帝国の鬼狩り   作:ひがしち

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第十一話 無限列車 弐

橘千尋は花の匂いに、はっと我に帰った。

 

なんだか意識がぶつりと途切れたような、妙な気持ちの悪さがあったので周囲を見渡してみると、そこは()()()()()の実家の一室であった。

 

……今、自分は何をしていたのだろうか。

 

「千尋さん?どうしたのです?」

 

「……なんでもありません。気のせいでした」

 

千尋は先生の問いかけに適当に応え、また花と向き合った。

 

目の前には数多くの花々が置かれている。そうだ、今は梅の会の練習の最中だ。なぜ忘れていたのか分からないが、そんなことを考えている暇があったら題に合った生け方を考えろ。

 

千尋はまた鋏で花の茎を切り、形に合うように生ける。その手つきに迷いはない。物心ついた時からずっとこうしてきたので、迷いなど今更だ。

 

「……できました。題は『変』。激動の時代の今を表現いたしました」

 

千尋が生けた生け花は見事なものだった。始終生ける様子を見ていた門弟たちは感嘆の声を漏らし、千尋の師範代も満足そうに頷いている。だが先生は首を横に振った。

 

「右の枝の枝先が上がりすぎです、もっと折撓めなさい。それと奥の枝の線が太く見えます。線を見せたいのならもっと間引きなさい。それに一番上の葉の裏が見えます。そして上の花と下の花、横から見た際の前後差があまりはっきり見せません。上の花をもっと下げなさい」

 

「……はい」

 

先生はまだ子供の千尋に対しても厳しい言いようであった。門弟からはそんなに厳しくしなくてもという話がいくつか出るが、千尋はいつか橘流を継ぐ身。甘えは許されない。

 

──橘流

 

全国に十万の門弟を持ち、同じく京都市の舞妓や芸者芸妓や東京の華族女学校の生徒にも花を教えている、華道の一大流派だ。

 

その影響力は計り知れず、遡れば平安の天皇との繋がりを持ち、今では財閥として名を馳せ政財界への影響も強く持っている。千尋はその橘流家元の長男。一刻も早く母を超えるようにならなくてはならなかった。

 

「では休憩にします。三十分後に再開します」

 

「はい。ありがとうございました」

 

毎年春になると橘流では、梅の会と呼ばれる催しが開かれる。これは室町時代から続き、春に咲く梅のように若い門弟たちの成長を祝う伝統行事で、年を重ねるごとに竹の会、松の会となる。

 

千尋が出席するのはまだ子供、五つから十の子供たち対象の梅の会。これは子供たちの成長を祝うという意味合いも含まれているが、本来の目的で言えば、流派の教えを守っているか、言わば守破離がしっかり出来ているかを見るお披露目会なのだ。

 

もちろん対象年齢の子供たちは参加の可否は自分で決められるし、年齢内であれば何度参加しても良いことになっている。しかし千尋は五つの頃からずっと出席している。家元の後継はこれほどの力を持っているぞと、同世代、そして周りの大人たちに誇示しなくてはならない。それが千尋の役目だった。

 

「千尋様、今日も最後まで残ってらっしゃるわ」

 

「まだ九つの子供よ?家元も何を焦ってらっしゃるのかしら」

 

部屋の外から門弟の声が聞こえてくるが、集中している千尋にはほとんど聞こえていない。

 

だがふと、鋏を持つ手に違和感を抱いた。

 

「?」

 

なんら一切異変もない、思春期を迎え成長した男児特有の角ばった手だ。()()()()()()()()。だが()()()()()()()気がした。

 

「気のせいか」

 

千尋は無意識に右耳を触った。()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

それから数年、千尋は梅の会を終え、今度は竹の会に備えていた。当然千尋の腕は子供の頃とは比べ物にならないほど上達し、今では宮内庁の役人が千尋の腕を見込んで作品が京都御所に飾られたほどだ。生け花に生きる者として、最高の名誉である。

 

……だが、何か足りない気がした。

 

それは華道の腕前だとか、さらに流派を拡大したいだとか、そういう願望ではない。言葉にはできないが、確実に何かが足りない気がしてならないのだ。

 

「若様、お車の用意ができました」

 

「ありがとう。では行くとしよう」

 

この日は京都府内の女学校で華道の教鞭を取ることになっている。いつも通りも日常。橘流理事としての役割である。

 

玄関先では銀色の外国車が──

 

「え?」

 

「どうかしましたか?」

 

「この車って……」

 

「いつも通りの()()()()T()()ですが?」

 

瞬きをすると、それはいつも通りの車であった。一瞬、英国のエンブレムが入った銀色の車に見えたのだが、見間違いだろうか。

 

それから車で三十分ほど。京都の女学校での教鞭が始まった。

 

