被虐性癖転性者は絶対に曇らせない   作:甘朔八夏

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以前、由依の忘れ物を届けに高校へ行った時、俺は誓ったものだ。二度と女子の体育に関わるまい、と。

そりゃあ、微塵も興味が無いといえば嘘になる。しかし俺は少女たちをそういう目では見ることができない。

俺の店の常連さんに、女子中高生が多いことから、俺はその年齢の子たちを友達のような目で見ている、というのもあるし、体が女に変わったことで、男性的な欲求が無くなった、というのもあるだろう。

 

(——だろ)

 

ん? 俺の内なる声くん。なにかな?

 

(ただ異常性癖のドMなだけだろ)

 

ところで、俺が今どこにいるか分かるだろうか。

 

(無視すんな)

 

そう、地域の巨大中央競技場だね。実に一周400メートルのトラックに、アリーナのような観覧席。その席の一つに、

 

俺は由依のクラスの女子陣と座っていた。

 

 

はい、そうです。前に痛い目にあったのに、「体育祭を見に来てほしい」という、三人の頼みを断れませんでした。

 

普段からあんなにお世話になっているのに断れるわけない。それにしても、

 

「私、体操服、着る、意味ある?」

「一人だけ私服ってのも変だーってさっき話したじゃん。しかも、前と違って私のだし。慣れてるでしょ?」

 

由依の言葉に俺は頷かざるを得ない。俺の服を買ってもらう前は由依のお古を借りていたし。

 

「…でも、」

 

(全く意識するな、ってのは無理な話)

 

傷だらけの応急処置で、借りるしか選択肢の無かったあの時とは違うのだ。

 

「んー? 何か言った?」

 

由依の追及に首を振ってごまかし、俺はトラックを見下ろす。ちょうど、開会を彩る吹奏楽部の合奏が始まった。

 

 

選手宣誓、校長のありがたいお話と続いて、いよいよプログラムが進行する。観客席に控えていた生徒の中で、種目に参加する人たちが立ち上がり、一斉にトラックに降りていく。

 

最初は一年生の競技か。由依たち二年生は腰掛けたまま彼らを見送る。中には後輩に発破をかけている人もいて、俺は部活動の懐かしさに目を細めた。

 

前の席に移動した高二男子陣に混ざってこようと重い腰を上げる。俺のそばにいる女子陣はと言うと、

 

「なに、してる、の?」

「日焼け止め。まだ日差し強いからね……え。まさかミツキちゃん、塗ってない?」

 

体育の時ぶりに会ったお団子髪の少女が、目を丸くして俺の肌に視線を送った。

日焼け止めなんてものはそもそも持っておらず、俺はそのままの手足をさらけ出している。我がごとながら、肌白すぎる。首にぐるぐる巻きにした包帯に違和感をあまり感じないレベル。ちなみにこの包帯は、寝違えて湿布を貼っている、と誤魔化している。血が止まっていて良かった。

 

ともかく、俺は日焼け止めを塗っていない。それは彼女らにとっては聞き捨てならない情報だったようで、女子陣は塊になって俺の元へ押し寄せる。

 

「えぇ⁉︎ そんな白くて綺麗な肌なのにもったいない!これ貸してあげるから塗りなよ!」

「いや、大、丈夫……わぷ」

 

言うが早いが少女の両手が俺の顔にぺたり、塗り塗り。スキンシップにためらいが無さすぎる。もしや前回、頭を好き放題撫でてもらったことから、お触りOK人間だと認識されたのか?

