帝国の鬼狩り   作:ひがしち

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第二話 子孫 下

「あ〜‥‥時透の‥‥」

 

「無一郎。弟の方」

 

「無一郎か。どうした、こんなところで何をしているんだ?」

 

叢から顔を出したのは時透無一郎の方だ。

 

「え〜っと‥‥こっち、こっちきて」

 

「待て、こいつの処理を終わらせてからな」

 

「分かるの?」

 

「‥‥麓の人里に買取屋があるだろう」

 

「はぁ〜‥‥ちょっと待ってて」

 

「?」

 

千尋が時透の言う通りに、イノシシの死体に集る虫や猛禽を払い除けながら待っていると、おそらく家から持ってきたであろうロープと短刀を片手に掲げた無一郎がやって来た。

どうするのかと見ていると、無一郎は徐にイノシシの足にロープをかけ、逆さ吊りにした。

 

「こうやって血を抜かないと、美味しく食べられないんだ」

 

「お前‥‥そんなことできるのか」

 

「よくお父さんが見せてくれたんだ。僕たちには危ないからってやらせてくれなかったんだけど」

 

そこからはもう、目を見張るほど鮮やかな手つきでの作業だった。

短刀の扱いに迷いがなく、惚れ惚れするような作業様子。千尋一人では、この命を無駄にしてしまうところだった。

 

「あれ?おかしいな」

 

「ん?どうかしたのか?」

 

「このメスイノシシ、子宮に新しい出産跡がある…‥ウリ坊って見た?」

 

「いや‥‥それらしい気配はしなかったな。周りを調べるか?」

 

「‥‥いや、いいよ。ウリ坊は肉が少ないし、これから成長するから放っておいてもいい」

 

千尋は無一郎の手腕に感服した。

あまねから年齢は十一と聞かされていたが、その経験は千尋のそれを遥かに凌ぐ。

 

「それで、お前はあんなところで何をしていた。お前の家からはだいぶ離れているだろう」

 

「‥‥うん、それなんだけど」

 

少しだけ、中の空気が揺らいだ気がした。

曰く、無一郎は兄の有一郎に鬼殺隊入隊の話をしてみたそうだ。すると有一郎は猛反発。やれ行くだけ無駄死にだの、果ては自分たちの両親もコケにして。

 

「兄さんは怒るけど。僕にその才があるなら、やってみたいって思ったんだ」

 

「…そうか」

 

「思っただけなんだ。それを言っただけ。なのに、あんなに怒ることないじゃんか」

 

むっすりと不機嫌を顕にする表情は、完全に拗ねた子供のそれである。兄に怒りを向けられたことが余程応えたのだろう。

 

けれども、千尋は有一郎の気持ちがなんとなくだけれどわかってしまった。どの程度まで聞いているのかは知らないが、鬼殺の現場は過酷を極める。常に誰かが死に、その死を踏み台に鬼を斬る。

 

行かせたくないに決まってる。

 

有一郎は聡い子だ。悟ったのだ。わかってしまった。

命の保証なんて、鬼殺隊にはないに等しいと。

 

「…なぜ怒ったと思う」

 

「知らないよ。僕が無能で無駄だからでしょ」

 

「貴様に兄がそういうのなら、そうなのだろう」

 

「…なんだよ、それ」

 

先程よりも分かりやすく頬を膨らませる無一郎に、千尋は息をついて言葉を続けた。

 

「兄と話せ。それだけのことだ」

 

「…やだよ。もう、ひと月もまともに話してないんだ」

 

「それでも話せ。後悔したくないのなら」

 

「…」

 

「明日のことなんて、誰にも分からないのだから」

 

無一郎の物言いたげな視線に素知らぬふりをして、日も暮れるから家の中に入るよう促す。夜の山は危ない。杣人の仕事をしているのだから重々承知の上だろう。なにかを言おうと開きかけた口を閉じて、家の方へと帰っていった。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

「‥‥暑い」

 

千尋は布団から出て呟いた。

今日は異常に蒸し暑い。隊服を脱いで、シャツ一枚で寝ていても、滝のように汗が出てくる。

 

ここの所暑い日が続いていたし、警邏中も水分補給のために立ち止まることが多くなっていた。そして、日も随分と長くなった。夏本番といったところだろう。

 

「‥‥散歩にでも行くか」

 

このままでは眠れないと踏んだ千尋は、日輪刀を抱え藤の宿を出た。

 

