黄金の灯火が唐突に見えるようになった。
ホーラはその灯火が伸ばす、一筋の光を見て、直感的に自らが進むべき道を悟る。
「俺を導こうという腹か、黄金樹とやら」
アレの推測は当たっていたらしい。冊子にあった通り、黄金樹とやらはホーラを見初め、狭間の地に招き入れようとしているようだ。
誰も彼も人を利用しようとしている。気に食わないが、強者と相見えられるのなら文句はない。
黄金の灯火――『祝福』という単語が脈絡無く脳裏に浮かんだ――の導きを受け、単身旅を続けて辿り着いたのは、断崖へと続く運河。そこにポツンと置かれている石棺を見てはさしもの豪傑も眉を顰める。あたかもあれに入れとでも言いたげで、これより先は死を覚悟せよと囁かれている気分になった。
崖下を見る。そして思った。この程度で死ぬほどヤワではないわ、と。しかしこの石棺が狭間の地にホーラを運ぶのなら、入らないわけにもいかない。
王位を投げ捨て、ただの戦士としてやって来た彼は、臆することなく石棺に入る。すると石蓋がひとりでに閉ざされた。そして石棺は勝手に河の流れに乗り、断崖へと落ちていく。常人なら金玉が縮み上がるだろう浮遊感に襲われたホーラだったが、彼は欠伸を噛み殺し、豪胆にもそのまま眠ってしまう。
ヤりたい時にヤり、食いたい時に食い、眠たい時に寝る。ホーラは野生の男だった。
存分に眠り旅の疲れを落としたホーラは、浜辺に押しては返す潮の流れを聞き、石棺がどこかに流れ着いたと悟って石蓋を蹴破り外に出る。
「ほーう……」
そして、真っ先に目についたものを見て、らしからず感嘆の吐息を溢した。
彼の正面にあったのは、赤みを帯びた黄金の大樹。天をも衝く威容は、ホーラのいた地では見る事のできなかったもの。一目で自らが神話の世界に来たのだと理解させられる威力があった。
浅瀬に降り立ち、海水を蹴りつけるように浜辺へ上がる。ホーラは狭間の地へ上陸した。これより超常の敵と相見えるのだと想うと、若きホーラは胸が踊る心地になる。
辺りに視線を走らせ、ホーラは祝福の灯火を探した。すると、あった。無作為に光を発し、ここにあるぞと示す黄金の光だ。のしのしと近寄り、手を翳すと強く光り、一筋の光を発する。
夜、曇天だ。
辺りは暗いが黄金樹により真っ暗闇ではない。そして蛍とは違う異様な光もある。地表を照らすのは青い光、草木が神秘的な光景を広げていて、人によっては風流な気持ちになるだろう。
しかし、ホーラは蛮人だ。視界が良い事にしか感心せず、躊躇なく青白い光を踏みつける。そうして祝福の示す方角に歩いていくと、何やら不気味な気配を察知した。
長身痩躯の人影が彷徨っていたのだ。
長大な両刃剣を携えた、ブヨブヨとした白い皮を纏った者。
明らかに尋常の者ではなかったが、狭間の地で初の人との邂逅である。丁度良い、そこらに人里がないか訊ねてみようと、ホーラは白い人影の異様な出で立ちに臆さず声をかけた。
「そこの男、待て。道を訊ねたい」
遠慮会釈のない不躾な接触だ。白い人影はホーラの接近に気づくなり、じろりと総身を睨め付ける。彼はホーラの問い掛けに応えず、ホーラの黄金に輝く瞳を見て身構えた。
ホーラは自身の瞳に祝福の証、黄金光が宿っている自覚がなかった。そしてなんら因縁のない相手に敵意を向けられる覚えもない。とはいえ、彼の来歴は蛮地の戦士。覚えがなくとも仇だとつけ狙われた事もある。故に唐突な殺意に貫かれても戸惑いはしなかった。ホーラは話が早い男なのである。
「なんだ、俺と戦おうというのか? 面白い」
