二対の鬼がほぼ同時に首を取られたことから、吉原遊廓全体に影を落としていた帯の傘が解け、日光が吉原全体を照らした。
「……戦闘終了か」
千尋は深くため息をついて、力を振り絞って野戦砲の排莢の操作をした。
猩々緋砂鉄と猩々緋鉱石をふんだんに使った、特別製の対鬼用砲弾。たった一発だけの支給だったが、上手く決められた。
終わった。そう思うと、千尋の心臓は穏やかな鼓動に落ち着き、その瞬間に、急激に毒が回り始める。
(くっそ!アドレナリンと阿片が切れたか!)
千尋はアドレナリンによって毒の周りを通常の十分の一以下に押えていた。だが激しい戦闘の末、急速に代謝が行われ、短時間にアドレナリンのほとんどが大概に排出された。
なら毒も一緒に出て欲しいものだが、そこは鬼の毒。普通の毒よりもずっと体外に出にくかった。
(まずい!このままじゃ──)
千尋は膝をつき、大量の油汗をかいて地面に伏した。唇が青白くなり、瞳孔が不安定に、体の痙攣が止まらない。
「禰豆子!!」
その瞬間、千尋の身体が業火に包まれた。
千尋は燃料に塗れ焼かれて死んでいった仲間を思い出し、必死にその火を消そうと試みたが、ふとその火が熱くないことに気がつく。
熱くない、むしろ優しく暖かく、徐々に身体の毒が消えていくのを感じた。
この炎に千尋は覚えがあった。鬼だけを焼き、浄化する聖なる炎。
禰豆子の血鬼術だ。
そうして数秒、毒が完全に消えるとともに炎が消え、アドレナリンの過剰摂取の副作用は治らないものの、たちまち体調は回復した。
「大丈夫ですか橘さん」
「ああ、助かったぞ禰豆子」
千尋は禰豆子の頭を撫でてやると、禰豆子は満足そうに笑を零した。
「宇髄さんも処置しました。俺は鬼の首を探します。確認するまで安心できない」
「それは私もやろう。部下が首を見つけたそうだ」
千尋が顔を向けると、そっちの方から部下の近衛兵がこちらに走ってきていた。
「橘中佐、鬼の首を見つけました。日陰で言い合いをしていますが、もうすぐ消滅します」
「案内してくれ。完全消滅は私と竈門で確認する」
千尋の言葉に答えた近衛兵に二人はついて行く。
遊郭は散々な風景だった。長い間歴史を紡いできた吉原遊廓はその絢爛さを失い、瓦礫の山と化し、まるで戦場のようだ。
しかし血の匂いはしない。特務隊が無事周囲の民間人を避難させたようだった。
その時、炭治郎の鼻が微かな鬼の匂いを捕らえた。
匂いが強くなるにつれ、遠くから声のようなものが聞こえてきた。なにか言い争っている。そんな声だった。
「何倒されてるのよ!?アンタまで倒されたらおしまいじゃない!!」
「はぁ!?そういうお前だってやられてんじゃねぇか!!」
耳を澄ませてみれば、それは聞くに堪えない罵詈雑言の嵐だった。首を囲うように小銃を構える近衛兵たちも、それを見て困ったような表情を浮かべ、駆けつけた千尋に指示を乞うような目線を送っている。
「なんで助けてくれなかったのよ!」
「俺は柱二人と兵隊共の相手をしてたんだぞ!!」
「だから何よ!なんでトドメを刺しとかないのよ!頭でもかち割っとけばよかったじゃない!!」
「行こうとしてた!四郎兵衛が生きてたから先に始末しようと思ったんだ!そもそもお前はなんで何もしてないんだよ!もう一人の柱にトドメくらい刺しとけよ!」
「じゃあそういうふうに操作すれば良かったじゃない!それなのに何もしなかった!油断した!!」
「うるせぇんだよ!仮にも上弦だって名乗るんならなぁ、手負いの下っ端くらい一人で倒せ、馬鹿!!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる二人だが、既に頸は少しずつ崩れ始めておりもう永くないことを物語っていた。
しかし、耳障りなことには変わりない。苦しそうな表情を浮かべる炭治郎に対し、千尋は眉間に皺を寄せ、何かを決心したような表情を浮かべた。
「…… アンタみたいに醜い奴がアタシの兄妹なわけないわ!!」
加速する堕姫の罵詈雑言に妓夫太郎はショックを受けた様子で目を見開き、すぐにその顔が怒りで歪む。
そんな様子に千尋は大きくため息をついた。
「アンタなんかとはきっと血も繋がってないわよ、だって全然似てないもの!!この役立──」
役立たず、と堕姫が叫ぼうとしたとき、その途中で銃声が響いた。
いくつもの鉄球が堕姫の顔を貫通し消滅を早め、事態が呑み込めないまま、彼女はこの世から姿を消した。
「梅ッ!!お前、なんてこ──」
続けて銃声が響き、今度は妓夫太郎が妹の堕姫──否、梅と同じように消滅した。
銃声の正体はウィンチェスターm1897。発砲したのは不死川玄弥ではなく、口論を煩わしく思った千尋だった。
