被虐性癖転性者は絶対に曇らせない   作:甘朔八夏

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ミツキに斧が直撃した。痩せ細った少女の軽い身体はいとも簡単に吹き飛んで、瓦礫の山を蹴散らして止まる。遠目に見て、ミツキはぴくりとも動いていないと分かってしまった。

 

「ああ、あ」

 

緋色の軌跡はいつぞやに見たものより遥かに濃い。所々が割れた石畳の上で、血の道がミツキとミノタウロスを繋いでいる。

隙だらけに立ち尽くす由依を、怪物はすぐに追撃しなかった。先ほどまでの攻撃的な態度は鳴りを潜めて、蒼白の額を観察するように眺めている。

 

 

 

なんで。怪物は私を押し除けた。戦う意志が無い者を狙った。最低だ。悪者だ。私か詩乃ならなんとか攻撃を(しの)げたかもしれないのに。ミツキは琴音を庇って、斬られた。ミツキは武器を出さなかった。出せないんだと思った。

琴音が怪我をしなくて良かったと思っている自分がいて、自分を殴りたくなった。なんでミツキが身代わりになったんだと思ってる自分もいて、もうどうしたらいいか分からない。

 

 

 

 

「由依ッ!!」

 

直後に頭上で響く轟音。由依のすぐ隣で詩乃が必死の形相を浮かべている。その手には巨大化したキャンバス。由依に振り下ろされるミノタウロスの拳を、詩乃は一人で受け止めていた。

 

「ゔっぐ、重…素手でッ、この威りょ——」

 

ビリ、と嫌な裂傷音。キャンバスを覆う画布が裂けた瞬間、詩乃の体は武器もろとも殴り飛ばされる。

 

「——ぁ″っ」

 

ろくに受け身も取れずに硬い地面に背中を打って、詩乃はうずくまったまま動けない。

 

「あっ、あっ、詩乃…ミツキちゃんも、あ、私は、どうしたら」

 

琴音はよろよろと詩乃の元へ向かう。しかし、ぎろりとミノタウロスに睨まれて以降、短い悲鳴を上げてそれ以上進めなくなった。

 

純粋な暴力に伏す幼馴染のうめき声。無力さを痛感しながら恐怖に押し潰されている友人。

由依はショックで何も考えられなかった。ミノタウロスはちらりと由依を見る。もう一度斧を持ち、まるで由依に見せつけるかのように詩乃の上で振り上げた。

 

「…(いや)。待って」

 

にたり、と怪物が笑った気がした。太い腕に血管が浮き上がる、斧が強く握られる。牡牛は照準を眼前でうずくまる詩乃へ向けて、持ちうる怪力を全霊込めて、

 

 

振り下ろされる寸前に、()()()()()()がミノタウロスの腕に絡みついた。

 

 

 

 

「——ね″ぇ…さっきの、もう一発、欲しい、な″ぁ」

 

濁った声は、この場に似つかわしく無いほどに()()

抱きしめるように牡牛に絡みつく二本の触手。ミノタウロスの皮膚が、触手と触れている所からじわじわと赤く滲んでいく。

ずぷり。蠢く先端が体内(なか)をほじくる。初めてミノタウロスは苦痛の悲鳴を漏らした。

 

「ちょっ、と。なんで、斧、落とした?」

 

真っ赤な触手の表面がどくどくと脈動を打つ。斧を手放したミノタウロスの腕に根を張るようにしがみつき、締め上げ、皮膚の中へ潜っていく。

今度の声は絶叫に近かった。

 

 

「ひっ」

 

満面に恍惚を浮かべて、ミツキが空を飛んでいる。いや、違う。彼女は斬られた傷口から()()()二本の触手で、ミノタウロスを掴んで宙に浮いていた。

 

じゅくじゅくと浅く牡牛の皮膚を抉りながら、蛇のように(ひる)のように捕らえて離さない。

こんなことを思ってはいけないと分かっている。しかし由依は本能で感じてしまった。

 

これじゃあどちらが怪物か分からない、と。

 

 

ミノタウロスは戦意の咆哮を一つ、痛みを堪えながら斧を拾い上げる。そして自分の体ごと絡みつく血色の触手を、断ち切った。

ぶちん、と切断される赤い腕の数々。ミノタウロスはくぐもった苦痛の中で、一部ほくそ笑むような声をあげた。

 

べしゃっ。

 

「あ″っ♡」

 

着地と呼べない体勢で、ミツキが身体を地面に叩きつける。警戒しきったミノタウロスに睨まれながら、ミツキはゆっくりと起き上がる。正座を崩したような形。まだ立てないようだった。

 

「…あぁ″、この武器?、が、ちぎれても、俺は、痛み、感じない、のか」

 

ずるん、と(こす)れるような音を響かせ、再びミツキの背中から二本の触手が産まれる。先のものより、太く、濃い赤色だった。

直ちにミノタウロスは自身の片足を持ち上げてミツキを踏み潰さんと迫る。もはやその顔に微塵の余裕も感じない。いたぶる事など考えもせず、ただ眼前の脅威を消すことだけが頭にある。

もう1秒の隙を与えてはならない、とミノタウロスが選んだ生身での攻撃。

それは牡牛にとって一番の失敗であった。

 

「違う。今日の、気分、は、斬り傷。わかって、くれるよ、なぁ?」

 

音も無く足に絡みついた二本の触手。それによって、ミノタウロスは宙に持ち上げられた。ごきん、とその太い足から明確に折れた音。苦痛をあげる間も無くミノタウロスは突然拘束を外され、地面に身を叩きつけることになる。

慌てたように無理やり体を起こす。とうとうミノタウロスの顔は恐怖に怯え、ミツキに背を向けて、

 