ニヤリと笑った戦士も身構える。すると、白い人影――主君の脅威になりえる神人を殺す、至上の使命を負う神肌の使徒は、ホーラが二本指の擁する神人の側と見做して襲い掛かった。
右手に黒い炎を顕し、豪快に投じる。ホーラは初めて見た黒い炎を躱しもせず、物は試しとばかりに左腕でガードした。体皮を焼く感覚は、普通の炎ではない。まるでこちらの生命そのものを燃やし尽くそうとしているかのような黒炎に、ホーラは未知の体験を得て骨太に笑う。
軽やかなステップを踏んで接近し、跳躍して大上段から両刃剣を振り下ろす使徒。ホーラは左腕を焼かれながら迎え撃った。彼は退かず、防がず、両腕を広げて空気を吸い、吠えたのだ。
「うおおおお――ッッッ!!」
「!?」
大気を揺らす、どころではない。大地を悲痛に泣かせる雄叫びだった。
ホーラの大喝はまとわりついていた黒炎を吹き飛ばし、接近していた使徒までも藁のように跳ね返してしまう。使徒は咄嗟に受け身を取って跳ね起きながらも動揺していた。神狩りの祈祷である黒炎は、宵眼の女王が健在の今、運命の死そのものの力を発揮する。数々の神人に仇なしてきたそれが――ただの咆哮で消し飛ばされる? 有り得ない。
神肌の使徒は動揺しているが、なんのことはない。黒炎はしっかりホーラに効いていた。黒炎は運命の死として彼の生命力を削り、確実に死へ近づけている。不死をも殺す黒炎が消えたのは、蛮地の戦士が不死殺しの黒炎と反発し合う黄金樹の祝福を得ており、黒炎と祝福が中和し合って純粋な炎としてしか超人の肉体を焼けなかったからだ。
ホーラも黒炎を受けてはならぬ危険なものと本能的に判断していた。為に、遊ぶ気は失せる。
人界はおろか、神話の世界の道理すら踏み越える理不尽の権化。人間の到れる極みとすら言える超人ホーラは、跳ね起きた使徒の視界から忽然と消え去っていた。どこにいった、と慌てて探した時には手遅れである。彼の頭上高くに飛び上がっていたホーラが、渾身の剛拳を振り抜いたのだ。
轟音。
ホーラ・ルーは最初、力任せの戦いを好んだ。その嗜好は今も変わらず、死んでも変わらないが、両手で敵を掴み、投げつけ、引き裂き、叩きつける他に拳の一撃をも見舞うようになっていた。
これは『技』のバリエーションなどという上等な代物ではない、好敵手アシナに勝つには『攻め』のバリエーションを増やさねばならなかっただけだ。
彼は、殴る。
好んでいた掴み技はほとんど使わなくなっていた。ただただ力任せに敵を、大地を殴り抜く。果たしてホーラ渾身の剛拳をまともに受けた使徒は、狭間の地に発生した局所的な地震の震源地でミンチにさせられた。初遭遇の強大な黒炎を操る使徒を、初見で、しかも一撃で屠ったホーラは鼻を鳴らす。
「ふん、雑魚だったか。目新しさはあったが、それだけだな」
強かった。神肌の使徒は、間違いなく強かった。
神狩りの黒炎こそが運命の死、狭間の地の恐怖の象徴だ。彼らの軍団は主の敵を滅ぼし尽くし、神座を脅かす神人は残すところ後一人まで減じている。
しかし、ホーラにとっては所詮、使徒の一人も雑兵。数が揃えば厄介だが、そうでないなら鎧袖一触に蹴散らせる程度の敵でしかなかった。
ホーラは鼻を鳴らし、祝福の示す方角へ脚を向ける。
道は聞けなかったが分かることはあった。あんなものがそこらを彷徨っているという事は、この狭間の地は混迷の時に在るということである。すなわち、戦乱の香りだ。芳醇で、腹が空く。
† † † † † † † †
此の世に生を受け、長じた時、男は腹の底から沸き起こる衝動を自覚した。
狩りと戦を経て血潮を浴び、傷を得て、生と死の狭間に身を落とした男は、悟ったのだ。強き者との血に塗れし逢瀬を愉しむのが、己が体に刻まれた業、宿痾であるのだと。
