国立魔法大学附属第一高校。東京・八王子市に存在するそれは現代に「魔法」が普及した世の中で、東京近辺の未来ある学生たち誰もが夢を見る魔法技術専門の教育機関である。この学校に入学を許された時点で、魔法の才能を認められた社会的エリートの肩書が付随する。しかし、この学校では学生の間に一種の強い差別意識が根付いていた。
国立魔法大学附属第一高校、通称一高は、入学試験の成績によってクラスが分けられる。入試上位の100名を一科生、残りの100名を二科生に区分され、それぞれが
さらに二科生は教師からの魔法実技の個別指導が受けられず、もともと魔法実技の成績を重視する魔法科高校の入試で力を認められなかった二科生と一科生の実力の差は開いていくばかりである。そんな制度も相まって一高の学生たちの中では一科生を「優等生」、二科生を「劣等生」として差別の温床が広がっていくことになる。
それでも一般人から見れば、魔法科高校の学生たちは世にいうエリートたちには違いない。そんな場所でも夢を見て受験する若者たちは後を絶つことはなかった。そんな誰もが羨む教育機関のとある一室に彼はいた。重厚な調度品が重々しい空気を放つその部屋で彼は、一人の老人と対峙している。
老人の名は
「正直な所、私は君たちの世界には疎い。名前ぐらいは聞いたことがあるが、その真相はかの十師族ですらも詳しくは分かっていないと聞く。去年から続く校内の失踪事件に関しては私も頭を抱えていたからこそ、知り合いを通じて『噂の人形使い』とやらに事の収束を願い出たものの現代の魔法理論から逸脱した今の状況は私の理解の及ぶ範囲ではないのが現状だ」
「だからこそ私が出向いたのです。これは今や魔法が科学となったこの時代においては理解の外にある事象だ。いくら事象を書き換える魔法であっても、理解できない神秘など書き換えようがない。それに魔術は秘匿を原則としています。魔法が認知されたこの世でその秘匿性も少し薄れてきてはいますが、それでも精々古式魔法の一種といった程度でしょう。あなたが知らないのも無理はない」
彼は黒いサングラスの奥に蒼い光を宿しながら、目の前の老人にそう答えた。かつての魔眼殺しはその見た目を大きく変えていたが、機能に変化はなく彼はその瞳を黒く覆うことで世界から逃げることなく現実を直視できるようになっている。東は彼の言葉に頷きつつ、話を続けた。
「ならば、この件は君に一任したい。それに伴い君を我が校の新たな生徒として迎え入れようと思う。今日行われる入学式に関しては、まだ時間がある。ゆっくりしていくといい。君は正式な入学試験を受けた訳ではないし、あくまでも現代魔法に関しては実技の能力が低かったため二科生としての入学となるがよろしいかな」
「問題はありません。調査の関係上校内にいる必要性があるだけですから。それにあくまでも現代の魔法技能という点においては自分が二科生であるのは正当な評価であると考えていますので」
「それはよかった。喜んで……と言える状況ではないが歓迎するよ」
差し出された手を彼は握り返す。数瞬の間、互いの視線が交錯した後、東はため息を吐きながら腰を下ろす。
「それにしても、“魔術”に“死徒”とは……この世界には未だ人の理解を超えた現象が多くあるものだ。昔のおとぎ話ではあるまいし、今更“吸血鬼”などという言葉を聞くことになるとは……」
「“死徒”に関しては仕方のない事でしょう。誰だってそんな古びた伝説が今回の失踪事件と繋がっているなどと思いはしないでしょうから。政府も警察もまだ知りえぬ現代魔法による犯行だとして調査を進めるでしょうからね。それに信じたくはないでしょう、失踪した生徒たちは既にヒトではないと」
「そうだろうな。誰しも理解の及ばないものに関しては恐怖を覚えるものだ。例え明るみに出たところでパニックを避けるために情報規制をかけるに違いない。しかし、そうなると失踪した生徒のご家族は……気が気ではないだろうな」
彼がこの場にいるのは三か月ほど前から頻発している失踪事件の事に関してである。発端となったのは横浜中華街で起きた小規模の団体失踪事件だった。とある魔法犯罪組織の隠れ家を見つけた警察が構成員を摘発しようと乗り込んだのはいいが、そこは既にもぬけの殻であり、事前に察知した組織に逃げられたと考えていたのだが、その日からぱったりとその組織が問題を起こすことがなくなったのである。偶然だと楽観視していた警察を焦らせたのはこの一高の生徒が複数人行方不明になり始めたことからであった。それまでにも一般人を含め、多少なりの被害報告はあったものの全て目撃者が少なかったり、証拠が不十分であったりと決定打に欠け、未解決のまま放置されていた。
