日間100位以内に入っておりたまげました
もう二度とランキングには載らないと思っていたので…
皆様のおかげです。本当にありがとうございます。
「美味しい?」
甘やかすような優しい声にはっと正気を取り戻して、俺はいちご飴から目を離す。隣を歩く由依のニコニコ顔を見ると、夢中で飴をかじっていたことへの恥ずかしさがわっと湧き出る。軽くうつむいて、無言で頷くことしかできなかった。
由依の顔が綻ぶ。……くそ、手をつないでなかったら絶対頭を撫でられていたであろう保護者フェイスだ。現に手の空いてる琴音が俺の頭をよしよししてるし。
「…ひとつ、食べ、る?」
三人に向かって、手に持ったいちご飴の串を差し出す。大きくて形の良い苺を鮮やかな飴でまとった、いかにも映えそうなこのスイーツ。専門店の名に恥じず、味も値段もなかなかの逸品だ。
え?お金持ってたのかって?また由依たちに奢ってもらったんだよ、言わせんな恥ずかしい。
今回ばかりは本当に恥ずかしい。
「いいよいいよ。ミツキが美味しそうに食べてる所見るの嬉しいし、お昼はちゃんと教室で食べたから……あっ」
「由依、どうしたの?」
しまった、とばかりに口に手をあてた由依に対して琴音が首をかしげる。
「学校、サボっちゃった…」
あ。とっさにショッピングモール内に備え付けられた時計を見る。ド平日の15時ぴったりである。
当然異界は俺たちの都合に合わせて発生してくれない。今回、彼女らは学生の責務を全うしている最中に異界へ飲み込まれたのだろう。
焦ることしかできない名ばかり大人の俺とは違い、やはり詩乃は優秀だった。すまし顔のまま、耳元で電話のハンドサインを揺らして見せると、
「安心して、もう高校には連絡済み。…まぁ、仮病での早退になるから、サボりなのは変わらないけど」
「!…詩乃、さすが!」
「ありがとう!」と詩乃に飛びつく由依を見て、強い安心を感じた。
……原作では、由依の隣に詩乃はいない。それに琴音との関係も、友人というより敵に近いほど。途中からは登校すらしていなかった。
普通の高校生のように学校のことを心配する彼女たちの姿は、俺が由依たちを守れた結果、と言ってもよいのではないか。ともすれば、この光景は俺が頑張ったご褒美だ。
「ミツキちゃん、なんだかすっごく嬉しそう。高校生になるのが楽しみ?」
俺が感じた喜びの正体を、もちろん琴音は知らない。
高校に憧れを抱いていると解釈したのか、声はさらに柔らかく、俺の頭を撫でるスピードだけは速くなる。というかだんだん琴音の体が俺に近づいてきている。ほぼ密着と言っていい。距離感バグってない?
「琴音。過保護なのはいいけど、そこまで近づくとミツキが歩きにくいかも」
「あぁ、ごめんね。——もうちょっと離れたほうがいい?」
「えっ、あ、だ、だいじょうぶ」
まるでドアスコープでも覗き込むかのように、琴音の瞳が俺に迫る。満面の笑みの裏側にNOとは言えない謎の威圧感を感じて、俺はしどろもどろにうなずいた。
「そう?じゃあこのまま行こうかしら」と上機嫌な琴音に、彼女にバレないようにこっそり俺に謝罪のジェスチャーをする詩乃。
今作の最強キャラクターは琴音で決まりである。
「みんな!せっかくここまで来たんだし、あとで琴音の絵も見ていこうよ!」
先行していた由依がこちらに振り向いて、エスカレーターへ指を指す。
「琴音の、絵?」
「ああ、ミツキは知らないよね。実は琴音は美術部のエースでさ!絵がとっても上手なんだよ!」
その情報は原作で履修済みだが、俺は初めて聞いた前提で感嘆した声を漏らす。とはいえ、こんな大きなショッピングモールで絵が飾られているのは知らなかった。
「去年、このモール主催のコンクールがあって。美大生の参加者も凌いで、金賞を獲ったのは琴音」