男の一族は諸人に疎まれ、畏れられる蛮地の者らだ。一口に言ってしまえば蛮族である。そんな一族で生誕した男は、同じ一族の内で最も純粋で、最も生まれに忠実だったのかもしれない。暴虐を体現した一族は強き者を尊び、弱者を踏みつけて奪い、犯し、殺すだけの畜生共だったが、男の力への想いが誰よりも純粋だったからこそ、若くして最強を誇るに至ったのだろう。故に蛮地の者達は男を王として仰ぎ、男もまた己を突き動かす衝動に身を任せて、ひたすらに戦いの人生を送っていた。
しかし、男は強すぎた。
諸人は男と彼の率いる者らとの戦いを避けるようになったのだ。小賢しくも交渉を求め、服従する代わりに庇護を求めるようになった。――心から煩わしかった。弱者を踏みつけ虐げる事に抵抗はない。だが男が求めるのは強者との逢瀬だ、媚び諂う弱者と相対する事ではない。
故にこそ、だ。
朋友とのあの戦いは、ホーラの心を蝕み始めた退屈さを吹き飛ばし、吹っ切れさせた。己は王などという柄ではなく、一介の戦士として在る方が性に合っていると割り切らせたのである。
為に、男は長征に出た。戦いに明け暮れ、戦いの末に死ぬ。純粋な戦士ホーラは自らの死を終点とした戦を希求した。人界は制したのだ、ならば次は神話に挑んでこその戦士だろう、と。
朋友の下らぬ未練もホーラにとっては奇貨だった。目指すのは古竜の王、巨人の王、嵐の王である。見境なく挑み、そして戦おう。末に、宵眼の女王とやらも屠ってくれようぞ。
――ホーラは滾る本能を律する。まだ見ぬ好敵手との逢瀬は後の楽しみにとっておき、今は祝福とやらが導く先にいるであろう、神になるという巫女を探すのが先だ。
そうやって狭間の地を闊歩する内に、彼は様々なものを見た。
亜人、トロル、ルーンベア。空を往く飛竜、古竜。奇態な魔物。動く石像に魔法を駆使する者、祈祷にて癒やす者。実に胸踊る様々なものを見た。
なるほど、アレが見てみたいと願ったわけだと彼は納得する。そんな中で、ホーラは一人の指読みの老婆と出会った。指を読ませておくれ、などと意味不明な懇願をする老婆は、意味不明であるが故に興味を惹かれて掌を差し出したホーラに語りだしたのである。
「おお、おぉぉ……貴方様は、王であらせられたか。ならば貴方様は知らねばなりますまい」
何を、と反駁する間もなく老婆は語る。
「過日、指様にお言葉を賜った意味が、ようやくこの婆にも解せました。婆はこの御方に指様の言葉を伝える為に生きてきたのですな。
よろしいか、この地の王たる御方よ。指様の言葉をよぉく聞きなされ。
『エルデの王たる者ホーラ・ルーよ。お前がこれより出会うのは最新の神人マリカである。彼女を助け共に戦った先に、お前が望む大敵と巡り会えるであろう。敵を望むならマリカに仕えよ』」
老婆の語る言葉に、ホーラは応えなかった。無言で背を向けて立ち去る。
いいだろう、と思った。好敵手と巡り会えるなら、顔も知らぬ巫女と共に行こう、と。元よりそのつもりで狭間の地に来たのだから。
しかし、ホーラは指様とやらの遣り口に、拭えぬ不信と不快を抱いた。彼は内心にて吐き捨てる。
(――偉そうにしおって。この俺が貴様の命に、諾々と従うだけのボンクラに見えたか)
共には行こう。だが、仕える気はない。ホーラは出会いの時が迫っているのを予感し、マリカなる女の正体を感じ取りつつあった。
マリカは傀儡なのだろう、と。
いや、傀儡にしようとされている、と言った方が正確かもしれない。ホーラは老婆の言った『指様』とやらの在り方を、この時から感じ始めていたのだ。
† † † † † † † †
