横転している汽車。まだ鬼との一体化が解けていない部分には、依然として肉が蠢ているものの、時を待てば灰燼と化していくだろう。
「ああ、クソ……酷い目にあった……大丈夫か、お前たち」
「え、ええ……なんとか……」
「肉でバインバインしてなんかなったな!」
線路からは少し離れたところで横になる千尋たち。千尋が鬼の頚を斬った直後、鬼が苦しみもがいて汽車ごと暴れたため、三人とも機関室で揉みくちゃになり、その果てに外に投げ出されたのだ。
だが皮肉なことに、列車と一体化した鬼の肉が緩衝材の役割を果たし、なんとか三人は生きて列車を飛び出すことができた。
おかげで服が埃だらけで、ところどこに穴が空いてしまったが、これでも幸運と言えるだろう。
「ほら起きろ、さっさと負傷者の確認をして、現場を離れるぞ」
これだけ派手な列車事故が起きたのだ。一般人の被害は計り知れない。泣き声や呻き声が闇の中に響いてくる。きっと痛みで苦しんでいるのだ。彼らはただ鬼退治に巻き込まれてしまっただけの一般人、一刻も早く手当をしてやるべきだ。
二人に手を貸し、片手で一歳二歳ほどしか変わらない男児を引き上げると、遠くから足音があっという間に近づいてくる。
「うむ!橘!竈門少年!嘴平少年!無事だったか!」
「煉獄、お前も無事だったか」
あれだけの事故が起きながらも掠り傷の一つも窺えない杏寿郎がやって来た。ボロボロの千尋とはえらい違いである。
「我妻はどうした?」
「我妻少年は頭を打ったようでな!鬼の少女が手当している!」
そう言われて列車後方を見てみると、たしかに禰豆子が我妻を膝枕しながら手当てをしているようだった。もしそこで我妻が目覚めたら、一度失神しかねない絵面であったが、千尋は見て見ぬ振りをした。
「煉獄、どうだ?禰豆子はよく働いただろう?」
「ああ!竈門少年、今回の件で俺は確信した!俺は君の妹を信じる!鬼殺隊の一員として認める!」
「え……?」
「汽車の中であの少女が血を流しながら人間を守るのを見た!命を懸けて鬼と戦い人を守る者は誰が何と言おうと鬼殺隊の一員だ!」
「煉獄さん……」
千尋は涙を流しそうになっている炭治郎の頭を後ろから撫で、禰豆子の味方がまた一人増えたことに胸を撫で下ろした。
「君の妹も君と一緒に俺の継子になるといい!君たち三人とともにまとめて面倒見よう!」
「ええ!?いや…でも……」
「おい待て煉獄、三人は私の監視下にあるのだが?」
続いた杏寿郎のことばに、千尋は反発する。
三人の管理は憎き胡蝶しのぶに奪われはしたが、彼らの指揮権は未だ千尋が握っており、継子とするのであれば千尋ということになる。
だが杏寿郎は、どう千尋の反発を曲解したのかは不明だが、
「うむ!大丈夫、部下なら大歓迎だ!」
「何が大丈夫なんだ。此奴らは私の部下だ、お前とてみすみす渡す訳には」
「今度生家に来て話そう!父上も君に会いたがってる!」
「いや、だから──」
九死に一生を得るような死闘を経て、改めて互いの関係性を確認した三人。
これにて一件落着───かと思いきや。
轟音。
まるで、至近弾でも着弾したかのような衝撃と振動が地を伝ってきた。
そちらを見れば、随分と遠くにうっすらと人影が消える。
考えるまでもない。
鬼だ。
月明かりに照らされたその鬼と視線が交差する。
ニィ、と鬼は交戦的な笑みを浮かべた。
人間の奥の奥にしまいこまれた、本能の警笛が、大音量で鳴る。
かつての弐と同じような殺気が針のように肌を刺す。
紅梅色の短髪に、上半身は袖の無い羽織一枚。
うっすら月光に反射して見える黄色い瞳に文字が刻まれている。
右眼に上弦。そして左眼には──参。
上弦の参──名を猗窩座。
