「おい!見えたぞ!日本!日本だ!」
船に乗った軍人のうち、一人がそう叫んだ。すると船になっている兵士のほとんど全員が甲板から身を乗り出し、指差した陸地を目視した。
確かに水平線の奥に、日本列島が見える。
帰ってきた。日本に生きて帰って来れた。
その実感が、兵士たちの目に涙を浮かべさせる。
船は帰還兵を乗せた船であった。欧州で起きた大戦に参加した日本兵を乗せた船。
「帰って来れた……皆元気のままだといいな」
その船の中に、千尋の姿もあった。帰還兵の船に、一般人が乗るということは決してないことではないが、千尋が着ているそれは、日本兵の制服だった。
つまり、千尋は帰還兵なのだ。
千尋は数年、人類史上最大の戦争に日本軍の先兵として参加していた。
なぜまだ16…いや18になったばかりの彼が戦争に参加していたかの発端は、二年前まで遡る。
二年前、竈門兄妹を保護した日、千尋は自分たちの実績のことを考えた。鬼を保護したことを相殺してしまうような、歴史的な功績が、どうしても必要だった。
そこで千尋が考えたのは、日本陸海軍の協力を得ることだった。
鬼殺隊は一千年以上、政財界の影響から独立した、政府非公認組織であった。そのため任務の財源は産屋敷家の収入100%であり経済困難、そして秘密裏に活動しているため、慢性的な人手不足に悩まされていた。
何より問題なのは、未来ある10代の子供たちが、ろくに訓練も積まれずに戦線に投入されることだ。
陸海軍の協力を得られれば、それらの問題を一気に解決できる。千尋はそう考えられたのだ。
結論から言えば、千尋は陸海軍の協力を得ることに成功した。だがその代わりに軍部が求めた物は、鬼殺隊の軍事転用であった。防寒防暑や傷に強い隊服の技術、武器生産の技術と薬学、そして使用者の身体能力を上げる『全集中の呼吸』等々。
千尋は産屋敷や他の柱に頭を下げ、これらを承認。千尋は海軍軍司令の鈴木を通し、石本陸軍大臣と斉藤海軍大臣とで議論を重ね、最終的に、鬼殺隊の一部の人間を戦場投入ということで、話はまとまった。
そしてその戦場に投入された人間というのが、千尋だった。他に派遣された鬼殺隊員は千尋の命令で全員弾薬の補充や軍医などの後方支援に回され、千尋一人が戦場で戦った。
戦争は、極めて激戦だった。戦術や武器の未発達が目立ち、無謀な突撃が幾度となく繰り返され、狂気の殴り合いの末に多くの者が命を落とした。
野戦砲の衝撃、機関銃の連射音、戦車の轟き、突撃ホイッスル。全てがいまだに耳に残っている。
千尋は産屋敷から贈られた赫い甲冑を身につけ、敵塹壕に向け先頭を走り続けた。
フランス、ドイツ、アルプス。千尋は戦場を選ばず、鬼殺で培った戦闘技術・殺人剣を遺憾なく発揮し、幾千もの敵兵を斬り殺してきた。数えきれないほどに武勲を上げ、勲章も拝受した。
さらに呼吸を会得した日本軍兵の活躍も目覚ましく、山東半島を占領したドイツを三日足らずで撃ち破り、これを見たドイツ軍は南洋諸島から撤退。東アジアとオセアニアから短期間でドイツを追い出すことに成功し、勢いついた日本軍は欧州にまで攻め込み、ドイツ本土にまで斬り込んでいった。
その結果、日本軍は千尋の活躍を認め、二年間共にした戦場を去った。
「花柱、お疲れ様です」
過去をしみじみと振り返っているとどうやら船が港についたようで、看護師団の検疫を過ごした先で千尋直属の隠が港で待っていた。
「迎えご苦労。早速だが、私の任務は?」
「鬼殺の任務は下っていませんが、新人隊士の調査だそうです。竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助の三名です」
「わかった。おい、私の車を持ってこい」
「はっ!」
千尋が指示を出してすぐ、輸送船から一台の車が出された。
銀色の重厚感溢れる車、ロールスロイス・シルヴァーゴースト号だ。名だたるレースを制覇してきた誇り高きこの車、実はイギリス皇室から千尋に贈られたもの。イギリス国王ジョージ6世は、遠い東の島国からやってきた勇敢な若者と千尋を評価し、これより先の日本との交友の証として、この車が贈られた。