太古。様々な生命が繁栄した坩堝の世。
大いなる意志の怒りを買い、永遠の都が滅ぼされると、星の世紀を統べた夜の王たる神が去り、エルデの王だった竜王も暴竜との戦いで深く傷ついて、時の狭間へと去ってしまった。
擁立していた神と王を同時に失った『五本指』は、新たに擁立する神について意見を違える。
片や全ての生命が溶け合っていた坩堝の継続を唱え、片や全く別の律を布くべしと唱えた。そして前者は三本指となり、後者は二本指となって分裂を果たし、互いの思想の下に動き出す。
期せずして大いなる意志が彼方より獣を遣わし、獣は星となりて地表に落ちた。地を穿った星は赤みを帯びた黄金の樹となり、永き時を経て大樹へ育ち、そして大樹より這い出た無数の虫が、三本指と二本指の使命の下に始動した。
まるで人の指の如き形をした虫達は、人より『ユビムシ』と称され、気味悪がられつつも狭間の地を彷徨い、求めた。自身らが課せられた使命を、過たず果たせる器を。
だが、陥穽。
五本指の分裂と、三本指と二本指の対立は明確に暴走である。大いなる意志と交信ができていたならば、所詮は大いなる意志の遣いに過ぎない彼らが分裂する事などなかっただろう。
けれども彼らの暴走は必然である。最初の指、すべての指達の母が壊れていた故に。
指の母は最初に与えられた使命以外を知らぬまま、この大地に落とされて以後は大いなる意志との接続が能わず、頑迷に最初の使命を果たす事だけを考えていたのだ。母機が壊れていたなら、子機が正常に機能するはずもない。故に『指の母メーテール』の子機である、全能ならざる彼らが失策を犯すのもまた必然であったろう。
三本指は慎重に、破綻した原初の姿の保持を目指し、宵眼の女王を見い出し神人にして。
二本指もまた正しい使命だと信じ、新たな律を掲げ得る神人を見つけ出す。
しかし両者の見い出した神人は、神としては悪質だった。三本指の目指す坩堝の継続は、宵眼の女王が見い出した死の律、即ち運命の死に反しており。二本指が見い出した神人は、二本指の目指した生の律である黄金律を見い出していたが――黄金律の神人は弱者だったのだ。
そう。マリカは踏みつけられ、虐げられ、奪われた女だったのである。
指の母メーテールは狭間の地に律を齎し、神を戴いて秩序を築かんとしていた。それのみを重要視していて、だからこそ神となる者の来歴など一切斟酌していなかった。ならば、母の機能を受け継いだ指の視野が狭いのは、もしかすると自明の理だったのかもしれない。
もしもメーテールや指達が、大いなる意志との交信を行う機能を損なっていなければ、指はきっとその女を神には選ばなかっただろう。器としての資格を有していようとも、余りにも強い恩讐の念を宿し――
だが大いなる意志が見初めるに値せずとも、交信を絶たれていたメーテールや、その流れを汲む二本指は使命を完遂する事にのみ注力した。二本指はその女が相応しいと見做したのである。
狭間の地を統治するのは、前史の神と王が去った後、真っ先に空位を襲った宵眼の女王であってはならない。三本指が擁立した神は相応しくなかった。自分が正しいと二本指は盲信したのだ。
自分達の母がとっくに壊れているのだと悟り、独自に動き出した指達の暴走は止まらない。三本指が独断で動いた理由を知らず、二本指が母を利用して影従を引き出した事も解らず。ただただ指の母メーテールは使命の完遂だけを望んでいた。その先に何があるか知らぬまま――祝福を与えられた戦士ホーラ・ルーは、遂に角人達の集う名も知らぬ村へ到達する。
「き、貴様、神聖な神事を邪魔立てするか!? 悪しき者め、貴様も壺に詰めて善き人に――」