千尋は基本的に夜に鬼殺の任務をこなすことはない。

本人からすれば、むしろ暗くて戦えない夜を戦場として選ぶのは愚かであり、むしろ自ら死にに行っていると。

 

ただ、他の隊士からすれば、理屈こそ理解できるが、それが可能かどうかはまた別の問題だと。そもそも昼間、鬼は洞窟かどこか日光を遮光できる場所に潜んでいて、そこはもはや夜と変わらず、なんならその場所は自然とこちらの動きが制限されるので、むしろそちらの方が危険なのだ。

つまり、昼に鬼狩りをするのは、本人の類稀なる斥候としての才能と情報収集能力の賜物であり、決して他人に真似できるような業ではない。

 

それはさておき。

 

「夜もなかなか乙なものだな。町が静かだ」

 

普段夜に出歩くことのない千尋からすれば、夜の町というのは新鮮なもので、月光だけを頼りに歩くのも、たまにはいいと、千尋は夜に酔う。

そんな酔った足取りで、気がつけば千尋は、あの時透兄弟が住む山にまで足を運んでいた。

特段意味はないのだが、なんとなく、ここ最近寄っている場所なので、足が自然と向いたのだろう。

 

「うーん、ここも暑いな」

 

夜といえどまだ暑い。山に入った分、かなり蒸し暑く、蝉がうるさい。

この調子では、時透兄弟も寝付けていないのではと、千尋は思った。あの兄弟のことだ。起きている時は四六時中口論をしているに違いない。

 

千尋にも実家には多くの兄弟がいる。しかし、そうか。鬼殺隊内の家庭状況を考えると、千尋はだいぶ恵まれているのだろう。

両親は健在だし、兄弟だって皆生きている。

たまには休暇をもらい、京都に帰ってみるのもいいかもしれない。

 

「‥‥臭い」

 

生暖かい夜風に乗って流れて来た匂いに、千尋は鼻を塞いだ。生臭くて、それでいて獣臭い。それにこれは糞尿の匂いも混じっている。それも一つや二つではない。

風で流れて来ているから詳しいことはわからないが、匂いの強さから、発生源は一つではないことがわかる。

 

「猟師か?いや、夜の狩は禁止されているはず‥‥」

 

千尋はこの状況に違和感を感じた。

この臭いは十中八九死体の臭いだろう。死の臭いを感じることに今更違和感はない。問題はそれが『なぜ夜に感じるのか』だ。

 

千尋の言う通り、夜の狩猟は禁止されているし、そもそも夜に猟を行ったのなら、こんな腐ったような臭いはしない。この臭いはかなり長時間放置されたような臭いだ。

最初、獣同士で殺し合い、殺された方が放置されたのだろうと思ったのだが‥‥

 

「──っな!これはっ!」

 

臭いの素を辿った千尋は、殺されたウリ坊らの遺体がばら撒かれていたのを目撃した。

体の模様からして、昼間に斬ったイノシシの子供だろうか。

 

その様子は無惨なもので、胴体から後ろが噛みちぎられ、ハラワタが引き摺り出されている。頭に至っては原型も留めていないほど潰されていて、どれもウリ坊としての特徴があまりなかった。

 

「この殺し方‥‥野生のクマや他のイノシシではない‥‥鬼かッ!」

 

千尋はウリ坊の死体から、この山に鬼が潜んでいることを察知した。

他の野生動物に食われたのではない。それは、このウリ坊の肉があまり食べられていないからだった。

 

鬼という生き物は人間しか食すことはない。

ごく稀に、口寂しさを紛らわすために他の肉を貪る個体はいるが、噛むだけ噛んだ後は吐き捨ててしまう。

自然にはまだ美味いものがあると言うのに。人間が弱い生き物だと、鬼は気づいているのだ。

 

「まずいっ!!」

 

ふと我に帰った千尋は、弩に弾かれたように走り出した。

この山に、この付近に鬼がいるのなら、まず狙われるのは時透一家だ。鬼はなぜか女子供をよく好む。子供しかいない時透一家は、鬼にとっては極上の獲物だ。

 

「信濃!周囲の隊士に緊急救援要請!カナエ殿はあまね殿の護衛に専念なさるよう伝達を!」

 

