「しかし……どうするべきか」
千尋と冨岡は、人を守る鬼を捕らえた。
未だ信じられぬが、その鬼──竈門禰豆子は確かに竈門炭治郎を守った。それは紛れもない事実であり、柱二人に加え、戻ってきたら鴉までもそれを目撃している。
鬼殺隊1000年の歴史が、前提が覆る出来事だった。
だがそれ故に、どうすればいいのか分からない。鬼殺隊の隊律に従えば、鬼は殺すもの。だがここまで貴重なサンプルは、取っておいた方が絶対に良い。
禰豆子を使えば、鬼についての研究も進むだろうし、それによって本当に鬼を人に戻す方法も見つかるかもしれない。だがそれを他の柱が許すだろうか。
ここにきていたのが冨岡と千尋と比較的冷静な二人で良かった。もしこれが不死川や煉獄、宇髄か伊黒に悲鳴嶼だったりすると、間違いなく鬼は殺され、もしかすれば炭治郎も殺されていたかもしれない。
「とりあえず、産屋敷殿には報告…少年らの保護も考えなくてはな」
「どうやって保護する」
「私のところは無理だ。まだ建築中だしな」
「俺の屋敷は」
「無理だろ。貴様に子供と鬼の世話ができるとは思えん」
ではカナエがいる蝶屋敷は、と思ったが、あそこ以上に人の出入りが激しい場所はない。
もちろんだが、岩風炎音屋敷は論外。もしかすれば霞の屋敷ならいいと思ったが、あれはこの少年よりも年下、とても世話ができるとは思えなかった。
「もういっそ、産屋敷殿に預けるか?」
「御館様の手を煩わせるな」
「ではどうするというのだ」
「……先生のところに向かわせよう」
冨岡が先生と呼ぶ者はただ一人、水の育手である鱗滝左近次だ。
実のところ、千尋も短期間ではあるが、鱗滝のもとで水の呼吸の鍛錬を積んでいた時期がある。そのため、冨岡の先生という言葉だけで理解できたのは、千尋のみであった。
「鱗滝殿か……大丈夫か?」
「何がだ」
「何もこうも、信用できるのかと聞いている。鱗滝殿は元柱、出会い頭に鬼を斬るということがないと、言い切れるか?」
「大丈夫だ」
「だからその根拠を……まぁ、いいか」
ずっとふわふわとしたことを言う冨岡に眉を顰める千尋であったが、確かに鱗滝は隠居の身。人の出入りは近所──といっても、最寄の民家までは山を数時間歩かなくてはならないので極めて少なく、鱗滝自身口は堅い。
その上元柱の鱗滝なら禰豆子くらいの鬼に襲われても返り討ちにできるだろう。
「冨岡、鱗滝殿に向けて一筆書け」
「一筆?」
「鬼を捉えましたのでお預かりいただきたく、とな」
「ああ分かった。筆はあるか?」
「持っとらんのか……私はそこいらの竹で口枷でも作るか」
冨岡は万年筆と紙を借り、鱗滝に手紙を書く。その間に千尋は、禰豆子が起きて誰かを噛まないように即席で口枷を作る。
「よし…」
「器用だな」
「植物は小さい頃から触れてきたからな。本当は竹を乾燥させないといけないのだが、まぁ大丈夫だろ。で?手紙は書けたか?」
「ああ」
よし、と、冨岡が寛三郎の足に手紙をくくりつけたところで、気絶していた少年の瞼がかすかに動いた。
「うぅ……ん」
「おい、起きるぞ」
「分かっている」
千尋は拳銃を、冨岡は刀を構えた。
一度いなした少年ではあるが、まだ錯乱状態でこちらを襲ってくる可能性もある。瞼を幾度かピクピクと動かす炭治郎に、二人は姿勢を正しいつでも攻撃をできる姿勢をとった。
「──ッ」
炭治郎は覚醒し、反射的に禰豆子の着物を掴んだ。それを見た二人は攻撃姿勢を解き、炭治郎に声をかける。
「起きたか」
「ッ!?」
「安心してくれ、我々にこれ以上君を攻撃する意思はない…おい冨岡、貴様も刀を下ろせ」
冨岡の声がけに対し、炭治郎はまた反射的に禰豆子を守るような姿勢をとる。