「やかましい」
間一髪だ。ホーラ・ルーは、間に合った。
後ろ手に縄を打たれ、小屋の前に引っ立てられた数人の巫女。彼女たちは恐怖していた。雑菌塗れの不揃いな歯を並べた鞭を手に、崇高な行為に酔いしれていた角人に。
これより自身らの辿る末路を想像して、涙し、絶望して。しかし、唐突に襲来した巨漢が、鞭を持つ角人の頭部を裏拳で吹き飛ばしたのを見て、彼女達は呆気に取られて救い主を見上げる。
小屋の外には幾人もの角人の死体が散乱している。一撃で頭を、あるいは胴体を吹き飛ばされ、即死していた。まるで嵐が人の形で襲ったかのような光景である。戦士は巫女達を一瞥した。
「お前達が話に聞く巫女とやらだな。この中にマリカという女はいるか?」
きっと、きっとだ。傲然と屹立し、自身を見下ろす猛き戦士の姿を、マリカは地獄に落ちても忘れないだろう。返り血で体躯を染め、鮮烈に登場した英雄の姿に、朦朧とする意識の中にあってさえマリカは見惚れた。
呆然とするばかりで、巫女達からの反応がない事に、戦士は億劫さを感じたのだろう。彼はおもむろに巫女達を見渡して、目についた長身の女に訊ねる。
「お前がマリカか?」
「い、いえ……私は、アレクトー。マリカは……そちらに」
長身のアレクトーは、夜の闇に良く馴染みそうな髪を束ねた、きつい印象の顔立ちをしている。
彼女を真っ先に見たのは、彼女がこの中で最も戦いの才を持っていたから。明確な根拠はなく、単なる勘で鍛えればよき戦士に成り得るな、と感じた者に巨漢は声を掛けただけだ。
本当なら感謝の言葉を述べて、礼をするべきだ。だがそれをするには、荒事を知らなかった巫女達にとって、ホーラは余りに荒々しく異質な生命に見えた。彼は威圧的過ぎたのだ。故にこそ咄嗟に礼の言葉を口に出来ず、恐々としてアレクトーは示した。小汚い小屋の中で倒れ伏す一人の女を。
豊かな黄金の髪を三編みにし、華奢な線を描く肢体は女性らしさを醸す。豊満な乳房と尻は、男の視線を釘付けにするだろう。だが劣情を感じている場合ではない。マリカはすでに一度、悍ましい歯の鞭で腕を打たれ、高熱を発していたのだ。彼女は慣れない痛みと熱で弱り、魘されそうな顔をしていた。
視線が定まらないながらも、しっかりと自身を見上げるマリカに、巨雄ホーラは歩み寄る。
強い女だ、と思った。
筋肉は細く、手は柔らかく、鍛錬した痕跡はない。
しかし他の巫女がまだ無傷なのは、マリカが真っ先に名乗りを上げて同胞を庇ったからだろう。
情が深いだけではそれはできない。強い心と、苦痛と恐怖に立ち向かう勇気がなければ困難だ。争いとは無縁そうな弱い女達の中で、そうした勇気を発揮できる者には勇者の素質がある。
勇者は、好きだ。腑抜けなら死ね。ホーラはそんな嗜好と思想があった為、マリカへ抱いた第一印象は頗る良かった。何より、良い女だったのもある。
「………」
「………」
戦士と巫女は言葉もなく見つめ合う。黄金に輝く戦士の瞳は祝福のそれだ。マリカは魅入られたように見詰めて、そしておもむろに戦士が腕を伸ばし、己に触れると我に返って硬直した。
戦士はマリカの腕を引っ張り、彼女が鞭を打たれて腫れ、血を流していた傷口に吸い付いたのだ。突然の事に巫女達は戦士を咎められもしない。彼は膿や雑菌を吸い出し、床に唾ごと吐き捨てると、携帯していた皮の水筒を取り出して口に含んだ。うがいして、もう一口含み、今度はマリカの腕へ吹き付ける。
マリカは腕が燃え上がったかのような錯覚を覚えた。堪らず身をねじるも、ホーラが掴んでいる腕はぴくりとも動かない。彼が吹き付けたのは火酒というアルコール濃度の高いもので、それを消毒液代わりにしたのだ。この一連の行為は、友の贈ってきた酒を使った見様見真似の応急処置である。
