帝国の鬼狩り   作:ひがしち

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第十ニ話 煉獄家

「まぁほとんど治ってはいますが……あと一月は入院ということで」

 

淡々と、それでいて怒気を孕んだ声音でしのぶが告げ、それに千尋が睨み返す。そしてそれが原因でさらにしのぶの怒気が激しくなるが、千尋は気にせず太々しい表情を浮かべている。

一緒にいる杏寿郎からすれば、ただ治療室の雰囲気が悪くなるばかりで、完全にとばっちりである。

 

「なので、()()()出歩いたり、()()()鍛錬をしたりしないでくださいね?」

 

「いやあ、面目ない!! 俺も柱としてまだまだ───」

 

「静かにしてください、病室ですよ煉獄さん」

 

「すまない、胡蝶」

 

ハツラツとした声を上げる杏寿郎だが、しのぶに鋭い眼光を向けられるや否や、口を閉じた。杏寿郎でもしのぶには叶わないらしい。

 

「よし、では私は自宅療養に移る。煉獄、今度見舞いに来てや──」

 

「何言ってるんですか、貴方もしばらくは入院ですよ」

 

だが千尋にとってしのぶは、いつまで経ってもそしてどこまで行ってもちんちくりんの憎たらしい女で、彼女の言うことなど聞くつもりは到底なかった。

 

「なぜ貴様の言うことなど聞かねばならん。そもそも私は軍病院にいたのだぞ。それを蝶屋敷に引っ張りおって」

 

「何故って、私が医療部隊の部隊長だからです。久邇宮邦彦王殿下のご指名なんですよ」

 

そう言ってしのぶは医療部隊の腕章を見せてくる。

 

軍部は蝶屋敷の薬学と医療技術に目をつけ、まず真っ先に蝶屋敷との協力体制に入ったのだ。

鬼殺隊は陸軍近衛師団との協力ということになっているので、師団長である久邇宮邦彦王殿下がしのぶに医療部隊長を命じ遊ばされ、彼女の下には近衛衛生兵百人ほどが付いている。

 

殿下の御命令ということなので、しのぶが医療部隊長であることは認めてはいるが、それでも千尋が鬼殺隊隊士であるうちは彼女の言うことなど聞きたくない。

……と言っても、千尋は軍人なので、衛兵の恐ろしさは身に染みてわかっている。

 

「……いいだろう。しばらく入院してやる」

 

「分かればいいんです分かれば。じゃあさっさと病室に帰ってください」

 

しのぶにせっつかれ、千尋と杏寿郎はいそいそと病室に帰って行った──その五分後。

 

「しのぶ様ーっ!千尋様と炎柱様がいらっしゃいませーんっ!」

 

「炭治郎さんもいませーん!」

 

「千尋様と炎柱様の荷物も消えてますっ!ああ!く、車がぁ!」

 

蝶屋敷三人娘から、なんと三人が消えたという知らせが入り、しのぶはキレた。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

「よ、よかったんですか!?屋敷を抜け出したりして!」

 

「安心しろ竈門少年!君は橘と俺に連れ去られたと言えばいい!」

 

「衛生兵崩れの女の言うことなどいちいち聞いていられるか!」

 

久々の運転で上機嫌な千尋が、風を切る音に負けじと叫ぶ。

 

無限列車戦から、すでに二月が経過していた。千尋は全身で5ヶ所の骨折・不全骨折、大小合わせ十五の切り傷、6ヶ所の打撲があったものの、人間離れした治癒能力で完治。

杏寿郎も左腕がなくなり、眼球も著しく損傷しているものの、目を見張る生命力で回復、日常生活を送れるまでになって、最近ではこっそり木刀を持ち出して片腕で戦う訓練を独自に始めている。

 

要は二人とも、ほぼ完治しているのだ。

 

そもそも二人ともじっとしているのは耐えられない性分であり、度々出歩いては気を晴らしているのだ。そこで、二人して画策し、蝶屋敷の監視を抜け、炭治郎と共に煉獄家へ向かっているのだ。

 

「お、アレは…」

 

「うむ、千寿郎だな!」

 

「千寿郎……?」

 

向かう先に見覚えのある人物が家の前で箒掛けしている姿を見つけ、千尋と杏寿郎は揃って声を上げる。

 

「俺の弟だ!」

 

「煉獄さんの弟さんですか!」

 

「煉獄と瓜二つだ。見たら驚くぞ」

 

