「本日よりな屋外での訓練を始める。訓練とはいえ油断するな。一歩間違えれば貴様らはまた蝶屋敷に蜻蛉返りだ。だが教わったことを八割以上活かせれば、まずそのような怪我はしない。まずは怪我をしないことが最優先だ」
「「「「「「はい!」」」」」」
「ではまず訓練の概要だが──」
千尋の稽古が始まってすでに二週間が経過した。
課される理不尽にもそこそこ慣れてきた頃、稽古は実践訓練に入ることになり、隊士たちは隊舎の前で千尋の訓示を聞いていた。
今日の訓練はお互いの結束を強めることと身体強化を目標としたもので、訓練の名前を『ダモンとピュティアス』と呼んだ。
内容は二人一組(隊士は三十一人なので、これに入山を入れる)でペアを組み、一人が鉄棒にぶら下がり、その間にもう一人は山道を麓まで走って往復して戻ってくる。途中で鉄棒の者が落ちてしまったら腕立て三十回を課されるし、もちろん、階級が上の者にはそれなりの負荷がつく。
「一連の流れで連帯責任の重要性を学び、信頼関係の精神を深めることが目的だ。仲間を助けてやるつもりで全力で取り組め。もちろん、全て全力疾走だ」
「「「「「「「はい!!」」」」」」」
「ではペアで走る順番を決めて、準備にかかれ。三分後に一周目開始だ」
そうしてその三分後、時間通りに第一班の走り組が一斉に走り出す。
訓練場から麓までは大体一キロほどだが、上り下りの激しい道のりであり、あまり整備されていないことも相まって、千尋でも往復には六分ほどかかる。
それに走らない側は鉄棒にぶら下がるだけかと思いきや、階級に応じて背中に多くの石を背負うため徐々に握力がなくなっていき、最終的には腕がちぎれるような感覚に落ちる。
つまり、どちらもとてもきついのだ。
「落ちるな!ペアが帰ってくるまで堪えるんだ!!」
鉄棒にぶら下がっている隊士に向けて千尋が檄を飛ばす。ぶら下がっている隊士たちは徐々に握力が限界を迎え、身を捩ったり腕を曲げたりして、どうにか楽な姿勢を探しているが、それが原因でさらに腕の力がなくなっていく。
「む、むりだ!」
始めて二分ほどで一人の隊士が鉄棒から落ちてしまい、尻餅をつきながらもすぐに立ち上がる。それを皮切りに四人ほどが鉄棒から落ちてしまい、結局走り組が帰ってくるまで、合計で五人が落ちてしまった。
「落ちた五名とそのペアは前へ!腕立て用意!」
「「「「「「「「「「は、はい!」」」」」」」」」」
千尋は走り組がまだ息を整えている最中でもお構いなしに腕立てを命じ、隊士たちもそれに従って、震える腕で腕立てをした。
そうしてまだ第一班の腕立ての罰が終わらないうちに、炭治郎含む第二班の走り組が走り出す。
炭治郎は鉄棒組で、邸階級ながら追加の負荷を申し立て、自ら大量の石を背負った。
「くっ……!うっ……!」
「がんばれ!もう少しの辛抱だぞ!」
走り組について行った千尋に変わり、炭治郎が鉄棒組に檄を飛ばす。
時間的にはもう走り組は麓に到達している頃だろう。ここからが長いが、もうすでに折り返し地点を過ぎたと考えれば、少しだが気楽になるだろう。
「む、むりだ……っ!」
「がんばれ!落ちたらまた罰だぞ!」
千尋が走り組について行ったので落ちてももう一度ぶら下がればいいと思うが、すでにもう一度ぶら下がれるような腕力はなく、まして見ていないところはぶら下がらないなんて、恐ろしくてできやしない。
「せ、せめて重りをどうにかしないと……!」
「じ、じゃあ、俺に重りを移すんだ!」
重りに苦しめられている隊士を見かねて、炭治郎は石を移し、その隊士の負担を少なくすることを提案した。
これも彼が初日に言っていた仲間を助け合うことだと思い、その提案をしたのだ。
炭治郎は第一班の隊士にお願いをして、背負っている竹籠の中の石を自分の竹籠に移してもらい、負担が減った隊士はかなり楽になったようだ。
それから少しして、千尋が第二班の走り組と一緒に帰ってきて鉄棒組を一瞥するなり、声を出した。
「総員整列!」
「「「「「「「はい!!」」」」」」」
千尋は全員を並ばせ、右から左に視線を動かすと、上機嫌そうに口を開く。
「正直、一人くらい落ちているものだと思ったが、よく耐えた。お前たちは私が思っている以上に宇髄のところで鍛わっていたようだな。よって、午前の訓練はこれで終了する。午後の訓練再開まで好きに過ごせ」