「何を突っ立っておる。お前たちは巫女なのだろう、癒者としての力はないのか?」
「あ……」
マリカを拘束する荒縄を引き千切ったホーラは、じろりとアレクトー達を横目に睨む。
慌ててマリカに駆け寄る巫女達から離れ、壁に背を預けて様子を見守るホーラであったが、自身を囲み祈ろうとする巫女達を押し退けたマリカを見て目を細める。
「マリカ姉さま!?」
「いい……私は、平気だ。知って、いるだろう……私の力を」
言って、マリカはおもむろに両手を組む。すると金色の光が足元に広がり、彼女の体を癒やした。
だが、僅かな間で根深く蝕まれていたのか、彼女の二の腕には鞭に打たれた痕が無惨に残る。
顔色が回復したマリカは忌々しそうに顔を顰めて、腕を撫でつつ巫女達から離れ、壁に背を預け腕を組んでいたホーラに歩み寄ると、恭しく頭を下げる。
「どこのどなたかも存じ上げないが、助けてくれたこと、心より感謝する。旅の戦士と見受けるが、名を教えてもらえないだろうか。よければ我らの村に招き、礼がしたい」
「礼など不要だ。俺はお前に用があって来たに過ぎん、そうでなければ助けもしなかっただろう」
「だが、救われた事実は変わらない。救われておいて何もなしというのは道義に反する。どうか私たちを恩知らずにしないでほしい」
「……フン」
強い女だ、と再び思う。囚われ、鞭で打たれる苦痛と屈辱を味わっていながら、こうまで強気な姿勢を崩さず借りを返そうとするとは。しかもこちらが拒み難い理由があると察した上で。
用があると口を滑らせたホーラが悪いのだろう。鼻を鳴らし、ホーラはマリカに応じた。
「であればマリカよ、俺と共に来い。お前達の命と尊厳の借りは、お前が俺の目的に付き合うことで返すがいい」
「……分かった。だがお前の、いや、貴方の目的とは?」
当然の疑問であり、問いである。しかしホーラは眉を顰めた。
単に説明が億劫なのだ。面倒くさい。律だの神だの、そういうものに興味がなく、好敵手との死闘を求めるホーラは講釈を垂れる時間が煩わしいのだ。
だがここを省いては話が始まらない。ホーラは諦めて口を開く。
「お前は大いなる意志に見い出されたのだ。俺はお前の許へ導かれ、ここまで来た」
端的過ぎる物言いだ。普通ならこれだけで理解できないだろう。しかしマリカは聡明な女だった。
異性と対話する機会がほとんどなく、為に自覚していなかったが、デカくて強くて生命力に溢れた豪傑を好むマリカの、好みド真ん中であるホーラに、内心どこか緊張していても。
デカくて強くて生命力に溢れた豪傑を好む嗜好が、遥か未来に生まれる永遠に幼い神人に受け継がれる事を知らずとも。彼が口にした黄金樹という言葉、祝福と導き。どちらも巫女である彼女には理解できた。故に、理解が及んだマリカは目を見開く。大いなる意志に見い出された、つまり自分は――
「私は……神人だったのか」
呟きは、納得と理解の響きを宿す。
現在の狭間の地は、宵眼の女王が支配に王手をかけている。火の巨人、嵐の王、古竜など、敵は数多いだろうが神の座を完全に手中にする寸前だ。
偉大なるエルデンリングに手をかけていながら手間取っているのは、彼女が万物万象へ等しく死の概念を齎し、生命が廻る周期を大幅に短縮させ、彼女の選んだ種以外は衰退、ないし滅亡させようとしているからである。故に多くの種が栄えた坩堝の継続を望む三本指と反目し玉座の前でもたついていた。