千尋はしっかりと千寿郎の直前で塀に沿って止まる。すると車と兄に気がついた千寿郎は、ぱっと表情を明るくしてぱたぱたと車に駆け寄ってきた。

 

「兄上、おかえりなさいませ!ご無事でなによりです!!」

 

「うむ!ただいま帰ったぞ千寿郎!!」

 

上弦との命懸けの戦いで、この子にも随分心労をかけてしまったと、杏寿郎は内心深く反省した。普段ならば客人に脇目も振らないなんてことはしない子だが、それほどまでに心配させてしまったのだろう。

 

「さぁ千寿郎、兄の客人だ!しっかり挨拶しなさい!」

 

「ぇ、あっ!も、申し訳ございません!」

 

呆然と自分たちを見つめる三者の目に気付いたのか、千寿郎は顔を真っ赤にして慌てて頭を下げ、それでもきちんと自己紹介をしようと向き直った。

 

「っ、す、すみません!煉獄千寿郎と申します!!」

 

「これはどうもご丁寧に!竈門炭治郎といいます!杏寿郎さんには大変お世話になりまして!」

 

「久しぶりだな、千寿郎。大きくなったな。これ、手見上げだ。食べてくれ」

 

「ありがとうございます!お久しぶりです、千尋さん!」

 

千尋はかつてここ煉獄家で炎の呼吸の手解きを受けたことがあり、そのときに千寿郎とは知り合って今でも付き合いが続いている。暇な時は千尋が千寿郎の稽古に付き合ってやるくらいだ。

 

それではと、千寿郎が家の中に案内をした時だ。瞬間、突然割り込んできた怒声に千寿郎の肩が揺れた。

 

「ち、父上…」

 

「父上、ただいま戻りました!!」

 

「そんな奴らに敷居を跨がせるな!杏寿郎、貴様ものこのこと帰ってきよって…!」

 

千寿郎を庇うように前に立つ。割り込んできた人物が千寿郎の教育によろしくないことは、炭治郎でも見てとれた。

 

「大した才能もないのに剣士などなるからだ。だから左腕を失った!どうせ次は死ぬ!愚かな息子だお前は!」

 

「ち、父上!お客人の前でそんなっ、」

 

「黙れ!……橘、お前もだ。なぜ似合わぬ軍帽を被り続ける。極楽に行く前に脱いでおくことだな」

 

「ご冗談を。私にはまだやることがありますので、この帽を脱ぐことはできません。まぁ脱げるならとっとと脱ぎたいものですが」

 

「……ふんっ!死人に口なしというが、貴様の口は果たして死んでも閉まるか見ものだな」

 

それだけ言うと、杏寿郎の父槇寿郎は家に戻った。

 

杏寿郎や千寿郎にはとても厳しいようだったが、なぜか千尋には少し、ほんの少しだけ優しいように見えた。

 

「父上はな、橘に色々貰っているから、あまり強く出れんのだ」

 

「色々……?」

 

「欧州の酒をな。それにここら周辺のほとんどの酒屋には私の息がかかっていてな、私の如何によっては不売もあり得るのだ」

 

「な、なぜそんなことを?」

 

「槇寿郎殿は酒に呑まれて千寿郎の教育を疎かにしたからその報い……と言う面もあるが、単に槇寿郎殿の健康の考慮だ」

 

千尋と杏寿郎は、首を傾げる炭治郎に真相を耳打ちする。

言い切った後、千尋は目を細めて喉を鳴らすように笑い、そして少しだけ悲しそうな目をした。

 

「槇寿郎殿は早くに妻に先立たれ、悲しみに暮れて酒に溺れてしまったのだ。日本人にあるまじき自制心のなさだが、その悲しみは私たちには計り知れない。私は槇寿郎殿が不憫でならんのだ」

 

「はっはっは!そうは言うがな、橘は一度父上を殴っているのだ!」

 

「え、そうなんですか!?」

 

「ああ、悲しみは計り知れんが、それはそれとして酒に溺れる姿に激怒してな。あの時は大変だったな」

 

「まったくだ!だがそれ以降父上は酒を控えるようになった!橘、今更だが礼を言うぞ!」

 

そんな話を通された客までしていると、一冊の本を持った千寿郎がやってきた。

題は二十一代目炎柱ノ書とある。

 

「なんですか?」

 

「煉獄家の古文書だ。代々炎柱の身に起こったことがかなり正確に書いてある。産屋敷殿が保管されている鬼殺隊史書とほとんど内容は一緒だ」

 

「なんで、それを今?」

 