 

「——ひっ!?」

 

突然、第三の手が俺の太ももに触れた。

 

「ごめん、びっくりした? 足もちゃんと塗っとかないと、黒くなったりシミができたりするから。私に任せて」

 

聞き覚えのあるような無いような声と同時に、俺の足が好き勝手まさぐられる。日焼け止め塗ってくれてるだけとはいえ、そこはマジでくすぐったい。

誰が塗ってるんだろう。顔を見たら思い出すだろうが、いかんせん顔にも塗ってもらっている最中なので、目を開けられない。

 

なんか手の数多くない? 腕にも首にも足にもクリームの塗り広げられる感触があって、もう何が何だか分からない。しかし抵抗を示すために足をバタバタさせる事はできず、結果されるがままの状態だ。

おい今お腹に手入れたの誰だ。関係ないだろ。あっ冷たっ!なんか異様に冷たい手がある!怖い!ちょ、誰か助けて——

 

ふわっ、と体が持ち上がった。ぶらんぶらん、と力無く揺れる俺の足。

 

「ミツキちゃん、大人気ね」

 

その声は…!

 

「琴音!」

 

助けに来てくれたのか。ありがとう、と言おうとしたまさにその時、俺の身体は琴音の膝にちょこん、と乗せられた。お腹に回される彼女の腕。俺はがっしりホールドされていた。

 

「え?」

「琴音、そのまま抱っこしててね」

「わかったわ」

「え?」

 

 

 

「ちょ、本当、に、十分……」

「ミツキちゃん、肌綺麗だね。これが若さか……」

「ねー。ミツキちゃんに比べたら、高校生なんてもう大人なんだな、って思っちゃう」

「——ぅんっ?! そ、そこ、汗、かいてる、から、自分で」

「あ、ごめんごめん。拭いてから塗るね」

「ちが……」

 

 

 

 

命辛辛逃げおおせた——正確には、満足して解放してもらっただけだ——時には、俺の肌はもうテカテカになっていた。

 

「え、ぐい……」

 

息も絶え絶えに、やっと男子陣のところへ避難成功。

 

「だ、大丈夫か?」

 

差し出されたスポーツドリンクをありがたく受け取り、キャップを開け……られない。かたい。開けてもらい、その甘さと冷たさを享受した。ああ、最高。

 

「あり、がとう」

「全然いいって。それ、新品だから。やるよ」

 

今さら顔を上げる。俺に恵みを授けてくれたのは、いつぞやの陸上男子くんだった。筋肉セクハラについては許してくれた、という認識でいいのだろうか。ありがたい限りである。

 

「いや、一本、まるまる、貰うのは、申し訳ない。返す」

「気にしなくていい。もらってくれ」

 

彼は少しつっけんどんな態度を保っている。ただの観客なのに、貴重な水分補給を貰うのは、やっぱり良くないと俺は思うのだが。

そこでピンときた。

 

「……私、一回、口つけた、もんね。嫌、だった、かも。ごめん」

「——っい、嫌じゃねえよ!」

 

しゅんとした俺に少年は焦ったような声を出し、受け取ったスポドリを一気飲みした。そんな彼の態度に俺はぽかんとした後、つい笑ってしまった。

 

「優しいん、だね」

 

まっすぐな本音を伝えると、彼は顔を赤くしてそっぽを向いた。

高校生だったら思春期やら反抗期やらのの真っ盛りで自分の事に精一杯だろうに、面倒見の良い子だ。

 

「俺、呼ばれたから。じゃ」

 

少々早口で、少年は席を立つ。友人たちの元へ行った彼が賑やかな雰囲気の中叩かれているのが見えた。仲の良いこった。

 

 

ーー

 

 

大きなトラブルも無く、体育祭は順調に進んでいく。俺は席の前方で応援に精を出す少年少女を眺めながら、後ろの方でのんびりしていた。もう疲れたのである。

 

さっきまで一緒にくつろいでいた詩乃も部活の友達に呼ばれて退席し、今やこの辺りは俺の貸し切りとなっている。

 

こんなにずっと日光浴びっぱなしで、彼らはくたくたにならないのだろうか。やはり高校生の若さはすごい。

 

凝り固まった体をほぐそうと、慎重に立ち上がる。ずらりと並ぶ席の間、コンクリート打ちっぱなしの階段ゾーンに移動して、ぐっと伸びをした。

 

