レアルカリア魔術学院の初代学院長、魔術師カロロスは自らの身の丈を弁えた男だった。
星見のアズール、ルーサットが源流を見い出し最初の魔術師になった後、アズールに師事し魔術師となった彼は、早くも自らの限界を悟ったのだ。自身は偉大な師のように何事かを成せる人物などではなく、精々が魔術の発展に寄与する事しかできぬ凡人である、と。
だがしかし魔術師としては秀才の域より脱せぬ身ではあっても、人を集めて志を共有し、荒くれ者を纏めて召し抱える交渉力を有する他、実際に人と物を集め学院を創設する行動力は非凡だ。
魔術師としての己の才を見切り、己の求道に深みを持たせる為に教室を開いて、他者を巻き込み集合知を以てして偉大な魔術師を育て、後進から天才を発掘して知識を得ようとする貪欲さは凄まじいと称する他にない。しかし悲しいかな、カロロスから溢れる情熱の全ては、星見の先にある魔術の探求にのみ費やされ、そこに関係のない事柄にはとんと無頓着だった。
カロロスはマリカ達の来訪の報せを受けると、黄金郷と険悪な関係になれば学院の存続が危うく、また事を構えては学院の本分を妨げると判断して歓迎する構えを見せた。そしてマリカ達が学院の防衛戦力、カッコウの騎士達の狼藉を示すと、騎士達の素性を知るカロロスは強く否定できない為に謝罪こそしたが――ローデイルと同盟を結び、魔術を軍事力として運用するべしという話には難色を示した。
カロロスからしてみれば当然の話である。
自分達は魔術の真髄を彼方の星に見い出さんとして、迫害や妨害を避ける意図も含めて学院を開いたのだ。魔術師達の寄り合い所帯に過ぎない彼らには、未だ学院への帰属意識は薄く、無理に戦争へ駆り出そうものなら離散してしまいかねない。率直に言って学院の存続が困難になるのが目に見えていた。
これで創立より暫くの年数を経ていたならば、幾らか話も変わっただろう。だが流石に今は組織としての歴史が浅く、団結力の希薄さが学院側の首を絞める事態となっているのだ。
故にカロロスは否と答えるしかない。けれどもそれは、彼らの実情を知ったマリカにも理解できる話であっても、レアルカリア魔術学院の戦力が無視できないのは動かぬ事実である。味方にできれば相応に役立つだろうし、星見の魔術、源流というものにも興味が湧いたからだ。
交渉は難航した。カッコウ騎士の狼藉を盾に迫るマリカと、なんとか同盟の締結を避けようとするカロロス。互いに引けぬという思いがあり、故に長引いた交渉に戦士がしびれを切らした。
「いつまでそうしておるつもりだ。マリカよ、お優しいのは結構だがな、首を縦に振らぬ輩は力づくで従えた方がてっとり早かろう」
物理で解決するべし。蛮人であるゴッドフレイからすれば、お行儀よく相手の要求とこちらの希望をすり合わせる交渉は生温いのだ。欲しいものがあれば力で奪い取る。それが彼のやり方で、蛮地の勇者であるゴッドフレイの物言いはカロロスに緊張を齎した。見かねたマリカがゴッドフレイを窘める。
「自らより強い者に従うのは戦士の定めなのだろうが、彼らは戦士ではない。力で従わされたなら一時は服従しても、後に必ず災いとなる。それは私の本意ではない」
マリカの言は正鵠を射ていた。というより彼女自身が鮮烈な恩讐の念を、未だ色褪せさせずに懐いているのである。人の恨みというものは簡単にはなくならないとマリカは実感していた。
だからこうして辛抱強く交渉しているのだ。力の弱い者――というには魔術師は強すぎるが、肉体的な強さを持たぬ点ではマリカと似ている。ゴッドフレイも馬鹿ではない、自らの担ぐ神輿にして伴侶の言っている事は呑み込めていた。その上でどうでもよさそうに吐き捨てる。
「フン。そもそもがカロロスとやらの自業自得であろうが。人が集まり、知を束ね、識を広めて更に集めんとする貪欲さは買うがな、人が集まればどうやっても物が集まる。物が集まれば有形無形の宝が生まれる。宝があるなら奪おうとする輩も集まるものだ。それを見越しての騎士共なのであろうがな、身を守る為の力すらも他の何かを引きつけるものだぞ。今まさに俺達が学院を訪れたようにな……そしてレアルカリアは俺達に借りがある」
「……何が仰っしゃりたいのですかな?」
カッコウ騎士の迂闊さが仇となっている。舐められたら殺すのだ、この戦士は。舐めた張本人はもとより、駄犬を放し飼いにしていた上役も同罪である。