心臓の鼓動が早まるのを感じる。千尋は直観的に理解した。この鬼は童磨のような剽軽な鬼ではない。全力の殺し合いになる。新人三人を守りきれない。
「お前たち!早く逃げ──」
ドン、という音が聞こえたと思ったら上弦の参が嘴平に迫っていた。
脳裏によぎる死の気配。避けきれない。
ならば。
炎の呼吸 参ノ型 気炎万象
炎の呼吸 弐ノ型 昇り炎天
二人で刀を振い、猗窩座の腕を斬り飛ばす。鬼も頸を斬られぬようにと急停止し後ろに跳ねた。
「いい刀だ」
猗窩座は斬られた腕を急速に再生させ、垂れた血を舐めて言った。
「なぜ嘴平少年から狙うのか理解できない」
「話の邪魔になるかと思った。俺とお前たちの」
「君と俺が何の話をする?初対面だが、俺はすでに君のことが嫌いだ」
横目からでも杏寿郎の不機嫌がわかる。初手に嘴平を狙ったことがよっぽど気に食わないらしい。
「俺も弱者が嫌いだ。弱い人間を見ると虫唾が走る」
「俺と君では物事の価値基準が違うようだ」
「そうか、では素晴らしい提案をしよう。お前たちも鬼にならないか?」
「「ならない」」
当然のように即座に拒否した二人に猗窩座はクククと喉を鳴らし、物定めをするようにこちらを見る。その目は一度杏寿郎を通り、千尋に向かって、また杏寿郎に止まった。
「見れば解る、お前の強さ。柱だな?その練り上げられた闘気、至高の領域に近い。お前たち、名はなんという」
「炎柱、煉獄杏寿郎だ」
「同じく花柱、橘千尋」
「俺は猗窩座。杏寿郎、千尋、お前たちがなぜ至高の領域に立ち入れないのか教えてやろう。人間だからだ。老いて死ぬからだ」
曰く鬼になれば百年二百年三百年と鍛練を続けることができ強くなれる。老いることも死ぬことも、怪我によって鍛練が中断されることもない。鬼こそが自らを高めるには最適な存在だという。
「ならない。人間は死ぬからこそ儚く美しい。君が言う強さが肉体のみを指すの言葉ならそれは大きな間違いだ。この少年らは弱くない。侮辱するな。俺は如何なる理由でも鬼にはならない!」
「そうか。千尋はどうだ?」
「生憎と私は強さも不死も欲していない。それに、日の丸の国民で陽の下を歩けないなんて、私は嫌だ」
「そうか……」
千尋と杏寿郎の答えを聞いて猗窩座は一拍を置き──
「鬼にならないなら死ね」
術式展開 破壊殺・羅針
刹那、猗窩座の姿が消える。
爆音にも似た音を置き去りにして肉迫する彼に対し、杏寿郎もまた日輪刀を握りしめ、吶喊する。
炎の呼吸 壱ノ型 不知火
動き出しで早かったのは猗窩座の方。だが杏寿郎の方がずっと力強く、覇気があった。
まず杏寿郎が猗窩座と真正面からぶつかるのに対し、千尋は少しだけ距離を取り、拳銃を構える。そして杏寿郎が猗窩座と被らない位置で──撃つ。
「──っ!」
猗窩座とて銃撃は予想外だったようで、頭部に二発、胸部に一発命中。銃撃で怯んだ隙を杏寿郎が見逃すはずもなく、即座に奥義を叩き込むが、猗窩座はそれを避けてしまう。
「鉄砲……そうか、お前が童磨の言っていた
童磨という名前を聞いて、千尋は腹がチクリと痛んだのを感じた。
「今まで殺してきた柱の中に炎も花もいなかったな。そして俺の誘いに頷く者もなかった」
死闘を繰り広げているにも拘わらず、喜々として饒舌になる猗窩座は続ける。
「なぜだろうな?同じく武の道を極める者として理解しかねる。選ばれた者しか鬼にはなれないというのに」
口から出るのは鬼という種族への称賛。
だがそれは、千尋の思うところとは違っていた。
「我々は武の道など極めようとはしていないからな!」
「どっちにしろ素晴らしき才能を持つ者が醜く衰えてゆくのがつらい!耐えられない、死んでくれ杏寿郎!千尋!若く強いまま!」
破壊殺 空式
