帝国の鬼狩り   作:ひがしち

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第三話 栗花落カナヲ 上

これは、少し前の話だ。

いつものように千尋が任務から帰ってきたとき、自室に見知らぬ幼女がいたのだ。

 

これに千尋は酷く狼狽した。部屋を誤ったと思い、御免と猫のような反射神経で扉を閉めた。だがそこは紛れもなく自分の部屋。立札も自分のもの。ならば誤っているのは向こうのほうか。

いや、そもそも誰だあれ。あんな幼女、千尋の知り合いにはないかったはずだ。もしかして、任務先で知り合って、縁あってここに来たのか?いや、それでも自分の部屋に神崎が入れるだろうか。

 

そうしてしばらく考え、このままでは埒が開かんと再び扉を開け、改めて幼女と向き合う。

念の為、扉は開けておく。

 

「き、貴女は、何者か」

 

幼女相手には少し硬い言い方だとは思うが、相手が何者かわからぬ以上は下手に出るに限る。

 

幼女は相変わらず真顔で、じっとこちらを見つめるばかり。

時々瞬きをするが、それ以外はなんら一切の動きが見られない。そればかりか、返答すらない。

もしかしたら、聞こえていなかったのだろうか。

 

「貴女は……君の、お名前を聞いても?」

 

もしくは難しかったのだろうと言い方を砕き、少し近づいて喋った。

だが幼女は変わらずこちらを見つめるばかり。ここは自分の部屋だと言わんばかりの図太さだ。

 

「こ、ここは私の部屋。私に何か用なのか?そして君は誰だ?」

 

さらに言い方を砕き、幼女に目線を合わせて喋った。

しかしいずれも反応はなく、こちらをじっと見ている。正直、精巧な人形といわれた方がまだ納得はいく。だが時々不規則に瞬きをしているところから、彼女は生きていることがわかる。

 

(‥…聾*1か?)

 

そう思い、千尋は紙を一枚手に取り万年筆でさっきと同じ質問を書き、それを見せた。

だが幼女は当然のように無反応であり、紙を一瞥後また千尋を見つめた。

 

(…‥盲*2か?)

 

いや、それこそありえない。盲であれば目を動かしことはないはずだ。

 

(…‥うん?)

 

千尋は己のベッドに置かれた手紙を見つけた。字の特徴と、いまだに筆を使っているところから、この手紙はカナエが書いたものだ。

慌てて手紙を開き、読んでみるとそこには、

 

『子供が増えました』

 

とあった。

手紙の冒頭がこれである。薄々感じていたが、彼女はだいぶ浮世離れしている。彼女は鬼殺隊の柱である。鬼の頚を斬り、妹と共に暮らしていた。邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。けれども人の心には人一倍鈍感であった。

 

それはそうとして。

 

千尋は丁寧に手紙を読み返す。

かなり要約すると、『人売りから女の子を買いました。きっと貴方と歳が近いので、親睦を深めてください』だ。

少し任務で離れただけでこうなるか。千尋にはカナエとしのぶの心がわからなかった。

分からない事は、棚に上げるのが一番である。兎にも角にも、胡蝶家に新たな住人が増えるのは決まった。事情はどうあれ、これは喜ばしい事だ。

 

まずは自己紹介から、と思ったとき、ふと千尋は彼女が小刻みに震えていることに気がついた。

墨がかなり乾いていることから、ここに来てだいぶ時間が経っていることがわかる。

 

「……厠か?」

 

申し訳程度に聞いてみたら、なんと今度はしっかりと頷いた。

千尋は焦燥に駆られた。まずい、ここで催されるのはなんとしても避けなくては──

 

「誰かーッ!女性隊士を呼んでこーいッ!!」

 

そうして駆けつけた神崎が大慌てで幼女──栗花落(つゆり)カナヲを厠に連れて行った。

千尋は蝶屋敷に駐在するようになって半年の出来事であった。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

蝶屋敷は居住区と医療区、そして訓練区の三つに分けられる。

今千尋がいるのは、医療区の中の食堂であり、そこで件の少女、栗花落を囲っていた。

 

