被虐性癖転性者は絶対に曇らせない   作:甘朔八夏

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ステンドグラスが一斉に割れた。窓を彩っていた双頭の鷲模様は甲高い悲鳴を上げながらガラス屑と化して、絨毯(じゅうたん)の上に不格好な天の川を描く。

 

ぎりぎり間に合った。逃げきれなかった髪の1束が切り取られ、地面に落ちているのを他人事のように眺めた。

 

背後を見渡すと、予想通り豪奢な部屋の中には由依、詩乃、琴音の3人だけ。全員がまだ状況を理解できていない様子だった。半ば自分を落ち着かせるために、俺は口を開く。

 

「みんな、落ち着いて聞いて。このお爺さんが、前に話した3番目の怪物(メァナス) 、『イヴァン』」

 

痩せて眼窩の深くなった老人は、鈍色の杖を一度、床に振り下ろす。絨毯の上でも吸収しきれない重い金属音に、空気がびりびりと揺れるのが分かった。

 

誤算だった。

この時期、原作で由依と琴音は文字通りの戦争中。それは、喧嘩などと言う可愛らしい言葉では足りないくらいに、激しい衝突だった。言い争いから発展して、お互いが暴力を振るう。片手が切断された琴音は、徒手空拳となると分が悪く、だんだんと由依の一方的な攻撃になっていく。ただ痛々しかった。そんな時、気づけば二人は異界に飲み込まれている。

怪物(メァナス) を前にして一時の休戦を見せるも、全く噛み合わない連携と由依のミスによる琴音の負傷で仲間割れは再発。とうとう由依の絵筆の一閃が、琴音の頭に直撃する。呆然と琴音に駆け寄る由依を、『イヴァン』が仕留めて原作は幕を閉じる。

 

 

あんなに穏やかな空気の中、突如飲み込まれるなんて予想できなかった。しかし時期としては今くらいのはずだ。これは俺のミスだ。俺の罪だ。

 

(焦るな)

 

逸る気持ちを無理やり抑えて、俺はイヴァンに向き直る。老帝が、示し合わせたかのように荘厳に立ち上がった。

 

イヴァンはふと目を閉じて、右肩から左肩に十字を切った。

 

「っパターン1!」

 

俺が叫ぶと、全員が弾かれたように天井を見上げる。そこには音も無く、人間ほどの大きさの十字架が何本も浮いている。十字架は、真下に有る何もかもを押し潰すように、地面に突き刺さった。

絨毯の下から、石畳の砕ける音がくぐもって届いた。

 

開いた脚の間に突き刺さった十字架と顔を突き合わせた俺は、尻もちをついたまま冷や汗をかく。食らったらこれだけで行動不能……というか瀕死だ。

見回すと、由依たちは全員無事。よし。

不意打ちには驚いたが、今回は『ゲルニカ』とは違う。由依たちに怪物(メァナス)の、『イヴァン』の事を事前に話しているのみならず、対策訓練まで実施済みだからだ。

 

この十字架攻撃の後、イヴァンはしばらく祈りを捧げるため、ゲームでいう硬直状態に陥る。急に攻撃してきた礼を食らわせたい所だが、あいにく、美装を出すには時間がかかるので———

 

耳をつんざく破裂音と同時に、イヴァンがアッパーでも食らったかのように後ろへのけ反った。二度。三度四度五度。老帝はまるで対応できず、再び玉座へ背を打ちつけることになった。

 

「あなたは、いったい、誰をいじめているのかしら?」

 

聞いた事がないほど低い声だった。本能的な恐怖を感じて縮み上がる。初めて聞いたにも関わらず、俺はこの声にひどく馴染みがある。

これはきっと、原作で由依と憎み合っている時の、彼女が本当に怒っている声だ。

 

振り向くと、いつもは穏やかな少女のそばに木製の巨大なパレットが浮いていて、そこに乗せられた絵の具が虹を作っている。

そのうちの一色。鮮やかな赤の絵の具が、中空で六角形に並んでいた。後で知った事だが、その色はカーマインというらしい。

 

絵の具と同じ色の憤怒の業火を瞳に滲ませて、琴音は吐き捨てた。

 

「恥を知りなさい」

 

どん、と揺れる空気。イヴァンを収めていた玉座が、衝撃で派手に分解した。

 

「……すご」

 

盾のようにキャンヴァスを構え、ほんのり額を青くしながら、詩乃がやや引いたように呟いた。その声にハッと我に返り、琴音が立っていた場所へ再び眼を向ける。

 

(いない!?)