「なんで、逃げんの??」

 

逃走は叶わない。ハグでもするかのように触手はミノタウロスを抱き締める。その巨大な背中を画紙にして、触手はミノタウロスを赤く赫く(にじ)ませ、染めて、彩っていく。

血で絵を描いているようだった。

 

ボキッ、と案外軽い音が牡牛の首から響く。ミノタウロスは急に抵抗を止めて、巨大な体を重力のままに石畳に叩きつけた。

 

 

 

「…え″ぇ?」

 

触手に抗う強い力が突然ゼロになって、ミツキは困惑した声を漏らす。そんな自分を眺める視線に気づいて顔を上げた。そこには、目立った外傷が見られない五体満足の三人の少女。

(とろ)けた瞳に急速に理性が蘇っていく。それと同時に、ミツキの背から生えていた赤い触手も霧散して消える。黒髪の少女は、見た目の割に大人びたいつもの顔に戻っている。由依たちの様子を確認して、ほっとするようにはにかんで一言。

 

「無事で、よかっ———た?

 

言い切る前に力なく突っ伏した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ああっ!!ごめんなさい、ごめんなさい!私が腰を抜かしていなかったら、ミツキちゃんはこんな目に合わなかったのに、私の!せいで!あ、」

「また守られた。私がこの戦いの盾だったのに、みんなを守る役目だったのに。ミツキに甘えた。あなたの言う事に従って、あなたに一番危険な役目を押し付けてしまった。ミツキがそういう子だって少しは分かってたのに」

 

ミノタウロスを倒した瞬間、すごい勢いで琴音と詩乃が俺に謝罪してきた。剥き出しの傷がついた背中を下側にして、仰向けでそれを聞いている俺。彼女らが俺の手を握るたびに傷と床が擦れて燃えるような痛みが走る。やべぇ、二人ともめっちゃ真剣な雰囲気なのに気持ちよくてやべぇ。俺はもう駄目かもしれない。

 

なになになに? まじで何なの? 結果的に作戦通りとはいかなかったけど、みんな()()()()()()怪我してないから完全勝利じゃん。

 

(…とは、当然ならないよなぁ)

 

俺もそこまで馬鹿じゃない。詩乃たちから見れば、俺は「元々傷だらけにも関わらず、負傷も苦痛も全部一人で抱え込んで怪物と対峙した自分たちより幼い少女」である。うーん、無力感に押し潰されちゃうね!

 

内心ふざけながら、実のところ俺は現在冷や汗ダラダラである。おかしい。彼女たちの曇った顔が見たくないから頑張ってるのに、普通にみんな原作と同じくらい辛そうな顔してるんだけど。

 

あれ?そういえば、こういうとき最も自己嫌悪を募らせそうな性格の由依が静かだ。

目だけ動かして彼女を探すと、ちょうど俺の手を握る二人の真後ろで呆然として立っていた。

 

「倒したの?やったぁ!」とか、「ミツキありがとう!」とかポジティブな事を言ってくれたら———

 

 

 

「…最低だ、私、ミツキがボロボロになって戦ってたのに、私はまだ戦えたのに、怖がって、ただ見ているだけで、怪物とおんなじくらいミツキに怯えて、私たちを助けようとしてたのに、私は、もしミツキが負けてたら、それは見殺しにしたのと同じで、今もすぐに駆け寄ったらいいのに、怖くて、怒ってる?私、クズだ、私なんかが守るって、あ、ごめんなさい、今さら、謝ったって、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

 

 

———どれだけ良かったことか。

ガン開きにした眼から絶え間なく涙が滝のように溢れ出て、それを拭うこともせず虚空に向かって延々と自分への呪詛と俺への謝罪を吐いている。

その暗い瞳は俺から決して目を離さないのに、俺と目が合った瞬間「ひっ」と言って尻もちをつく。そんな自分の行動に由依はまたショックを受けて、右手で空いた方の手首を折れるんじゃないかってくらいに強く握っている。

 

やべーーーーーー。居心地最悪、未来に希望ナシ。こんな惨状であるが、まだ怪物(メァナス)との戦闘はやっと折り返し地点であり、このままじゃ次のバトルなんてまともに出来そうもない。それに三人は気づいていないが、すでに異界は崩壊を始めており、言ってる間に俺たちは現実世界に戻ることになるだろう。こんなお通夜みたいなムードで。

 

…ぶっちゃけ、この状況を打破しうる方法が一つだけある。でもそれは俺の今後のプライドというか、流石に女子高生に言うような内容じゃないというか、倫理的に…ね?

 

「せめてミツキが感じた痛みを、私も体験したい。自己満足で何の意味もないけれど、そうでもしないと私、」

 

なりふり構ってられねえなこれは!!

覚悟を決めて深呼吸。肺が軋んで快感。じゃなくて。

 

「…みん、な。落ち、着いて、聞いて、ほ、しい」

 

息継ぎするたびにこひゅーこひゅーって音が鳴るから、なんか遺言でも言うみたいな気分。由依たちも俺の発言に過剰なくらいに反応して、みんな真一文字に口を結んだ。

 

「私、は、多分、世界で、一番の、ドM。さっき、受けた傷、も、全部、超、気持ちよ、かった」

 

おら言ってやったぞ年下の女の子に性癖を!!ああもうこの際だから侮蔑の目で俺を見ろ!!喜んで受け止めてやるぜ!!

決意の告白に、由依たちは知らない言語で話しかけられたみたいに硬直して、

 

「………………え?」

 

 

本当に困惑した声が響くと同時に、異界は崩壊して真っ白な光が視界を埋めた。

 

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