「あの日、列車で話していた『ヒノカミ神楽』なるものについて調べてみたんだ。その結果、この書におおよその答えがあると思って、今日はこの書を読みにきた」

 

千尋は歩き回れるほどになってからすぐに、列車で話していたヒノカミ神楽についてずっと調べていた。日がな一日中帝国図書館に引きこもっては本の虫となり、奥多摩郡雲取山の歴史書と古文書などの文献を読み漁り、それから人脈という人脈を使い調べ上げ、二月ほどでこの古文書に辿り着いたという。

 

因みにだが、蝶屋敷に入院するにあたって、千尋はしのぶに車を没収されており、車持ちだというのにわざわざ帝国図書館まで歩きで向かわねばならなかった。

その分の鬱憤もありの脱走計画だったことを、二人は知らない。

 

「雲取山の古い文献に、里神楽についての項目が合ってな。一ページにも満たない短い紹介文で、戦国の時代から、具体的にいえば室町幕府の時代からヒノカミサマに神楽を納めるようになったことは分かったが情報はそれだけ。それ以上はどれだけ読んでも見つけられなかった」

 

だが、と千尋は言葉を続ける。

 

「神楽ではなく、日の呼吸については情報が引っかかった。火、ではなく、お日様の日だ」

 

「日の呼吸……」

 

炭治郎が言っていたのは『火の呼吸』であるが、そんな呼吸は存在せず、正確には『日の呼吸』である。

 

「ああ、鬼殺隊史書の歴代柱記録に、日の呼吸という現代にはない呼吸を使う柱が記録されていて、まぁ程なくして除隊されたようだがそれは置いておいて、その柱の名は継国緑壱というのだが……煉獄、その名に心当たりがあるな?」

 

「うむ!零式だな!」

 

「零式?」

 

「刀鍛冶の里にある、隊士の訓練用の絡繰人形だ。非常に高度な技術で作られた絡繰人形なのだが、その絡繰人形の名前が、緑壱零式という。情報収集のため、里に姿形を確認する鴉を飛ばし、ようやく帰ってきた返事がこれだ」

 

そういうと、千尋は懐から一枚の紙を取り出して、杏寿郎たちに見せた。紙には緑壱零式がよくスケッチされており、六本腕も正確に描かれているのだが、二人が注目したのは、

 

「……え、この耳飾りって」

 

その緑壱零式の耳につけられている、竈門家の耳飾りと酷似した耳飾りであった。

 

「緑壱零式は戦国時代に実在した隊士を模して精巧に作られているそうだ。身長からおおよその体重、髪の色や表情までもだ。唯一の現実との齟齬といえば、六本腕なことくらいだ。そんな強いこだわりを持った絡繰人形技師が、耳あたりの造形で急に適当になるとは思えん」

 

だんだん難しい話になってきて、炭治郎が頭をフル回転させている様子を見た千尋は、諸々すっ飛ばして結論を話すことにした。

 

「継国緑壱と竈門家には深い関わりがあったと言える」

 

簡単に噛み砕いて話すと、竈門家に伝わっていた『日の呼吸』は室町時代に生きた伝説の柱、継国緑壱が使っていた呼吸と一致する。

代々炭焼きで、鬼殺隊のきの字も知らないような竈門家が独自に発展させたとは考え辛く、それに耳飾りの模様が酷似していることから、この結論に至った。

 

「継国緑壱が生きていたのは今から500年ほど前、室町幕府の時代だ」

 

「………っあ!」

 

「そうだ。竈門家がヒノカミ神楽を納めるようになった時期と重なる」

 

正確にいえば室町幕府の時代は250年ほど続いているので、その段階での断定はほぼ不可能だが、千尋は秘密裏に珠世と接触し、耳飾りを見せて確認。珠世はこの耳飾りは継国の物だと証言した。

 

更に珠世は『日の呼吸』についての証言もしており、ヒノカミ神楽と日の呼吸が酷似していると言った。

 

「だが情報が足りない。そもそも何故日の呼吸は現代では途絶え、さらには竈門家の神楽として引き継がれているのか。おそらく答えは、この二十一代目炎柱ノ書にあるだろう」

 

そう言って、千尋は二十一代目炎柱ノ書を早々に読み始めた。

所々紙が依れて読み辛いのは、これを読んだ槇寿郎が何を思ったのか、破り捨てようとしたからである。情報の継承を重んじていた千尋がそれを阻止。槇寿郎を殴ったのはその時である。

 

