ボクはマスコットなんかじゃない   作:ちゃなな

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06 危ないこと、しないで

 梢とキュゥべえの目の前で産まれた魔女、ヴィンフリーデ。その仔狼姿の魔女の産声と共に、地面の影が不自然に揺らめいた。注意深く見てみると、血溜まりと影が混じり合い、水面のように波打っているのが分かる。何が起こるのかは分からないが、少なくとも良いことではないだろう。そう判断した梢は、武器であり盾でもある注射器を強く抱きしめた。

 

「これが、魔女……」

 

 小さな姿から発せられる醜悪な気配に息を潜めて梢は呟く。その声は固い。使い魔とは比べ物にならない程の醜悪で大きな魔力を肌で感じ、身動きが取れなくなっていた。梢とキュゥべえが見つめる中、プールからプールサイドへと上がるように影の中から地面に横たわったものとそっくりな人狼が現れる。違うのは、毛並みが血に染まっていない事と、腹が膨らんでいない事。新たに現れた人狼は、濡れた体の水分を飛ばすようにブルブルと体を振るわせると顔を上げた。そして広場をゆっくりと見渡すように視線を巡らせる。人狼の視線は仔狼姿の魔女で一度止まり、二度目は梢とキュゥべえが隠れる茂みで止まった。小さく鼻をひくつかせ、ニタリと嗤う。

 

「見つかった……!」

 

 キュゥべえが短く叫ぶ。同時に梢も動こうと身じろぎするが、それよりも人狼の方が動きが早い。一直線に飛び掛かってくる。考えるより先に、梢は抱きしめていた注射器を体の前に突き出していた。横に寝かした状態のまま。人狼はぶつかるように注射器の本体部分に牙を立てる。

 

「……っく!」

 

 魔力で強化しているから、それで注射器の筒が割れたりはしない。だが、押し倒そうとしてくる人狼の力と体重に梢は呻いた。必死に力を込めて衝撃に閉じてしまった目を薄く開くと至近距離で人狼と目が合う。濁った瞳の色は血が固まったような赤茶色。その中に恐怖で歪んだ梢の顔が映り込んでいる。堅そうな体毛の色は茶色で、薄暗い森の中では木の幹と紛れてしまいそうな色合いだった。口からは涎が溢れ、注射器を濡らす。動物園にいるかのような臭いが酷く鼻につく。

 

「コズエ! 足元!!」

 

 臭いのキツさに梢が顔をしかめていると、キュゥべえが鋭く警告の声を上げた。ハッと足元に視線を落とすと、人狼の影が波打っている。

 梢は慌てて手を離し、注射器を突き飛ばした。その反動で、一歩分、梢の体が後ろへと下がる。その下がる前にいた場所を、影から伸び上がった茶色が斬り裂いた。遅れていた長い前髪の一房がそれに巻き込まれて宙に散る。

 

「きゃ……っ!?」

 

 一歩分では、足りない。そのまま転がるように梢は後ろへと飛び退る。人狼の口の中に残った注射器は噛み砕かれて、中に満たされていた薬剤が地面に沁み込まれていった。注射器は元の小さな大きさに戻って小さな水たまりに落ち、波紋を描く。梢はもう一本注射器を取り出して魔法で巨大化させた。今度は威嚇するように針を人狼に向ける。だが、新たに取り出したものなので、中に薬剤は入っていない。

 人狼の数は、二匹。もう地面は波打っていない。しかし呻り声と腹の虫の音が混じり合って、もっと数が多いような錯覚を受ける。人のように背筋を伸ばせないのか前屈みで、前脚は毛で覆われ爪が凶器に使えるほどに伸びて尖っていても、人のように指は分かれていた。爪と爪が触れ合って、カチャカチャと音が鳴る。

 

「お腹、膨らんでいないけど、あの魔女を産んだのとは違う種類なのかしら。お腹以外は同じに見えるけど」

「多分、同じものだと思うよ。魔女は使い魔を生み、使い魔は魔女となる。さっきの使い魔の腹が膨らんでいたのは、魔女を孕んでいたからのようだしね」

「……とにかく、使い魔を何とかしなきゃ近付けなさそうね」

 

 ジリジリと距離を取りながら人狼を観察する。人狼たちも視線で梢を追う。梢は針が人狼たちから逸れないように注射器を構えたまま薬剤を補填する為にピストンを引いた。

 だが、薬剤が溜まりきる前に二頭が同時に動く。咄嗟に針を突き出すも、当たらない。先行した一頭の爪がすり抜けざまに梢の肩を引っかけた。

 

「く、ぁっ」

 

 袖口が肩から破れ、血しぶきは地面に模様を描く。梢に傷を負わせた人狼は、その模様にむしゃぶりついた。血の匂いに夢中になっているようだ。もう一匹は向かってくる。

 

「えぇーいっ!」

 

