一
私の席は、教室最後方その中央の列に位置する。廊下側から性別ごとに交互に並んだ四列目、つまり運動場側から数えて三列目だ。昨冬のE組落ちに伴う自宅謹慎処分で、四月に入っても登校初日からは出席できなかった都合だろう。だから転校生の席も同じく最後方に
「おはようございます。今日から転校してきました。
私の二つ左隣、運動場側の窓際の席だ。ただし机と椅子はなく、かわりに黒色の筐体が、席の辺りに根づいている。身長が百七十センチ、体重が推定五百キロ、顔は相応の位置に設けられたディスプレイが、ようやく少女の
「おはようございます。今日から転校してきました。自律思考固定砲台と申します。よろしくお願いします」
転校生暗殺者の到来である。だがクラスメイトは多少は冷静だ。教室はかつてない静寂に包まれても、転校生暗殺者の登場は薄々と予期されていた。まず潜入暗殺者ビッチ先生の前例がある。そして何よりは百億円の賞金首が教職にありつくための
「おはようございます。今日から転校してきました。自律思考固定砲台と申します。よろしくお願いします」
暗殺者はむしろ生徒としてこそ投入されるべきだった。だからといって機械を転校生に仕立てあげるとは、なりふり構わぬ状況らしいが、ともあれ理事長は
「おはようございます。今日から転校してきました。自律思考固定砲台と申します。よろしくお願いします」
口から出ようとしたため息を、すんでのところでこの私がとどめる。隣の隣のかつて空席だった場所に、見ても見なくても
「おはようございます。今日から転校してきました。自律思考固定砲台と申します。よろしくお願いします」
定型文を繰り返した転校生が返事も待たずに元に戻ると、新たに登校してきたクラスメイトはしばし間を置いて感嘆し、やがて私の右隣で椅子を引いた。机の上に荷物も置かれ、「おはよ」と表情のにじんだ声。
「おはよう」
私は遅れて返事した。
「あれが転校生なんだ」
登校してきたばかりのクラスメイトは「女子じゃん」と私の向こうを見た。「女子みたい」と私は顔をあげたまま肯定する。
転校してきたばかりの
私は顔をあげたまま否定した。「ううん、なんにも」
と、クラスメイトの気まぐれに始まった会話は、私の返事に飽きたら終わりだ。やがて黒色のカーディガンは正面を向く。誰かが聞き出した出身地でも教えてやればよかっただろうか。曲がりなりにも人工知能を搭載しているものだろうと、講釈でも垂れてやればよかっただろうか。いや、まさか。いずれにせよ長続きはしなかったのだ。まもなく始業時間になる。
——しかし遅刻の常習犯も転校生が来る朝くらいは時間を守れるものらしい。
二
赤羽は大方の期待を裏切って、翌朝も時間を厳守した。珍しいことがあったものだ。けれどもクラスの関心事は、彼の三つ右隣、つまり私と空席の奥の
「あんなことをして、よかったんでしょうか」
奥田さんは視線をそらして、声を潜めた。暗に、よくはないのだと。だからといって止めもせず、剝がそう素振りも示さなかったが。クラスの誰もだ。私もだ。一切無抵抗だったボットは、おそらくは始業時間まで頑として起動しない設定で、しかし皆、理由もなく拘束したわけではないのだと、口をそろえて言えただろう。昨日のE組で授業を受けていれば。
人類存亡の危機に開発された射撃ボットは、なるほど世界最先端の軍事技術の結晶だった。暗殺のたびに学習し、併せて武器に変更を加える。
「ま、こうなるよね」
さて翌日——今朝も始業二、三分前になって、隣の席に荷物を下ろした赤羽は「おはよ」の挨拶で多少周囲を驚かせ、「あれ誰がやったの」
「ねえ」といかにも私を呼ぶように、声を出した。
私は仕方なく気まずい顔で答える。「寺坂くんだよ」
赤羽はそれで初めて気がついたように二つ隣、廊下側二列目すなわち入口そばの席に目を向けるが、寺坂竜馬は今朝ずっと
「なんだよ、なんか文句あるか」
「いいや、なんにも。むしろ、これで静かに授業が受けられるんだから。でかした寺坂」
「おまえ昨日はサボっただろうが」