走りながら信濃に指示を出し、抜刀した。

持って来たのは日輪刀のみ。上は洋服のシャツ一枚だし、下に至ってはハーフパンツ。当然だが、隊服なんて宿に置いて来た。気を紛らわすくらいの気持ちの軽装で外に出たのが間違いだった。

 

「──いたッ!」

 

予想通り、時透家の前に鬼はいた。戸に手をかけたところを横から思い切り蹴り飛ばした。唐突な攻撃をもろに喰らった鬼は、それでも瞬時に殴りかかる。咄嗟に左腕で防御する。

メキメキ、と言う鈍い音が一帯に響く。だが、千尋はなんとか耐えた。その二本足でしっかりと立ち、鬼の着物を掴み、そのまま投げ飛ばした。

 

目の前の鬼を見据えながら、千尋は冷や汗が止まらなかった。あと、あと数瞬遅れていたら、と焦燥感が足先からじわじわと上がってくる。

千尋に投げ飛ばされた鬼はガバっと起き上がると頭を掻きむしりながら怒鳴る。

 

「テメェ鬼狩りかァ!?邪魔してんじゃねぇぞ!こっちは腹減ってむしゃくしゃしてんだよ!!」

 

「知るかッ!」

 

怒鳴られた千尋もまた怒鳴り返す。

いまさっきの一撃で、千尋の左橈骨は折られてしまった。鬼の攻撃を凌ぐだけで精一杯だ。通常であればこんな鬼、すぐに片付けられるというのに。

 

「た、橘さん?」

 

か細く震えた声が、攻防を繰り返す千尋の背後から聞こえた。

気取られたその一瞬が命取りだと、何度となく刻んできたはずなのに、意識を逸らしてしまった。

腹を深く抉った痛みに、一瞬動きが鈍った。

 

「、中に入れ!!!」

 

覗き込んでいた二人の子供に鬼が飛びつきにかかるのを、すぐさま追って蹴りつける。同時に上がった血飛沫と、子供の悲痛な叫び声に、ひやりと背筋が凍った。

 

「兄さん!!」

 

「っ、有一郎無事か!?」

 

しっかりと鼓膜を揺らしてくれる声に、大したことはなかったらしいと安堵しつつも、このままでは埒が明かないため鬼から目を離さずに声を上げた。

 

「裏口から走って逃げろッ!!」

 

日輪刀が月光を反射し、一閃の軌跡が空に残る。

右手のみでは頸を斬れないと判断した千尋は鬼の目を狙い、うまい具合に鬼の目を斬ることができた。だが浅い。今は悶えているが、そのうちすぐ再生される。

 

「行くぞッ!」

 

千尋は時透兄弟を担いで走った。

左腕が折られた現状、右腕だけでは力不足で頚椎を斬ることは出来ない。なら、今できることは増援の隊士が到着するまで時透兄弟を守りきることだ。

 

「橘さん!脇腹が!」

 

「口を閉じろ、どっちか!」

 

「無一郎だよ!」

 

「黙っていろ無一郎ッ!」

 

千尋はキレ気味に答える。

走りながら後ろを振り向くと、鬼はいまだに潰れた目の再生に手間取っているようだ。

 

千尋は近くの巨木の影に滑り込み、息を整える。

一度息を吸って吐くだけで、左腕がズキズキと痛む。脇腹に関してはとめどなく血が流れてくいる。

 

「アンタ‥‥血、血が‥‥ッ!」

 

「黙れ、無一郎」

 

「有一郎だ‥‥ッ!」

 

千尋はもはや息も絶え絶えである。

誰がどう見ても、もうすぐで死ぬ。これから登る朝日を拝めるかどうかの瀬戸際だった。

 

「クッソ‥‥蚕の方が手強かった‥‥あんな雑魚で死ねるか‥‥ッ!」

 

千尋は血を吐きながら、脇腹の傷を塞ぐ。

 

「だ、大丈夫なの?橘さん」

 

「問題ない。人はそう簡単に死なん」

 

千尋は精一杯に強がりを吐いた。死んではならん。

このまま死んではこの子達が負い目に感じてしまう。まだ生きられると、偶像でも示しておかなくてはならない。

 

「どこ行ったァ‥‥あのクソガキども‥‥絶対全員殺す‥‥ハラワタを引き摺り出してやる‥‥」

 

その声を聞いた時、千尋は、全身から汗が噴き出るのを感じた。

日輪刀はあれど、両手で振ることはできず、もはや鬼を斬り殺すことは出来ない。

もはや逃げ隠れするしかない‥‥

 

(‥‥わけねぇだろォ!!)