「なにを!!」
「これ以上は時間の無駄だ。それに最後の抵抗で何をされるか分からん。さっさと殺して沈黙させるのがいい」
そう言って千尋はウィンチェスターの薬莢を回収し、近衛兵たちに撤収を命じた。
「千尋さん……貴方は一体、彼らをなんだと思っているんですか」
「敵兵だ」
千尋は炭治郎の問に簡潔に答えると、さっさと散弾銃を玄弥に返し、衛生兵の手配を進める。
彼は今の行為をなんとも思っていないようだった。
炭治郎は数日前に千尋が言っていた言葉の意味を今になって理解した。
戦争の日常化。
千尋は優秀な兵士だ。いくつも勲章を貰い、外国では英雄と持て囃されている。
だが若くして、あまりにも多くの死を見すぎた。味方の死も、敵の死も、文字通りその目で見てきた。
一瞬の躊躇いもなく敵を撃ち殺し、味方の死に取り乱すことのない優秀な兵士。
もうそこに、優しい千尋はいなかった。
☆★☆
上弦の陸討伐から二週間後。
「やあ、みんな。今日は緊急の招集に応じてくれてありがとう」
集った現柱の面々を前に耀哉は優しい声音で言う。
「すまないこんな格好で」
そう言って口元に笑みを浮かべる耀哉。その姿は痛々しく、顔の爛れた様な痣が鼻の下あたりまで広がっている。もはやその命が幾許もないということは、誰が見ても明らかであった。
「さて、知っての通り、上弦の参に続いて陸も討たれた。これは鬼殺隊創設以来の快挙だ。千尋、天元、また改めて礼を言うよ」
「滅相もありません。鬼を滅してこその鬼殺隊。今までよりも少しばかり強い鬼を倒しただけで、礼を言われるようなことは…」
「多くの者の犠牲と協力があってのことです。私たちだけ礼を聞くのは申し訳ない」
頭を下げた耀哉に対して、礼を言われた二人は謙虚な姿勢で礼を返した。そんな面々の気配に耀哉はそっと微笑み「それでも」と呟くように言い
「短期間で上弦が揃って二体、いや三体も倒せたことは喜ばしいことには違いない……それで、今回の緊急の招集はね、吉原での決戦で起きた事柄を、皆に共有しなくてはと思ってね。千尋、天元、吉原での任務のこと、話してくれるかい?」
「それは橘の役目でしょう。あの現場は、橘が指揮していましたので」
「千尋、お願い」
「っは。では私から話させていただきます」
千尋はあの時の事をなるべく事細かに柱たちに話した。まるで小説を音読しているように丁寧に。
「以上がそれぞれの部隊長らの報告書を読み判明したことを交えての総報告となります」
全ての報告を終え一息ついた千尋に、実弥が噛み付く。
「……近衛兵の活躍はよく分かった。だがなんでその面子に呼吸が使えない無能のカスがいる」
「誰のことか分からんな。近衛師団には呼吸を使えない者が四百人余りいるが、それぞれができることを見つけ任務に着いている。私の部下に無能などいない」
実弥が誰のことを無能と言っているのかすぐに分かったが、彼は断じて無能などではない。
彼の力がなければ、地下に囚われた宇髄の妻や花魁たちを助けることは出来なかった。
彼の名誉のために、千尋は強く否定する。
「それで、産屋敷殿。共有しなければならない事とは?」
「そう……千尋、君は上弦の陸との戦いで、独特な紋様の痣が出たそうだね」
「痣……?そんなものは戦闘後の検査では確認できませんでしたが……」
「いや、たしかに出てた。俺が派手に証言する」
「いつだ?」
「近衛兵が到着したころだな」
千尋は知らないが、あのとき千尋の顔には、たしかに桜模様の痣が出ていた。
「その痣について産屋敷家に保管されていた始まりの呼吸の剣士たちの手記に記録が残されていたんだ。ただそのほとんどが言い伝えな上、鬼殺隊がこれまで何度も壊滅させられてきたこともあってその伝承がどれも曖昧なんだ」
千尋はそこで、何故どいつもこいつも技や技術の伝承を軽じるのかと頭に青筋を浮かばせたが、今それを言っても仕方がないと気持ちを落ち着かせた。
「そこで、この世代で初めて痣を発現させた千尋に痣の発現方法を教えて欲しいんだ」
耀哉の言葉で他柱たちからの視線が自分に集中していることを感じるが、千尋は首を横に振った。
「ご期待のところ申し訳ありませんが、その『痣』なるものが私に出た理由は人工的な要因が大きいと思われます。宇髄、私の痣が出たのは、歩兵連隊が到着した前後なんだな?」
「ああ、間違いないぜ」
「ならば私に痣が出た理由は明白。アドレナリン注射による強心作用でしょう」
あの時の千尋は持っていたアドレナリン自己注射をほとんど使い、酸素中毒寸前になるまで酸素吸引を繰り返した。百年以上前の剣士たちがアドレナリン注射を使っているはずもなく、これはかつての痣の出現法とは全く違っていた。
