七草真由美は不機嫌だった。十師族に名を連ねる七草家の娘として真由美は初対面やそこまで親交のない知人などに対しては取り繕う事を覚えていた。それはほぼ無意識的なものだったのかもしれないが、彼女は自分の立場上そうする事が必要なのだと理解していた。悪い印象を持たれないよう、七草家の娘として相応しい優雅さと気品さを兼ね備えて、立派な淑女を演じていた。それは一高に通うようになってからもさして変わらない。生徒会長という立場もあり、特に必要がない限りは貞淑な女性であるように行動していた。
ある程度気が知れた仲ならば、特に取り繕う事もなく彼女は素の自分で接している。特に仲のいい摩利あたりに言わせると、見事なまでの『猫かぶり』であるらしいが、真由美自身そう言われることを特に嫌だとは感じていなかった。何せ彼女自身もそういった意識で周りとの距離を測りながら生活していることを全く否定は出来なかったからである。
そんな彼女であるがこの日は周りに多くの未だほとんど接点もない同じ一高の生徒達が通学しているにも関わらず、自身のむくれた表情を取り繕う事すらせず、まるで自分の不機嫌さをもって周りに当たり散らしているような様子であった。最も、周りの生徒から見れば彼女の端麗な容姿も相まって、普段とは違う表情にただ可愛らしさを感じていた程度の事なのであるが、真由美本人はそんな周りの浮かれた視線に気づく様子もない。
彼女が不機嫌な理由はただ一つ。つい先日、一年越しの再開を果たした彼の事であった。
あの後、真由美は志貴と二人きりで話せる時間を取ろうと躍起になってあれこれと提案していたのだが、彼は何故かそのことごとくを拒否していた。これが自分が喪失した時間と燻っていた感情の矛先を押し付けているだけだったならばともかく、志貴自身も提案には満更でもなかった様子だった事から、真由美は彼が昔と変わらず自分を想ってくれていた事は安易に想像できた。自分の目が曇っていなければという前提の話ではあるが、こと
にも関わらずである。これからは何時でも会えると言って自分の提案を突っぱねた彼に変にイライラしてしまった自分を真由美は抑えきれなかった。冷静に考えれば外せない何かしらの用事でもあったのだろうと想像は出来る。しかし、待たされた彼女の身としてはこの一年は長く、辛いものであった。ようやく目の前にその元凶が現れたにも関わらず、愚痴の一つも与える場を設けてくれないのは真由美にとっては我慢しがたい事だった。
「……はぁ」
思わずため息が零れる。彼がそこまで優先している用事とはいったい何なのだろうか。この一年で彼を取り巻く環境はがらりと変わっているのだろう。だからこそ容易に首を突っ込めるものではないが、ここまで頑なだと真由美としては悪い想像しか浮かばない。考えられる事は色々とあるが志貴を想い続けた彼女にとって最悪なのは自分に取って代わる人物が現れたのではないのだろうかという、年相応の少女らしい悩みだった。
「……優しいものね、志貴は」
自分が先ほど確信した彼の思いとは裏腹にどうしてもそういった男女間の問題を懸念してしまうのは、ひとえに真由美が志貴を強く想っているからこその事だった。それは有り得ない、それは考えられないと強く彼の事を信じている自分がいる一方で、彼の身に変化があったこの一年を知らない真由美にとってはもしかしたらと考えてしまう自分がいるのは仕方のない事でもあった。
(……こんな重い女だったかしら、私)
考えれば考えるほど泥沼にはまっていく思考は、ついに真由美自身の事を考えさせるに至る。ここまでいくともうどうしようもない。彼女はもう一度深く、大きくため息をついた。
「……あら、あれは」
その時、前方に見えたのは真由美が見知った人物だった。新入生で文句なしの首席入学でその魔法の才能と見目麗しい容姿で話題を既に学校中でも話題になっている司波深雪、そして実技はあまり芳しくなかったものの筆記試験では圧倒的な学力を見せつけたその兄、司波達也の二人だった。
真由美は深雪はもちろんのこと、実は達也の事も事前に知っていた。一高の新入生は毎年入学試験の成績上位者を在校生の二年生、三年生に向けて公表している。学校側としては、二年生、三年生に進級した生徒たちに新入生に負けていられないと向上心を出させるために設けたものであったが、当の生徒たちにとってはあまり効果が薄く、毎年入試主席の人物を加入させる生徒会などの学校管理に携わる組織が主に前情報として活用しているの制度になりつつあった。もちろん本人の許可をとった上でのものであるがこれには彼の名前も乗っていたのである。筆記試験は堂々の一位。実技の配点が高い魔法科高校の入試の煽りをくらい、二科生としての入学となったが真由美はその頭脳に純粋に感心していた。
そして、入学式の前と後に少しではあるが達也と会話を交わしている真由美は、この数日間であくまで顔見知り程度の仲にはなっていた。不機嫌な心持ちは未だに収まりはしないが、さすがに先輩としてそして生徒会長としての立場がある。あの兄妹に挨拶ぐらいはしておかねばならないだろう、と真由美は二人に声を掛けようと歩を進めようとして、自分の中の悪魔(小)が唐突に囁いた気がした。