 

千尋はシャツを脱いで傷を塞ぐように胴に巻き付ける。

 

たしかに、この瞬間この場で鬼を殺すことは難しい、というか不可能だ。このまま隠れていても、いずれ見つかるだろう。

だが時間をかければ、増援が来るまで時透兄弟を守り切れる。

 

「お前たち、俺が飛び出たら藤の家紋の宿まで走れ。下の町にあるはずだ。俺の名を出せば信じてもらえる」

 

「ッアンタもその怪我じゃ!」

 

「俺も日本男児だ。この程度の怪我、気合いでどうにかしてみせるさ」

 

「‥‥いやだっ!僕も戦う、僕たちが本当に始まりの剣士の子孫なら、やれるはず!」

 

「無一郎!」

 

「やらなきゃ!このままじゃこの人死んじゃうよ!」

 

「俺たちが立ち向かったって死ぬだけだ!この人に任せた方が生きれる!」

 

無一郎は勇敢な子だ。自ら恐怖に立ち向かい、自らそれを乗り越えようとする姿勢を見せる。

有一郎は聡い子だ。合理性が高く、無意識のうちに最善策を選んでいる。

 

二人で協力し、手を取り合えば、苦難はないだろう。

やはり、この二人をここで死なせてはダメだ。

 

「──そこかァッ!!」

 

「行けッ!」

 

「行くぞ!無一郎!」

 

「い、いやだっ!戦うんだ!」

 

千尋は二人に逃げるよう指示を出し、刀を構えた。

右腕だけの、片手上段。千尋の得意の型ではないが、今はこれしかない。

 

「死ねぇッ!クソガキィッ!!」

 

「シャアッ!!」

 

水の呼吸 漆ノ型 雫波紋突き

 

気合いの裂帛による突。

右腕だけで刀を振っては中途半端な一閃になると、千尋は突きを選択した。

 

その突きは、見事に鬼の心臓を貫き、勢いそのまま鬼を突き飛ばす。千尋の突進力は鬼にぶつかっても衰えず、鬼が木にぶつかるまで、止まることはなかった。

急いで刀を抜き、続いて技を出す。

 

「テメ、この!」

 

「朝まで斬り刻んでやらぁっ!」

 

風の呼吸 肆ノ型 昇上砂塵嵐

 

低い姿勢で地上から空中に向けて、舞い上がる砂塵の様な斬撃を連続で繰り出す。

姿勢は見事。太刀筋も美しい。

だが片手で、しかも適正ではない技では、鬼の骨を断つことは出来ず、鬼に細かい切り傷をつけることしかできなかった。

 

「ちょこざいなっ!!」

 

「〜〜ッ!」

 

鬼の膝を胸にモロに喰らった千尋から、声にならない声が漏れ出る。

今の一撃で、胸骨が折れた。幸運にも、その折れた胸骨が肺に刺さることはなかったが、このまま激しい動きをすれば、それも時間の問題だった。

 

「〜〜効くかそんなへっぴり腰でェ!」

 

花の呼吸 弐ノ型 御影梅

 

再び、気合いの裂帛が鳴る。

一秒にも満たない時間の間に、五つの斬撃が鬼を襲った。鬼はなんとかしてその斬撃を防ごうとしたが、手ぶらの鬼は両腕を犠牲に防ぐしかなく、ついに千尋は鬼の腕を断つことができた。

 

「なっ!」

 

花の呼吸 伍ノ型 徒の芍薬

 

今度は九つの斬撃。上下左右から敵を取り囲む様に放たれる為、回避するのは困難である。

千尋はその九つの斬撃全てを頭部に集中させた。一撃では頸を断つことは不可能でも、九つの斬撃なら、可能性が──

 

「───」

 

一つ目、二つ目と、三つ目の斬撃が再び鬼の頸を斬る寸前、千尋の動きが途端に鈍くなった。

その瞬間に千尋は刀を捨て、胸を押さえて膝をつく。

 

心臓震盪の症状だった。

 

「‥‥ハ、ハハハ、アハハハハッ!なんだよ、ビビらせやがって!このクソガキが!」

 

心臓を抑え、地面に転がる千尋を足蹴にする鬼。

戦場で武器離してしまった千尋になす術はなく、ただされるがままだった。

 

(こりゃ、もう無理かな……)

 