階段を降りた先、通路になっている場所を見下ろす。そこから前の席は生徒たちで賑わっており、俺がいる後ろの席との境界線となっている。

 

今度は反対側を見上げた。途中で観客席は途絶えていて、その先には青すぎる空が、俺たちを見守っている。

なんとなく、階段の一番上まで登ってみようと思った。

 

転ばないようにゆっくりと段差に足をかけたと同時に、足音がした。自分の足音ではない。背後から。

 

「——ねえ、」

 

聞き慣れた声がした。この世界で最も多く耳にした、優しくて快活な声。

 

 

 

 

「ミツキ()()

 

由依が俺を呼んだ。虚弱な黒髪の少女を、ではなく、他でもない「俺」を。

 

 

 

ーー

 

 

 

「ミツキ()()

 

ミツキは階段を上る足を止めた。ぴしりと固まった背中、ミツキはバランスを崩して咄嗟に手すりに掴まった。そんな彼女に構わず、由依はミツキを見上げて言う。

 

「いつ本名を教えてくれるの?」

「…なんだよ、突然」

 

私との、まだ二人だけの秘密。

呆れたようにミツキは振り向いた。眠気を誘うそよ風に揺られる、天使の輪っかを携えた黒い髪。その隙間からちらちらとのぞくミツキの顔は、意地悪な質問に困る大人のようにも、いじけている子供のようにも見えた。

 

瞬きのシャッターを切るたびに、その綺麗な顔の雰囲気はぱちり、ぱちりと変わる。頼りたくなる顔。ぱちり。守ってあげたくなる顔。

 

日が差す。

オーバーサイズの体操服が、日光を反射して白く輝いている。残夏の光がヴェールとなって小さな体を包み、たまらずミツキは目を細める。

磁石のように、由依とミツキの目が合った。

 

「——?」

 

由依の胸がぎゅっ、と痛くなった。

 

「どうし、た」

 

少し顔をこわばらせて、ミツキが由依のもとへ来る。表情に心配をにじませながら、ミツキは由依に囁いた。兄がいたらこんな感じなんだろうか、などと一瞬考えた自分にびっくりした。

 

「…それ」

「ん?」

「その口調、やっぱり似合ってないね」

「ゔ。…そう、か。前の、ままの、方がいい?」

「うん、そっちの方が」

「そっちの、方が?」

 

心がざわざわしないし。

 

「なんでもない」

 

由依はかぶりを振った。ミツキは「そう」とだけ言って、由依の隣に座る。

目の前のグラウンドで歓声が上がった。

一年生による借り人競走。黒く肌の焼けた短髪の生徒が、真っ赤な顔を右手で隠したじょし生徒と一緒に手を繋いで走っている。このままハグでもしてしまいそうな勢いだ。

二人がゴールテープを切っている様子をぼんやりと見ていると、ミツキが「あついね」と言った。

 

「汗、拭く?」

 

ミツキの額には、うっすら汗が滲んでいる。タオルを差し出すと、ミツキは一瞬、きょとんとした顔になって、すぐに由依に向かって目を細めた。

 

「そう、じゃなくて。…わざと、言ってる?」

「えっ、と」

「今、走って、行った、二人、カップル、でしょ」

 

ああ、と由依は納得しながら、またミツキの呆れの目が自分を刺してくるのを待った。

 

来ない。

隣を見下ろすと、頬を少しだけ染めたミツキが手をいじっている。

 

「どうしたの?」

「…改めて、意識して、この口調だと、なんだか、恥ずかしい」

 

由依は小さく吹き出した。

昔の詩乃に似ている、と思った。気づけばさっきまでの胸の鼓動はすっかり落ち着きを取り戻している。

歓声のおさまったグラウンドを、どこを見るでもなく眺めた。

 

「ねぇ、ミツキ」

 

この子は嘘をつかないが、本音はなかなか見せてくれない。メッキのような、薄く、でも強固な仮面。

 

由依はそこに、糾弾という名の絵筆を叩きつけた。

 

 

 

「足。動かないんでしょ」

 

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