 

いた。

 

いつものように俺の隣に瞬間移動していた琴音が、普段よりも力のこもった手で俺の頭を撫でる。

 

「今度は、わたしが守る番よ」

 

思わずこくりと頷いて、心の中で独り()つ。光落ちした琴音は、こんなにも頼もしく、強かったのか。

 

「琴音」

「あら、詩乃。どうしたの?」

「その絵の具、私のキャンヴァスに塗れる?」

「できると思うけれど、どうして?」

「思いついた事がある」

 

詩乃がイヴァンに向き直る。イヴァンは少し身体をふらつかせながら立ちあがろうとしていた。その眼には動揺と、沸騰する程の怒りが宿っている。

 

しかとキャンヴァスを構えてイヴァンを見据える詩乃に、琴音がパレットと睨めっこしながら訊く。

 

「なにかリクエストはあるかしら?」

「んと、ね」

 

詩乃は、金属製の杖の先、紫電揺らめくガラス玉をちらと見た。

 

「岩石の絵、お願いしたい」

「わかったわ」

 

静かに承るが早いが、琴音は両手の指じゃ収まらないくらいの数の絵の具の弾丸をキャンヴァスに()()。戦闘中だと言うことも忘れて、興味本意でのぞき込んだ。

 

宙に浮かぶ巨大な岩の絵だった。上手すぎ。重力なんて無いかのような、幻想的……いや、超現実的?な絵に感嘆、してる暇は無かった。

 

Н а к а з а н и е

 

思わず硬直する。メァナスから放たれる、叫んでいないのに身が凍るような威圧感のある声。だが、全く怯まず詩乃は駆けた。

 

それに驚いたのは俺だ。

 

「なにを——」

 

イヴァンが杖を槍のように構える。あっ、と口から漏れそうになった動揺を抑え込んで俺は叫ぶ。

 

「パターン3!」

 

投擲され、魚雷のごとく迫る杖はブラフ。余裕を持って避けた詩乃の頭上で、イヴァンがどこからともなく現れた長剣を握っている。

 

イヴァンの手がブレた。かと思うと、剣は詩乃がいつの間にか構えていたキャンヴァスと全力で激突している。

轟、と衝撃波を浴びる錯覚をした。

 

突如始まった正面衝突に混乱する。

このままではまずい。詩乃のキャンヴァスは画布を犠牲にすることで衝撃を逃がすもの。そんな風に真っ直ぐに受け止めたら———

 

案の定、ビリ、と画布の破ける音がする。だが、俺が予想できたのはそこまでだった。

 

「!?」

 

細切れになった布の全てが岩石片となり、散弾銃のごとくイヴァンの身体に突き刺さる。がくりと、膝が地面に激突する。

 

正面衝突を制したのは、詩乃だった。

 

「ふふ。狙い通り」

 

 

もはやプロの試合を眺める観客となっている俺の横から、感動した様子を隠そうともせずに、琴音が詩乃のもとへ駆け寄った。

 

「すごい、すごいわ。どうしてあんなにすごい事、思いつけたのかしら?」

「私も不思議だけど、感覚で分かった。なんとなく、私たちは自分の能力で出来る事が把握できるみたい。……今回は、今までと違う。自分の能力も、相手の事も、分かってる。理解できれば、それはもう恐怖の対象じゃない」

 

詩乃は頼もしい笑顔を浮かべて言った。

 

「全部解き明かして、勝とう」

 

 

 

ーー

 

 

 

戦況はずっと好調を保っている。遅れて戦線に立った由依も加わり、本来、擬人化した絶望と対峙するのと同義な怪物(メァナス) 戦は、もはや狩りの形相を呈していた。

 