「「「「「「「はい!!」」」」」」」
第二班の、とりわけ炭治郎の活躍により、午前の訓練は予定よりもずっと早く終わることとなって、第一班も第二班も安堵の声を漏らした。
「では石の重りはこっちに。また午後も使うからな」
そう言って、第二班が置いた竹籠を持ち上げた時──
「待てェ!!」
千尋からまた怒号が上がった。先ほどの上機嫌そうな表情だったのが一変。修羅のような、まるで戦いにいるときの表情を浮かべている。
解散しようとしていた隊士たちの足は止まり、心拍数が跳ね上がった。何かまずいことがあったか、隊士たちは身の振りを振り返ったが、何も思いあたる節がない。
「この竹籠を持っていたのは竈門、貴様だな!」
「は、はい!」
全員の前で呼び出されたのは、まさかの炭治郎である。
炭治郎はこれまで、折檻されている隊士たちを手助け、全隊士の中でも呼び出しや注意を受けることが断トツで少なかった。
「石が増えているな。負荷を増したのか」
「はい!」
「そうか。負荷が足りなかったのだな。次から貴様はもっと重くしよう……だが!」
突如として炭治郎は後ろに吹っ飛ばされるような感覚に陥った。
もちろん、吹っ飛んでわけではない。千尋が炭治郎の胸ぐらを掴んで、後方の木に押し付けているのだ。
「この竹籠が軽くなっているのはどういうことだ!?」
「そ、それは……」
炭治郎は苦しむ声で、落ちそうになっていた隊士の石を移したことを説明した。もちろん、それは自分から言い出したことであることも。これは仲間を助けるためだと、そう説明した。
だが千尋の腕力は強まるばかり。押し付けられていると聞けば可愛らしいかもしれないが、日本軍の英雄の腕力は凄まじく、炭治郎の肺は強く圧迫され、呼吸すらもままならなかった。
「なにが仲間を助けるだ!浅い思慮でものをいいおって!時透のほうがずっと賢いぞ!」
「は、花柱!!」
炭治郎の苦悶の表情に見かねた、石を移してもらった隊士が千尋に叫ぶ。
いくら柱とはいえ、これ以上の暴挙は許されず、何より助けてくれた炭治郎が苦しんでいる姿をただ見ているだけなどできなかったのだ。
「やり方が乱暴すぎます!それに仲間を思うことを一番に考えろと仰ったのは花柱のはずです!なら、竈門の行動に非はありません!」
「そ、そうです!だいたい、初日から理不尽すぎです!訓練というのなら、徐々に慣れされていくべきです!」
「布団を蹴っ飛ばすのだって訳がわかりません!布団を整頓する能力が、どうして鬼殺に役立つっていうんですか!?」
その抗議の声を皮切りに、他の隊士からも様々な非難の声が上がる。それは今まで溜まった鬱憤を晴らすかのような声だった。
「……そうか」
その非難の声を浴びて、千尋は腕力を緩めて炭治郎を下ろすとともに、大きなため息をつく。
まるで落胆したかのような、だがどこか、予想していたことが起きたような態度だった。
「貴様らのこの訓練における心構えはよーく分かった。今一度、教育する必要性もな……
総員整列!!」
隊士たちは納得がいかないという態度を見せつつも、上官である千尋の命令に従い、二列で並ぶ。
「何故、と貴様らは問うたな。答えは教えてやるが、教えてやるだけは私のやり方ではない。貴様、貴様はこれまでの指導に何の意味があると思っている。貴様なりの思いを話せ」
指名されたのは初日に入山に欠員の報告を怠った隊士。少し間を置き考えて、目を泳がせながら口を開いた。
「じ、自分は基礎作りのためだと思います……音柱のところで鍛えた身体を使えるようにするっていうか……」
「……次、貴様は」
「そ、その……やはり、規律と服従の真髄を体得するため……でしょうか」
「貴様は」
「えっと……」
千尋は並ばせた隊士のうち、無作為に指名していき、一人一人の答えを言わせる。一つ一つにしっかりと傾聴しているようだが、どれも千尋の答えとは違っているようだった。
そうして五人ほどに聞いた後、千尋は炭治郎の前に立ち、また同じ質問をした。
「お、俺は……」
炭治郎は一瞬、口を閉じた。果たして自分のような小心者がこんなことを言っていいのかと思った。もしかしたらこの一言はこの人がやってきたことを否定することになるのではないか。
そう思うと口を開けなかった。
……だが、千尋の真っ直ぐな目を見て、心を決めた。
