仕方ないね()
行軍する騎士達を率いるゴッドフレイは、跨る巨馬の背中の上でボンヤリとしていた。
侵略の最中である。難路の山河を超えた先にアルター高原へと達し、黄金樹の麓に向かう行為は、敵方の領地を明白に侵犯する行為だ。であれば防衛の為に敵方も出陣するのが道理だろう。
だが敵意と殺意、血飛沫に彩られるはずの敵地は不気味な静寂に包まれていた。
ローデイル軍の侵攻を阻むはずの敵軍がいない。密偵と斥候の報せ通り、宵眼の女王は配下に命じて撤収してしまったのだろう。黄金樹の麓に築かれた城砦にすら人っ子一人いないらしい。
ゴッドフレイは暇を持て余し、自らの心が凪いでいる訳を思索した。この有り様では戦にならぬから気分が落ち込んでいるだけかと思うが、そんなはずはない。元々宵眼の女王の軍勢と戦えるとは期待しておらず、本命は険しい山岳を登った先にある山嶺、そこにいる火の巨人達との闘争だった。
長征を行なうのは初めてではない。今までは行軍の最中でも、実際に敵と殺し合うまでに、沸々と滾る闘争本能で気力は充実していた。なのに今は、変に落ち着いてしまっている。
己の裡に埋没していると、彼は傍らを進むマリカを見てしまった。
霊馬トレントに乗り、進む彼女の横顔は険しい。姿を目にしたことはなく、ただ見い出しただけの律により宿敵と定められた女王が、なぜ黄金樹の守りをなくしてしまったのか。なぜ神にならんとする上で、欠かす事のできない黄金樹を燃やそうとするのか。それが不明なまま神になる事に不安がある。
祝福の光は、変わらず黄金樹を指す。ローデイル軍を率い霊馬を進ませるマリカは、聳え立つ原初の黄金樹を見上げる。あらゆる生命、生と死を内包する偉大なものを。マリカは自らの理想の為に死を取り除くつもりだ、それが成れば黄金樹から赤みは失せ、真の黄金となるだろう。
正しい選択をしたはずだ。どんな混乱があろうと、狭間の地の全てが敵になろうと、我が王と自分がいれば打ち破っていけるはずだ、とマリカは思う。自分達は宵眼の策謀、思惑も踏み潰せる。
なのに、胸騒ぎがする。致命的な陥穽を見落としている気がして、マリカは自らの辿った足跡に思いを馳せて不安の正体を探った。しかし、特に思い当たる節はない……気のせい、か?
険しい貌をするマリカを見て、ゴッドフレイは思わず言ってしまった。
「案ずるな。お前には俺がいるのだからな」
「――そうだな。貴方がいるなら、いい」
言った途端、気恥ずかしくなって顔を背けると、マリカは一瞬きょとりとして目を瞬き、そっぽを向く王に微笑した。固かった顔から険が抜け、素の優しい女の瞳をしてしまう。
そうだ、その通りだと、無垢で絶大な信頼を胸に懐く。変わらず秘めた宝は王の鈎指、いつも傍にいてくれる此の戦士が、如何なる困難も打破して救い出してくれる――無知な少女のように、マリカは自らの王を愛し、信じた。そして自らの内に燻る不安の火が消えているのを察し、愛おしそうに腹を撫でた。
新たな命が、腹の中にある。大母によれば、
――そうして、黄金樹の根本に達した。
城砦の中だ。宵眼はここを本拠地にするつもりが元々なかったのか、築かれた建造物は最低限でしかなく、ここを絢爛なる都に生まれ変わらせようとマリカは考えながら木の根を伝い、雄大な黄金樹を歩いて昇る。まるで神を待ち焦がれているように、黄金樹の構造は人が歩める形をしていた。
根本で待つローデイル軍を見下ろし、『黄金の王』だなんて讃えられるようになった王を見た。マリカの律と髪、瞳が黄金だから。王子がマリカの血を色濃く受け継いでいるから。それだけの理由で自分まで黄金と称され、自身の血族が『黄金の一族』と称されそうな事に、王は心底嫌そうな顔をしていた。
だってゴッドフレイに黄金の要素は瞳しかない。祝福に満ちた瞳しか。マリカを見上げ、戻るのを静かに待つ王と目が合ったマリカは、安心したように黄金樹の中へ消えた。
「おお……」
そうして、マリカは見えた。
偉大にして完全な、エルデンリングに。
黄金の光を束ねた帯が、円環を象り神々しく光る様は――まるでこれこそが世界そのものであるようで――自らの許に降りてきたそれを、マリカは受け入れるように掴んだ。
瞬間。
ドクンッ、と。
魂が、震える。高揚や感動によるものではない、途方もなく大きな、異物感――幻視した。宇宙の色をした大きな獣を。黄金樹そのものである獣が、自らを呑み込むのを。
植え付けられた。何を。何故。
我に返ったマリカは、自身の体を検める。だが、特に違和感はない。なんだというのだ、垣間見えたあの幻像は。マリカは身震いする。
しかし、次の瞬間に自身に齎された力の波動に、感じた違和感の全てが吹き飛ばされた。
「うわあああああ――――!!」
悲鳴だった。だが、歓喜の声だ。
エルデンリングを通じて流れ込む膨大な力はまさしく権能。
自身の生命力を底がない不老不死とし、身体、精神の力が何百、何千倍にも膨れ上がる感覚。生命の生死が内包する輪廻の概念。自らやその眷属が打倒したモノを取り込む力。祝福そのもの。
エルデンリングを構成する力の内容を敢えて個別に認識し、大ルーンと名付けて見るに。エルデンリングは七つの大ルーンの力にて構成され、完全である今は個々の力を相乗効果的に高め、比較にもならぬ強大なものにしている。加えて正式な神としての座が、エルデンリングの齎す権能をより強固にして。マリカは、全能となったのだ。
「は……ははは……! 私は、これで永遠に――!