「私に投与したアドレナリンは量にして5mg*1。三分のうちに全てを打ち切りました」
「そんなことをしたら命に関わります。何をしてるんですか」
「私はこれで上弦と戦った。早死にすると言うのならその通りだが、戦場で死ぬか数年後に死ぬかなら、十分に効果は認められたはずだ」
それだけではないと、千尋は付け加えた。
「全集中の呼吸よりもさらに数段、大量に酸素を吸引する必要があります。だから一般隊士では痣の出現は無理でしょう。あと痣の出現後、全身に激痛が走りますので、阿片などによる痛み止めも必要でしょう」
「そうかい。でも痣が出た者がいるというのは確かな事実。実はね、痣の者が一人出ると共鳴するように周りの者にも痣が現れると、これだけははっきり残されているんだ」
「人工的でも出せるので、他の柱たちもすぐに出せるでしょう」
その言葉を聞いた後、耀哉は少しだけ嬉しそうな表情を浮かべたが、すぐに悲しそうな表情に変わった。
「ただね、痣の訓練については皆んなに話さなくてはいけないことがあるんだ」
「なんでしょう」
「もう痣が発現してしまった千尋は選ぶことはできないけど、この話を聞いて、痣を発現させるかどうか、自分で判断して欲しい」
一泊置いて、耀哉は悲痛に満ちて口を開いた。
「痣を発現した者は、例外なく──」
☆★☆
「そうか……二十五までの命か」
「はい。私は今十八なので、長くてあと七年といったところでしょう」
柱合会議のあと、千尋は阿南と夕食とり、近況について話した。
耀哉から話された痣についての情報はおおよそ二つ。
一つ目は痣者が一人出ると、それに共鳴するように周囲の者にも痣が出始め、鬼殺隊の戦力強化が望まれること。
二つ目は……痣者は、例外なく二十五まで生きられないということ。
千尋は一口水の飲み、心情を吐いた。
「もとよりこの国の平和のために使うと誓った命。私は灯火が消えるまで戦い続ける所存です……ですが、私の行動の末の未来が見えないことは、残念でなりません」
「はっはっは、君は強いな。もし私が君と同じ歳で二十五までの生きられぬと言われたら、きっとやさぐれていただろう」
「いえそんなものでは。しかし、私もタダで死ぬつもりはありませんよ」
「そうだろうな。君はそういう人間だ。もがけるだけもがくといい」
「ええ」
二人の談笑は続く。
「奥さんの様子はどうだい?たしか欧州人だったはずだね」
「日本に慣れてきています。この前、寿司を食べてみたいというので食べさせたら、生魚に驚きながらも美味しそうに食べていました」
「それはいい。今度、妻の綾子と会ってみてくれないか?」
「ええ是非」
「その時は長野にどうだ?仕事の片手間だが、きっと素晴らしい休暇になると思う」
「長野ですか。いいですね。きっと妻も喜んでくれます。しかし仕事とは?」
「宮城を有事に備えて長野松代にも作ろうという話が出ていてね、その視察なんだ」
「松代大本営ですか。信州と神州をかけたあの」
「そうそう。ただの言葉遊びに付き合わされるこっちの身にもなって欲し──」
「失礼します!!」
突然。千尋と阿南が居る個室に、近衛兵が駆け込んできた。只事ではなさそうな様子に、二人はすぐに目付きを変える。
「どうし──」
「三十分前、近衛師団司令部庁舎が鬼によって
「何を言って」
「既に死傷者多数!!将校下士官共に対応に当たっていますが、数が圧倒的に足りません!!」
「……大臣はなんと?」
「大島閣下は日本国内の治安回復と近衛師団参謀らの保護を目的に第1師団の出動を命令!既に第1師団は司令部に向かっております!!」
伝令兵の言葉を聞いて、難しい顔をしていた千尋が、堰を切ったように指示を出す。
「信濃、付近の丙以上の隊士をすぐに司令部へ向かわせろ。高級将校を優先的に護衛し、可能な限り救出するんだ。柱は私が到着するまで現場の指揮を取り、近衛兵の秘密文書を回収し私の屋敷に回せ。君、第1師団は司令部庁舎を取り囲み、外に出ようとする鬼を逃がさぬよう伝えてくれ。護衛中の将校とはいえ人間であることが確認できなければ決して通すな」
「は、はい!」
伝令兵が部屋を出ていくのを見てから、千尋も大慌てで戦闘の準備を始める。
「千尋くん、君の武器庫を解放するんだ。私の名で武器の無制限使用を許可しよう」
「はい!」
武器の無制限使用、それは民間への多少の犠牲は許容し、勝利に徹しよという命令だった。
千尋は手早車のエンジンをかけると、アクセルを目一杯踏み、司令部庁舎に向かった。
向かう先は、地獄ばかりだ。