「……理由なんて、ないと思います」
そう言った瞬間、周囲の隊士が息を呑む音が聞こえ、同時に焦りの匂いも感じ取った。
また叱られる。多くの隊士がそう思う中、予想外にも千尋は落ち着いた様子で、炭治郎は言葉の続きを催促された。
「この前の腕立ての姿勢の座学、橘さんならあんな効率の悪いことしないはずです。それに眠っていた隊士が悪いのですから、その人だけに責任を取らせればいい。でも橘さんはそうしない。それは、隊士たちに理不尽を学んでほしいからではないのでしょうか」
全てを言い切った後、千尋はこちらをしばらく眺め、意地悪そうに口角を釣り上げた。
「正解だ。理由なんてほぼない」
その一言に、隊士たちは激怒した様子で千尋に罵詈雑言を浴びせた。意味もなく理不尽な目に合わせられればこの反応にもなるだろう。
その気持ちは分かるが、炭治郎にはどうにも、もっと何かがあるようにしか思えない。
千尋は一通りの罵詈雑言を聞いた後、拳銃を引き抜き発砲し、隊士たちを黙らせる。
かなり暴力的になやり方であったが、それが一番手っ取り早いやり方でもあった。
「私はお前たちに理不尽を強いる。それはお前たちが理不尽を
曰く、これまで強いてきた理不尽の数々は、鬼殺任務におけるストレスへの耐性を高めるためだと。実際の任務では理屈通りに物事は進まないし情報も不足、時間もなければ人でもない。
鬼殺隊はその兵力の少なさから基本一人、多くても二人での任務が主のため、大半の隊士が団体での任務になれていない。
だからこそ、この稽古で団体生活や行動を叩き込み、全員一丸となって降りかかる理不尽を乗り越えてほしい。いや、乗り越えられるようにならなければならないのだ。
それが千尋が、鬼殺隊花柱ではなく、大日本帝国陸軍中佐としての千尋が、欧州大戦での経験を活かした稽古であった。
「戦争では兵士たるもの自分の命を脅かす状況でも、隣にいる同士を、民間人を助けられるようする。助けられるようにならなくてはならない。そのための稽古だ」
千尋は鋭い言葉を並べながら続けて言う。
「この稽古は、どんな理不尽にも備え、仲間と共に冷静に任務を遂行できるようにするためだ……だがな竈門、お前は他の隊士とは少しだけ余裕があるな。だから余力を残して訓練に挑める。だが貴様はその余力で何をした?ほかの隊士の作業を手伝ったな?」
「……はい」
「いいか竈門よく聞け。コイツらは決してダメな奴ばかりではない。中には継子にもなれるような者もいる。貴様よりも優秀な者の方が多い。だから対応できる理不尽を広げるんだ。それを貴様が理不尽を手伝うと言うことは、その者が理不尽に立ち向かう機会を奪うことになるのだ!貴様がやるべきことは、失敗の尻拭いではなく、次失敗しないように手助けをすることだ!全員ができなくては意味がない!連帯責任の意味を履き違えるな!」
千尋の言葉は、陸軍中佐としての言葉であり、命懸けの戦いをしてきた、大規模な戦争を体験した男の言葉。
「……少し時間が過ぎたな。事後の行動はそれぞれ五分遅れて行動するように。各自解散。昼食とする」
「……はい」
しかし、千尋に対する鬱憤は晴れず、隊士たちはモヤモヤした心を抱えながら、その日の訓練をこなしていった。
☆★☆
「……はぁ」
その日の訓練が終わった後の夜。炭治郎は月夜を見上げ、深くため息をついた。
今日の昼に千尋が言った言葉、あれは全くの正論だった。異論を挟む余地もない。勝つための正論。だが勝つための正論とはいえその正論は……味方を敵に変えてしいかねない。
彼の意図が、隊士たちに伝わっていないのだ。このままでは本当に不満が爆発し、稽古どころではない。収拾がつかなくなる。
それを憂い、またため息をついた時、
「竈門隊士」
「あ、入山さん」
柱稽古指導役の入山曹長が声をかけてきた。
「思い詰めているようだな」
「……はい。橘さんのことで」
「橘中佐は不器用な方だ。人に物を教える才はあるが、人を惹きつける才はない。だから私が補佐についているが、頑固な中佐の補佐は難しい」
「それは……そうでしょうね。座りましょうか」
「ああ、お互い、中佐には思うところがあるのでな」
炭治郎と入山はちょうどいい岩に腰掛け、お互いの思うところを話し合った。どうやら千尋に人を惹きつける才能はないが、入山にはその才能があったようで、とても話しやすかった。