「私は一度産屋敷殿へ挨拶に向かうが。貴様はどうする」
「他の仕事がありますので、ここで失礼致します」
「わかった。では」
日本に帰ってきてからすぐの任務。
千尋は意気揚々と、アクセルを踏み込んだ。
☆★☆
『コ、コノ先ニアル藤ノ家紋ノ家デスゥ……』
「よし分かった」
産屋敷への帰国挨拶を済ませた千尋は、信濃の案内の元、任務である調査対象の三名の新人の元へ向かっていた。
どうやさ三人とも直近の任務で負傷したようで、療養中とのことだ。
日はとうに落ち、空はどっぷり黒に浸かっていたが、きっと藤の家紋の家の人間なら、まだ起きている。この時間に行っても、迷惑にはならないだろう。
「御免、癸、竈門炭治郎・我妻善逸・嘴平伊之助はここ宿泊中でしょうか」
「はい、三人とも、同じ部屋に泊まっております、花柱様」
「ではその三名の近くの部屋をお願いします。私は一度、三人の様子を見てから部屋に入るので」
「はい分かりました。花柱様」
なぜ一度も顔を合わせたことのない、藤の家紋の家の女将が、自分が花柱であることを知っているのかは一度放っておいて、千尋は三人の元へ向かう。
時間的に、もう既に眠っていてもおかしくないので、一度顔を確認してから、また明日の朝に顔合わせでもしよう──そう思っていたが、
「何が大丈夫なの!?ねぇ!!ねぇ!!」
向かっている部屋から、金切り声の怒声が聞こえてきた。お月様も天高く登り、お天道様は地球の裏側まで回った、この時間にである。
「鍵かかってないんかい!!ままま守って!!俺を守って!!伊之助でもいいから──」
「──喧しい!!今何時だと思っている!!」
ブチギレた千尋は襖を力の限りに開き、そう怒鳴った。
いきなり現れた千尋に、三人の新人隊士は目を丸くして──
「ギャアアア!?なに!?何この人!めっちゃ怖いんだけど!!!」
「橘さん!お久しぶりです!」
「なんだコイツ!メチャクチャ強そうな気配がするぜ!!」
余計に騒がしくなった。千尋はそれぞれに鉄拳を落とし、とりあえず大人しくさせた。炭治郎を殴った時は、異常に手が痛かったことだけ、ここに記す。
「こほん、それで貴様らが、癸、竈門炭治郎・嘴平伊之助・我妻善逸で間違いないな」
「はい!お久しぶりです、橘さん!」
「え、なに、お前、知り合い?こんな恐ろしい人と知り合いだったの?」
千尋の言葉に炭治郎はとびきりの笑顔で、我妻は青い顔をして応える。嘴平は疲れて寝てしまった。
「私は橘。産屋敷殿より、新人隊士の三名を調査命令を受けて参った」
「ちょ、調査って……その、炭治郎の箱のことですか?」
「気づいていたか……そうだ。竈門炭治郎が持っている木箱、いや、木箱に入っている実妹、竈門禰豆子についてだ。そのついでとして、他三名の調査官に、私が任命された」
「た、炭治郎は!」
千尋が炭治郎及び禰豆子の調査官であると聞いた我妻はいきなり立ち上がり、千尋に詰め寄った。
「鬼殺隊のくせに鬼を連れてるけど、決して悪いやつじゃないんです!上手く言えないけど、俺には分かるんです!だから……だから、その」
「安心しろ善逸。橘さんは二年前、鬼になった禰豆子と拘束して、今日まで俺が生きていけるよう手助けしてくれたんだ。だから、今善逸が思っているようなことは起きないと思うぞ」
「その通りだ。私が命じられた任務は、あくまでも調査。竈門禰豆子の抹殺は、私の任務ではない……良い友を持ったな、竈門」
「はい!」
千尋の言葉に、炭治郎は胸を張って返事をした。
ファーストコンタクトは成功、千尋は藤の家紋の家の人が用意してくれた部屋に戻り、報告書の作成に取り掛かった。本格的な監視調査は、明日から。
大正コソコソ噂話 日本軍の躍進
鬼殺隊から呼吸を指南された日本軍は現実以上に白兵戦が強くなり、近接戦闘が多かった第一次世界大戦の戦場では大躍進を遂げ、ヨーロッパまで斬り込んだ。イギリス軍では日本軍を称え、フランス軍は日本軍と友好関係を築き、イタリア軍は日本軍に引いている。