早朝の霧が立ち込める森の中で、俺は黙々と歩を進めていた。
足元から湿った土の匂いが立ち上り、頭上では枝葉が風に揺れて細かな露を振り落としている。
冒険者ギルドから受けた今回の依頼は、薬草採取の護衛だ。
依頼主は辺境の村から来たという若い薬草師で、報酬は決して良いとは言えない。
だが、俺のような駆け出しの冒険者にとって、こんな仕事でも断る理由はない。
「レイさん、こちらです」
前方から声が聞こえ、俺は足を止めた。
霧の向こうから、薄紫色の上着を着た細身の少女が姿を現す。
依頼主のリリアだ。
彼女は長い黒髪を後ろで一つに束ね、腰に薬草を入れる籠を下げている。
大きな青い瞳と整った顔立ちは、一目で人の心を惹きつけるだろう。
「この辺りに、バジリスクグラスが生えているはずなんです」
リリアは薄く苔の生えた岩の近くにしゃがみ込んで、注意深く地面を観察し始めた。
俺は周囲を警戒しながら、彼女に近づく。
「珍しい薬草なのか?」
「ええ、解毒剤の原料として重宝される薬草です。父から、この森に自生していると聞いていたんです」
彼女は生き生きとした表情で説明する。
昨日の事前打ち合わせで聞いた話では、彼女は村一番の薬草師の娘として育ったという。
幼い頃から薬草の知識を叩き込まれ、今では村の診療所を手伝っているそうだ。
「知識豊富なんだな」
「それほどでもありません。まだまだ父には及びませんから」
リリアは少し照れたように微笑んだ。
その表情は、どこか儚げで美しかった。
それから、しばらくは何事もなく薬草採取を続けていたのだが……突然、風向きが変わる。
生暖かい風が辺りに吹き込み、同時に獣の生臭い匂いが鼻をついた。
「リリア、身を伏せろ!」
俺の叫び声と同時に、巨大な影が木々の間から躍り出た。
ライカンスロープ、人狼の姿をした魔物である。
一匹ならなんとかなる相手だが、運の悪いことに群れと遭遇してしまったようだ。
俺は剣を抜き放ち、リリアの前に立ちはだかった。
「レイさん!」
「大丈夫だ。ここは任せろ」
最初の一匹が牙を剥き出しにして飛びかかってくる。
俺は横に身をかわしながら、その首筋に剣を走らせた。
だが、後続の二匹が左右から襲いかかり、俺は防御の体勢を強いられる。
「くっ……」
剣で受け止めた衝撃で腕が痺れる。
この魔物の力は、俺の想定を遥かに超えていた。
だが、ここで引くわけにはいかない。
リリアを守らなければ。
戦いが膠着する中、背後から悲鳴が聞こえた。
振り返ると、もう一匹のライカンスロープがリリアに迫っていた。
俺は咄嗟に走り出す。
「リリアッ!」
牙がリリアに届く寸前、僕は彼女を突き飛ばした。
その瞬間、激痛が右腕を貫く。
ライカンスロープの牙が、俺の肉を抉っていた。
骨を噛み砕く音が耳に響く。
「レイさん! レイさんっ!」
リリアの悲痛な叫び声が響く。
意識が朦朧とする中、僕は残された左手で懐から魔力が込められた爆薬を取り出し、ライカンスロープに向かって投げつけた。
轟音と共に閃光が走り、ライカンスロープたちは一時的に怯む。
「リリア……逃げるんだ……」
「嫌です! レイさんを置いていくなんて……!」
視界が赤く染まっていく。
出血が酷い。
だが、まだ終われない。
俺は這うようにして立ち上がり、剣を構える。
「行け……約束する。必ず追いつくから」
俺がそう言うと、リリアは涙を流しながらも頷いて走り出した。
俺は残された体力を振り絞り、ライカンスロープたちの前に立ちはだかる。
彼女を、守り抜かなければ。
意識が途切れる直前、リリアの姿を見送った俺の目に、遠くの彼女が振り返る姿が映った。
その瞳に宿った何かが、僕の脳裏に焼き付いて離れなかった。