それを見た千尋は仕方なしに脱包した拳銃を雪の上に置き、腕を上げ、冨岡にも刀をしまうように指示を出した。
「あ、あなたたちは……」
「先も言った通り、我々は鬼狩り。鬼殺隊に属する者だ。私は橘、こっちの無口が冨岡」
「か、竈門炭治郎です。今眠ってるのが、俺の妹の禰豆子で…」
正直言って、炭治郎と千尋、そして冨岡の三人は、誰一人として油断などしていなかった。冨岡と千尋は外套と羽織の下に武器を隠していたし、炭治郎も無意識のうちに斧を探している。
だが話は進む。
「先ほど冨岡が言った通りだ。竈門一家の惨状は、全て鬼舞辻無惨という男の仕業だ。鬼舞辻のみが人間を鬼に変える力を持ち、日本に鬼の被害を蔓延させた、我々鬼殺隊最大の敵だ。理由は知らないが、竈門一家はその男に殺された」
「鬼舞辻……無惨……」
「そうだ。鬼舞辻無惨。我々はその男を千年以上追っている。鬼舞辻の狙いはまだ正確には分かっていないが、日本の征服、または完璧になろうとしているというのが通説だ」
「日本の征服……完璧に……?」
その話を聞いた時、炭治郎の胸には沸々と絶大な怒りが湧いてきた。
国家転覆だか完璧になろうとしているだとか、そのためだけに俺の家族が殺されたのか。いや俺だけじゃない。これまでそれだけの人を殺し、痛めつけ苦しめた。
「許せない……!」
──許せない。
「許せない…と言ったな」
炭治郎の言葉を聞いた千尋は、目の色を変え、腰に据えた小刀を抜いて炭治郎のすぐ目の前に投げた。
「貴様の妹は極めて稀な例だ。貴様一人の力では何も解決できんだろう。だから、私はここで聞こう」
静かな、しかし有無を言わせない口調で呼ばれ、息を呑んだ。怒気を向けられたわけではない。怒りはそこにない。ただ選択を迫る、強い声だった。
「妹のことを忘れ新たな家族と共に暮らすか、我々の仲間となり険しい道を進んで家族の仇を取るか。選択は二つに一つ。どちらを選んでも、全ては貴様次第だ」
千尋の言葉に、どう返すべきか分からない。ただただ返すのは、なんだか違う気がした。
だが答えは決まっている。もう後戻りなど出来ない。そうすることでしか、家族に報いることはできない。仇は必ずとる。もうこれ以上、誰も死なせたくない。
「俺は忘れません…鬼舞辻が、俺の家族に何をしたのか……俺の妹に何をしたのか……俺は絶対に鬼舞辻を許しませんッ!」
炭治郎は目の前の刀を強く握る。
それは万力が如き力であり、まるで硬い決断を表しているようだった。
「そうか、ではそれの小刀はくれてやる。私からの軽い餞別だ。いいか、鬼殺隊の道は貴様が想像するよりもずっと厳しい。心折れることもあるだろうが、妹のことを思い出し、奮い立て」
「は、はいッ!」
「いい返事だ。おい冨岡」
「……狭霧山の鱗滝左近次という老人を訪ねろ。冨岡義勇と橘千尋に言われてきたと言え。今は雲があるからいいが、妹を日の元に晒すな」
「そういうことだ。ああ、あと、狭霧山までの路銀……と、迷惑金だ。ではな」
それだけ言って、千尋と冨岡はその場を離れた。
少々説明不足感は否めなかったが、二人とも次の任務がある。致し方ないことだった。
「……」
千尋は冨岡と別れたあともなお、ずっと竈門兄妹ことを考えていた。
鬼殺隊最高幹部にして最高戦力が鬼の保護など、前代未聞の出来事だ。きっと産屋敷は納得してくれるだろうが、他の柱は断固として兄妹を認めないだろう。そればかりか、一刻も早くの滅殺を望むはずだ。
今の面々でその様子なら、この先柱が入れ替わったとして、何か変わるだろうか。鬼殺隊の約九割は、鬼に恨みつらみがあって鬼殺隊に入隊している。それは柱とて例外ではなく、ほとんどの者が家族や恋人を鬼に奪われた者ばかり。
