調査を開始してから数日、新人隊士三名の話を聞いていくうちに、なんだかとんでもないことが起きていることが判明した。
新人隊士竈門炭治郎が実に三百年ぶりに、鬼舞辻無惨と接触したのだ。
鬼舞辻無惨、鬼の始祖にして全ての元凶そして最恐の鬼。鬼殺隊の討伐は鬼殺隊の悲願であると言っても過言ではない。それは向こうも知っているようで、ここ三百年奴と接触したという記録は残っていない。
接触そのものがないのか、接触した隊士は皆全て殺されているため記録がないのか定かではないが、とにかく竈門炭治郎は三百年ぶりの出来事を起こした隊士であった。
そのことを知った千尋は、接触した場所である東京浅草を徹底的に洗っていた。
三百年姿を見せなかった鬼舞辻が未だ浅草にいるとは考えづらいが、わずかながら痕跡くらいは残っているのではないだろうかと踏んでいる。
「失礼ご主人、まだやっているだろうか」
「おう!うどん好きな客なら大歓迎だよ!」
「なら……では伊勢うどんをお願いしよう」
「あいよ!」
調査に行き詰まった千尋は細長い座席に隣り合って座り、一息つく。肝心の新人隊士の監視調査は信濃に任せ、三人に任務が降ったときは、こちらを切り上げてその任務に随行することになっているが、三人とも肋が折れているらしいので、しばらく任務は回って来ず、千尋も存分に浅草で調査ができる。
……が、結果は全くと言っていいほど上がらない。この手の調査で、早々に結果が上がるとは思っていなかったが、これほど全く痕跡が出ないとは思っていなかった。
現場付近の店、現場付近にいた警官などに話を聞いても、まるでその日その時の記憶だけ抜けているように、誰も何も覚えていなかった。
だが炭治郎とその鴉は覚えている。極めて不思議な現象だ。
「はいお待ち、熱いから気をつけなよ!」
「ありがとう。最近は寒くなってきて、屋台のうどんがありがたく感じるよ」
「兄ちゃん、ずいぶん年くさいこと言うね。いくつだい?」
「えっと、16…17…18、大将、今何時だい?」
「今かい?今は22の時だね」
「23だよ」
「なんだいそれ、それじゃまるで時そばだ。今からでも蕎麦にするかい?」
「いやいや結構。このうどん、柔らかくって口の中で溶けるようだ。嬉しいよ。夜鷹蕎麦のつもりで寄った屋台のうどんが、こんなに当たりだとは」
千尋のお世辞に店主は気を良くし、ベラベラとおしゃべりを始めた。
「兄ちゃん兵隊さんだろ?そんな歳して大変だね」
「我々は國を護る誉の兵さ。年齢は関係ないね」
「そういえばこの前来たガキも、兄ちゃんと同じ雰囲気だったね。まぁもっとも向こうは駆け出しで、一仕事がやっとって感じだったけどね」
ぴくりと千尋の眉が動いた。落語じみた話をしていたわけは、こういうふうに思っても見ないところで情報の末端が見えてくるからだ。いつも成功するとは限らないし、それが勘違いであることの方が多いが、今回は上手くいきそうだ。
「へぇ、そりゃどんな子供だったんだい?」
「額に大きな痣があった男と、竹を咥えた女の子だったな。思えば変わった兄妹だったね」
「──当たりだ」
「うん?」
「いや、大将このうどん、本当に当たりだよ。出汁はそんなに濃くないけどしっかり効いてる。また浅草に寄ったら来るから、ここにいてくれよ」
「おうよ!兄ちゃんみてぇな気持ちのいい客のためなら、百年二百年待ってみせるさ」
額に大きな痣がある男と竹を加えた少女。間違いない、竈門兄妹だ。
「それで、その兄妹はどうしたんだい?」
「そうだよ!聞いてくれよ!その痣の男、うどん頼んだくせに妹置いてどっか行っちまったんだよ!いやあとで帰ってきて金は払ったよ?でも金を払ったからいいってもんじゃねぇよ。置いて行かれた妹は竹を咥えててうどんを見ようともしなかったんだ」
「時間が経ってしまうと、どんなに上等なうどんでも味は落ちるからね」
「そうそう。俺ぁ金もらってる以上、いいうどんを食わせてやりてぇんだよ」
「大将、アンタは本物の職人だよ。しかし竹を咥えた少女……気になるね。その兄妹、どっちに行った?」
「あーどうだったかな。たしか、浅草寺付近から故瓜生岩子之銅像の方に歩いていったかな」
浅草寺から故瓜生岩子之銅像がある公園に向かうには、通りがいくつかに限られる。同じ道を辿れば、何か少しの痕跡くらい見つけられるかもしれない。