しかし、未来を担う有能な魔法師を育成する一高の生徒が失踪したとなれば話は別である。警察各署は今も慌ただしく動き、情報を集めているであろう。現場には一様に
それもそのはずだ。彼らの追っているのは現代魔法の知識を得た“死徒”なのである。死徒は本来人の理から外れている以上、現代魔法の起動要素の一つである魔法演算領域を持っていない。しかし、それは大元の親となる死徒に関してのみである。もともと魔法演算領域を持つ人間を子として扱えば自身の形跡を残すことなく自らの養分を確保することができる。死徒は吸血行為によって子となる死者を増やしていくため親を始末しなければ根本の解決には至らない。芋づる式に増える子によって被害が拡大していくだけなのだ。それを知らない警察は子である死者の現代魔法の痕跡を追っているのだから事件が収束に向かわないのも当然の結論であると言えるだろう。
東も一高の生徒が、しかも校内で失踪したという現状と解決の糸口が見えないこの事件を収束させようとすがる気持ちで魔術師蒼崎橙子に仲介人を通して依頼してきたのである。もちろん彼女自身が出張ることはなく、解決方法として一番効率の良さそうな彼に白羽の矢が立ったのである。
これは余談であるが、もう一人の魔眼使いにも先に話を通したらしいが彼女曰く――
俺は殺すことにしか興味ない。そんな探偵みたいなことなら幹也にでも任せておけばいい。
と眼中にないとでもいうように拒否されたとのこと。名前が挙がった幹也なる人物にはこの手の荒事はさすがに向いていないため、結果的に彼に話が回ってきたといった状況なのである。その時の事を思い出して彼は嘆息するが、仕事は仕事である。正式な依頼として彼女から前金を渡されている都合上、下手にも断れないのだ。
「それでは最後に一つ。この事件、そして魔術及び死徒に関する事に関しては口外しないことをお約束ください」
彼は東にそう伝えると、東は何故だと言わんばかりに顔をしかめてみせた。
「何故だね。私としては十師族の生徒たちには事の状況を詳しく話すべきだと考えている。彼らは現代魔法会の頂点の人間たちだ。場合によっては協力することもできるだろうし、彼らには知っておく権利があるとは思うが……」
「先ほどあなた自身が言ったように十師族の関係者にも魔術や死徒といったものは詳しく知られておりません。
「しかし、彼女達もそこまで馬鹿じゃない。既に自分たちでも何らかの動きを見せている。ならば、情報を事前に開示し、手を取り合うことで事はスムーズに収まるのではないかね」
「十師族に限らず自ら動いたうえで魔術、死徒に関しての情報を得たのであれば、こちらとしても特に咎めることはありません。しかし、
「……君も彼女達と同じぐらいだろう。それは理由にならないんじゃないかい」
「言ったでしょう。
まだ、何か言いたそうな面持ちの東に彼は少し感謝した。得体のしれない若い男でも一介の学生と同じように見てくれたことに多少なりとも嬉しかったのかもしれない。しかし、と彼は自身のサングラスに手をかけた。
「二度は言いません。これ以上話を蒸し返すなら、遺憾ではありますが私はあなたを――――しなくてはならない」
その言葉と彼の眼に東は反射的に左手首に備え付けられたCAD(Casting Assistant Device)に手を付けてしまう。東自身も何故そんなことをしたのか分からない。しかし、彼の眼を蒼く、鈍く、重く光るその視線にさらされた途端の咄嗟の行動だった。それは人間の脳に刷り込まれた一種の防衛本能なのだろう。どっと噴き出した冷や汗の感触に東は我に返りその手をゆっくりと下ろした。彼の眼を見たのは一瞬で、既にサングラスをかけなおした彼からは先ほどの感覚は失われている。しかし、東はこの一瞬を残りの少ない生涯で決して忘れることはできないだろう。間違いないと東は確信する。
あれは本当に見てはいけないものだったのだ、と。
一般の家庭ならばその妹一人を学校に行かせればいいだけの話であろうが、この兄弟においてはその限りではなかった。複雑な家庭の事情から妹のそばを離れる事を出来るだけ避けているといった表向きの理由はともかく、兄である達也はそんな理由がなくても妹に付き従ったに違いない。端的に言えば、彼は妹を溺愛していた。これ以上にないほどに事情を知らないものが見れば、さも恋人同士に見えるほどに彼は妹を溺愛していた。