 柳眉を逆立てた梢は薬剤がチャージしきれていないのを承知で注射器を槍のように再び突き出す。まっすぐに突っ込んできた人狼は避けきれない。針は人狼の胴体に付き立った。ピストンを押し、人狼の体に薬剤を注入する。薬剤の半分程が入った所で、梢は人狼に右足で蹴りを入れた。反動で針がすっぽ抜け、体が後ろへと流れる。先程注射器から手を離した時と同じように、それによって空いた空間を地面に飛び散った血を舐めとり終わった人狼が埋めた。再び、人狼と睨み合う。違うのは、向き合っている者の数と、梢が注射器を抱えているか否か。キュゥべえは茂みの傍ですぐに引っ込める位置にいる為に、先程は二頭対一人という形だったが、今は注射された一体が苦しみながら地面をのた打ち回っているので一頭対一人の構図になっている。補充しきれなかった為に元々の薬剤の量が少なかったのと、邪魔が入ったせいで全て注入することは出来なかったが、十分効いているらしい。

 

「よし、効いてる!」

 

 梢が明るい声で言う。思わず息をつく梢にキュゥべえの警告が飛んだ。

 

「右からもう一頭来てるよ!」

「ぁ……!」

 

 咄嗟に右を向いた梢の視界に映るのは、飛び散る赤色。血液の赤と、布地の赤。梢は注射器を横に薙ぐ。人狼が距離を取るのを視界の端に収めつつ、地面に向けた注射器の縁に足をかけた。歯を食いしばってピストンを引き、今度は完全に薬剤を補充する。その動きは大雑把かつ乱暴で、確かに梢は普段から繊細な動きなどしてこなかったが、それと比べても動きに余裕が感じられない。

 

「んのぉ!!」

 

 梢は腰を落とし、大きな注射器を気持ち針を上目に構えて突き上げた。針は、飛び掛かって来たことによって空中にいた人狼の大口の中に吸い込まれる。そして、ぶつかった衝撃を勢いに変えてピストンを押し込む。薬剤が、今度は針の空洞を通って完全に人狼の体内へ流し込まれた。人狼の苦鳴。それは、口に突っ込まれた注射器のせいでくぐもっている。体が痙攣し、噛みしめた口の端からは涎を垂れ流していく。眼光も見る間に濁っていき、瀕死状態なのは間違いない。だが――

 

「……っ!? 抜けない……!」

 

 注射器が、抜けない。先程のように下がれない。その上、空中にあった体が地に堕ちて、梢の体も引きずられるように体勢を崩した。

 

「コズエ!」

「…しま……っ」

 

 キュゥべえの声。注射器に貫かれたままの瀕死の人狼の脇から、近づいて来ていたもう一匹が飛び掛かってくる。注射器から手を離すという選択も梢の頭には浮かばなかった。ただ、迫りくる汚れた牙を瞳に映す。しかし。

 

「えっ?」

 

 梢の口から漏れたのは、間の抜けた声だった。瞳の中から牙が消えている。牙は、ずれた位置で噛み合わされていた。正面にいた人狼の頭が横に逸れたのだ。距離が空いたわけではない。我に返った梢は注射器を横に薙ぐ。重いが、それは魔力で無理矢理補助した。注射器は人狼のわき腹に当たり、短い距離ではあるが吹き飛ばす。突き刺さったままだった方の人狼も力なく針からすっぽ抜け、梢の腕にかかっていた負荷が消えた。魔女を腹に抱えていたのと合わせて三頭の人狼が地面を転がり、一頭は身を低くして距離を取って魔女の傍へ。地面を転がっている人狼は一頭だけが身じろぎ、地面を掻く。だけど、梢の意識はもうそちらへは向いていなかった。

 

「どうしてここに……」

 

 緊張と恐怖と興奮から荒くなっていた息を整え、梢は窮地を救った因子へと視線を向ける。相手の息も若干荒い。息を呑んで、ふう、と大きく息をついた。梢は何かを堪えるように顔をしかめて掠れた声を上げる。

 

「結衣……!」

 

 口を大きく開けた醜悪な人狼の代わりに梢の瞳に映ったのは、大事な親友。人狼の頭を殴り飛ばした学生鞄を胸元に引き寄せた浅見結衣だった。

 

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 キュゥべえは息を弾ませる結衣の姿を肉眼で確認して耳を軽く動かした。動きに合わせて耳毛が揺れる。彼女が結界に入った事は分かっていた。今まで念話で繋がっていたのだから。無感情故に恐怖がどんなものなのかキュゥべえには分からなかったが、それでも分からないなりに今まで関わってきた魔法少女達との経験を元に敵の姿を恐怖心を煽るように伝え、梢が手傷を負った事を血の匂いがしそうなほど丁寧に伝え、常人では踏破の困難な結界内の道を安全に渡れるように伝え。

 結衣がキュゥべえの元に辿り着いたのは、人狼と梢が一頭対一人で向かい合ったところだった。結衣は荒れた息を膝を掴み、前屈みになって整える。そうでもしないと地面と仲良くする羽目になっていただろう。ずっと休むことなく走り続けていたせいで、膝が笑っていた。汗が数滴地面を濡らす。結衣が顔を上げるのと、キュゥべえが声を上げるのはほぼ同時だった。

 

「右からもう一頭来てるよ!」

 