「改めまして、蝶屋敷の新しい家族、栗花落カナヲでーす!」

 

「わ〜!」

 

「可愛いです〜!」

 

「新しい家族〜!」

 

「「……」」

 

栗花落を長方形机の短い辺の方に座らせたカナエは、彼女のことを仰々しく紹介した。

しかし栗花落は相変わらず無表情であり、じっと対面に座るしのぶのことを見ている。先も同じことを思ったが、精巧な人形であると言われたら本当に信じてしまうほど動かない。時折瞬きしているのが生きていることの唯一の証明になるほどに。

 

「じゃあ、自己紹介ももう一回しましょう。私は胡蝶カナエ。よろしくね?」

 

「寺内きよです!」

 

「中原すみです!」

 

「高田なほです!」

 

「ほら!二人も!」

 

「胡蝶しのぶ。胡蝶カナエの妹よ。よろしく」

 

「……橘千尋、カナエ殿の継子だ。よろしく頼む」

 

千尋は栗花落をまるで危険物かのような目で見た。

それは栗花落に嫌悪感や悪意を抱いているからではなく、どう扱えば良いのか分からなかったからだ。

 

「それじゃあ、自己紹介も済んだことだし、食べましょうか」

 

「「「「「「いただきます」」」」」」

 

今日の神崎の料理はいつもより少し豪華だ。

それぞれの面々の好物が、少なくとも一品は出ている。生姜の佃煮や鰻など、一見食い合わせが悪いように感じるものも、神崎独自のアレンジにより、見事な品々と変化した。

 

「千尋くん、任務はどうだった?」

 

「能登の山奥での任務で、猿のような鬼でした。血鬼術は使わず大岩や小石の投擲を主力とする厄介な鬼で、討伐に相当手こずりました」

 

「どうやって倒したの?」

 

「地元の猟友会に協力を仰ぎ、なんとか」

 

「猟友会に頼むなんて、考えたわね」

 

千尋の戦術は基本にとらわれず、柔軟に変化されるとよく評価される。

今回だってそうだった。鬼殺隊はその機密性から堅気に手を貸してもらうことはないのだが、千尋は猿の猟について詳しい猟友会に取り入り、熱心な協力のもとに鬼を倒した。

頭の柔らかさというべきか、それこそが千尋が齢13で丙まで上り詰めた理由である。

 

「大丈夫なんですか?見ず知らずの人に鬼殺を手伝わせたりして」

 

「無論、厳重な口封じをしてきた」

 

「な、何したんです?」

 

「酒をいっぱい買って飲ませて記憶を飛ばした。朝方、記憶を確認したが、綺麗さっぱり記憶を消していた」

 

「……そうですか」

 

しかし当然のことながら鬼殺隊の情報公開は制限があり、今回協力した猟友会はその制限を超えてしまった。

そもそも、刀を携帯している以上、鬼殺隊の話は噂程度でなければならず、それ以上の情報公開は日本の混乱を招いてしまう。それ故の、口封じの措置だった。

 

「……鬼?」

 

するとそれまで黙っていた栗花落が口を開いた。

全員が一瞬ギョッとしたような表情を浮かべたが、ああそうかと千尋が栗花落に説明を始めた。

 

「鬼って、あの鬼?」

 

「ああそうだ。私たちは日本全国に蔓延る鬼を狩ってる」

 

「どうやって?」

 

「刀で……いや、藤の花をやると、鬼は大人しくなる」

 

「どうして?」

 

「鬼は藤の花を嫌う。だからだろう」

 

千尋は嘘の情報を教えた。

真実を教えてやっても良かったが、鬼を知らない女子供には、鬼狩りの真実は残酷で悍ましい。刺激が強すぎるのだ。

しのぶが少し咎めるような目で見てきたが、千尋は睨み返して黙らせた。

 

そうして栗花落歓迎会は、栗花落が満腹になり、さらに嘔吐寸前までいったことでお開きとなった。

 

 

 

☆★☆

 

 

