「さて、その話を踏まえた上で、はっきりさせておきたいことが一つある」
そう言って、達也はシルバーホーンを強く握り直し、志貴への眼光を強めた。一気に洗練されたその佇まいは、ごく一般的な住宅街の中では明らかに異質を放っていた。深雪は兄の変貌ぶりに思わず息を呑み、そしてほとんど無意識に自身の表情が曇らせていた。
彼女がそんな表情を浮かべたのは、達也の表情が自分の見たくないものの一つであったからである。兄がこういった表情を浮かべるのは決まって“争い事”に赴かねばならない時、もしくはそれに準ずる何かに関わっているときである事を深雪は知っていた。深雪自身現代魔法の素質は高く、その力は一般の魔法師を遥かに凌ぐものであったが、だからといって彼女は争いを良しとはしない一般的な、いやそれ以上に慈愛に満ちた優しい少女なのである。
例え、争いが避けられない状況でも彼女はそんな自身の心を無視する事はできない。そして、それが敬愛する兄に関するならばなおさらである。
深雪は兄を信じきっている。例えどんな窮地に陥ろうと、兄は命を落とすようなことは絶対にしないし、出来ない。それでも、そんな心が荒む様な異常な場所には関わってほしくないのである。それが、今の自分たち兄妹を取り巻く状況では難しい事だとは理解している。それでも、そんな場に赴く度に兄の全てを削ぎ落としたような冷たい顔を見る事に慣れる事など出来るはずもなかった。
そんな思いを抱えながらも達也が見せる表情と現在の状況を比較した上で、深雪は兄のこれから投げかける言葉が文言以上の重みを持っていることを理解していた。
「
深雪の思った以上の重さが達也のその言葉にはあった。有無を言わせない、それでいてまるで何処か確証を得たようなものに近い響きで達也は簡単にそう言った。達也の冷たい雰囲気とその言葉の響きを感じ取り、志貴は背中に微かな震えを感じていた。
確かに感じた冷たい気配に志貴は素直に恐怖を感じながら、心が震えるのを感じていた。それは志貴の眼を通して視ていたモノと同じものである。志貴は達也を同類だと確信していた。そして、自分よりもその点においてはまだ戻れるような立場にいる未熟者である事も。しかし、違和感を感じていた事も確かなのである。本当に同類であるならば、アレに対して何かしらの尊さのようなものを抱いていなければならない。
その違和感の原因が志貴の中で今はっきりした。達也は死に多く触れてはいるが、死を理解はしていない。自分なりに考えた概念として昇華させてはいないのだと。ただ単に外敵を排除する手段として、生物が生命活動を停止する
だからこそ、達也が醸し出す殺気ともいえる異様な雰囲気はただただ針のように鋭く、冷たいだけのものだった。
(達也、アレはさ、そんな機械的なものじゃ片付けられないよ。アレは
と、志貴は口には出さず嘲笑うように心の中で呟いていた。
「答えろ」
一言、念を押すように達也の声が降りかかる。
「ああ、そうだよ」
と、志貴は軽い調子で素直に答えた。
志貴のそんな様子に何処か腑に落ちないような表情をしながらも、達也はシルバーホーンをゆっくりと下げる。彼があっさりと認めた事もそうだが、あまりにも動揺の色がなく、何時も以上に軽いその様子に、達也は靄がかかったような不快さを感じていた。
その様子がはったりなのか、それとも単に自分が考えるほど血に染まった経験が少なく、場の空気を感じ取れなかったのか。自身の弱点ともいえる純粋な感情の考察に達也は答えを未だに出せないでいた。
「お兄様……それはどういう意味なのでしょう。彼が賭けに負けたのを有耶無耶にしたかった、というような訳ではないのですよね」
幾分穏やかになった兄の雰囲気を感じ取り、何処か自信なさげに深雪が口を開く。彼女も自分の口から出た言葉がほぼ不正解だと分かっていたものの、何とかしてこの話を早く切り上げて一刻も兄と目の前の人物を遠ざけたかったのである。
兄を彼と関わらせてはいけない。本能が自分の中に潜む危機感がそう深雪に告げていた。