しかし彼の女王が神に限りなく近づいているのは事実。大いなる意志の遣いの片割れ、二本指は彼女の律を是とせず排斥しようとし、多くの神人を担いでは神肌の使徒や貴種に討たれている。
そうした情勢にある事は、時折り流れ来る噂を聞くだけで、マリカにはおおよそ想像がついた。為に導きの下に邂逅したと言われたなら、その言葉の意味を瞬時に理解できてしまう。
次は自分が、宵眼の女王に対抗する神人にされてしまうのだ、と。
この時、マリカは悟った。神人の資格は『律』を持つか否かである。彼女は自らが律を持っている事を自覚していなかったが、思い返してみれば巫女の村にあってさえ桁外れの癒やしの力を有していたのは、残酷な死を厭って幸福な生を謳歌したいと願う自分が、黄金の律たる生の律を宿していたからなのだ。
ある時、唐突に見い出した黄金の光。名も知らなかったそれこそが『律』であった。自身が神人なのだとすれば、この常識外れな力の所以も納得できる。
「……戦士よ、
神人として表舞台に立ち、強大な宵眼の女王へ戦いを挑まされる事に、マリカは不思議と忌避感を抱いたり、怯懦に駆られることはなかった。
なぜだと自問するまでもない。彼女はこの時、自身が神になれたら望みを果たせると確信したのだ。
救い主の戦士の目的も、なんとなく察した。彼はどうにも我が強い、いっそ傲岸不遜であるとすら言えよう。少なくとも彼は使命だのなんだのに殉じる男には見えなかった。
なのに導きとやらに従い此処に来たということは、恐らく彼はマリカを神にする工程を、あるいは付随する何かを欲しているのだろう。あからさまに善意の人などではないのだから。
「俺の名、か。俺はホーラ・ルー……いや、違うな」
二度も問われたホーラはニヤリと笑った。
暗に二度も問われる前に名乗れというニュアンスを感じたからだ。気の強い女は嫌いじゃない。今度は答えてやろうとしたが、一度は口にした名に違和感を覚え、数瞬の間を空け否定する。
思い返してみれば、己は友にして好敵手であるアシナと雌雄を決し、王たる資格を得ていた。だが己は王位を投げ捨て、ここに来た。王位というしがらみや役目が煩わしかったのは確かだが、自ら投げ捨てた王の証を拾うのは道理に沿わないだろう。ホーラはそう考え、改める。
「俺は今よりゴッドフレイ。お前の王になる男だ」
ホーラ・ルー、ゴッドフレイ。どちらも勇ましく、荘厳な響きだ。
マリカは頷き、彼の名を胸に刻んで、気になっていたことを重ねて問う。
「ゴッドフレイ、もう一つ聞きたい。この悍しい村に住む、あの穢れた民はどうした?」
「ん……ああ、ここらに散らばる角人とやらか? 悪いが、殺したぞ。奴らの所業を眼にした時、お前を見つけるのに邪魔になると判断した故に鏖殺した。生き残りはいまい」
「――――」
告げられたのは、マリカのみならず、全ての巫女達の恐怖と絶望の象徴である角人の壊滅だった。
呆気なかった。怯えて震えるしかなかった、悪鬼羅刹の如き仇の死が。
無論、角人という種が断絶したわけではない。あくまでこの村の角人が全滅しただけだ。なのに巫女達は安堵に包まれた。マリカも例外ではなく、彼女は安心してしまった弱さを嫌悪した。
悪いが、とゴッドフレイは言った。彼はマリカの昏く、けれども正当な復讐心を察したから、形だけとはいえ謝ったのである。
彼は戦士だ、対等以上の戦いに無上の喜悦を感じる。
だが同時に蛮人でもある為に、弱者を鏖殺するのに躊躇する事もない。戦士であり蛮人であるからこそ、ゴッドフレイは復讐を望む者が相手を失う無念を汲むこともできた。
「マリカよ、お前は弱い」
「……!」
