被虐性癖転性者は絶対に曇らせない   作:甘朔八夏

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「…どうして、お……わたし、を?」

 

今の見た目で「俺」呼びはクセが強いかと、一応一人称を変えておく。由依は俺の体を見るのにまだ慣れていないらしく、痛ましそうに眉を歪めながらも口を開いた。

 

「詩乃…私の友達が作戦を立ててくれたんだ」

 

曰く。二人が異界から戻ってきた場所は学校近くの公園で、()()白い光に包まれる寸前と、結衣と詩乃の位置関係は同じであった。

ならば異界での位置は現実にも反映されていると仮定して、謎の少女(つまり俺)が立っていた場所を中心にローラー作戦をしたんだと。

 

「——「あの子は怪我してたし体も小さかったから、特定の場所から動かずに身を隠してるはず」…だってさ。詩乃の指示に従って動いたら、貴女を見つけられたってわけ」

 

結構ガチで探してくるじゃん。

というか、俺を見たのは由依だけではなかったのか。

現実を疑う体験から抜け出した直後とは思えない冷静な思考力。そしてそれを実行する行動力。感嘆するばかりである。

しかし言い訳させてほしい。俺も気が抜けていたのだ。実は由依に見つかる前、あの隠れ場所に警察(ガサ)が入ってですね。その時は不法投棄された車の下に滑り込んで上手く乗り切ったのだが…。この世界、気を緩めることに厳しすぎやしないだろうか。

 

黙りこくったまま密かに反省会をしていると。テーブル向かいにいた少女は立ち上がり、「ちょっと待ってて」と言って部屋を出て行く。彼女の顔は俯いていて、どんな表情をしているのか読み取れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

———弱々しい見た目を存分に活用して(ドン引きするくらい駄々をこねて)、病院送りを回避した後。それでも俺を見捨てられない由依に連行された場所は、彼女の自宅であった。お持ち帰りされちゃった…ってコト!?

 

「…ミイラ、フェチだったら、笑える」

 

窓に映った自分の姿を見た俺の口から、仮にも恩人に対して失礼すぎる感想がこぼれた。

 

由依による応急処置の結果である。怪我の場所を全て包帯で覆ったら、首から下がハロウィンの仮装みたいになってしまったんです。

彼女の手先は非常に器用だった。莫大な面積の傷口に一つ一つ丁寧に軟膏を塗って、程よい締め付けでぐるぐる巻きに。俺は常識のある大人なので、ここで「もっときつく巻いてください」とは言わなかった。俺、えらすぎ。

 

ぼんやりしていたので正確な時間は分からないが、恐らく十分もしない内に彼女は帰ってきた。ドアの前で四苦八苦していそうな気配を察して、代わりに扉を開けてやる。

 

「!…ありがと」

 

由依は両手にお盆を持っていた。盆上の器からは白い湯気が立っていて、優しい味噌の匂いが俺の鼻腔を強烈に襲う。蠱惑的な匂いに頭が真っ白になった。

 

「こんなのしか用意できなくてごめんね」

 

彼女はお盆をテーブルの上に置いた。そのとき何かを言っていた気がする。しかし由依の言葉に意識が向けられない。

茶碗に盛られたご飯の上に、梅干しが一つ乗っている。その隣は豆腐とわかめの味噌汁。なんてことはない軽食に、俺は釘付けになっている。

お腹が再び強く鳴った。

 

「よかったら食べて」

 

気分は「よし」と言われた犬である。箸を持つ時間も惜しんで、お椀を両手で包みこむ、味噌汁をすする。

じんわりとした温かさが、俺の空っぽの胃を優しく撫でた。

 

「…おい、しい」

 

そう、「美味(うま)い」のではなく「美味(おい)しい」。そう言いたくなる上品さだった。俺が作るやつを凌ぐ味。

こんなに味噌汁で感動したのは、一人暮らしを始めてからの最初の帰省で、数ヶ月ぶりに母親の味を堪能したとき以来じゃなかろうか。

超絶お腹が空いていたのもあって、その美味に思わず涙がほろりほろり。気分は美味○んぼの○極さんだ。今までの味噌汁をカスと言う気はないけどね。

 

あっという間に食べ終えて、かなり元気になった体で勢いよく合掌をする。

 

「ごちそう、さま、でした」

 

由依は安心したように息を吐いた。

ほころんだような素直な表情。それが、()()()()()()()()()()、俺が初めて見た彼女の笑顔だった。

 

 

 

「…そういえば、自己紹介すらしてなかったね。私は金子 由依。あなたのこと、教えてくれるかな」

 

「…え、と」

 

食事をして少し(ほて)った俺の体を気遣って、由依は窓を開けてくれる。その様子をぼんやりと眺めていると、突然冷や汁をかけられた。じゃなかった、冷や水。まだ食い意地の張っている自分を脳内で叱責して、目下の質問に向き直る。

さすがにここまでお世話になっておいて、何も伝えないわけにはいかないだろう。由依に何を伝えるべきだろうか。

 

 

まず名前———今の見た目と合わなすぎて言えたもんじゃない。

 

それならこの世界に来た経緯———そんなの俺が教えてほしいくらいである。

 

じゃあ、目的———それを説明するためには、「俺はこの世界を漫画の中だとみなしている」と言わなければならない。登場人物、それも主要キャラに言うのはハードルが高いので却下。

 

せめて俺の正体!