それからすぐに千尋は風の育手のところに行ったので、この書を読むのは初めてだが、千尋は驚異的な速読を披露し、たった十分ほどで読み終えた。

 

「……ど、どうでした?」

 

書を読み終え、出されたお茶を煽る千尋に、炭治郎が固唾を飲んで真相を聞いた。

 

「知りたい情報はなかった」

 

「……そう、ですか……」

 

「だが答えに限りなくたどり着けたな」

 

「え!?」

 

「本当か!」

 

炭治郎と杏寿郎が二人して詰め寄ってくるので、千尋は思わず咽せてしまったが、すぐに呼吸を整えて、本の概要を話す。

 

「二十一代目炎柱と継国緑壱の会話におおよその答えがあった。日の呼吸の使い手である継国緑壱は、鬼舞辻無惨をあと一歩のところまで追い詰めたそうだ」

 

「なッ!?」

 

「鬼舞辻無惨を追い詰めたッ!?」

 

千尋の言葉に千寿郎と杏寿郎が驚愕の声を上げる。

 

「本当にあと一歩のところまで追いつめたようだが、追い詰められた鬼舞辻が自身の肉体を無数の肉片にして飛び散らせたせいで、逃げられたそうだ」

 

「それは……凄まじい剣の腕の持ち主だな」

 

「ああ、そのことを聞いた当時の炎柱はかなり気を落とし、これを読んだ槇寿郎殿も深く絶望してしまったのだろう」

 

今思えば、かなりの功績。鬼殺隊史に深く残されるべき話だが、当時の柱たちはそれを失態と捉えたようで、その他の事情も含め、鬼殺隊は継国緑壱を追放したそうだ。

 

「まぁそんなことは置いておいて、重要なのはここからだ。継国緑壱が鬼殺隊を去った後、次々と日の呼吸の使い手が上弦に襲われたようだ。おそらくだが、鬼舞辻は継国緑壱が使っていた日の呼吸に恐怖を感じ、抹殺を命じたんだろうな」

 

「そんなことができるんですか?」

 

「竈門、お前の刀の色は何色だ?」

 

「……っあ!色代わりの刀!」

 

「そうだ。日の呼吸の使い手である証の黒い刀を持った隊士が襲われ、ついには日の呼吸の使い手は継国緑壱だけとなり、更には日の呼吸に関する資料もほとんどが失われた」

 

鬼舞辻は継国緑壱と同じ特徴を持つものを徹底的に排除し、新たなに日の呼吸の使い手も同じように排除した。それにより日の呼吸の技術は失われ、それから派生した炎や風などの基本の呼吸だけが残ったという。

 

「だが継国緑壱も馬鹿ではない。関係が深かった竈門家に日の呼吸を神楽として隠し、鬼舞辻の目を欺いたのだろう」

 

だが結果的に、竈門家は襲われてしまった。それは偶然かそれとも狙われてのことか、この場の誰にも分からないが、不幸中の幸いとして、神楽を継承した炭治郎だけは生き残ることができた。

辛いことだが、仕方のないと割り切ることしかできない。

 

「まぁ最もこの話は、二十一代目炎柱の手記を推理を交えて解釈した話だ。もしかしたら継国緑壱は、竈門家の神楽に影響されて日の呼吸を生み出したのかもしれない。だがどちらにせよ……」

 

日の呼吸とやらどれほど強力なものか、未だ不明なところは多い。

だが一つだけ、確かな情報があるとすれば、鬼舞辻は上弦を総動員させてまで日の呼吸の使い手を壊滅させるほど、日の呼吸を恐れているということ。

 

ならば、やることは一つだ。

 

「竈門、日の呼吸の使い手がお前だけになった以上、日の呼吸を他の者に教えるのはお前にしかできない。鬼舞辻が恐れ消失させようとした呼吸を、現代に復活させられるのはお前だけだ……やってくれるか?」

 

「はいっ!」

 

 

 

☆★☆

 

 

 

「結局、夜になってしまったな!」

 

「あちこち見て回ったからな」

 

「すみません……あんなに奢ってもらって……」

 

「なぁに気にするな。柱なんて目が飛び出るほど給料をもらっているんだ。ここらで散財せんと、逆に税金でとんでもないことになりかねん」

 

「は、はぁ……」

 

あのあと、病院から解放された千尋と杏寿郎は、その解放感から東京のあちこちに炭治郎を連れて周り、そこそこの額を散財した。その結果、太陽は沈んで、あたりは完全に暗闇に飲まれてしまった。

 

(しのぶさん、怒ってるだろうなぁ……)