栗花落が蝶屋敷に来て一ヶ月が経った。

一ヶ月経って知ったことだが、栗花落は自分で物事の判断ができないようなのだ。

 

栗花落は才女だ。それもそこらの才女ではない。わずか一月で日本語を覚え、文字を覚え、算盤を覚えた。そればかりか、千尋が興味本位程度で教えていた英語までも話せるようになってきた。

まるで華族女学校の生徒のような学習吸収速度だ。

 

だが自分で自分のことを決められないのは、正直言って致命的だ。

もう十を過ぎた子がいちいち銅貨を投げて行動を決めるのは、異常と言える。

その行動の理由は、勝手なことをすれば親から殴られ蹴られ虐待を受けたからというのだが、少なくともここには栗花落をわざと害そうとする者はいない。

そこの分別がついていないのは、やはり致命的だろう。

 

それはそうと。

 

「あれは焼きとうもろこし。あれはくじ引き。あれは…絵草紙か。どれか好きなものを言え」

 

「お金のことは気にしなくていいからね〜。私、このためにいっぱいお給料もらってるの」

 

「姉さん!あんまり甘やかさないでよ!この年で贅沢覚えたら、将来大変なことになるのよ!」

 

勉強もそこそこに、今日は縁日。

近くの神社で多くの夜店が開かれる。元々、物珍しい物や美味しい物には困らない東京がさらに賑わうのだ。京都出身の千尋にとっては少し豪華すぎるくらいだが、地域差と思えば面白い。

 

「橘さん!向こうに飴細工がありました!」

 

「あ、ああ。行くか」

 

いつもは冷静沈着な神崎も、今日この日ばかりは下の三人娘を引き連れて、祭りを存分に満喫している。普段とのギャップに、千尋は若干引き気味だったが、たまにはこういう日もあるかと、おとなしくついていった。

 

「それで、カナヲの勉強はどうなんですか」

 

「極めて順調だ。文字の読み書きもできるし、英語も話せるようになった。奴の学習能力は、私も目を見張るものがある」

 

「でも…」

 

「ああ、自分で判断できなければ、どれだけ言語を習得しようが意味がない。自分で判断する訓練をと思い、この縁日に連れてくようカナエ殿に進言したのだが…」

 

「ただ姉さんが楽しんでるだけに見えますけど…」

 

千尋は絵草紙を見てはしゃいでいるカナエをみて、難しい顔をした。

先ほども千尋が言った通り、この縁日に来たのは栗花落の自己判断能力を鍛えるためで、千尋もそれをカナエに伝えてあるのだが、カナエは栗花落が見たもの全てを買っていて、栗花落の自己判断というより、カナエが散財しているだけだ。

 

神崎や三人娘は完全に付き添いなのでこの縁日も目的は告げていないが、カナエには確かに伝えた。伝えたというのにこの始末。もはやこの甘やかしは御家芸とも言えるだろう。

 

「…‥まぁ、私も少し腹が減った。カナエ殿の散財に、付き合うとしよう」

 

「そうですね…あ、お腹は空けておいた方がいいですよ」

 

「…何故だ?」

 

「あの子達、まだ自分の胃の容量がわかってないので、お祭りになるとはしゃいでいっぱい頼んじゃうんですよ」

 

「……なるほどな」

 

確かにしのぶの言う通り、三人娘を筆頭にカナエが異常な量の飲食物を買い、どう見てもきつそうな顔をしている。

神崎が呆れながらもなんとか食べているが、それも時間の問題だろう。そうなると、残飯の処理は自ずと自分かしのぶ、というか、しのぶもかなりの少食なので、ほとんど自分に来るだろう。

 

「はぁ…」

 

「もうお腹いっぱいですぅ……」

 

「でも美味しい……」

 

「でももう食べられないぃ…」

 

「ほら」

 

「……本当に来た」

 

言わんこっちゃないと、千尋は軽く悪態をつきながら、回ってきた屋台飯に手をつける。屋台飯は往々にして美味いものばかりだが、それほど多く食べたいものでもない。端的に言って、味がしつこいのだ。

