被虐性癖転性者は絶対に曇らせない   作:甘朔八夏

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背中から禍々しい触手を生やしたミツキが駆ける。対峙するは、存分に帯電した雷雲をまとうイヴァン。

 

ミツキを追って、加勢したくなる欲求をこらえた。「近接は私が請け負う」と彼女に言われてしまったからだ。私の仕事は、ミツキが作った隙で、電気を溜めるガラス玉を破壊することだ。そもそも、信用してるんじゃなかったのか。彼女は同じ轍を踏むような人ではない。

 

独立した生物のようにイヴァンを狙う触手。その攻撃は先程とほとんど同じ。イヴァンは迫る触手をしかと見据えて、コツン、と杖を床に当てた。

全く同時に輝く放電球、ほんの一瞬、放電球と触手の間を繋ぐ高電圧の架け橋。

 

天井が空ごと地に叩きつけられたかのような、凄まじい音と共に、目もくらむ光が触手を包む。光を微塵も反射しないほど黒焦げになった触手の根本は、

 

ちぎれている。誰もいない。

 

「——うわ、ぞくぞく、するっ」

 

電気の鎧を失ったイヴァンの懐に、小さな少女が潜り込んでいた。

 

由依は見ていた。ミツキが自ら触手をちぎり取り、宿主のいなくなったそれを、イヴァンに()()していた事を。

 

触手をひとつ失ったミツキは、むしろ速度を上げて残った触手をイヴァンに絡み付かせる。蛇のようにらせんを描きながら、イヴァンの腕を登っていく。ときおり触手が脈動し、真っ赤な表面が、血に喜ぶように(うごめ)くのがわかった。

 

初めてイヴァンが悲鳴のような声を上げた。先ほどは床全面を埋めた鋭い木串が、ミツキを遠ざけるだめだけに一本、床から迫り上がる。

 

咄嗟にイヴァンの拘束を解き、ミツキは横に飛んだ。しかし離れはしない。獲物に噛みついた(ひる)のように、執拗にイヴァンへの攻撃を続ける。イヴァンは焦りを動きに滲ませ、ミツキに杖で応戦している。

足元の雲は発生しないままで、追加の雷撃は来なかった。

 

——いける。

 

詩乃の予想は正しかった。ミツキが接近戦を続けている限り、やはり雷の鎧は成長しない。そして距離を詰めた一対一(タイマン)において、ミツキはイヴァンに優っている。

あとは自分が、放電球を壊すだけ。

 

逸る心臓に手を当てて深呼吸をひとつ。瞬きほどの隙も見逃さないように、目を見開いてミツキの戦いを観察する。

イヴァンは放電球を前に押し出し、ミツキの触手と打ち合っている。気づいた。一見隙だらけに見える敵の戦い方は、かえってミツキに都合が悪い。

 

近すぎるのだ。背中から生える触手のリーチを考えるに、ミツキの力が最も発揮されるのは中距離。身体に触れるほどの距離だと、触手は思うように放電球を狙えない。

利はこちらにあるが、やはり、自分が動かなければ勝利は得られない。由依はその事実を正しく認識する。

 

拮抗する少女と老人。怪物の様相を携えた両者の競り合いは、じわじわと、確実に少女の優勢へ傾いていく。

 

ついに触手が、杖を握る老帝の手を、完全に包み込んだ。

 

今だ。

 

地を蹴り、絵筆を振り上げた瞬間、

 

鉄の処女(アイアンメイデン)のように、イヴァンの胴体がぱっくりと開いた。

 

——え、

 

「う、うおお″っ!?」

 

開いたイヴァンの体内には無数の串が並ぶ。それらがミツキただ1人を狙って、矢のように鋭く伸びた。咄嗟に触手で身を守るミツキ。赤黒い表面が無数の針に串刺しになっていく。

 

「止ま、らね″ぇ……っ」

 

触手を貫通した針。小さな手で先端を掴み、押し戻そうとする。しかし喉元を狙う凶器の前進に、ミツキは完全に力負けしていた。

 

「ミツキッ!」

 

少女を救い出すため、由依はイヴァンの背を目指す。がら空きの背後を一刀両断しようとするも、イヴァンはそれを見越したかのように向きを変えてミツキを盾にした。

今にも蜂の巣になりそうなミツキは、苦悶とも驚愕とも取れない掠れた声を上げる。彼女が串刺しになる未来は、そう遠くなかった。

 

「もういいよ、ミツキ! 一度離れて!」

「だめ……次は、ここまで、近づかせてくれない」

 

ミツキの視線はただ一つ。イヴァンとミツキの間、串刺しの密林に飲み込まれた杖の先。放電球が裁きの相手を求め、不安定に点滅している。

 

ミツキは確信していた。今が、犠牲を出さずに放電球を壊す、最初で最後のチャンスであると。

 

その事は由依にも薄々わかっていた。しかし、どちらにせよ、すぐに均衡は崩れて「犠牲者」は出てしまう事になる。

歯噛みして視線を彷徨わせる由依に、ミツキの表情に覚悟と、ほんの少しの緊張が浮かんだ。

 

「……由依。ガラス玉を、壊して———私ごと」

 

 

 

 

ーー

 

 

 

 

聞き取れなかった、わけじゃない。ミツキの声なら、どんなに小さくたって受け止めてみせる自信があった。

 

ミツキは私を見てる。四方八方から串刺しになった触手に(くる)まり、荒い息を吐きながら。だんだん首に近づいてくる針を掴んで、必死に押し戻そうとしながら。

 