……永遠に。
永遠……?」
知らず、笑みが溢れる。力に酔い、知識に溺れ、自我が解れて――神としての使命に殉じようという正当な想いに心を埋め尽くされ――は、しない。
消えていく何かの破片に意識を向けると、思い出したのだ。
愛した姉妹達とその犠牲。生き残った姉妹達。敬する大母。そして新しい命と嫡男。最も愛し、信じる雄大な戦士。――忘れ難き憎悪の対象、忌まわしき民を。
「………」
酔いが醒める。
――マリカは、神になるには余りにも人間過ぎた。
愛する家族、大切な騎士、慈しんだ兵、護りたい民、救い主の男。
同等に、決して怨みを忘れぬ執念。
これらがマリカを構成する土台であり、彼女の人間性は――英雄過ぎた。
故にマリカは神の使命ではなく、己の理想と願望を見る、それを手放し忘れる事がない。
為に、彼女はエルデンリングをこう認識した。
自らの願いの全てを叶える為の装置に過ぎぬ、と。
有り得てはならぬ不敬、不遜である。だがエルデンリングを手にした彼女を止められるのは、文字通りの意味で
「……エルデンリングを掲げよう。黄金樹の時代とする為に。
そして――我が恩讐を成就する為に、掲げるのは塔の街だ。
ふふふふふ……さしづめ、『神の門』とでもしよう。
掲げた地に、黄金樹の中の不要物を纏めて『影』として落とし。
永遠に、エルデの地から追放してやる」
† † † † † † † †
真に黄金となった女神は、黄金樹の外に出ると、絶大な光を降らせた。
燦々と降り注ぐ光を浴びた全ての騎士と兵が歓呼の声を上げ、新たなる神の誕生を祝う。
神話に立ち会ったのだ。人々は感動し、感涙に噎び、これで救われるのだと女神を崇拝する。
降りてきた女神、マリカは真っ先にゴッドフレイと対面した。
そして――彼の五体の隅々までを見渡し、安堵したように呟く。
「よかった……今の私でも、貴方と戦いたくない」
「神になっただけで、俺より強くなれたつもりだったのか?」
「いいや……いいや、違う。それもあるにはあるし、貴方の強さを信じていたのもあるが……私は、私が私のままである事が嬉しいんだ」
たらればの話となるが。
もしも彼が暴竜を殺し、力を受け継いでいなければ。
マリカはきっと、ゴッドフレイを降せていただろう。
純然たる戦士が侵略した先で、戦いもせず、敗れもせず、女王と婚姻を結び導きの通りに敵と戦うことをよしとはしなかっただろうから。
しかし
「ゴッドフレイ。我が王、ゴッドフレイよ」
「なんだ?」
「私は塔の街へ向かう。角人達が神事を奉じ、届ける為に門と見立てた場で、このエルデンリングを掲げる為。それを神の門とすれば笑えるだろう?」
「ほう……」
復讐の為。冒涜の為。マリカは角人を裏切ろうとしていた。
坩堝の騎士は何が起こったか理解できぬだろう。理解できぬゆえ、変わらずゴッドフレイに付き従う事になる。滑稽なことだ。
マリカの暗い心の発露に、表情がなかったゴッドフレイの顔に笑みが浮き彫りになる。己の女が変わらずにいる事を理解したのだ。端的に言えば、安心した。それを言葉にはせず肯定を返す。
「面白いな。やってやれ、お前の行いは正当だと俺が認める」
「……ありがとう。手加減なく、慈悲もなく、容赦なく、完遂しようとも。奴らはこれより黄金樹の影に縫い止められ、此の世の狭間へ追いやられるのだ」
そして、瞠目した。
マリカが戯れのように口にした土地の名に。
「私は密やかに名付けるだろう。――影の地、とな」
「影の地……だと」
以前。
誰かが。
その名を。
言っていた。
いや――書いていた、というべきか。
驚愕した為に声は小さくなり、マリカの耳に王の呟きは届かず。彼女はふと思い出したように、そして規格外な事を平然と決定した。
「――ああ。ただ、私達が築いた黄金郷を追いやるのは偲びない。あの都を、民ごと此の地に呼び寄せてからにしよう」
「………」
「……ゴッドフレイ? どうか、したのか……?」
「いや……」
かぶりを振り、ゴッドフレイは訝しむマリカに言う。
「なんでもない。ただ……そうだな、お前が事を成すまで待つのもつまらん。俺は先に行くぞ」
「あの頂きにか。……まあ確かにいきなり予定を変えた私が悪いな。私も共に闘いたいが……仕方ない、先に行くといい。私もすぐに追いつく」
兵の一部を率い、離脱していくマリカの後ろ姿は颯爽としていた。
ゴッドフレイの瞳が疼く。頭痛を伴った先、左目の瞳孔が縦に開いて。
突然の頭痛に顔を顰めたからか、マリカの姿が
使命に殉じない事の罰か。黄金樹を暗い心で始めようとする応報か。優しい理想と相反する苛烈な復讐心が表す二面性の具現か。ラダゴン、宿る。