しつこい味にうんざりしながらも、育ち盛りの男子の胃袋が猛威をふるい、あれだけあった屋台飯をあっという間に平らげた。

 

「どうだ。貴様は何か欲しいものは見つかったか?」

 

「……わからない」

 

最近、簡単な受け答えができるようになった栗花落から、平坦な声が上がる。それを千尋は嬉しく思いながら、栗花落に答える。

 

「そうか。だが躊躇するな。カナエ殿はこの世で最も給料をもらってる女性と言っても過言ではない。本当になんでもいいぞ」

 

「……」

 

探しているのだろうか。中々返事が返ってこない。それから三人娘がまた甘味を買い、ようやく栗花落は屋台を指差した。

 

「……あれ」

 

「あれか。あれは…シャボン玉売りか」

 

栗花落の指差す先を辿ったら、そこはシャボン玉売りの屋台だった。

よし、と千尋は栗花落を連れてシャボン玉の材料を買い、栗花落に手渡した。栗花落は渡されたシャボン玉の材料をジッと見るだけで、何もしない。

 

「もしかして、やり方がわからないのか?」

 

「……うん」

 

「爺さん、もう一つ」

 

「毎度あり」

 

千尋はシャボン玉売りからもうひとつ買い、栗花落に手本を見せる。

 

「いいか、この筒状の植物シャボン玉の液に浸し、静かに優しく息を吹き込むんだ。シャボン玉が弾けて目に入らぬよう気をつけろ。痛いぞ」

 

千尋が手本として麦わら*3を吹くと、麦わらの先からぷくーっと五色に光るシャボン玉が出て、それを見た栗花落は急いで真似た。

だが息の勢いが強すぎて、シャボン玉は麦わらから離れることなく割れてしまった。

 

「吹く息が強すぎたんだ。ゆっくり、羹を冷ますように優しく、ゆっくりだ」

 

「優しく……ゆっくり」

 

今度は力加減に気をつけて、麦わらに息を吹き込む。

すると栗花落の目ほどの大きさのシャボン玉が姿を現し、そのまま天高く飛んでいった。そしてまた栗花落は息を吸い、同じように吐くと、今度は小ぶりのシャボン玉がいくつも出て、また同じように天高く飛んだ。

 

「ははは、上手い上手い」

 

人立の中からしゃぼんふいととび──人々の喧騒の中からシャボン玉が飛び出す様を詠んだ句だ。

今はまさにその句にぴったりな情景だった。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

それからも粉物を中心に買い込んだり、どこに需要があるのか分からない装飾品を買ったり。めいめいが楽しんだ。いつもは硬い表情の千尋も、今ばかりは少し頬が緩む。

とはいえ、ずっと遊び続ける事も体力的な問題でできない。軽い休憩も兼ねて、一旦人混みから抜け出して、適当な路地に入った。

薄暗い路地で女性陣が話し込む傍ら、千尋はそっと輪を離れる。

 

女の集団の中に男がたった一人。

侍らせているように見えるかもしれないが、これが意外と体力を使うのだ。当然その悩みを当の女性陣らに打ち明けるわけにもいかないので、そのことは終ぞ千尋のみが知る悩みであった。

 

「どうした栗花落。向こうに行かんのか?」

 

「……向こうにいると、カナエ姉さんがいっぱい買っちゃうから……いらないのに」

 

「ははは、そうだな。そっちの方がいい……貸せ、ちょっとくらい持ってやる」

 

気がつくと、両手いっぱいに屋台の商品を抱えた栗花落が、自分のすぐそばに座っていた。

栗花落も栗花落で、初めての祭りにひどく疲れたようで、普段は能面の如き表情の硬さが、今では少しくたびれている。

 

「なんで?」

 

「うん?」

 

「なんでこんなに優しくしてくれるの?」

 

「カナエ殿は熱烈な博愛主義者だ。誰彼構わず愛を振り撒く。例えそれが男であろうが女であろうが……そして鬼であろうとも」

 

「……」

 

説明を聞いた栗花落は、しばらく黙り、また口を開いた。

 

「……違う」

 