「ああ。勝ち負けの判定があれだけ大雑把だったんだ。勝ちたいだけなら、もっと具体的な事を持ちかけてくるよこいつは。深雪、事はもっとシンプルな話なんだ」
「シンプル……ですか?」
「そもそもあの賭けに俺は負けていたんだよ」
「……えっ?」
達也の思わぬ発言に深雪の口から思いがけない声があがる。深雪の胸中は今までの雰囲気や感情をすっ飛ばして、ただの驚きが支配した。その後に訪れるのは真実のはずがないという、自身を言い聞かせるような感情だけだ。
だって達也に限って、兄に限って『負ける』なんて事は起こりうるはずがないのだから。
そんな深雪の感情を無視するように達也は言葉を続ける。
「あの時、お前は計っていた時間を伝える時に嘘をついたんだ。あのタイマーはきっかり4秒で止まっていたはずだ。そのために賭けの公正さを失くしたかった。そして、その証人となり得る可能性が一番高かったのが深雪、お前なんだ」
「そんな……でも、それならどうして!」
「わざわざ嘘を教えて“実は勝っていた”みたいな優越感に浸りたかった……そんな理由だったら幾分気が楽なんだろうが、その理由には俺は興味はもうないよ。だから、深雪。お前もそれ以上怒らないでくれ」
達也はそう言って、深雪の頭を優しく撫でる。当の本人がそう言うのならばと、理解しようとした深雪だが納得が出来るはずもなく、それならば、と言葉を濁した。
「まあ、確たる証拠はないんだけどね。概ねその通りだよ達也。っていうか、そんな推理が出来るなら魔法師なんかやめて探偵にでもなれよ。きっと、大成功するぜ。ハンチング帽にパイプ咥えてよ」
「ホームズになるにはせめて成人しないとな。それにあくまで状況推理だ、本業には向きそうもない」
「まあ、確かに決め手には欠けるな」
冗談を交わすものの、二人の雰囲気は言葉とは裏腹に柔らかいものではなかった。達也は笑みの一つも見せず、CADを未だに手に強く握りしめており、緊迫したとまではいかないが空気は十分に張り詰めていた。志貴はあくまでも何時もと変わらない素の表情で応対している。
「で? そんな及第点以下の見事な推理に水を差すようで悪いんだが……俺に本当に聞きたいのはそういうことじゃないんじゃないか?」
と、口を開く志貴に達也はわずかに顔をしかめた。そう、達也が聞きたいのはそんな賭けの種明かしなどではなく、もっと自分の成長に繋がるような有益なものの事だった。そもそも、どっちが勝った負けたなんて達也にとってはどうでもいい話なのである。感情の揺れ幅が極端に小さい彼にとって、その程度の事で満たされるプライドなどは必要のないものであった。だからこそ、客観的に、冷静に己を磨く司波達也という人間がいるのである。
「……俺はあの時3秒で決着がつくと考えていた。服部先輩が俺が二科生ということで多少の油断があった上に、魔法による模擬戦では俺とは初対面だったからこちらの手の内が事前に知られている事もない。時間が少ない中、虚をつく戦法でしか勝ち目がないと事前にシュミレーションをした結果、波長の増幅が決まればそうなると考えていた。しかし、服部先輩は思った以上に打たれ強かった。一撃で確実に昏倒させるはずがそうならなかった」
「そんな毎度思い通りになる訳ないだろう」
「もちろん、想定と現実は違う。介在する不特定な要素なんて幾等でも起こり得る。しかし、お前はそれを見越していた。あの1秒の差は何なのか、俺は純粋にそれが知りたい」
達也のその問いに、志貴はしばらく答えることはなかった。真面目に聞いてくるその様子に心の底から志貴は驚いていた。そして、ようやく司波達也という人間の中身を少しだけ理解した。彼が死をただの手段として、因果の先にある結論としてしか捉えていない在り方の理由を把握し、志貴はどうしようもないと
「……お前、本当に馬鹿だわ」
最大限の侮蔑を込めてそう言った。
お久しぶりです。社会人になりました(笑)。
短くて申し訳ないですが、執筆から離れるとこうなることが痛いほどよくわかりました。