こうして悠長な交渉を一時でも眺めていたのは、あくまでマリカの顔を立てていたに過ぎない。思い通りにならぬなら殺す、これはゴッドフレイの中で決定事項になっていた。
ゴッドフレイの醸し出す濃密過ぎる暴力の気配に、輝石の杖を握る手を強張らせた男が反駁する。圧制者であるゴッドフレイは端的に告げた。
「お前は王にはなれん。致命的に素質がない。野心が内に向き過ぎておる」
「……私は王になどなるつもりはありません。見当違いな事を――」
「間抜け。王なき地に力だけを集め何を守る、どうやって統制を図るのだ。お前がするべき事は、自身らを保護する王を戴く事だろうが」
覇王である。ゴッドフレイは征服者で、略奪者だ。故に知悉している。
雑魚共を統べる力の使い方を。財宝を奪わんとする者の欲の矛先を。
最初から交渉の席には座らず、立ったままだったゴッドフレイは傲然と、魔術師カロロスの青白い細面を見下ろしていた。嘲りはなく、純然たる殺意を秘めた恫喝の声音で告げる。
「ローデイルに降れ。さすればローデイルがレアルカリアを守ってやる」
「な、何を……」
「好きなだけ学べばよい。ローデイルは細々とした税など求めん。探求し、見い出した知恵を差し出すのを対価とすれば、輝石とやらを有り難がるお前達の邪魔はせんぞ」
「――――」
的確に相手の欲するものと、譲れない一線を見切っての言葉だった。
カロロスは瞬時に損益を計算した。そして、有りだ、と思う。もともと学院は学びを得る為だけに存在するし、その在り方を歪めないのならゴッドフレイの提示した件は魅力的である。
逡巡を見て取ったのだろう。なおもゴッドフレイは続けた。
「お前達はどうあっても学徒を兵にするつもりがないのだろう? 譲る気がないならそれでよい」
「ゴッドフレイ、それでは……」
「まどろっこしい。戦う気概を持てぬ兵など邪魔でしかないぞ。無理強いするのは容易いがな、後に禍根を残したくないのならある程度は妥協し、別の道を模索しろ。時間の無駄だ」
口を挟むマリカにゴッドフレイはきっぱりと告げた。やはり巫子の生まれ故に経験が浅い、事の押し引きがヘタクソだ。相手を尊重しようとするなら、線引きは明確にし相手が何を望んでいるか見切らねばならない。その上でこちらの望みも最低限叶えるのだ。なおも譲れぬと言うなら殺せばいい。
考え込むカロロスを尻目に、マリカは蛮族流の交渉術の真髄を悟った。彼女は聡明である、ゴッドフレイの遣り方は荒々しいが、尤もだと頷ける部分もあると理解した。
「もしもローデイルが盟約を違えたなら抗えばよい。学徒共は好きに学び、好きに抗え。だがお前達がローデイルに臣従し、知恵を差し出すなら外患からは守護してやろう。内憂は知らんがな」
「……」
「……ああ、ついでにカッコウとやらも寄越せ。あのような野盗崩れは戦場で使い倒してこそだ。お前達レアルカリアには馴染まんだろう」
「……ローデイルの王よ。暫し、考える時をもらえないだろうか」
「よかろう。即断しろとまでは言うまい。後日、日を改めて遣いを出す。色よい返事がないようなら俺の遣り方を通すが、仮にも長を気取るならその程度は覚悟しておけ」
帰るぞ、と吐き捨てて踵を返したゴッドフレイに、マリカは深々と嘆息して頭を振った。
ついてきたのは自分の方だが、ゴッドフレイ流の蛮族交渉は肝が冷える。決裂したらどうしてくれるというのか。……いや、力で押さえつけるだけか。
荒っぽい事になってくれるなと願い、マリカは最低限の礼を残してカロロスの前を辞した。
寡黙な黄金の王子ゴッドウィンは、父と母の姿を黙って見ていた。
† † † † † † † †
我が身の至らなさを日々痛感する。
遣り方は褒められたものではないし、スマートさなどまるでないが、それでもゴッドフレイはカロロスに熟考させるに至った。そも宿敵の宵眼の女王に対して、味方を増やし戦略的に有利な盤面を作ろうと画策したのもゴッドフレイだ。黄金郷という拠点作りも、兵力の確保も最初に発案している。
翻って見るに自分はどうだ。ゴッドフレイの意見に同調してばかりで、成し遂げられたものなど、ほとんどがゴッドフレイの行ないを追認し形にしたものばかり。このままゴッドフレイに頼りきりでいいのか……マリカは密かに思い悩むようになってきた。
(愚図な迷いだ)
ここで変に思想を拗れさせないのが、マリカが剛直な女傑たる所以だろう。
彼女は自らの未熟さを痛烈に自覚して、これを改善するには地道に経験を積み、貪欲に多くを学ぶ必要があると自己分析したのだ。