「は?」

 

「私は、あなたのことを聞いてるの」

 

「私?」

 

栗花落は千尋を指差し、また再び同じことを問うてきた。

曰く、知り合ったばかりの自分になぜここまで親切にしてくれるのか、不思議に思ったらしい。

 

「……簡単な話だ。私が受けられなかった教育を、これからの未来を背負う貴様らに受けさせたい、その一心だ」

 

「受けられなかった?」

 

「ああ、私は尋常小学校を卒業後、すぐに鬼殺隊の育手を転々とした。そして気付けば、年ばかり取り、もうまともに教育も受けることができぬところまで来ていたのだ」

 

「尋常小学校?」

 

「そこからか」

 

千尋は乾いた笑いを浮かべながら、軽い身の上話を栗花落にした。

 

「京都の実家を勘当同然に飛び出して、明日食らう飯のためと鬼殺隊を志したのが運の尽き。鳴かず飛ばずの四年間。今ではこうして鬼狩りだ」

 

「……家族は?」

 

「母と姉と妹。私が家を飛び出す直前に弟が生まれたが、顔は見たことがない。全員京都の実家にいるだろうな。死んだと言う話は聞かん」

 

「……そう」

 

千尋はどこか悲しそうな、未練がましいような目で虚空を見つめていた。

時折こうして家族のことを思い出す。事情があって勘当同然で飛び出したが、ここまで育ててくれた恩はある。例えその家の敷居を跨ぐことが今後叶わなくとも、家の繁栄を願い、今後を想うことは許されているはずだ。

 

「鬼殺隊…」

 

「うん?」

 

「私も、鬼殺隊になれる?」

 

その言葉を聞いた時、千尋は顔から血の気が急速に引いていくのを感じた。

鬼殺隊に入る?誰が?なんのために?

 

「滅多なことを言うな…‥お前が?鬼殺隊に?せいぜい鬼の保存食が関の山だ」

 

「でも」

 

「でも?何が『でも』だ。お前は計算もできるし、英語も喋られるじゃないか。これから日本は世界の波乱に巻き込まれる。他言語が喋られる者は、例え幼女であっても貴重な存在だぞ。わざわざ危険な世界に入るな」

 

「……鬼殺隊に入るの、反対?」

 

「ああ、断固として反対だな」

 

「……そう」

 

それだけ言うと、栗花落はカナエの方に歩いていった。

嫌われてしまったかと後頭部を掻く千尋だったが、元々好かれるために動いてはいないと思い出す……が、やはり嫌われるのは少し心が痛む。

 

「…はぁ」

 

千尋はいっそう疲れたと、ため息をついた。

任務でもないのになぜこんなにも疲れなければならないのか。もう部屋に帰って寝たい、熱めの風呂に入って心休めたい。

そんなことを思っているときだった。

 

「もし。神社はどちらか、聞いても?」

 

初老の老人の声だった。珍しい。地元の小さな祭りに観光客が来るなんて。

千尋は腰掛けから立ち上がり、老人の方を見て、酷く驚いた。

 

立襟燕尾服に付けられた幾つもの勲章、黒い線が入った黄色の帯に三つの星が規律正しく並んでいる。

帝国海軍軍司令部長、鈴木貫太郎その人であった。

 

「もし?」

 

「ぁ、ああ、失礼しました。神社ですか。神社は向こう、八幡宮です」

 

「ああ、ありがとう。行こう、アナン、石原」

 

「鈴木閣下は健脚ですな……」

 

「なんのこれしき。訓練兵時代を思い出すなぁ」

 

何故ここに、とか。

何故自分に、とか。

聞きたいことが絶えないが、鈴木とアナン改めて阿南、そして石原はさっさと千尋が指差した八幡宮に向かって歩いていった。

 

千尋は緊張の糸が切れ、よろよろと近くの柱に手をかける。

今日は色々と疲れることがあったが、一分にも満たない今の時間が、一番疲れた。

 

「ち、千尋さん、大丈夫ですか?」

 

「あ、ああ。いきなり大将に話しかけられるのは堪える。すまんが、少し離れる」

 