詩乃の補足に俺は感心しっぱなしだ。原作では琴音の絵への情熱ばかりがフォーカスされて、実際の実力を見る事は無かった。
素直な気持ちで「すごい、ね」と俺にぴったりくっついたままの琴音に伝えると、彼女は何の謙遜も見せずにまっすぐ言った。
「絵だけは誰にも負けたくないの」
簡単に相づちが打てない、強い声だった。
/
「絵を描きたいの」
自分の背丈ほどもある巨大なイーゼルの前に座る琴音を、由依は呆然と見つめている。先ほど美術室から出て行った、きっと美術部の顧問であろう女性教師の顔が頭にこびりついて離れない。
憐れみが、
「…私は、何をすればいいかな」
「由依はわたしと違って怪我をしてないから、絵を描くお手伝いをしてほしくって」
「私、絵なんて描いたことないよ。手伝えるかな」
「わたしよりはマシじゃない?」
「ごめん」
琴音のため息に、ほんの少し申し訳なさが含まれているように由依は感じた。八つ当たりだと琴音も自覚しているのか、はたまた「私にも同情してほしい」なんて無責任な願望が生んだ錯覚か。
「どうして、あの不思議な世界に来てすぐに、わたしに説明してくれなかったの」
何度目かの質問に、同じ
「私も、あの世界のこと全然わからなくて」
「わたしに一切、何も!伝えられないくらいに?」
「…ごめん」
「ねぇ。どうして?」
「ごめん」
「わたし、怒ってないわ。教えてほしいだけなの」
「ごめん」
「お願い、教えて!なんで……」
琴音は由依に詰め寄って、喉から真っ黒な声を絞り出す。大粒の涙で由依の制服を濡らす。
そして、
「なんで私の利き手が、無くなっちゃったの!?」
/
貴重な月刊連載のうちの、数ページもかけて描かれた一場面が脳裏に蘇る。
回想を終えると同時に、やっと俺から少し離れてくれた琴音を見上げた。そのまま眠ってしまいそうなほど、穏やかな顔をしていた。
「着いたよ!」
由依の元気な声に視線を前に戻す。……今日くらいは、原作のことを考えないようにしよう。あれはもう、起こり得ない話なのだから。今はただ琴音の作品鑑賞に集中して———
反射的に呑み込んだ息に咳き込まないよう、俺は無意識のうちに自身の喉に力を込めていた。
底が見えるほど澄んだ川に、はっとするほど美しい純白のドレスを着た女性が身体を浸らせている。例えるならば、その衣装は数百万円を超えるウェディングドレス。
女性の口は歌うように淡く開き、木々の隙間から差し込む光は女性の周りを彩るたくさんの花を優しく照らす。
神話の一節が目の前に現れたようだった。
記憶のものとは少し違う。しかし俺は、このような絵を知っている。
「オフィー、リア?」
「当たり。わたし、ハムレットが好きなの。でも、現存しているどの『オフィーリア』の絵もわたしの解釈にぴったり合わなくて。…この場面、オフィーリアが父を恋人に殺されたショックで狂気に陥った
我が子を見つめるように、愛おしそうに琴音は言う。
「やっぱり、オフィーリアは死の寸前でもハムレットに会いたかったんじゃないかって。自分の死に気づかないくらい穏やかに死んだんじゃなくって、『私はここにいるよ』って、ハムレットに伝えたかったから、歌ったんじゃないかって、思ってしまうの」
俺はハムレットを観たことがないので、琴音の言っていることはよく分からない。でもそれを聞いてから改めて絵を見ると、彼女の意図が伝わってくる気がする。
記憶にある有名な絵と違って、琴音の『オフィーリア』の瞳にはいまだ光が宿っており、少し開いた口もどこか力強い。
「…って、こんなこと急に言われても困るよね。ごめんね」
「素敵、だと、思う。絶望よりも、希望、の、ほうが、きっと、良いから」