「弱者は弱者らしく、仇を奪われた屈辱を噛みしめるがいい。その屈辱を糧にして強くなった暁に、存分にお前が忌むものを滅ぼしてしまえ。それが強者の特権だ」
弱者を虐げ、搾取するのは強者の特権だと、傲岸にも断定したゴッドフレイにマリカは思う。
その通りだ、と。心の底から共感し、共鳴した。
弱かったら何もできない。大切な人を守れないし、救えないし、仇を殺す事もできない。角人は自分の村から姉妹を、母を攫って、悍しい儀式の末に責め殺し、辱めた。許せない、殺したいと心の奥底で復讐心を育んできたマリカは――確かに野蛮なるホーラ・ルー、ゴッドフレイに通じるものがあった。
今のマリカは弱者である。ゴッドフレイは此処に到達するまでの間に知ったが、いわゆる巫女の村とは癒者の里だ。女だけの村であり、そこに住まう者は戦う力を持たぬ。故に荒事に対する経験や耐性が薄く、ゴッドフレイのような蛮地の勇者にとっては格好のカモでしかない。
巫女達は好き放題に略奪し、蹂躙してしまえる存在だろう。しかし、マリカには一目見てそれと知れる気性の荒さがあった。他の巫女達が恐ろしい仇の死に安堵した中、彼女の顔に土を噛んだような歪みが走ったのをゴッドフレイは見逃さなかった。気骨があり、反骨心がある。これぞ強者の萌芽であろう。ゴッドフレイは弱者を顧みないが、強者にならんとする弱者に対しては関心を抱ける。見目の麗しさもあり、良い女だなと思った。
「そう……だな。私は弱い……だが弱いままでいる気はない。――ゴッドフレイ、私は強くなるぞ。強くなり、いつか――必ず角人共を根絶やしにする。そして強くなる為に、私は……神人として戦い、勝とう。だから、どうか……貴方に、私の王になってほしい」
「お前はやがて神になるだろう。だが、俺はお前に……いいや、何者にも仕える気はない。俺のような男と共に往くのに後悔はしないな?」
後悔しても遅い。ゴッドフレイは好敵手を求めている、マリカが使命を拒む事を認める気はなく、拒むなら無理矢理にでも引き摺っていくつもりだった。
だが、
「後悔はしない」
即答で断じたマリカは、自らに降って湧いた使命に迷いもしなかった。
愛する全ての人が幸福な生を謳歌してほしい。そんな祈りを懐き、黄金に輝く律を無自覚に見い出していた巫女は、同時に忌み嫌う存在の破滅をも願う苛烈な女傑の側面も有していたのだ。
一度決めたことに迷いはしない、必ず実行する意志の力がマリカには具わっていた。あまりに人間的過ぎて、英雄的過ぎる素質だろう。彼女は己が神になれば仇の破滅と、愛する者達の幸福が両立すると思った為に、弱き巫女の身でありながら強大な敵との戦いに挑む者となった。
ゴッドフレイは弱者を顧みぬ。故に、話に置いていかれて今一理解できていない、他の巫女達の存在は黙殺していた。しかし、ゴッドフレイは野生である為か、察知していることがあった。
「ならば、これより先の展望を練るぞ。――二本指とやらの意を知悉しているであろう、あの者の話を聞いてな」
「あの者……とは、誰のことだ?」
「さてな。祝福の導きは、味方だと言っておる」
はてなと首を傾げるマリカをよそに、ゴッドフレイは
彼の背中についていったマリカは、ゴッドフレイが誰のことを言っているかを理解する。
小屋の外には、一匹の獣がいたのだ。
たなびく白髪は鬣で。厳つい体躯はゴッドフレイに並ぶ巨体。両手の爪は豪壮で、纏う鎧は漆黒のもの。担ぐ得物は漆黒の闇を凝縮したかのような大剣だった。
彼こそはマリカに与えられし影従マリケス。数ある影従の中でも最強を誇る怪物だ。ここに、本来ならば窮地にあるマリカを救い出すはずだった黒き剣のマリケスが推参したのである。