千尋といえど流石に今のは堪えた。

疲労困憊な千尋は、どこかおぼつかない足取りでさらに人気のない場所へ足を運ぶ。もはや疲労を超えて頭痛までしてきた。

 

「ぁあ……全く。なんたって大将がこんな場所の縁日に」

 

鈴木は名の知れた遊撃の海軍大将、阿南と石原という人物には覚えがないが、服装と階級章を見るに中尉以上の人物たちだ。日本一厳しいと言われた士官学校をはじめ予科練学校を卒業した怪物たち。日本軍のトップ層だった。

そんなエリート軍人たちがこんな田舎の縁日になんのようだと考えたが、いくら考えたところで将校の思考などわかるわけがない。そもそもの人種が違うのだ。

 

「……ん?」

 

大正の世の東京では珍しい辻便所*4を見つけ、用を足そうと近づく千尋は、祭りの喧騒に混じる子供の泣き声に気がついた。

一瞬面倒とは思ったが、仮にもめでたい日に泣いている子供を放っていい道理などないだろう。

 

「…迷子か」

 

屋台群を抜け、少し竹林に入ったところで、案の定一人で泣いている女の子を見つけた。

 

「こんばんは、どうかしたのか?」

 

「ひっぐ……お父さんがぁ!お父さんがぁ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鬼になっちゃったぁ!!」

 

 

 

☆★☆

 

 

 

鬼になった。

その言葉に反応しない鬼殺隊隊士はいない。

 

例え金のために鬼を狩っているものであっても、その言葉に強く反応し、家族の仇というものは激しい怒りに見舞われる。

千尋とてそれは例外ではない。少女の言葉を聞くや否や隠し持っていた日輪刀の縁に手を反射的に当てていた。

 

「鬼に?」

 

「鬼!鬼になっちゃったのっ!」

 

念の為再度確認を取るが、少女は一点して鬼になったと泣いていた。

もしそれがほんとうならば、少女にとって残酷な選択を取らざるを得ない。鬼殺隊隊士として、少女の父親の仇を取るために、平和な縁日を保つために、鬼は滅する。

 

「詳しい話を聞かせてくれるか?」

 

「うん……」

 

少女は涙を拭くと、少しずつ話し始めた。

 

「お父さん、最近おかしかったの……少し前から私を家に閉じ込めるようになったし、いろんな大人たちを家に連れてきては、私の身体をベタベタ触らせたの。今日だって、せっかくお祭りに来たのに人がいない場所ばっかりいって……」

 

「そうか…今お父さんはどこに?」

 

「多分だけど猟師さんの山小屋にいると思う…」

 

千尋は微かに目を細めた。

話を聞く限り、少女は父親から虐待ないし性虐待を受けているようにしか聞こえなかった。少女が自分に虐待を行う父親を『鬼』と比喩している可能性の方が高い。

しかし虐待は初対面の、しかも素人が見抜けるようなものではない。ここで千尋ができることは、鬼殺隊として鬼の情報を得るために話を聞くだけだ。

 

「お父さんと会っても、絶対に信じないで。言ってることがメチャクチャなの。きっと悪霊か悪鬼に取り憑かれてるの……」

 

「どんな風に?」

 

「私が呪われてるとか、鬼の生まれ変わりだとか、鬼畜とか言い出したのよ!?そりゃちょっと反抗期というか、言うことを聞かなかった時はあったけど、あんなの異常よ…見てよ!この腕の跡!」

 

少女は袖を捲り、手首付近の痣を千尋に見せた。

たしかに少女の手首には内出血の跡があり、それは手のような形をしており、ずいぶん強く掴まれたようだ。

 

「それに……ひ、人も食べるようになって…」

 

その一言を聞いて、千尋は確信した。

確かに人を喰らうのは鬼の絶対的な特徴だ。もし父親が人間であっても、人間社会のため警察に突き出した方がいいのは確かだ。

鬼狩りとは日本国民の安全のためにある。千尋は万年筆を取り出して、手紙を書く。

 