戸籍がそもそも無いから伝えようがねえんだよ!!!だから病院行きを断固拒否したんだし。

 

 

「…ごめん、なさい」

 

本当に申し訳ない。今のうちに由依に情報を与えておきたかったが、浅慮な行動をとって事態を悪化させたくない。

 

(だって、)

 

 

答えたくないような経験をしたと思われたのだろうか。

黙りこくった俺の前に来て。由依は、俺の小さくなった体をぎゅーっと、抱きしめた。

 

 

(こんなに良い子を、()()()()に合わせられねぇな)

 

震える腕から、由依の優しさが痛いほどに伝わってくる。俺を安心させようと、精一杯で行動している。

 

決意した。俺が怪物(メァナス)を倒す。彼女を絶対に曇らせない。曇らせるわけにはいかない。

 

 

 

「——何が好きなの?」

 

腕の中に俺を()えたまま、由依が優しい声で尋ねてくる。意図の読めない質問に面食らい、つい反射的に出た答えは、

 

「月」

 

この世界の月は、元の世界とは一味違う。青いのだ。それも、目が覚めるほど鮮やかに。この漫画は背景の描き込みも中々で、特に月は写真かと疑うほどに綺麗だったことを覚えている。

 

俺が即答したことに由依は驚いているようだった。俺を抱擁から解放し、何やらうんうんと唸っている。

 

「…じゃあ、『美月(ミツキ)』とかどう?」

 

「…?」

 

「あなたの呼び名だよ、呼び名。名前もわからないんじゃ、なんて呼んだらいいか分かんないからね」

 

ミツキ。美月か。

小っ恥ずかしいが悪くない。少なくとも、本名よりそちらの方が確実に今の見た目にマッチしているだろうし、アバターネームみたいでテンションの上がっている自分がいる。

こくりと頷くと、由依はまた安心した風に息を吐いた。そして思い出したかのように手を叩くと、

 

「質問責めにして悪いんだけど。…ミツキはあの世界のこと、何か知らない?」

 

耳馴染みのない自分の呼称はまだ少しむず痒い。口をもにょもにょさせているのを()()と捉えたのか、由依は俺の返事をじっと待っていた。

何も教えないのも、かえって彼女にとって危険だと思い直して、

 

「…あれは、由依、たちを襲う、危険、な、もの。…でも、大丈夫。お…わたしに、任せていい」

 

そこまで言って激しく咳き込んだ。一挙に言葉を揺らしたせいか、声帯辺りの傷が再び開いて包帯に赤い染みが滲む。

真正面から浅く息を呑む気配を感じて、咄嗟に動こうとした由依を手で制す。

 

 

危険だ。

 

由依は俺をいたく心配している。怪物と1on1をする気の俺としては、彼女がそばにいることは都合が悪い。

なんとか由依の隙をついて部屋から逃げ出せたら良いのだが…

 

「——由依、おまたせ」

 

出入り口に目をやった瞬間、その扉が開いて誰かが部屋に入ってきた。

 

見慣れない少女だ。

膝に手を置いて、息もぜいぜいといった様子で(こうべ)を垂れている。この子も俺を探していたのだろうか。となると、この少女もまた原作のキャラクターに違いない。

そうだ、先ほど由依が話していた。名前は———

 

「詩乃。とりあえず応急処置は終わらせたよ」

 

「…ないす。それで肝心の子は……」

 

思い出した。

安住(あずみ) 詩乃(しの)。由依の親友で、

 

 

原作では由依をかばってサトゥルヌスに食われる、今作最初の被害者。

 

 

 

少し息が整ったのか、やっと詩乃は顔を上げた。

 

日焼けとは無縁そうな白い肌に流れるは、俺を探し回ったことによる玉の汗。

無気力そうな顔に精巧に嵌め込まれた理知的な瞳が俺をしかと捉える。詩乃の目が見開かれた。

 

(なんか…やばい気がする!!)

 

一方で、俺は理知のかけらも無い感想を抱いていた。ホーミングミサイルにロックオンされたような気分で、詩乃を出し抜いてここから逃げられるビジョンが浮かばない。一体なんだこの雰囲気は。

 

「…ご飯も、怪我も。あり、がとう」

 

 

この時の俺は冷静さを欠いていた。

俺には怪物を倒す力があると、思う。しかし彼女たちを守る力は無い。俺は単独で動くべきだと思考する。それしか考えていなかったのだ。

 

突然の感謝に怪訝な顔をした由依を傍目に、脈絡なく立ち上がった。

 

「——ッ!由依っ、捕まえて!」

 

たった今感じた直観どおり、やはり詩乃は頭が回る。逃げられるとしたら今しかない。

詩乃の叫びを咀嚼できず、由依は咄嗟に動けなかった。その硬直、空白の一瞬を無駄にできない。小さな体を存分に利用して、

 

 

「このお礼は、必ず」

 

俺は窓から飛び出した。

 

 

 

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