難しいことは何もない。今まで通り学べばよい、女王として不足するものを一つずつ解消する。焦りは禁物だと、誰に言われるでもなく独力で悩みを片付けられるマリカは強い女だった。
「……父よ」
「ん?」
目的は達した。ならば女王たる者、速やかに帰路に着くのが筋である。根拠地をいつまでも留守にしているようでは、女王として未熟云々以前に責任感の有無を問われるからだ。臣下の者は不敬だの不遜だのと畏まって何も言わないだろうが、大母あたりに苦言を呈されたら流石に堪える。
が、ゴッドフレイからすれば知ったことではない。彼は目の前の享楽を優先し、刹那的な生き方を是とする男である。仮に留守にしている黄金郷が何者かに攻め滅ぼされたとすれば、ゴッドフレイとて怒るだろう、嘆くだろう、しかしそれはそれとして報復の戦を楽しみにするような純戦士だった。
故にゴッドフレイは、黄金郷へ真っ直ぐ帰る事はなかった。逆に遠回りをして、狭間の地の隅から隅まで見聞しようとしているかの如く、のんびりと馬を歩かせている。
その最中のことだった。不意にゴッドフレイに肩車されていたゴッドウィンが、鈴を転がしたように愛らしい声を発した。滅多に喋らず、愛嬌も振りまかない幼子の声に父の反応が遅れた。
「……お前が自発的に声を発するのは珍しいな、ゴッドウィンよ」
「ゴッドウィン! 私は? 母は呼ばないのか?」
「………」
ゴッドウィンの声を聞いたマリカが、自分は? 自分は? とでも言うように割り込むと、幼子は明らかに困ってしまって口をつぐんだ。ゴッドフレイは嘆息し、傍らに寄せられてきたトレントの腹を無造作に蹴りつける。するとトレントは驚いて駆け出してしまい、マリカを乗せたまま遠ざかってしまった。
「ゴッドフレイ――!」
「……ハァ。あの女も飽きないな」
呆れながらも、ゴッドフレイの目には女への慈しみが宿っている。母がなんとかトレントを宥めようと四苦八苦するのを見遣った幼子は、気を取り直したのか夜空を指差した。
「父よ。あの星を」
「んんん? 星、だと……? ああ、あれは満月だな。なんだ、月が珍しいのか?」
小さな指が示す先には青白く光る、大きな円月があった。
だからどうしたと思うが、ゴッドウィンが続けた言葉に父は相好を崩す。
「あの星の下に、運命がある」
「……ほう」
話に聞くに、星見とは才能と運命に依存する求道らしい。凡夫が一万の歳月を捧げた求道を、運命に愛された天才は一瞬で走破するとも聞く。
黄金の王子はそちらの方面にも才能があるのか。ゴッドフレイがニヤリと笑うと、ゴッドウィンも釣られて薄い笑みを浮かべる。幼子は、父のこの骨太な笑みが好きだったからだ。
「面白い。行ってやろう」
「………」
ぎゅ、と幼子は父の頭にしがみつく。ゴッドフレイは馬の腹を脚で締めつけ意志を伝えると、駿馬は正確に指令を汲んで走り出した。
ようやくトレントが落ち着いたのだろう、文句を言ってやろうと戻ってきていたマリカは、自身を置き去りに駆け出した父子に血相を変える。
「ご、ゴッドフレイ! ゴッドウィン!? 待て、置いていくな!」
「………」
「………」
これに困ったのはツリーガード達だ。どちらに付き従えばよいか逡巡して顔を見合わせ、ゴッドフレイに護衛は要らぬと判断しマリカについた。
夜空の下、雲一つない満天の星に照らされる地上を、英雄と王子を乗せた駿馬が疾走する。その少し後ろに遅れて続く三騎の人影も含めれば、まるで四つ連なる流星のようだった。
夜の冷気は肌に心地よく、ゴッドフレイは自らの頭の上で、実子が気持ち良さそうに目を閉じて大地の風を満喫しているのを感じる。風を切る快感をこの歳で解する我が子に父は微笑んだ。
「――父よ。あれが、運命だ」
「どれだ。……あれが、か?」
やがてゴッドウィンの言う月の下に来たのだろう。小高く盛り上がった山の上に到達すると、幼子は父に語りかけた。ゴッドフレイはなんのことだと辺りを見渡し、そして訝しむ。
そこには。
宙の果てに、満月を見い出している二人の少女がいた。
彼女達は騎馬の接近に気づくなり、互いが互いを庇おうと同時に前に出て顔を見合わせていた。
「おう、小娘共。こんな所で何をしておる?」
ゴッドフレイがそう告げ、二人の少女を馬上から見下ろすと、少女達は緊張して身を固めた。
――これが初めの邂逅。
後に、
満月の女王レナラ。
双月の騎士レラーナ。
それぞれが斯様に称される者達であった。