 顔を上げた結衣が見たのは、鋭い爪に胸元を深く斬り裂かれる梢の姿。破かれた赤瑪瑙色の布地の切れ端、赤褐色の血液が飛び散る。結衣の目が見開かれた。

 本当にいいタイミングで辿り着いてくれた、とキュゥべえは思いながら、しっぽを揺らして戦場を見やる。丁度、梢が口の中を串刺しにされてくずおれる死体に引き摺られ、体勢を崩したところだった。同時に、興味なさそうに座り込んでいる仔狼の魔女の影が揺らいでいるのに気付く。影溜まりから出てくるのは、新たな使い魔。使い魔は、梢が気付く前に距離を詰め、飛び掛かろうとする。

 

「……っ!」

 

 体を硬直させて顔を青くしていた結衣が、茂みから飛び出す。人狼の方が生身の結衣より動きは早い。だが、立ち位置は茂みが近かったので、梢の元へ到達したのは同程度だった。

 人狼は大きく口を開ける。結衣は力強く踏み込む。ローファーの底が地面を擦って音を立てた。通学鞄の取っ手をしっかりと握り、側面が人狼の横っ面を引っ叩けるように振り抜く。ゴルフのドライバーのような軌道を描いた通学鞄は、小さな球ではなく人狼の頬を張り飛ばし、牙の軌道を変えた。

 さすがにそう来るとは思わなかったキュゥべえは目を丸くする。元々丸い瞳で、且つ変化が少ないのでよく見ないとその変化には誰も気付かないだろうが。少なくともキュゥべえに背を向けている結衣と、その結衣の登場と行動に自失している梢は気付かなかった。

 

「結衣……!」

 

 呆然と結衣の名前を呼ぶ梢。だが、敵は待ってはくれない。人狼が視線を外した梢に襲い掛かる。梢は爪が届く直前で我に返り、慌てて避けた。袖口が斬り裂かれるものの、肌には届かず、傷はない。それでも顔を青くして動こうとする結衣の隣にキュゥべえは静かに寄り添うように歩み寄った。

 

「ユイ。危険だ、下がって。相手は魔女。人間じゃないんだ。魔法少女じゃないキミでは、対抗できない」

 

 見てごらん、とキュゥべえは梢と人狼を示す。注射器を盾として構える梢と、彼女に噛みつこうとしている人狼がもみ合っている。

 

「咄嗟に鞄で殴り掛かってコズエのピンチを救ったのは凄いと思うけど、キミではダメージを与えられない。魔女や使い魔に対抗できるのは、魔法少女だけなんだ」

 

 梢は人狼との力比べを諦めて注射器から片手を離す。対抗の力が緩んだことで人狼が押し込んできた。梢は押し倒されないように後ろに下がりながら手をひらめかせる。その手の中には、新たに呼び出した小さな注射器。

 

「……でも、コズエは魔法少女になったばかりだし、戦いなれてない。――コズエ、もう一頭が回復したみたいだよ、気をつけて!」

 

 手の中の注射器をもみ合っている人狼に振り下ろそうとしていた梢は、手の振りを縦から横へと変更した。迫っていたもう一匹は背を反らして注射器を避ける。だが注入された薬剤のせいで足腰が弱っていたのか、そのまま尻餅をつくように倒れ込んで反撃はない。しかし、もみ合っていた方の力に対抗できなくなって距離を取らざるを得なくなり、梢も追撃をかけることは出来なかった。ハラハラとその様子を見つめていた結衣の足に、キュゥべえがしっぽを絡める。

 

「一人だと、倒すのは難しいかもしれないね?」

 

 柔らかく、温かい感触に逸れた意識と、いっそ優しげな囁きに結衣は息を呑んだ。視線を彷徨わせて唇を一度引き結ぶが、その力はすぐに緩む。

 

「結衣」

 

 だが、その口から紡がれようとした音は、別の口から放たれた音で形になる事はなかった。結衣が顔を上げると、梢は背を向けたまま人狼と対峙している。もみ合った挙句に奪われた注射器は破壊されたようで、彼女の手に握られているのは小さな注射器だけだった。

 

「でも……っ」

 

 言外に止められて、結衣は言葉を詰まらせる。

 

「危ないこと、しないで」

 

 争いごととは無縁の生活をお互いしてきた。梢は結衣に戦いは無理だとキュゥべえに言ったが、それは梢にも言える。危ないことはして欲しくない。どうしてもする必要があるのならば、せめてその時は共に。泣きそうな表情の結衣に梢は笑って見せた。苦笑だけど、それは心からの笑み。

 

「それは、こっちの台詞。魔法少女じゃない結衣が横っ面ひっぱたけるんだもの。魔法少女のあたしが負けるわけ、ないでしょ」

 

 そう言って結衣に背を向けた梢は決意を新たに武器を人狼へ向けた。

 結衣は、絶対に守ってみせる。そして、魔女を倒すのだ、と。




お久しぶりです!
何とか仕事場の引っ越し作業も終わり、移動にも慣れてきました。
でも通勤時間10分ちょい→1時間以上はキツイですww
暫く文章書けなかったから、矛盾がないかなどのチェックが大変……
こういう時、プロットのあらすじって大切なんだなーと心の底から思います。
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