最後はそうほえた。実際、昨日遅刻はしなかった赤羽は、正午を迎える前に
誰かが強硬手段に出ることを、赤羽は確信していたのだ。E組には短絡的な生徒が多い。寺坂くんはまさにその代表格だ。すると赤羽はもしかして
注目のクラス担任はそれからまもなく、ぺたぺた歩いて教室に来た。触手を四肢のように操る学校教師は、普段はヒトのようには靴を履かない。おはようございます。生徒に向かって挨拶をして、返事をされて、ぴたりと教卓の中央に立ち、視線は窓際の隅の席へ。生徒たちは固唾をのんで見守った。数名は祈るように目蓋を閉じた。だが一向に変化は訪れず、名簿の開く音だけがする。
そして新品の正確な時計が、ちょうど朝のホームルームの時間を告げた。「朝八時半、システムを全面起動」
体の異常にも気づいた。「殺せんせー、これでは銃を展開できません。拘束を解いてください」
先生は触手で頬をかいた。「うーん。そう言われましてもねえ」
人間たちがほっと安堵の息を吐く。その口が「授業が終わったら解いてあげるから」と苦笑する。
「機械にはわかんないよ、常識はさ」
朝だか昼だか夜だか、いや深夜だったか、橙色のチームメイトが運び出された。
三
母なるコンピューターは市民——よりもボット——を大事にしている。
先生は契約があっても生徒に
「何か話した」
丸一日まともな授業を受けた翌朝、赤羽は再度遅刻せず、朝も昼も話しかけてきた。何か話したかと。とはいえ私の返事は「まだ、あんまり」だ。話すことなど何もない。隣の席のクラスメイトにならって、二つ隣に目を向けてみると、空席を挟んだその席には人だかりができているけれど。まるで教室に転校生でも来たかのようで、その中心には当然に真実転校生である筐体が昼休みを盛りあげている。
転入三日目、機械の体は無粋なテープを失い、かわりに二倍の体積と
改良、されたのだった。
「せっかく話せるようになったのに」
「赤羽くんは」
「挨拶した」
「まあ、あれじゃあね」
転校生暗殺者は二日遅れで漫画の登場人物のように人気を博し、授業中には生徒の不正行為を助け、武器の代わりには小型『ミロのヴィーナス』を成形し、将棋が強かったクラスメイトのことはただ三局で打ち負かした。そういうことをするようになった。
もはや転校生の姿は、顔面を描画されるばかりではない。胴体を手に入れ、背面を用意し、
先生は
百億円の賞金首は報復として
「ってことで俺はパス」
赤羽は私たちの前の空席を見た。「後で奥田さんか千葉に聞くよ」
私もこればかりは同感だった。私たちの左側には、今やクラスの大半が集まって、かつて傍迷惑な暗殺者だった
「あんたも話したら感想を教えてよ」
「さすがに明日は自分で話したら」
「今日、話すでしょ」
「『今日』」
私は繰り返した。
「『今日』」
赤羽も繰り返した。
「今日は、ちょっと」
私は左側を見た。赤羽も同じ場所を見た。
「今からでも話してきなよ」
笑みを浮かべていた。だから「どうしたの」と尋ねてみた。それが嘲笑でも失笑でも苦笑でもないことはわかっていた。赤羽が他者と対面するときに
「赤羽くん、すごく気にしてるのに、なんだか順番を譲ってくれてるみたいだから」
赤羽は口を閉じた。口を閉じたら笑みも消えた。この私は返事を待った。やがて赤羽が目を細める。
「そうかもね」
「あ、そう、なんだ」
「うん。でも俺はいいや」
赤羽は視線を下に向けた。下。私の手元だった。机の上に閉じた文庫本。
「今、何ページ」
聞かれるままにしおりを探すと、まもなく重くなった左手の親指の先に、二十七の数字。答えようとしたけれど、赤羽もすでにそこを見ていた。
「私も明日ちゃんと話すよ」
「『明日』ね」
「この様子なら『明日』かな」
私は再び本を閉じ、左側に目を向けた。一昨日は銃を構えた
いずれプログラマーがメンテナンスに訪れる。そのとき現状を目の当たりにした連中が考えることを、
四
早くも四日目の朝のことだ。
さて自律思考固定砲台は、薄くなった筐体の、小さくなった画面に、
「はい、私の意志で
満面の笑顔を表示した。