達也は周りからどう思われようと深雪への態度を少しも崩すつもりはないが、彼の抱える過去を考えればそうならざるを得なかったとしても仕方がない。達也は異常な環境が育てた、異常な人間である。起こってしまい、過ぎ去った事を今更悔やんでも仕方がないが、彼は現代の魔法が当たり前になった世の中でも特別な存在であることは確かだった。
そんな達也は校内を歩きながら手ごろなベンチを見つけるとそこに腰掛けながら、情報端末を取り出した。お気に入りの書籍サイトでインストールした電子書籍を読みながら、彼は校内で起こったちょっとした出来事を思い出していた。
(思ったよりも……差別意識は高いようだな)
それはすれ違った上級生が口に出した言葉。
考えるのは最愛の妹の事。妹はこんな出来の悪い兄でも純粋に慕ってくれている。しかし、何時ものように自宅で過ごすように妹とのひと時をこの場で過ごすことは難しいのではないかと考えられる。深雪は賢い子だ。彼女がそんなくだらない差別意識に捉われることは万が一にもありえないだろうが、彼女もこと兄である達也の事になると周りが見えなくなるきらいがある。それこそ純粋に達也を想っているからこその行動であるが、彼女は達也と違い立場としては一科生なのである。差別意識の高いこの場において深雪の行動を周りの一科生の生徒たちが黙って見ているとは考えにくい。
(うまく立ち回るしかないな。深雪に無駄な心労をかける訳にはいかない)
達也は考えた末に自身が何とかすればいいという結論に落ち着いた。深雪が不利に陥るような状況を作らずに自分が動けば問題はないだろうと手元の端末を再び操作し始める。しかし、後日その事を深雪に看破され、彼女が兄に迷惑をかけたと悲しんでいる事を困惑しながら宥める事になることを達也はまだ知らない。
書籍をある程度区切りのある場所まで読み終わると、達也はニュースサイトを開きめぼしいものをチェックする。そんな中、彼の目に止まったのは連日世間を騒がせている失踪事件に関するものだった。この連続失踪事件は一高の生徒も被害にあっていることから世間の目を必要以上に集めていた。そのせいかインターネット上には突拍子もない噂が流れている事は達也も知っていた。噂には様々なものがあったが、特に話題になっているのは政治的なものでもなく、軍事的なものでもなく、こんな噂だった。
失踪事件の犯人は“吸血鬼”である。
この噂を知った時はさすがの達也もため息が出た。いくら魔法が現実として認知されるようになったとはいえ、伝説上の生物が犯人などと一昔前のファンタジー小説でもありえない筋書きである。しかし、達也の呆れた感情をよそにこの噂は真偽はともかく目撃者が存在するなどといった話もあり、若者を中心に一種の都市伝説のようになりつつある。達也自身そういった俗っぽい話題には疎く、また信じてもいないのだが、失踪事件自体は本物である。もし、犯人が深雪を狙うようなことがあれば彼は躊躇うことなく排除しようと考えていた。
(誰であろうとも、深雪に危害を加えるものがいるならば……)
達也が今一度自分自身に言い聞かせ、また新たなニュースを探そうとしたその時。
「やっぱりそのニュース話題になってんだな。物騒な世の中だね全く」
後ろから唐突に声をかけられた。達也が振り向くとそこには真っ黒なサングラスをかけた制服姿の男が立っていた。“紋無し”の制服を着た男は、後ろから他人の端末を除いたことへの罪悪感からか、はたまた振り向いた達也に驚いたのか、両手を軽く上げながら自身に害意のない事をアピールしていた。
「他人の端末を勝手に覗くなんて、失礼だとは思わないのか」
「いや、申し訳ないとは思っているさ。けれどまだ入学式が始まるまでかなりあるのに同じ制服の奴がそこにいたら、声をかけたくなるのは人の
「少なくとも俺にはそんな感性はないが……」
「冗談だよ。端末勝手に見て悪かった」
えらく遠回りな表現をした割にはあっさり非を認めた男に達也は気にするな、と声をかけた。立ち上がり男と改めて向かい合い、これも何かの縁と手を差し出す。
「新入生の司波達也だ」
最低限の自己紹介をすると、相手は面食らったように目を丸くした。それも一瞬、何事もなかったように微笑むと手を握り返し、口を開いた。
「同じく新入生の
そう名乗った彼の眼がサングラスの奥で蒼く光った事に達也はこの時気が付くことはなかった。