「大将、ごちそうさん。代金ここに置いとくよ」
「はいよ!」
夜鷹饂飩屋の大将に別れを告げ、浅草寺の方に向かう。
炭治郎は一度うどん屋を離れた際に鬼舞辻と接触している。そしてどうすることもできずに、またうどん屋に戻ってきたのだ。だがあの諦めが悪い性格だ。家族の仇を見つけて、呑気にうどんを食べてふらふらとフラつくわけがない。
うどん屋を出た後、また何かがあったはずだ。だがその報告は、炭治郎はもちろん、本部からも聞かされていない。易々とは報告できない何かがあったはずなのだ。
「……この辺りか」
街の地図を片手に、千尋は周辺の捜索を開始した。
そして捜索を開始してすぐ、戦闘の跡がある家を発見した。
あたりがボロボロで、あちこちに拳ほどの穴が空いている。レンガの塀はダイナマイトでも使ったかのように崩壊し鬼と隊員との戦闘があったことは一目で分かった。
すでに売りに出ているようで、不動産の売却下であった。
それはそうとして、千尋は警戒しながら屋内に入った。当然のことだが、不動産業者以外で出入りしたような痕跡はなく、すでにここの住人は退居しているようだった。
「……座敷牢?」
家には地下があり、そこには座敷牢があった。
昔からある家では別に珍しい話ではないが、千尋が注目したのは、座敷牢の格子だ。
牢屋の内側の格子には、まるで肉食獣のような歯形や引っ掻き跡が幾つもあった。それも内側には至る所にだ。尋常ではない、ただの狂人を入れていた座敷牢とは、わけが違った。
それに糞尿の匂いがしない。座敷牢というのは精神異常者を家庭で軟禁するための設備であり、もちろんトイレは設置されていたが、正常に使える者は座敷牢になど入れられていない。
そして、鬼は消化器官は持っているが、どういうわけか排泄をしない。
歯形、座敷牢の匂いからして、ここに鬼が軟禁されていたのは確実だった。
「ここを売った人物が、鬼の研究をしていた?」
鬼の軟禁、地上の戦闘跡、その他室内の残された設備を鑑み、ここで鬼の研究が行われていたのは確実であった。
誰が何のためにどうやって、疑問は尽きない。だが千尋は、その疑問を解消する前に、座敷牢の中にある奇妙な模様に気がついた。座敷牢の石床に彫られているが、家紋のようなものではない。
もっとよく見るために、模様の上の埃を手で払いのける──その時だった。
「──っな!」
模様に触れた瞬間、模様から膨大な数の色鮮やかな花々が乱れ飛ぶ。千尋はすぐに座敷牢を出ようとするが、花々が邪魔をして方向を狂わせ、座敷牢の出入り口とは逆の方にばかり行ってしまう。
「くっそ!」
千尋はすぐに抜刀し、模様が刻まれた石床を斬り刻む。これだどのような効果を出すかは不明だが、幸いにも功を奏し、新たに花が出てくることはなくなった。
だがすでに幾数千の花が乱れ、すでに視界は宙を舞う花に染められていた。
「げほっ!げほっ!!」
花の毒に当てられたのか、咳が出始める。いつもとは様子違う咳に、たまらず膝をついた。
呼吸器系が圧迫される。アナフィラキシーに近い症状だった。
何か千尋の携行品で薬的な物はないかと背嚢を探ると、矢継ぎ早に何かが起こる。
誰かが座敷牢の外から、千尋の様子を見ているのだ。
すぐに拳銃を抜いて銃口を向けるが、咳で照準がブレる上に花の模様が邪魔をして、全く発砲準備が整わなかった。
「き、ゲホッ!貴様は何者か!不動産業のものではなかろう!!」
千尋の怒号に、一泊置いて、何者かが言う。
「哀れだな鬼狩り。安心しろ。気を失うだけで体に害はない。気を失った後は記憶を消して安全な場所に送ってやる」
「ふざけ、ゴホッ!」
「そうやって叫べば毒の周りが早くなるだけだと分からないとはな。やはり愚かだな」
千尋の咳は酷くなるばかり。座敷牢の外の男は、ゴソゴソと動き、千尋を観察しているような物言いだった。
「ゴホッ!ゲホッ!」
「はぁ…だから珠世様に目眩しは丁寧にと言ったんだ。それなのに」
咽せる千尋に対し、男はぶつぶつと文句を言いながら観察する。
だが千尋は、珠世という名前に反応した。
「かっ、竈門炭治郎という者を知っているのか!」
「……なに?」
千尋は咳を必死に抑え、つづきを喋った。
「私は竈門炭治郎の上官だ!竈門炭治郎の話を聞き、ここに参った!」
男の驚いたような声を聞き、またセリフを続ける。
