ひとりぼっちがふたり 作:テクニカル古則おじさん
「ん、二歩」
ライディングウェアを着た砂狼シロコは将棋盤に持ち駒の歩を自陣の歩の後ろに置いた。それが将棋では禁じ手であることは理解した上で彼女はその手を打った。
「それ反則だからな?」
将棋盤の対面に座る少年の名前はコウヤ。現アビドスにおいて唯一の男子生徒の二年生。同じ二年生のシロコやノノミとは同学年ではあるが、二人より前に来た編入生としてアビドスに籍を置いていて、アビドス廃校対策委員会の副委員長でもある。
そして、色々あった結果二人は付き合っている。
「私が勝ったらサイクリングに行く約束した」
「たった今反則負けになったけど?」
「なら、終わったからサイクリングに行こう」
無茶苦茶言い出した。
今に始まったことではないが、コウヤとしてはそういうところは嫌いではなかったりする。
「はあ……分かったよ。着替えてくるから待ってて」
「ん、待ってる」
余程サイクリングに行きたかったのか。シロコには生えていないはずの尻尾が上機嫌にブンブンと勢いよく振られているように見えた。
「……ふぅ」
自分のライディングウェアを持って脱衣所で着替えを始める。
アビドスの制服を脱ぐと傷一つもない綺麗過ぎる身体に自己嫌悪が刺激される。
コウヤは戦闘の際に後方支援を担当している。二年前は戦闘に参加することもあったのだが、今は訳あってそれが出来ない。
ヘイローが壊れた訳ではないが、戦闘に参加すればすぐに壊れてしまいそうで周囲がそれを許してくれない。
「……言い訳すんなよ」
このドロドロと鬱屈した感情を後輩達の前では見せられない。
男としてのプライドもある。でも、そんな物を持っていられる程強い存在ではなくなってしまった。
それでも切りたい見栄は捨てきれずにいて、結局何も出来ない自分に対する自己嫌悪が深まる自己否定の無限ループに陥る。
「……行くか」
毒抜きが長過ぎると不審に思われる。ささっと着替えを済ませて二人の自転車を整備してきるシロコの元へ向かう。
シロコの方は特に待たされたという感覚もなかった。が、着替えにしては時間が掛かっていることには、今は触れないでおいた。
それで楽しみだったサイクリングの雰囲気を損ねたくなかった。
「今日は目指せ。100km」
「長っ。競技選手目指してるんじゃないんだから……出来るだけやるけどさ」
趣味に付き合う程度でサイクリングをするコウヤからしたら長過ぎる距離だが、始めた頃に200kmを要求された時よりかはマシに思えた。
二人が自分の自転車に乗って漕ぎ始めると心地の良い風が頬を撫でる。
(どこまで行っても知ってる景色だな。風に誤魔化されそうになるけど、新しい景色なんて見えてこない)
二年前から今自分が居るこの居場所に変化などない。終わっていないだけで、何かが始まることもなく緩やかに死に近づいている。
三十分ほど走行しているだけでも、汗だくなって息が荒くなり始めているコウヤを見てシロコがブレーキを掛ける。
「休憩しよっか」
「……ごめん」
「別に良い」
道路の端に寄って近くにあったベンチに二人で腰を掛ける。深呼吸を繰り返して肺の空気を入れ替えたコウヤは水筒に入れてある水を自分の頭に掛けてクールダウンをする。
水の冷たさが身体の熱を奪って心地よくなっていく。心と身体の温度が同調する感じは嫌いではない。
「ん。タオル」
「ありがとう」
シロコからほんのりと何かの水分を吸ったタオルを渡されて髪に付着した水分を拭き取る。
冷やし過ぎないようにシロコが渡してくれたタオルから普段使っている柔軟剤の匂いと別の匂いが混ざった何かがコウヤの鼻腔を刺激する。
(いや、これシロコが使った後じゃん! そりゃそうだよな! 自分だって使うもの! でも、タオルって二人分あったよな? いやいやいや、いや)
