。距離ロスがあっても、ほとんど直線で速度を乗せてきた相手と比べてどれだけ差を保てるかは微妙だ。
だからこそ、選んだ。
自分の走りがミスだったか、証明するために。
「今度こそ勝つンだよ、完膚なきまでに!」
一歩、一歩、目の端に、青緑と白いカラーの人影が映り込み、存在感を増していく。
それを上書きするよう黄色と青の勝負服の影が重なったように見えたとき、シャカールの左手に、勝負服の青いバンダナが見えていた。
そしてゴール板をシャカールが踏み越えたタイミング。
その一歩先に、彼女がいた。
「......間違い、だったか」
「そんなことないよ」
ほんの数拍遅れてゴールした2人を、サティは優しく出迎えた。ろくな準備期間も与えられずにG1級のレースに巻き込まれることになり、大粒の汗を流しながら膝に手をつき肩で息をする2人の頭を優しく撫でてから、笑う。
「本番はもっと楽しいよ。一度きりのレース、責任も、使命も、期待も、背負うもの全て、楽しんで」
「......胸に刻んで、おこう」
「らしくない発言だな、博士......?」
「それじゃあ。また、府中で会おう」
そしてそのまま、サティは倒れ伏した。
「時間切れ、か」
「おーい、君たち! 大変なんだ!」
汗を拭ってスタンド側を見上げたシャカールの目に、急いでこちらにやってくる電動車椅子とライツ博士が映る。
「今、ついさっきまでサティがハッキングされていて操作を受け付けなくて、君達見てたんだろう、特に不具合はなかったんだろうな!?」
「いえ、模擬レースを......博士じゃなかったんですか?」
「私じゃない!」
「なんですって!?!?!?」
「ハヤヒデ、デカすぎ」
「誰の頭がデカいって!?」
「声の方だよ、バカ!」
シャカールは、空を見上げる。
この一連の出来事に意味があったのかはわからない。
後日、クリスエスとギムレットは日本ダービーで激戦を繰り広げることとなるが、そのレースに今日の一連の事件が影響を与えたかどうかも、定かではない。
ただ──ひとつだけ、事実があるとするなら。
「......またな」
確かに日本ダービーには、アイツがいた。
「うわーっ! さっきの走りのデータがない!! 映像もログも何にも残ってない! シャカール君!!!!!!!!」
「あっはっは! ズルするなって、そういうことかよ!」
シャカールは笑った。
「相変わらず──真面目過ぎるんだよ、バァカ!」
どこかでこっちの様子を見ながら、笑っているウルフカットのウマ娘を思い浮かべなら。