横薙ぎに振るわれた杖に、正確に放たれる琴音の色弾(バレット)。勢いの弱まった杖撃が向かうは、キャンヴァスを構えた詩乃のもと。詩乃はキャンヴァスを激しく回転させて、杖を持つ腕ごと独楽(こま)みたく弾き飛ばす。

重心を崩したイヴァンの懐には、すでに由依が潜り込んでいた。

 

巨大な絵筆から描かれる一撃が、イヴァンの手にクリーンヒット。回転しながら飛んでゆく杖、丸腰のイヴァンの鳩尾を、由依の突きがまっすぐに穿った。

 

 

 

十を超えてから数えるのをやめた、イヴァンが膝をついた回数。

俺は彼女らの勇姿を、邪魔にならない所で傍観していた——体育の授業で見学した時のように。由依たちの役に立たない傍観者なんて御免だが、先ほど三人に言われてしまったことがある。

 

『ミツキの美装は、怪我をしないと使えないよね?』

 

その通りだった。やむを得ない怪我も見逃してくれない彼女たちが、加勢のために自ら傷を負うことを許してくれる道理はなかった。まして、みんな俺無しで充分戦えているのだ。……なんかいじけちゃうな。

 

言い訳させてもらうと、一応俺にも仕事は残ってる。

 

 

杖を失い、反撃を詩乃に封じられ、由依にボコられていたイヴァンが後ろに大きく飛び退く。

 

「パターン4!」

 

俺が叫んだ直後、何本もの巨大な木槍が、ものすごい速度で由依たちを串刺さんと迫り上がった。それはまるで、現世を壊さんとする剣山地獄。

 

しかし事前に対策していた詩乃に隙はない。突き刺さればひとたまりもない殺人筍は、またたく間に広げられた詩乃のキャンヴァスによって阻まれている。

 

 

占めた。この木槍が消えるまで、イヴァンは攻撃を再開することができない。十字架攻撃のあとの硬直時間に次ぐ大きな隙だ。

 

 

 

そのはずだった。イヴァンの手から一瞬、バチッと閃光が瞬いた。その瞬間、端に置き捨てられていた杖が、シャンデリアを吊るしていた金属製の鎖が、壁にかけられていた剣が、何かに引っ張られるようにイヴァンの掌へ一目散に向かう。

 

その動線上に、由依たちがいた。

 

「ッ!?」

 

 

「危ない」と、叫ぼうとして、迷ってしまった。

 

杖がイヴァンのもとへ飛ぶ。由依たちの背後にある杖が。このままでは、彼女らは杖撃をもろに喰らう。

シャンデリアの鎖がイヴァンのもとへ飛ぶ。当然シャンデリアは落ちる。このままでは、彼女らはそれに押しつぶされる。

剣がイヴァンのもとへ飛ぶ。由依たちの死角の壁に飾られていた剣が。このままでは、彼女らに刃が突き刺さる。

 

不意打ちの全方位攻撃のすべてを、由依たちに伝える言葉を俺は知らなかった。

 

詩乃が落下するシャンデリアに目を見開いて、キャンヴァスを上に構える。それじゃあ横からの攻撃は防げない。

 

由依たちの頭を叩き潰そうと飛ぶ杖が、剣が、真っ赤な花を、悪夢を咲かせようとした寸前。

 

 

 

飛ぶ凶器が、何者かに弾かれた。

 

すぐ近くの絨毯に突き刺さった剣に、由依はぎょっとした後、ぽかんとした顔で、自分を救った者を見上げた。

 

全員が困惑の表情を浮かべている。

 

「……は?」  

 

それは、俺も同じだった。

 

緊迫した状況だということも忘れて、目を擦ってもう一度そいつを見る。

無駄に整った顔。何にも興味を示さなそうな無表情。

 

俺がおかしくなったのでなければ、そいつは、その男は、こんな絶望的な世界の作品を俺に薦めてきた、くそったれの友人に間違いなかった。

 

 

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