半ば独り言のように呟くと、一緒に絵を見ていた由依が当然こちらを向いた。意図は分かった。
明確な意志を持って首肯を返す。
安心してくれ。由依たちの絶望は、俺が全部受け止めてやるから。
ーー
ショッピングモールを出たときにはすでに日は西に傾いており、空では青色と茜色が領空を争い合っていた。
「ミツキに似合う服が見つけられて満足。まあ、今着てる由依のお下がりも充分かわいいけれど」
「…あの。いくら、だった?」
「そんなの気にしなくていいってば!私たちのおせっかいなんだし、今日くらいは甘えてよ!」
「ん、由依の言うとおり。これでもバイトでけっこう稼いでる」
由依たちの声は、『ゲルニカ』戦直後と比べると見違うほどに明るい。それは良い。狙いどおりだ。
「着替え、手伝うよ」と試着室へ一緒に入ってきた由依が、改めて俺の傷を見て表情を曇らせた。その顔を晴らすために、ノリノリで服選びを楽しんだ甲斐があったというもの。
あれは英断だった……そんなことをしたら、彼女たちは俺を喜ばせるためにたくさん服を買ってくれるという予測ができなかったことを除けば。
ここまで真っ直ぐな善意を向けられてしまうと、こちらとしては「ありがとう」としか言えない。実際、服を用意してもらって助かるのは本当なのだから。
「みんな、ほんと、すごい。高校、生、とは、思えない」
あまりに出来すぎた人間性に、自分への羞恥を超えて彼女らへ尊敬の意を抱く。由依が言った「お父さんみたいなこと言うね」という返事に、あとの二人が吹き出した。
由依は大盛況の飲食店で、詩乃は昔なじみの塾で働いているらしい。琴音はバイトをしていないにも関わらず、稼いだお金でいうと三人の中で一番だ。その
俺はそっと後ろに下がり、それぞれのお金の使い道について楽しそうに話す彼女らを眺める。
借りが日に日に増えていく。全て返せるか不安になってきた。元の体、そして元の世界に戻れたら、冗談抜きで俺の店の永久無料券を差し上げたい。
「おっ、と」
靴ひもを踏んづけてころびそうになる。とっさに電柱で体を支え、追加の怪我を免れた。ほっと息をつく。これ以上、着させてもらっている由依の服を汚すわけにはいかない。
その場でしゃがみ込んで、ほどけた靴ひもを結び直した。当然怪我は治っておらず、まだ指には痛みと痺れが残っている。いま手を踏まれたら、確実に俺は喘ぐ。こんなこと断言するな俺。
「ミツキ!」
少し焦ったような声に体を起こすと、ちょうど赤に切り替わった信号機が目に飛び込んできた。横断歩道の向こう側では、俺を目指して車道に飛び出そうとする由依を、詩乃が抑えている。
過保護が過ぎる、と笑ってはいけない。彼女を心配性にしたのは全て俺が原因だ。安心させるように手を振った瞬間、俺は聞いてしまった。
ドシャッと何かが落ちた音。
絵描きがパースに敏感なように、料理人が味に敏感なように、ドMは身体を打つ音に鋭敏に反応する。
頭で理解する前に直観した。今の音は、人が突き飛ばされて地面に体をぶつけた音だ。
由依たちに向かって振り上げた手を止めて、音が聞こえた先、背後の公園に指をさす。
いまだ俺は叫べない。「あっちで喧嘩が起こっている」。それだけをなんとかジェスチャーで伝えて——伝わったかは分からないが——俺は公園へと駆け出した。
事態は一刻を争う。喧嘩ならまだ良い。しかし嫌な予感が当たってしまえば、向かう先にいるのは「争う二人」ではなく「加害者と被害者」だ。
横断歩道の反対側、俺を引き止めようとする動揺した声。一瞬振り返って「ご、め、ん」と口パク。
したのと同時に、大きなトラックが俺と三人の間を通った。
ああもう!これ以上の報告は諦めて地面を蹴った。まだ上手く走れないが、もう転ぶ心配は無い。靴ひもを結んでおいてよかった。