竈門兄妹のことを知れば、怒り狂って兄妹の殺害を図るはずだ。
そうなれば、千尋と冨岡は、なんとしても二人の殺害を防がなくてはならない。
しかし、それでは柱同士対立が生まれてしまう。適度な対立は組織の流動性のために必須だが、この一件によって生まれる対立の溝は、一度生まれてしまえばそう簡単には埋まらない。溝は不信を呼び、不信は疑いを呼び、疑いは組織の崩壊を呼ぶ。
対立の溝は、鬼殺隊の終焉を意味していた。
そうならないためには、何よりも揺るがない実績が必要だと、千尋は思った。
実績、柱二人に加え、竈門兄妹本人らの実績。
鬼殺隊というのは、厳然たる階級社会であり、実力社会だ。全てにおいて、階級の高さと腕っぷしがものをいう。過剰なくらいな箔をつけなければ、鬼は認められない。
だがどうしようか。竈門兄妹はまだ入隊していないのだから、実績もクソもないが、千尋と冨岡は違う。鬼狩りとしての、柱としての実績が、竈門兄妹を認めてもらうには必須だった。
ただ雑魚を狩るだけではダメだ。
柱だからできた偉業。十二鬼月の、少なくとも下弦の討伐は最低条件だろう。上弦の討伐?ダメだ、未だ情報も姿形も弐以外わかっていない以上、それは現実的ではない。
どんな実績を、どんな風に打ち立てればいいのか、引き続き悩む千尋だったが、街に着いたとき、とある新聞を受け取り、定食屋に入った。
鬼の情報を鴉以外からも得ようとしていた千尋は、日頃から新聞や号外を受け取ることが日常となっていた。
「……ヨーロッパの火薬庫、か」
千尋目にした新聞の内容は、欧州のこと、特にバルカン半島において焦点を置いた記事であった。
ヨーロッパの火薬庫というのは、オスマン帝国からの独立を達成したバルカン諸国は領土の拡大をめざして相互対立を深めたが、これにヨーロッパ列強の利害が大きく絡んだことを表現した言葉であり、要は民族の対立と列強の思惑が絡み合い、バルカン半島の情勢は『いつ何が起こるかわからない』ことを表しているのだ。
もしヨーロッパで戦争が起きれば、今度こそヨーロッパ全域を巻き込む戦争になる。日本は日英同盟を結んでいるから、きっとヨーロッパの戦争に日本も首を突っ込むことになるだろう。
そうなれば、鬼殺どころではない。ヨーロッパだからと侮ってはいけない。ヨーロッパの植民地は、すでにアジアにまで伸び、インドや青島など直ぐそこまでに迫っている。
戦争の行末次第では、日本も危ういのだ。
それに徴兵も気がかりだ。今は産屋敷家の莫大な財産と人脈を駆使し、鬼殺隊隊士は徴兵を免れているが、戦争が始まり日本軍が派兵されるようなことのなれば、その限りではないだろう。
ただでさえ慢性的な人手不足で悩ませているのに、徴兵に持ってかれては鬼殺隊としてかなりの痛手となる。
むしろ軍の手を借りたいのは鬼殺隊の方だ。
「……軍の手を借りる」
何の気なしに呟いてみたこの言葉が、口の中で何度も弾けた。
大日本帝国軍。近代化によって清国、ロシア帝国を打ち破る力を持った、アジア最強の軍隊。
偶然にも、千尋は軍とはそれなりに関わりがあった。
陸軍中尉阿南惟幾、陸軍士官候補生石原莞爾、海軍大将にして帝国海軍軍司令部長鈴木貫太郎。奇しくも、全員千尋とそれなりに親しい。
「……バカな」
そこまで考えて、千尋は頭を振った。
何が軍の手を借りるだ。そんなことを、陸海大臣や議会が許すわけがない。ただでさえ帯刀や徴兵免除など特別扱いを受けているというのに、これ以上望むのは高望みだ。
──本当にそうだろうか。
「……物は試し、か」
千尋は手紙を書き、信濃とそこらにいた鴉にそれを運ばせる。
まさかの方にことが進むのは、もう少し後の話だ。