生徒たちは千尋と大して変わらない年であったが、生徒たちは真面目に話を聞き、また千尋もそれに応えた。結果として、次期家元は若輩ながら悠々たる態度であり臆することなく助教をやり遂げたと、橘流で評判を上げることになった。

 

そうして千尋は一度も失敗をすることなく講義は休憩に入った。

 

「……ふぅ」

 

千尋は女学校の校庭で一息ついた。十八の成人手前とはいえ、大勢の人前に立つというのは緊張する。それが次期家元としての立場があるなら余計にだ。

 

「うん?」

 

ふと耳を澄ますと、どこからか生徒のすすり泣くような声が聞こえてきた。何事かとそっちの方に向かってみると、一人の生徒が地面に座って啜り泣き、それを二、三人の生徒が心配そうに囲んでいる。

 

よもや虐めや集団暴力ではないだろう。千尋は近くに行って声をかけた。

 

「あ、先生」

 

「何があった。なぜこの者は泣いている」

 

「分かりません……お家からお手紙が届いたようなんですけど、それを読んだら途端に泣き出しちゃって」

 

どうやら囲っている友人らしき生徒でも泣いている原因までは分からないようだ。

 

「……話せるか?」

 

「先生……」

 

「楽しみは共有し倍に、悲しみは共有して半分に、だ。私でなくても良いから、友に話せ」

 

その言葉を皮切りに、生徒は堰を切ったように喋り始めた。

 

曰く、許嫁の彼が海軍に徴兵され欧州に出兵し、その彼が乗った船がドイツ海軍のUボートに撃沈され、戦死ししてしまったとのこと。ヨーロッパの海で撃沈されたことから遺体の回収は不可能であり、彼が日本に帰ってくることはないという。

 

その話をした後、決壊した堤防のように涙が溢れ、そして詳しい話を聞いた生徒たちも泣き出した。

 

許嫁とはいえ愛し合っていた者同士。それがいきなり引き裂かれ、彼の顔を見ることはおろか、その亡骸に泣きつくことさえもできないその悲しみは計り知れない。

 

……すると、千尋は右腰あたりに何か金属の重みを感じ、腰を摩るが当然何もない。

 

だが違和感はそれだけではなかった。

 

今度は左の腰に刀のようなものを感じ、腰を摩るがまた何もない。

 

「あら?先生、そのような格好でした?」

 

「……え?」

 

生徒の一人の声を聞いて下を見ると、和服だった千尋はいつのまにか襟詰の制服になっていた。

 

「なんだ……これ……こんな服、知らな──」

 

恐る恐る襟詰の制服に触る。紛れもない本物の服。てっきり狐に化かされているのかと思ったが、そうでもないようだ。

 

何が起きているのか。訳もわからず制服のボタンを取って脱ぐ。気味が悪い。さっさと脱いでしまいたい──そう思った時、コツンと重い何かが手に当たった。

 

「……コルト拳銃?」

 

千尋は口に出して不思議に思った。何故これがコルト拳銃と分かったのか。さらにいえば、何故それが正しい名称だと分かったのか。こんな物騒なもの、見たこともない。

 

「──痛っ!?」

 

「キャ!?先生!?」

 

ブツリ、と耳に鋭い痛みが走った。それから鮮血が噴き出て、生徒の着物に血がかかってしまう。耳に走った鋭い痛み、全身に走った鋭い痛み。気づけば身体中から血が溢れ出していた。段々と、痛みと共に記憶が呼び起こされていく。

 

「私は──」

 

 

 

☆★☆

 

 

 

千尋の全身から血が溢れる少し前。

 

「……よし」

 

少女は花に夢中な千尋を見て頷いた。この少女は鬼の血鬼術により千尋の夢の中へと侵入していた。

 

眠り鬼・魘夢の血気術で見せる夢は無限ではない。夢を見ている者を中心に円状に広がり、夢の外側は無意識の領域と呼ばれる空間が広がっている。無意識の領域には『精神の核』が存在しており、これを破壊されると持ち主は廃人となる。

 

(あった、壁だわ)

 

千尋から離れ手を伸ばして何かを探るように歩く女。少しして、薄く硬い膜のようなものが手に触れた。

 

「あった…!無意識領域の境目…!!」

 

女は懐から錐のようなものを取り出すと、膜のようなものへと向け、思い切り振りかぶる。

 

「───っ!?」

 

瞬間、バァン!!という爆発音がすぐ隣で鳴った。ビクリ、と咄嗟に身体を縮めた少女。ほんの少し身体を縮めたままだった女が恐る恐る目を開け、周囲を見渡した。

 

「……え?」

 

それは地獄としか表現できなかった。先程までの家々や、幸せそうな本体は何処にもいない。

 

──そこは戦場であった。

 