思春期の少年には些か刺激の強い劇物を今頭の上に置いているという状況にクールダウンした筈なのに体温の上昇を感じる。
確実に顔は紅潮しているだろうが、タオルが隠してくれていて助かった。
「……疲れちゃった?」
「あ、いや……大丈夫、もう少し休憩したらまた走ろう」
タオルを被ったまま俯いて動かないコウヤを見て心配したシロコは声を掛ける。
自分の趣味に付き合わせて、彼に無理をさせてしまうことは嫌だ。
疲労で俯いているのではなく、照れで硬直しているだけなのはシロコには運良く伝わっていなかった。
「よし、行こう」
それから体力が無いコウヤに合わせて休憩を挟みながら体力の続く限りサイクリングを楽しんだ。
距離にして20kmしかなく、普段の走行距離からしたらシロコには物足りない距離ではあったけど、彼と二人でそうすることに価値がある。
「前よりは余裕あるけど……流石にキツい」
「帰れそう?」
一度シロコの家に戻ってきた。
まだ日は昇っていて夕食にも早い時間だが、帰り道ですら数回休憩を挟んでいたコウヤがそのまま自宅に帰れる訳もなく首を横に振った。
「先、シャワー浴びてて良いよ」
ありがとうとだけ言ってコウヤが脱衣所へ入っていく。
彼が出てくるのまでに何か簡単な物でも作っておけば喜ばれるかと思い、サンドイッチとラッシーを作り始めた。
(疲れてるだろうし、あんまりがっつりしたのじゃなくて良いよね)
半分に切ったからしマヨネーズを塗った食パンにレタスとハムを挟んだサンドイッチと空のペットボトルに牛乳、ヨーグルトと牛乳、レモン汁と砂糖を入れてシェイクしてラッシーを作っておく。
ラッシーは自分の分も作っておいて飲むため二人分作った。
そうこうしている間にコウヤがシャワーから出てきた。
「ふぃー……いい湯だった」
「シャワーだけどね。サンドイッチとラッシー作っておいたから待ってる間に食べてて良いよ」
「ありがとう」
コウヤの入れ替わりでシロコが脱衣所に入ってシャワーを浴びに行った。
「いただきます」
テーブルの上に置かれたサンドイッチとラッシーの前で手を合わせる。
まずはサンドイッチから一口。レタスの瑞々しさとからしマヨネーズが味覚を喜ばせてくる。
(このからしマヨネーズ美味しい……まぁ、俺が作ってシロコの家に置きっぱにしてるやつだけど)
次にラッシーを口に含む。ヨーグルトと牛乳が程よく混ざり程よい喉ごしが喉を通っていき、疲労の溜まった身体に糖分が染み渡る。
「ごちそうさまでした」
この年頃の男子の食事量としては足りないが、半端な時間に食べるおやつとしてはこの位で良い。
(ねむ……ベッドは流石にシロコの、勝手に使うのは……)
しばらくするとコウヤが船を漕ぎだした。
髪も乾いているため、寝てしまうのは問題ないが、そのためにシロコのベッドを使うというのも大問題だった。主にホシノに怒られるという点で問題だった。
(……やば……身体動かな──)
結局は眠気に勝てずその場でコウヤは眠ってしまった。
「寝てる……」
シャワーを浴び終わったシロコを出迎えたのは眠りこけて床に面白い姿勢で寝ているコウヤだった。
折角サイクリングに行ったのだから、あそこの景色が良かったとか、あの通りにあったお店が良さそうだったとか、ここを逃走ルートにすれば逃げやすそうだとか、そういう話をしたかったのだが、眠っていてはそれも出来ない。
(心地良さそう……起こしちゃ悪いかな)
コウヤを優しく抱き上げて、ベッドの上まで運ぶ。
風邪を引かないように毛布を掛けて、その中にシロコも潜り込む。
(ん、これくらいはカップルとしてやるべき)
抱きつくくらいのことはしたいが、疲れているのは本当だろうし、心地良く寝ているところを起こすのも気が引ける。
その日はそのまま二人でぐっすり寝たまま明日を迎えた。
次回から二年前編