「竈門は浅草で鬼舞辻無惨と遭遇後、貴様らと接触した!だが竈門は貴様らとは交戦しなかった!本部の交戦記録に、竈門の鬼の遭遇数と討伐数が記録されているが、数が合わなかった!竈門は貴様らを信用し、また貴様らも竈門を信用した!違うか!」
「……だからなんだというのだ。竈門炭治郎を信用したとして、お前を信用する道理はない」
「私は貴様らを信用する!部下が信用した相手を、信用しないでなんとする!」
千尋は必死に叫んだ。せっかく掴みかけた協力者の手がかりを話すわけにはいかない。
「口先だけだとなんとでも言え……」
男は──愈史郎は、まだ喋っていられる千尋に違和感を抱いていた。
この花模様は愈史郎が唯一尊敬する鬼珠代と自分の血鬼術を組み合わせたもので、人体にとっては極めて有害である。早急に対処すれば後遺症は残らないが、即効性ですぐに失神する。
にも関わらず、千尋は未だ叫び続けている。この血気術に引っかかった人間はそう多くはないが、その全てが10秒と経たずに失神していた。ここまで耐えて見せた人間は、千尋が初めてだった。
「私が喋られるのがそんなに不思議か!」
「!!」
愈史郎は心をピタリと読み当てられ驚愕した。確かに愈史郎をよく観察し、考察すれば分かることだが、この花模様には毒の他に知能を一時的に下げる効果もある。つまり、そんな考察ができるわけがないのだ。
「なら教えてやろう!これで貴様らも、私を信用せざるをえん!」
「何を……」
「私は──」
☆★☆
「ほら、水を飲め。毒が薄まる」
「体に害はないと聞いていたが?」
「早急に対処すればの話だ」
「それを害がないとは言わないのだが」
あの後、愈史郎はすぐに血気術を消し千尋の治療にあたった。もっとも、千尋に呼吸器の圧迫以外の症状は見られなかったため特に何もしていないのだが。
「改めて自己紹介をしよう。私は橘、鬼殺隊花柱にして、日本陸軍鬼殺隊の隊長を任されている。階級は中佐だ」
「なに?陸軍だと?鬼殺隊はいつから陸軍と協力関係にあった?」
「本格的に協力を始めたのはほんの一週間ほど前の話だ。詳しい話は後で全て話そう。本陣に案内してくれ」
「その必要はございません」
千尋が愈史郎に住処に案内してもらおうとしたところで、どこからともなく声が聞こえてきた。
声が聞こえてきた方に顔を向けてみると、着物姿の女性が石床に書いてあった模様と同じようなものが書かれた札を剥がして姿を現す。
女の名を、珠世と言った。
「珠世様!姿を見せてはいけないと!」
「構いません。彼と私たちは、利害が一致しています。ここで私たちを殺すほど、愚かではないでしょう」
思うに珠代は、千尋はが知っている中で、一番に肝が据わっている女であった。
「それで、先ほど言っていた事は本当なのでしょうか」
「ああ本当だ。試してみるか?」
「……いえ結構です」
言いながら珠世は千尋の腰に目を当てた。
目線の先には、日輪刀が刺さっていた。
「……気になりますか?」
「ええ。私たちにとって、それはたった二つの弱点……気分を悪くしてしまいましたか?」
「全くだ。気になるのなら、貴女に預けよう」
「え……」
頷いた珠世が驚愕の声を上げた。
「お、お前正気か!?鬼殺隊なら刀は命のはずだ!」
「私は刀のみに重点を置いていない。それに、私は貴様らを信用すると決めたからな。ほら、持っていろ」
千尋の言動に、珠世と愈史郎は豆鉄砲でも喰らったかのように呆気に取られていた。
「それでは本題に移りましょう。座っても?」
「え、ええ。もっとも、この家財も私たちのものではありませんが……」
千尋は椅子に腰を下ろし、話を始めた。
「先ほどの続きですが、今鬼殺隊は陸海軍との協力体制にあります。陸軍近衛師団と海軍陸戦隊。それを含めれば、鬼殺隊の戦力は一万と六百。かつてないほどの戦力です」
「陸海軍との協力……そうですか。通りで最近、街中で兵士をよく見ると……」
「私の指揮下で兵士は動きます。街中で勝手な事はするなと命じてありますが、彼らの前で目立った事はしないよう願います」
「分かりました。私たちも、もう少し目立たないようにします」
それから千尋と珠世は、お互いに情報を交換した。易々と情報を曝け出すことに少し後ろめたさを感じてはいたものの、どうせいつかは協力し合わなければいけないのだ。ならば今情報を出すことに賭けてみよう。