 

言うまでもなく、無限列車での戦いで負傷した炭治郎は、現在蝶屋敷に入院していることになっており、勝手な外出は本来なら許されないのだ。

同期である嘴平は度々勝手に抜け出しては窓ガラスを割って入り、その度にしのぶに死ぬほど怒られて、普段の彼からは想像できないほど意気消沈している。

 

猪のような彼があそこまで静かになるということは、それだけしのぶの折檻が恐ろしいということなのだろう。

 

「大丈夫だ竈門、私と煉獄に連れ回されたといえば、どうにかなる」

 

「な、なるんですかね……」

 

「なる!」

 

無論、なんともならず結局炭治郎はしのぶと神崎にこっ酷く怒られる羽目になるのだが、それ以上に杏寿郎と千尋は怒られる。

 

「よし竈門、私は離れた場所に車を止めるから、悪いがここから歩いてくれ。流石にこんな時間に病院付近を通行するのはな。煉獄、誘導を頼む」

 

「分かった!」

 

「はい!ありがとうございました!」

 

「ああ、おやすみ」

 

「おやすみなさい!」

 

千尋は炭治郎が蝶屋敷の方に歩き出したことを確認して、何食わぬ顔で蝶屋敷とは逆方向に向かって走り出した。

 

炭治郎には何も言っていないが、二人は普通に蝶屋敷を抜け出して自宅に帰るつもりだったのだ。

そのために蝶屋敷に保管されている自分の荷物を無断で取り出し、さらには抜け出しても遠方に行かれぬようにと隠されていた車の場所も見つけ出して、この脱走計画を練ったのだ。

 

杏寿郎は自分は完治していると心から信じているし、千尋もその上でしのぶが気に食わないので、二人で脱走計画を練ったのだ。

因みにだが、このことを炭治郎が知らない理由は、千尋が炭治郎は嘘が下手だからと知っているためで、計画を知られては漏らされるか止められるので、計画を共有しなかったのだ。

 

そうして車を走らせること二十分ほど。千尋の自宅に到着した。

煉獄家にはすでに蝶屋敷の誰かが張っていると考え、まだ基本的に鬼殺隊の面々には場所を教えていない千尋の自宅に杏寿郎は泊まるという計画なのだ。

 

「ほお!洒落た家だな!近代的だ!」

 

「元々は日本屋敷だったんだがな、妻に合わせて改修したんだ」

 

千尋が欧州に行っている最中に完成したこの家は、あまり人を招いていなかった。招いた相手といえば鈴木と阿南くらいなもので、勝手にきて侵入していった宇髄を除けば、鬼殺隊士で初めて招いた相手が杏寿郎である。

 

「遠慮なく上がってくれ、皆には言ってある」

 

「お邪魔します!」

 

杏寿郎が律儀に家政婦一人一人に挨拶をしながら千尋の家に上がる。

すると家の奥から、日本人ではなく西洋人の女性が歩いてきた。家政婦のような格好ではない、明らかに品格で溢れた格好の女性であった。

 

「煉獄、紹介しよう。私の妻のアドルフィーネだ」

 

「よもやぁ……」

 

杏寿郎は千尋の妻を一目見て、驚きの感嘆を漏らした。彼が結婚したことは知っていたが、二回りほど年上で、まさか西洋人だとは思ってもみなかった。

 

「『紹介するよ。私の同僚で親友の杏寿郎だ』……煉獄、挨拶を頼む」

 

「!鬼殺隊炎柱、煉獄杏寿郎です!君の旦那とは良き関係を築けている!」

 

「『アドルフィーネ、挨拶を……アドルフィーネ?』」

 

杏寿郎に彼が話している言葉はわからないが、どうも様子がおかしいらしい。彼が何度も呼びかけても、アドルフィーネはただその青い瞳をただこちらに向けるばかりで、彼女から自己紹介らしい自己紹介がなかった。

 

「────」

 

「あ、アドルフィーネ?!」

 

アドルフィーネは二人に何も言わぬまま、ため息をついて踵を返して家の奥へと戻っていった。

これには千尋も面を食らって驚愕の声を上げた。

 

だがアドルフィーネはその声を聞いてもなお、歩みを止めることなく、そのまま寝室であろう場所に戻ってしまった。

 

「……すまないな煉獄。いつもはあんな無愛想ではないのだが……よく言って聞かせよう」

 

「いや、きっと俺の所作に何かまずいものがあったのだろう。しかし橘、彼女とは一体どこで?」

 