揺れる視界に瞼が重くのしかかる。ちょっとでも気を抜けば直ぐにでも意識が落ちると直感が伝えてくる。

 

(日は‥‥まだ登らん‥‥増援は‥‥まだ)

 

時間で考えれば、すでに一分くらいは経っている。

二人の足を考えれば、それなりに遠くに行ったはず。運が良ければ、すでに増援に保護されているかもしれない。

 

(それなら‥‥もういい気がしてきたな)

 

身体の節々から冷たくなり、感覚が無くなっていく。

 

(父よ母よ。先逝く不幸者をお許しください)

 

等々耐えきれなくなり、瞼が徐々に落ちてくる。何処が夢心地の様な感覚を覚えながら、意識を闇へ──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その人から離れろォォォォォオオオオオオオオッ!!!!」

 

 

 

──その言葉を聞いた途端、意識が急上昇する。

 

 

何を倒れている。

 

今、鬼に斧一本で立ち向かっているのは誰だ?

 

今、鬼に投げ飛ばされても眼の輝きを失わせていないのは誰だ?

 

刀を拾って今すぐ立て。

 

心臓を叩け。やらねばどのみち死ぬぞ。

 

「寝ている暇なんて‥‥ねェなァッ!!」

 

花の呼吸 伍ノ型 徒の芍薬

 

空気を切り裂く音が一瞬だけ聞こえた。

その一瞬で、鬼の胴体を一文字に斬り、上半身と下半身に切り分けた。

 

「な、まだそんなに──」

 

首を半分斬られてたじろぐ鬼を傍目に、地面にしゃがみ込み脚に血液を送り込む。

 

「ア゛゛!ア゛゛ア゛゛゛゛ア゛゛゛゛ッア゛゛ッ!!」

 

花の呼吸 肆の型 紅羽衣

 

猿叫にも近い叫び声を上げ、それに応じるように振られた日輪刀により、鬼は四肢を失った。

千尋は、両腕で刀を振るっていた。

 

無理やり動かした左腕が痛む。それ以上に、激しい動きをしたせいで脇腹から血が噴き出てくる。

このまま戦えば、命の前借りで千尋は早死にする。

──だが、

 

(それがなんだ推して参れ!)

 

そんなこと、知ったことではなかった。

 

「ヒィっ!」

 

「遅ェよ」

 

四つの体で遠ざかろうとする鬼だが、それ以上の速度で千尋は距離を詰め、肉体を斬り裂く。

 

「待て!待ってくれ!もう人は食わん!頼む、見逃して──」

 

「無理だな。俺も、むしゃくしゃしてるんだ」

 

花の呼吸

 

フゥゥゥという花の呼吸の音が鳴る。

もはや今の千尋に、痛みだとか、疲労感だとか、そんなものを感じることはなかった。

あるのは、ただ後ろの子供を守りきる意思のみ。

 

陸ノ型 渦桃

 

花吹雪が、花の斬撃が、鬼の頸を斬った。

体の疲れは、それほどない。だが限界だ。消滅した鬼を最後まで見届けてから、千尋は膝をついた。

 

血を失いすぎたか、夏だというのに寒気がする。

四肢の末端に力が入らない。刀を掴んでいるだけで精一杯。

止血の呼吸を試してはいるが、すでに失った血の量が多すぎてまさに焼け石に水だった。

 

時透のどちらかが千尋に言葉を投げかけているが、その声も、まるで水中にいるのかと思えるほどに遠く聞こえ、まして返答する気概などとうに底を尽きていた。

 

(今度こそ、これはやばいな)

 

気合いの一戦はそう長くできるものではない。

もはや今の千尋に自らを治療を施す体力はなく、そもそも治療の道具さえ持ってきていない。詰み、だった。

 

(もっと、美味いもんを食いたかったなぁ‥‥)

 

「こ、こっちだ!こっち!急いでくれッ!」

 

(‥‥この声、どっちだ?‥‥まぁ、どっちでもいいか)

 

時透のどちらかの声が嫌に耳に響く。けれど、既に視界は黒一色で何も写す気配は無い。そんな中、落ち葉が踏まれる音が耳に入る。

千尋はすぐにそれが増援であると察した。

 

(‥‥あれ、待てよ。この足音って──)

 

この足音、聞き覚えがある。自分の直属の上官の足音。

何故ここに、と聞く前に、千尋の自我は闇の中へと落ちていった。

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