ミツキを殺そうとするイヴァンは、私にも意識を割いている。私の動きに合わせて、ミツキを盾にしてきたから。

だからミツキは言ったんだ。

 

「『私ごと』」

 

口に出して、燃えるみたいに頭が痛くなった。自分が怒っているのか、焦っているのか分からない。

 

イヴァンがこちらを向いて、(あざけ)るように笑った気がした。「お前にミツキは傷つけられない」、なんて言われた気がした。

 

心が爆発したみたいに熱くなるのが分かった。その反面、頭の中は氷水に浸かったかのような、ぞっとする冷たさ。

頭痛がする。

 

 

私は、ミツキの傷がイヴァンに取られてしまう事を恐れた。

 

 

自分がいつも通りじゃない、という、確かな感覚がある。

地面を蹴り飛ばし、イヴァンに急接近した。イヴァンは器用にも、私が筆を振るったら、攻撃がまともに当たるであろう先に、ミツキを据え続けている。

 

イヴァンの足を払った。私の思惑どおり、イヴァンはまるで対応できずに体勢を崩した。なぜ対応できなかったか?

 

私がイヴァンを倒した向きは、()()()()()()()()()()()()()()()()()向きだったから。

 

ミツキと視線が交差する。気づけば彼女と結構な付き合いになっていたから、その目が「期待」している事が、すぐに分かった。

 

 

私はずっと疑っている。あの時のミツキの言葉が、私たちを守るための嘘なんじゃないかって。

ミツキがカミングアウトをしてから、私はその性的嗜好について調べた。彼女のように、あんなにボロボロになる事は異常だと分かった。誰かを守る事と傷を負う事の関係は見つけられなかった。

 

私の作ったご飯を食べて、「美味しい」と泣いたミツキ。とろけた甘い表情で、ミノタウロスをへし折ったミツキ。私の心を見抜いて、やさしく抱きしめてくれたミツキ。湯船に浸かって、顔を真っ赤にするミツキ。

どれが本当のミツキなのか、分からない。

 

ただ、ひとつだけ、疑いようがない事がある。あの子は、ミツキは、

私たちが泣きそうなのを見ると、もっともっと泣きそうな顔になる。

 

それもミツキの狙いなのかもしれない。そうやって私たちが苦しくないようにしているのかもしれない。でも、それでミツキの泣き顔を見なくて済むのなら。明るい表情を見ることができるなら。

 

私は、あの子に騙されてみようと決めた。

 

 

絵筆を強く強く握って、ミツキだけを自分の目に閉じ込めた。ミツキの綺麗な瞳が、告白でもされたみたいにふるっ、と揺れた。

 

「ミツキは私に壊されたいの?」

 

ささやいた声はミツキに確かに届いたようで、ミツキは、ぼっ、と頬を赤らめた。ミツキは頷いた。頷いたのだ。

 

首の後ろに、痺れるような甘い感覚が生まれた。その変な心地よさが後ろへ伸びていく。ゴムを引っ張るみたいに、ぐーっ、と固く強くなっていく。

 

「……そうなんだ」

 

私は決断した。後は行動するだけだった。

 

「変態だね」

 

全力の一振りが虹の爆発のように輝いた。確かに、私の手にミツキの身体を打つ感触があった。

 

「…最、高」

 

触れただけで形を崩してしまいそうな甘ったるい声が耳に届く。

 

放電球は、激しい音を響かせて粉々に砕け散った。

 

 

 

 

ーー

 

 

 

ピンボールのように吹き飛ぶ小さな身体と、その少女を死に物狂いで追いかける由依を捉えても、琴音は全く動揺しなかった。

 

信じていると言われたからだ。任せてもらったからだ。

 

たったいま顕現できたばかりのパレットと絵の具を体の一部のように操って、琴音は色を調合していく。

 

パレットの持ち手——(まる)い穴を覗き込み、琴音はイヴァンに照準を合わせた。その姿はさながらスコープを覗く狙撃手。

 

由依とミツキがイヴァンから距離をとってもなお、老帝の周りには一切の雷雲が発生していない。

雷の鎧が無くなった今、琴音の攻撃を妨げるものは何もなかった。

 

一撃で仕留める。撃たれたことに気づかないほど自然に。自分が名画を傷つけることを二度と忘れないよう鮮烈に。

 

『イヴァン雷帝とその息子』。

琴音は当然、その絵画を知っている。一撃で仕留めることは、幾人もの大切な人を失った雷帝(ツァーリ)への、せめてもの敬意でもあった。

 

 

王政が終わる。

 

「対象色———『民衆を導く自由の女神』、銃剣」

 

琴音の言葉に応じて、調合された色が宙に浮かび、装填される。

力強く光を反射する鋼の色。革命の証となる刃の色。

 

琴音は時代も国をも超えて、その一発を選んだ。

 

パレットの照準の中で、琴音は老帝の剥いた眼球と、ほんの一瞬繋がる。

 

胡乱な黒目の中に、琴音は失う事への恐れを見た。こんな状況にも関わらず、否、この極限状態だからこそ感じてしまう共感と同情。

 

もし、絵を描けなくなったら、私はどうなってしまうのだろう。

 

ふと、胸に湧いた疑問さえも、琴音はパレットに混ぜてしまう。

 

「おしまい」

 

放たれた弾丸は、夜明けのごとく鮮やかに、イヴァンの脳天に風穴を開けた。

 

 

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