虚空を殴る猗窩座。すると地を蹴って走っている杏寿郎と千尋の下まで、打撃の衝撃が襲い掛かってくる。
一撃でもまともに喰らえば、肉は弾け骨まで砕けるだろう。
応戦しようと、千尋は空中にいる猗窩座に向けて数発撃つが、見えぬ弾丸と威力が相殺され、猗窩座に届くことなく地面に落ちる。
「煉獄!」
「応!」
このまま遠くから攻撃されては首が落とせないと思った二人は、猗窩座が地面に着地する瞬間を狙い、左右に展開。全く同時に走り出し、同じタイミングで斬りかかる。
炎の呼吸 壱ノ型 不知火
花の呼吸 伍ノ型 徒の芍薬
「!」
左右からの同時攻撃。全く隙のない、互いが互いの弱点を補い合い、互いの癖を考慮し合う、完璧な連携。率直に言って素晴らしい連携であった。
並外れた連携力。それが今の二人の最大の優位性であった。
「素晴らしい!素晴らしいぞ!二人とも考え直せ!お前たちが鬼にならなければ、この素晴らしい剣技も連携も失われていくのだぞ!悲しくはないのか!」
「お前も武道の道を歩んだのだろう!ならば分かるはずだ!技は伝承され後世に語り継がれ、私たちを超える才能を持った者が未来でその技を更に昇華させる!そうやって『道』が繋がれてきた!」
「それは詭弁だ!武は己を極めるもの!他人がどうなろうと知ったことではない!最終的に生き残った者が勝者だ!」
破壊殺 鬼芯八重芯
「ッが!」
猗窩座の乱打を、杏寿郎は避けきったが、真正面から斬り込んでいた千尋は全ては捌ききれず、肋にひびを入れられた。
「橘!」
「平気だ!」
衝撃に負け吹き飛ばされた千尋だったが、すぐに立ち上がり刀を握り治す。
炎の呼吸 肆ノ型 盛炎のうねり
獅子の咆哮にも似た唸り声が杏寿郎から上がり、杏寿郎の豪炎が猗窩座諸共前方を大きく薙ぎ払う。千尋からは猗窩座は間違いなく腹を斬られたように見えたが、鬼相手に有効打というには浅過ぎたらしく、千尋が瞬きをした時にはすでに傷は塞がっていた。
風の呼吸 捌ノ型 初烈風斬り
今度は杏寿郎の後ろから千尋が斬りかかり、刀が振り下ろされ斬撃に巻き込まれる寸前に杏寿郎と交代。杏寿郎の影から飛び出た攻撃に、猗窩座に寸のところで反応されるも、右腕を斬り落とすことができた。
「ははは!そうか!お前は風も使えるか!では他にも使える呼吸があるということだな!もっとだ!もっとお前の技を見せてくれ!」
「戦狂いがァ!」
修羅のような戦い好きに、千尋はたまらず悪態をつく。
今まで対峙してきた鬼の中で、猗窩座は類を見ない戦狂いであった。それどこか、欧州大戦でもこんな戦い好きはいなかった。
いや、実際はいたが、千尋の前に現れたのは初めてだった。何故なら、戦い好きは皆、千尋が斬り込む前に榴弾によって散るからだ。戦好きというのは、得てして死に急ぐ。そういうものだ。
だが猗窩座は違った。下手な近代兵器よりも強い煉獄と千尋の攻撃を持ってしても、それを受け流し、受けたとしたも瞬きひとつもしない間に傷は完治し、何事もなかったかのように嗤う。こんなふざけた話があるだろうか
「────ッ!!」
声にならない怒号を上げ、猗窩座の破壊殺・乱式と打ち合う。
杏寿郎の援護の甲斐あって致命傷こそ避けているが、千尋の体は猗窩座によって打ちのめされていた。打撲は数えればキリがない、凄まじい拳撃によってあちこちに擦り傷ができた。
「俺にはわかるぞ!お前兵隊だろう!なら戦場で散っていった仲間を見てきたはずだ!それでいて不死を欲しないとはどういう了見だ!不死の力があれば、より多くの敵兵を殺すことができるのだぞ!」
「戦場をたった一人だけでひっくり返すなど不可能だ!例えお前でもな!」
炎の呼吸 壱ノ型 不知火
今度は杏寿郎が前に出る。