「中佐は、自分の手足となって動いてくれる部下たちがどんな思いを背負っているのか理解しようとしている」
「それは分かっています。橘さんからは、一切の悪意の匂いがしません……するのは、悲しみと苦しみの匂い……この稽古で一番辛いのは橘さんです。ですが……」
「それがいい方向に作用していない」
「……はい」
隊は一人では成り立たず、全員一丸となって動かなくてはいけない。それを千尋は戦場で学び、それを隊士たちにも学ばせたかったのだ。
「入山さん、陸軍の訓練もあんな感じですか?」
「いや?あんな生温いものではないぞ」
(陸軍はもっと厳しいんだ……)
曰く陸軍の訓練では殴る蹴るの体罰は当たり前、海軍では精神注入棒という樫の木でできた棒でしつけ……ほとんど虐待紛いな教育が行われているそうで、その話を聞いたとき、炭治郎は無意識で尻を隠していた。
「我々皇軍は勝利し国家に永遠の繁栄をもたらすための存在……故に、訓練は勝つために行われ、皇軍は勝つための存在だ」
入山は語った。
軍の教育官は、目的や理想に近づくために、部下に勝つためにやれと言い指示を出す。さらに指示を出す人間が真面目で優秀なほど、頑張ればなんとかなると思い込む。
実際、教育官はその頑張りで成功を収めているわけで、部下たちも優秀な者の指示故に従う。
初めはそれでいいのだが、そんな訓練を行うからには、指揮官は部下たちが多大な疲労やストレスにさらされていることに気がつかなくてはならない。
目的のためとはいえ、過大な訓練が続き、過大なストレスにさらされると、疲労や不満の回復には普段の数倍時間を要するようになってしまう。
するといつしか上官の嫌な所ばかりが目につくようになり、笑う余裕はなくなり、余裕を求めて他の者に当たるようになる。今日のようなことが起きたのは、隊士たちが限界を迎え、千尋の言葉に対し深く考える余裕がなくなってしまったからだ。
こればっかりは隊士たちの余裕の無さに気がつけなかった千尋の失態である。
千尋も千尋で新しい教育法に未だ四苦八苦しており、適切な教育ができていないというのが本音だった。
「中佐は軍の訓練を、勝つための訓練から、負けないための訓練へと変えた。まぁまだやり始めのため、未だ橘中佐も慣れていないようだがな」
負けないための訓練。鬼殺隊や軍において、敗北は死を意味する。
そのため、重要なのは勝つことではなく負けないこと……なのだが、多くの隊士がそのことを勘違いしているのが現状であった。
「それでも中佐は、君たちの生活の質を上げ、満足して訓練を受けられるよう、日々努力し訓練を研究しているんだ。橘中佐は、君たちが思うほど悪い人じゃない」
そう思うと、思い当たるものがいくつも上がってきた。風呂や食事の準備など、隊士たちが稽古に集中できるよう、生活面で苦労しないように手を尽くしていたのだ。
千尋だって同じく腕立てをしたり、今日みたいに走行訓練について行ったりしているというのに、少しでも隊士のストレスが軽減されるよう気にしていた。
隊士たちのためにこれまでのやり方を変えて四苦八苦しながらも、罵詈雑言を受け入れ、勝つための組織から、負けないための組織に移行する。
それもこれも……全ては鬼殺隊のため……日本の安全のため。
「入山さん、ありがとうございます」
炭治郎は目が覚めたような感覚を覚え、勢いよく岩から立ち上がると、入山にお礼を言って隊舎の方に向かって行った。
それと入れ替わりで、千尋が獣道から姿を現す。
「入山?こんなところで何をしている」
「夜風に当たっていました。今日はいい月が見えそうだったので」
「……今日は新月で、私には月が見えんが、それでも見えたのか?」
「ええ。暗闇の中でもしっかりと輝く紅い月が。きっと、来年にはさらに良い月になっていますよ」
「……思いの外にロマンチストだな。湯冷めせんうちにさっさと隊舎に戻れ」
「そういう中佐はどこに?」
「山地の警戒だ。鬼が出ては連中が質の良い休息を取れなくなるからな」
大正コソコソ噂話 これまでの花柱稽古
これまで数百名の隊士にも同じように稽古をつけ、その度に同じように反発はあった。その度に入山が隊士を諭し、隊士に千尋の苦労を理解させていた。
入山から言わせれば、千尋もまだまだである。