「アルプス戦線だ。私が負傷したところを助けてくれた老婦の一人娘で、私の隊が撤退するまでにご両親が戦争に巻き込まれてしまい、義理立てで私の妻として日本に連れてきた。誰にも言ってくれるなよ」

 

「ああ、約束しよう」

 

おそらく宇髄は知っているから、自分に言っても無駄だと言おうとしたが、杏寿郎はその言葉を引っ込めた。

 

「まぁ上がれ。酒は出せないが、その代わりに芋料理を出せる。私の欧州戦争での武勇伝を聞いてくれ」

 

「それはいい!ぜひ聞かせてくれ!」

 

「では客間で待っていてくれ。料理を持ってくる」

 

「頼んだ!」

 

千尋は杏寿郎を洋風の客間に通して、台所へ向かう。この時間なら使用人はほとんどが出払った状態のはずなので、料理や飲み物などは自分で運ぶ必要がある。

残っているのは妻専属の家政婦くらいなもので、ちょうど一人、明日の仕込みをしているところを鉢合わせた。

 

「煉獄用の芋料理はこれですか?」

 

「ええ、戸棚にも入っているので、お持ちいたしましょうか?」

 

「いえ、私が持って行きますよ。その仕込みが終わったらお休みください」

 

「そうですか。ではそうさせていただきます」

 

千尋は手に持てるだけの小料理を持って、ふとアドルフィーネのことを思い出し、

 

「そういえば、家内が妙に機嫌悪そうでしたが、何か知っていますか?」

 

そう家政婦に聞いた。すると家政婦は、仕込みの手を止め、まるで蔑むような目で千尋を見た。

祖母くらいの年齢である女性に睨むように見られ、千尋はドキッとしたが、すぐに体裁を取り繕い、気を取り直した。

 

「で、何かあったんですか?」

 

そうまた聞いてみたのだが、

 

「ご自分の胸に手を当てて考えてみては?」

 

そうピシャリと言われて怒られてしまった。たまらず千尋は台所から逃げ出すように飛び出して、客間に向かう。

どうも妻や家政婦たちの態度が変だ。

 

しかしあの言い草から自分に原因がありそうだが、原因らしい原因が見当たらない。強いていえば、こんな時間に帰ってきたことくらいだろうか。

 

なんだろうなと唸りながら廊下を歩き、客間についた。まぁ、原因などすぐに分かるし、向こうもすぐに忘れてしまうだろう。

そう思って、千尋は客間のドアを開けた。

 

「待たせたな煉獄、最初はさつまいもの白和えだ……って煉獄?どうかしたのか?」

 

客間に戻った千尋は、すぐに煉獄がおかしなことに気がついた。いつもの彼なら、さつまいも料理と聞いたら喜びのあまりわっしょい!と叫ぶのだが、どうも静かだ。

 

いつも前を向いて胸を張っている彼が、椅子の上では猫背で俯いてよもやよもやと呟いている。

 

「煉獄?どうかしたの──」

 

「──千尋くん?」

 

その一声を聞いた時、上弦の参と対峙した時より心臓が跳ね上がったのを感じた。

杏寿郎の対面に座っているのは胡蝶カナエ。千尋の唯一の天敵と言ったら失礼だが、千尋が唯一苦手と思っている人物だ。

 

カナエは和かに笑ってこちらをみているが、その奥には般若に様な陽炎が見える。多くの男性隊士を魅了するカナエの笑顔だが、どうにも今は恐ろしい以外の感想が浮かんでこない。

 

どうしてここに、とか。どうやってここを、とか。そんな質問をする前に、カナエが口を開く。

 

「どうしたの?座って。ほら、ここ空いてるわよ」

 

ぽんぽん、とカナエが優しく座る様に指示する場所は、まさかの彼女の隣。座れと言われれば杏寿郎の隣に座るつもりだったのだが、ご丁寧にもその席には、羽織が畳まれて置いてある。

 

「い、いえ……その……あ、確か欧州のワインが届いているので、それを開けま──」

 

「千尋くん──座りなさい」

 

「……はい」

 

千尋と杏寿郎は次の日の昼まで和かに笑いながら説教を続けられ、次の日発見された時は、まるでエジプトのミイラの様になっていたという。




大正コソコソ噂話 説教後

胡蝶カナエに死ぬほど怒られた二人は蝶屋敷に連れて行かれた。
アドルフィーネと家政婦が怒っていたのは、カナエからまだ怪我が治っていないのに病院を抜け出したと説明を受けたから。
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