「グスっ……鬼狩りの兄ちゃんお願い……お父さんをどうにかして…お父さん、前はいい人だったの。きっと言ってくれれば分かると思うから」

 

「……ああ、任せろ。信濃」

 

千尋はすぐに信濃を呼び寄せ、カナエに連絡を取る。

楽しい縁日にこんな連絡申し訳ないが、カナエとて鬼殺隊最高幹部、鬼によって子供泣いていると聞いて、すぐにすっ飛んで来た。

 

「千尋くん!」

 

「カナエ殿、こちらが件の女の子です」

 

カナエは駆け寄ってくるなり、女の子に抱きついた。

鬼殺隊の柱として一人で涙を流す女の子を放ってはおけなかったのだろう。

 

「もう大丈夫よ。辛かったわね」

 

「グスっ……うん…」

 

流石年下の女の子の相手を日頃からしているカナエだ。千尋では話をさせることが精一杯だった相手を、もうすでに泣き止ませている。

 

「千尋くん、お…この子のお父さんの居場所は?」

 

「少女曰く、猟師の山小屋にいる可能性があるとのこと。信濃に捜索をさせていますので、見つかるのはすぐです」

 

「山小屋……分かったわ」

 

そう言うと、カナエは戦いの準備を始めた。

それに習い、千尋も私服から隊服に着替える。年頃の男女が外で一緒に着替えるのはどうかとしのぶが騒がしかったが、カナエは無視して、千尋はうるさいと一蹴した。

 

「鬼の位置を特定次第、私としのぶが第一陣として斬り込みます。千尋くんはその後に続いて」

 

「分かりました」

 

少女の案内の元、鬼の元へ向かう三人。

本来であれば鬼の元に民間人と共に行くことはないのだが、少女の強い希望で、カナエと千尋で少女を挟む形で守りながら同行を許可した。

そして五分ほど歩いたところ、空から信濃が戻る。

 

『カァ……』

 

「信濃、どうだった」

 

『南ニ鬼ノ痕跡ガアル山小屋ガアリマシタァ……オソラクソコニイルト思ワレマスゥ…‥』

 

「南…少女の情報とも合致します」

 

「そうね。二人とも、戦闘準備を」

 

「「はい」」

 

カナエの一声で精神を研ぎ澄ます二人。

程よい集中力で周囲の一音一音を聞き逃すことなく、刀を構え山の中に足を進める。この山はすでに鬼の縄張り、いつどこの藪から鬼が襲いかかってきても不思議ではなかった。

 

「…山小屋だ」

 

山小屋を発見した一向は、さらに気を引き締める。

鬼狩りをする時はいつもこうだ。例えどんな雑魚鬼であっても、人智を超越した力を持つことは事実。死ぬ時は死ぬ、強者こそ、そのことが身に沁みてわかっていた。

 

「周辺で鬼のものと思われる爪痕と、足跡を発見しました。足跡はあの小屋に続いています。間違いありません、あの小屋に鬼がいます」

 

「分かったわ、ありがとう……突撃用意」

 

「とっくに完了してるわ」

 

「──突入」

 

カナエの一言で、第一陣が小屋に斬り込む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時に、千尋は少女に斬りかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1
耳が聞こえない人

*2
目が見えない人

*3
当時はシャボン玉の材料となる石鹸が貴重だったため、ムクロジや麦わらなどの植物を利用したシャボン玉が一般的だった

*4
現代で言うところの公衆便所




大正コソコソ噂話

主人公に対する他の人からの一言評

カナエ「忠実でいい子。でもどこか隔たりを感じるからもっと仲良くなりたい」

しのぶ「気に食わない。姉さんの継子だからって調子乗ってる。いつか足元掬って地面に叩きつける」

時透兄弟「命の恩人。憧れの人」

真菰 「驚くほど強い。実弥と一緒ですぐに柱になれる。でも拳銃は危ないから携帯しないで」

杏寿郎「強い!良き友!」

実弥 「強いがムカつく。仲が悪いというわけではないが、戦い方が気に食わない」

カナヲ「勉学の先生」
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