あちらこちらで外国人の男たちがナイフやシャベル、棍棒、もっと酷いものだと石や拳で殺し合いをしている。欧州大戦西部戦線。千尋が体験した、地獄の一つだ。

 

「あ……ぁあ……」

 

少女はその地獄の様相に恐れ、障害物の陰に身を隠し、気が付かぬうちに失禁した。すると、今度は女の背後からドドドド!!と聞いたことのないような爆音がした。

 

「───!!」

 

「───!」

 

「───!?」

 

背後を見れば教会の窓からチカチカと光る点が見える。そしてその光の明滅と共にドドドド!!と耳を劈く轟音が鳴り響いていた。

 

「っ―!!」

 

少女は咄嗟にその場に伏せ、頭を下げた。ここは戦場だ。私は戦場に来てしまったのだ。少女はこの段階でやっと後悔した。

 

「怯むな!!今は止まる時ではない!我らには陛下のご加護がある!!走れェッ!!」

 

ドン!と女の視界の端で、本体の千尋が甲冑を着て敵塹壕に飛び込んでいくのが見えた。それから少し遅れて外国語の悲鳴が聞こえ、花が咲いたように血飛沫が舞う。少女は吐いた。バタバタと吐瀉物が地面を塗らす。

 

「も゛っうう゛う゛い゛っ!い゛や゛!」

 

早く、早く核を見つけてここを抜け出したい。少女は吐瀉物に塗れることなど意に介さずに地面を這う。ここは夢の中なので殺されたところで目が覚めるだけなのだが、少女は戦場の恐ろしさに腰を抜かし、立ち上がる事ができなかった。

 

「どこ!?どこにあるの!?」

 

どれだけ這ったのか?距離など大したものではないだろう。だが、蟻が進むような速さで這うしか出来なかった少女は進み続け──

 

「あった!!」

 

精神の核を見つけた。

 

この地獄の様相では考えられない、恐ろしく綺麗な青色の核。大丈夫、これさえ壊せはこの夢から抜けだせる。

 

今度こそと、錐を振りかぶる──が、

 

「えっ!?なんで!?」

 

壊れたのは精神の核ではなく、錐の方であった。

 

少女はこれほど頑丈な精神の核を見たことがなかった。通常の精神の核は非常に脆い。人の心とはそういうものなのだ。

 

だがこの核は信じられないほど強固であった。この錐は持ち手が魘夢の骨、鋒の刃が歯から作られた、市販の錐より何十倍も頑丈な代物だ。それでも核ではなく錐の方が壊れるということは、魘夢の身体よりも核の方が硬いということだ。

 

そればかりか、少女が何度核を岩に叩きつけてもヒビ一つはいらない。そればかりか、岩の方が欠けている。

 

そんなことがあるのだろうか。いや、実際にそうなのだから認めなければならないのだが、未だ信じられない。精神の核の硬さは本人の精神力に直結しているが、こんなにも強靭な精神力を持った人間は今まで存在しなかった。

 

「なんで!?なんで!?壊れてよぉ!」

 

少女は泣きながら叫んだ。これを壊さない限り、この地獄から抜け出せない。少女は何度も岩に核を叩きつけた。

 

「──おい」

 

「ひっ!」

 

いつのまにか少女の後ろに千尋が立っていた。返り血を浴び、着ていた黒い甲冑が赤く染まっている。女には千尋が死神に見えたし、それで間違いないと思った。

 

「ま、待って!私は鬼に無理矢理!」

 

「それが私の核か」

 

千尋は女を無視して核に近づいた。そうして次の瞬間には、流れるような動作で拳銃が引き抜かれ、三度核に向かって発砲された。少女は耳を塞いで泣き叫び、また失禁した。

 

「……傷一つつかぬか」

 

すると今度は千尋がボロボロと大粒の涙を流し始め、膝をついて慟哭を上げはじめた。

 

「正気を失うことも許さぬか……まだ私に役目があると言うか……」

 

少女は何故千尋が泣いているか、何故正気を失いたがっているのか、まったく分からなかった。

 

「何故だ!何故私なのだ!」

 

だがそれを嘲笑うか如く、精神の核は鮮やかに光った。

 

「もう十分だろう!三百の鬼を屠った!四百の敵兵を殺した!それでもまだ何かあると言うか!」

 

千尋は何者かに慟哭を上げた。神か仏か、はたまた知れない何かか。

 

「──もう嫌だ……もう休ませてくれ……私が何をしたと言うのだ……頼む……正気を失わせてくれ……もう誰も殺したくない……もう正気でいたくないんだ……私はいつまで刀を振るえばいい……いつまで殺し合えばいい……聞いているのなら答えてくれ……頼む……教えてくれ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青い彼岸花よ……」

 

 

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