杏寿郎の一番の得意技である不知火は、ただ単純な横薙ぎの斬撃であるが、彼が繰り出すことでそれは大岩をも斬り裂く超斬撃となる。しかし猗窩座の体は大岩よりも硬く、腕を交わせただけで斬撃を防がれた。
だが腕の途中で止まった刀の峰を、千尋が超人的な脚力を持って蹴り飛ばす。
猗窩座は腕と頸を斬られまいと、刀の勢いと同じ力で跳躍し、刀を抜けて森の方へ突っ込んで行った。
「煉獄!」
「応!」
二人はそれを追って森に突入する。夜の森では木々が邪魔をして、月の光も届かない、完全な暗闇。千尋どころか杏寿郎や柱たちでも避ける場所だ。
なので二人は厳重に周囲を警戒ていた。だが夜の戦場では、圧倒的に鬼の方が有利であった。
「──いい動きだ」
突如として猗窩座が千尋の目の前に出現。気がついた時には、すでに猗窩座は拳を振りかぶっていた。
砕式 万葉閃柳
花の呼吸 参ノ型 牽牛花・巻
花の呼吸には対鬼の技術として発展した呼吸にしては珍しく対人用の型も存在し、それが牽牛花・巻であり、剣道でいう巻き上げに該当する。
千尋は即座に小回りの効く短刀に切り替え、猗窩座に牽牛花・巻を放つ。拳は千尋に当たる前に軌道を逸らされ、千尋は腕が上がりガラ空きになった顎元に拳銃を乱射した。
「素晴らしい!武術と近代兵器が融合した近接戦闘か!やはりお前は面白いことを思いつくな!」
脚式 流閃群光
千尋は猗窩座の必殺的な蹴りをなんとか防御するも、その衝撃に負け、後ろにいた杏寿郎も巻き込んでしまう形で森の外に吹っ飛ばされた。
土煙の向こうで、猗窩座がゆっくりとこちらに歩いてくる。
「鬼になれ二人とも。弱者に構う必要はない。俺と永く戦い高め合おう」
一時休戦、と言わんばかりに、猗窩座はこちらに再度鬼化の提案を持ちかけてきた。
鬼と人間──改めて考えても、生物学的に優れているのは鬼の方だ。人間と同じ知能を持ちながら、人間にはない超常的な能力を持ち、それでいて生物界随一の再生能力がある。
日中に活動できないという不利益を完全に打ち消す優位点。鬼は人間の進化の結果であるとも表現できよう。
だがたったひとつ。あらゆる点で鬼に劣る人間にも、鬼に勝る点がある。
それは──
「猗窩座、お前は言ったな。弱者に構うなと」
「ああ、弱者は成長の邪魔でしかない。勝てないと思うや否や、命乞いで誇りを捨て恥を晒す。俺はそれが我慢ならない」
「……やはりそうか。猗窩座。私には貴様が分からん。一体貴様は何を持って武を語る。たった一人だけで、独りよがりの世界では何もできんぞ」
「ああその通りだ。俺は今は一人だ。
「断る!弱者を切り捨てる貴様の武には付き合わん!」
人間が鬼よりも優れている点──それは、ひとえに団結力である。
弱い者も強い者も、互いに手を取り合い、短所も長所も補い合って生きてきた。そうやって幾千年、幾万年と歴史を積み上げてきた。そうやって進化してきたのだ。
だが鬼はどうだろう。鬼は鬼舞辻が反乱を恐れるあまり、団結能力を奪われ、人類にあるまじき暴力性に目覚める。弱きものを切り捨て、強き者には隷属する。
そんな生物に、進化など見込めるだろうか。そんな生物の武に誇りなどあるのだろうか。
「私は血を流し、躓きながら醜くも必死に前に進む部下の誇り高き姿を見てきた!必死に私の背中を追いかける姿だ!諦めることなく必死に進むその姿が、私に勇気を与えてくれる!それが弱者だ!強者は弱者を見て己の原点を思い出し、弱者は強者を見て強くなる!それが人間の生物としての強さだ!団結を失った鬼にはない、人間の強さなのだ!」
桃色の刀を構える千尋が吼える。
肌を焼き尽くすような闘気を放つ彼に、距離を取っていた猗窩座も自然と口角が吊り上がる。
互いに次の一撃の為に構えた。