「なるほど、愈史郎は珠世殿が鬼にされた……ということは、人を鬼にする事は貴方も可能であると」
「ええ、ですが誤解なさらないでください。私は鬼を増やそうとはしていません」
「分かっています……人を鬼に……ならば、鬼を人には?」
人を鬼に、鬼を人に。この工程は似ているようで、全く異なる現象であった。コーヒーとミルクを混ぜることは簡単でも混ざったコーヒーとミルクを分離するのは極めて困難であるように、鬼化は基本不可逆の現象なのだ。
生物で話をするのであれば、一度進化してしまえばもうその状態には戻れないということだ。
だがもし、鬼化が生物の進化でなく感染病的なものであればまだ希望はある。鬼舞辻の細胞に対する抗体さえ製造してしまえば、この戦争は終わりを見せる。
「未だそのような例は。私たちも自分の呪いを外すので精一杯で、未だ太陽も克服できていません」
だが現実は厳しかった。鬼の研究を続け人工的に鬼を増やすことに成功した珠代でも、鬼を人に戻すことは未だ不可能であった。
「こちらも軍の開発部と鬼殺隊が協力を開始しましたが、未だそのような例は。もしよろしければ、鬼殺隊と軍との協力体制に新たに加わってくれませんか?」
「それは……」
珠世は千尋の言葉に難しい顔をして見せた。千尋も勢いで言ってみただけなのでそれに悪い気はしなかったが、やはり鬼と人とには海よりも深い溝が存在することを再認識させられた。
「私は貴方を信じます。そして鬼殺隊とも利害が一致しているつもりでもいます。もちろん共同研究することに異論はありません。むしろこちらからお願いしたいくらいです」
ですが、と珠世は言葉を続ける。
「協力するということは行動を共にするということ。貴方が私たちを信用できても、鬼殺隊の他の方たちは果たして私たちのことを受け入れてもらえるでしょうか?私が懸念しているのはそのことです」
「ええ、それは分かっています。ですが今、状況は変わりつつあります。竈門を知っているということは、その妹の禰豆子のことも知っていると思います。兄炭治郎は鬼殺隊隊士でありながら妹禰豆子は鬼です。これまでの隊律を考えれば、炭治郎は処罰されます。ですが産屋敷は彼らの存在を認めました。ともに鬼舞辻無惨たちと戦う協力者という立ち位置の鬼の前例を作ることができれば、珠世殿の存在を認めさせることもそう難しいことではありません」
珠世は千尋の呑み込まれそうになるほど黒い瞳を見て、
「……分かりました。貴方が私たちを信じるというのなら、私も貴方を信じましょう」
覚悟を決めた。もし千尋が裏切り珠代のことを密告したのであれば、即座に珠世と愈史郎の首は飛ぶ。だが千尋が義理を通して協力関係を結べば、鬼舞辻の首が飛ぶだろう。
「では協力体制が整いましたらお互い連絡をとりましょう。私は任務に戻ります」
「ええ、ではよろしくお願いします。ではこちらに。愈史郎の血気術で道が変わっていますので」
珠代の案内に従い、外を目指す。確かに来た時とは道が変わっている──ように見える。実際は目眩しで道が変わっているように見えているだけであった。
外は朝であった。
「もう陽が出てますね……」
「日傘をお持ちで?」
「いえ、陽が暮れるまでここにいようと思います。不動産業者もここには滅多に来ませんので」
珠世と愈史郎は日陰から一歩も出ることなく千尋を見送った。
空では建物に入ってからしばらく出てこない千尋を心配した信濃が建物上空を旋回していて、主人を見つけた途端に急降下して千尋の胸に飛び込んできた。
『チ、千尋様ァ……っ!』
「うっ……!し、心配をかけたな、信濃。それで、任務は?」
幸いなことに、千尋に降りた任務はなかった。
だが
『我妻隊士ト竈門隊士、嘴平隊士二任務ガ降リマシタァ……十人ガ死ンデイル激戦地デスゥ……』
信濃が声を震わせた。ここ数日、千尋がのびのびと鬼舞辻を追跡できたのは三人が肋骨を折っている怪我をしているからだ。その怪我では任務も来ないだろうと思っていた。
それが、前線に駆り出された。千尋は急いで車のエンジンをかけて東京を疾走する。
ふとミラーを見ると、そこにはすでに屋敷はなかった。
大正コソコソ噂話 欧州大戦での千尋の戦績(公式戦果)
戦車破壊数:12両
装甲車破壊数:20両
装甲列車:1両
壊滅させた小隊数:30
駆逐艦:1隻(港に停泊中の敵船に忍び込んで爆破)