自分の憂さ晴らしに少しぐらいあの兄妹をからかってみるのもいいかもしれない。
真由美は悪戯を思いついた子供のように笑う。彼女を昔から知る志貴がこの場にいれば、彼女の頭と腰に見えないはずの黒い耳と黒い尻尾が見えたに違いない。それほどまでに真由美は自分の奥から湧き上がる鬱憤の処理に困っていた。
それに深雪さんには生徒会の件で話をしなくちゃならなかったし、と後付けの理由のように真由美は自身を正当化すると手を振りながら兄弟のもとに駆けていった。
「達也く~ん!」
呼んだことのない呼び名でそう声を掛け、振り向く達也の表情は何時もの落ち着いたものではあったものの、瞳の奥には少量の驚きと困惑が伺えた。それを目ざとく感じ取った真由美は表面は満面の笑みで、そして心の中では悪戯に微笑みながら自身の憂さが多少すっきりしたのを感じていた。
時は過ぎ、一高は昼休みをそろそろ終えようとしていた。昼食や休憩を済ませた生徒達が少しずつ教室へと帰っていく中、達也は頭を抱えていた。彼は朝の通学途中に生徒会長七草真由美に声を掛けられ、その場の話の中でひょんなことから先ほどまで生徒会室で昼食を共にしていた。本当の話を言えば、要件は妹の深雪にあり、自分はそのおまけのような形で同行する事になったのだから、達也自身今回の話は諸先輩方と交流を持つちょっとした食事会程度に考えていた。
しかし、そこで思わぬ方向に話が飛んでしまったのである。生徒会の要件は入試主席の深雪を正式に生徒会の一員として迎え入れる旨を伝えるものであったが、そこで妹はとんでもない事を発言してしまった事がきっかけだった。
兄を一緒に生徒会に入れてはくれないか、という深雪の発言は相席していた生徒会の面々を一様に困らせていた。何せ達也は二科生である。前例としてそんな事は今まで一度たりともなかったし、さらに言えば魔法の実技で劣っている二科生を生徒会に引き入れるようなことがあれば、一科生からの反感が増すことは明らかである。達也は自身が妬まれるのは一向に気にはしなかったが、自分が生徒会に席を置くことで一科生と二科生の溝がさらに深くなるのはあまり芳しくはない状況であった。
それはもちろん生徒会の面々も承知していた。生徒会会計の
曰く、風紀委員は二科生から選んでも何の問題もない。その発言に喰いついた真由美がまだ決定していない風紀委員の生徒会推薦枠に達也を指名したのだ。風紀委員は生徒会とも繋がりが深く、また風紀委員会本部も生徒会室と直接繋がっているためこれならば深雪の意向を無碍にせず、生徒会入りを快諾してくれるだろうと考えた上での彼女の発言だった。
しかし、達也にとっては劇物以外の何物でもない。ほぼ自分の意見も無しに決められそうになった状況に達也はしっかりと反論したが、最愛の妹は既に乗り気であった。達也としてはあまり好ましくない状況に逡巡しながらも反論していたところ、予鈴によって話はまた放課後と場は解散せざるを得なくなり現在に至る。
教室に着き、自分の席に座りながらどうするべきかと考えていると、ふと視界の端に教室の入り口を荷物を持った見知った顔が通り過ぎる。
眠たそうにあくびをしながら達也の右隣に座ったのは志貴だった。そんな志貴に何となしに達也は声を掛ける。
「……もしかして、今からか?」
「……おう、寝坊したわ」
特に変わりなく答える志貴に何処か呆れながら達也は返す。
「こっちは面倒な事に巻き込まれているというのに……全く呑気なものだな」
「何だよ。えらく突っかかるじゃないか、何かあったのか?」
皮肉を込めた達也の言葉を知ってか知らずか受け流し、ニヤニヤと笑いながら質問を返してくる志貴に達也は苛立ちを覚える。しかし、それがそれほど大きく膨らむことがないのが達也の達也たる彼の在り方であった。
「生徒会に少し面倒な事を押し付けられてしまってな。受けるべきか断るべきか考えていたところだ」
「ああ、そりゃ運がなかったな」
達也の言葉に志貴はそう一笑する。言葉とは裏腹にその表情には達也の不幸を楽しんでいる節が見られ、達也は志貴に話をしたのは失敗だったと多少後悔していた。
「ああ、そうだ。お前にその生徒会長から伝言があるのを忘れていた」
と、達也は思い出す。自身に降りかかりそうな面倒事も確かに考えなければならない事ではあるが、七草真由美からの妙な伝言が達也の頭の隅に引っかかっていたのを思い出し、ありのままを志貴に伝える。
「『今日、放課後来てくれるわよね』、だそうだ」
「……えっ?」
途端に志貴はその表情から余裕を無くす。いつものらりくらりと何を考えているか読み取りづらい表情を浮かべている志貴があからさまに焦っているその様子を見て、達也は何時もの様子で淡々とした様子で尋ねた。
「お前、あの後会長に何をしたんだ?」
「ああ、うん……。ちょっと怒らせちゃったかもな……」
先ほどの悪戯な笑みは何処へやら、志貴は焦りを隠さずどうするか、とただうわ言の様に呟いている。その様子に達也は彼の事なのだから自業自得なのだろうと、取り立てて興味もなく机上のディスプレイを作動させた。
のほほんとした日常とか楽しい学校生活とかそんなの分かりません。不完全燃焼の文に自身でも納得していませんが、これが私の限界です。