個性『魔法少女』   作:Assassss

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高評価、誤字報告、感想ありがとうございます。

話をなるべく単純にするためになるべくオリキャラは作らないという方針で書いているのですが、今回はどうしても原作にいないポジションを出す必要があったのでオリキャラが出ます。
まあいつも通り重要キャラではないです。


ヒーロー専用特殊病棟侵入事件(前編)

 

飯田天哉は、以前から兄の治癒に対しヒーロー公安委員会と交渉を行っていた。一日でも早く治癒の順番を回してもらえるように。

 

しかしそれは、ずっと難航していたものだった。門前払いをされることは無かったが、兄同席での最初の話し合いの時に開口一番に言われた言葉は殆ど罵倒だ。

 

「初めに言っとくが、美樹さやかの治癒の決定権は我々ヒーロー公安委員会にある!この会議の内容、そして治癒の件を少しでも誰かに漏らしたら治癒は取り止めだからな!」

 

唖然とする飯田兄弟をよそに、彼女の治癒の仕事を取りまとめる担当者を名乗るこの拒望否男という男は、手慣れたように一方的にまくしたてた。説明の皮をかぶった脅迫にすら思えるほどの高圧的態度だった。

 

「ヒーロー相手でも治癒に関する情報を許可なく漏らすことは許されない!特に弟の方だ!友人相手に漏らしたりでもしたら即刻治癒を取りやめる。雄英の教師にもだぞ?守秘義務は社会人の基本だ、当然だろう?」

「治癒の順番を入れ替えたい?最低でも2億は用意することだ!」

「ああそうだ。君、美樹さやか本人と仲が良いんだったな?もし彼女をそそのかして勝手に治癒をさせたら個性不正使用の幇助で訴訟させてもらうからな。」

 

ほんのわずかな甘えでさえも許さないという態度。それを無駄なくひたすら並べ立てる男を前に、飯田兄弟はただひたすら困惑するばかりだった。

 

黙って聞いていた二人。第三者から見ればパワハラ以外の何物でもない。

 

特に、兄に対しての発言は飯田天哉を怒らせる。

 

「人気ヒーローだからって順番に割り込もうって魂胆だろ?まったくいいご身分だよお前たち。」

「なっ……な、なんてことを言うんだ!?兄さんは!!!」

 

ヒーローたるものこの程度の理不尽に耐えなければと黙って聞いていた天哉だが、兄の侮辱には流石に耐え切れなかった。

 

しかし直後、立ち上がった彼の肩を兄が抑える。小さく首を横に振る姿を見て、怒りがしぼんでしまう。ここで万が一、ヒートアップして暴力を振るってでもしてしまえば、その時点で治癒は取りやめになってしまうのだろう。飯田天哉は社会的地位の理不尽を生まれて初めて味わった。

 

もう少し落ち着いて話し合えませんか?という兄の言葉に、男はフンと鼻を鳴らすだけでさっさと次の話に進んでしまう。

 

「……さて、治療費だがおおよそ7000万円。」

「なっ……!?」

 

甘い考えなのだろうが、飯田天哉は治療費をそこまで高額にならないだろうと予想していた。なにせ、することと言えば美樹さやかが個性を使うことだけだからだ。

しかし、まるで本当に難病を治すような金額を提示されてしまった。

 

「本物の医者にかかれば最低でもこれくらいはする。これでもサービスしている方だけどな。そして順番は約2年後だ。」

「に、2年後……!?」

「なんだ?文句があるのか?さっきも言ったが、順番を早める交渉をするなら2億は用意しろ。そうすれば1年後くらいにしてやる。」

「…………」

 

2人は唖然として顔を見合わせる。兄のヒーロー時代の稼ぎが殆ど吹っ飛んでしまうような大金だ。そこで追加で億を用意するなどとても不可能だった。

 

「な、なぜそれほど高額なのでしょうか?」

「そりゃ本物の医者をちゃんと生かすためだ。あのズル個性で格安で治療しまくって本場の医者が仕事を放りだしたらどうするんだよ。あの小娘が死んだ後は?誰も医療行為をしなくなったとしてもあの小娘は責任を取る義務が一ミリも無いんだぞ?」

 

論理は理解できるが、しかし飯田としては全く釈然としない。少しはその治療によって救われる人々のことに目を向けたらどうなのかと。

 

しかし天哉が何か言おうとするたびに、隣にいる兄に止められる。社会人経験が豊富な兄は努めて冷静に言い返す。

 

「確かに高額の治療費を請求することは仕方がないでしょう。しかし……ポジショントークになってしまうことを承知で言いますが、現段階では治療不可能とされる患者に対しては、もう少し柔軟な対応をしても良いのではないでしょうか?」

「その『治療不可能』の判断は誰がするんだ?『治療可能』と診断された患者が死に物狂いで懇願してくるのをあしらうコストをこっちが負えってのか?一体何件訴訟を起こされることやらなぁ。何度も言ってるがこっちは忙しいんだよ。」

 

しかしこの兄がどんなに丁寧に反論しても、乱暴な態度は全く変わらなかった。

自分の行動があずかり知らぬところで迷惑をかけてしまったのだろうという気はしているが、確たることは何も分からない。ましてや直接「どうしてそこまで怒っているのですか?」などと聞けるわけもない。

 

「……で、では、本人にその多額の報酬は支払われるのでしょうか?」

「そりゃあない。まあ多少は渡すが、大部分は公安委員会に入る。もちろん契約書を取り交わして本人に同意を取った。何の問題もない。」

 

飯田天哉はこの時、初めて権力に対する反抗心を抱く。

 

彼らは美樹さやかを出汁に大金を稼ごうとしているのでは?本当にその金は彼らが受け取るべきものなのか?と。

頭では、そう簡単な話ではないことは飯田天哉も知っている。公安委員会としてもやらなければならない重要な仕事は沢山あるのだろう。具体的に何をしているのかは秘匿されているが、それに対して報酬を支払うことは確かに正当だ。しかし、今回の場合は限度を超えているのではないだろうか。彼らは意図的に吊り上げた分の報酬金をいったい何に使う予定なのか、飯田天哉は隅から隅まで知りたい気分になる。

 

だが、それで余計怒らせて話がこじれても困る。今やるべきことは、兄の治療順の交渉だ。唇をかみしめ、その痛みで憤りを紛らわせた。

 

その後飯田天哉は彼の兄の為に必死にアピールした。兄の実績、人柄、そして社会貢献度。治癒を早めれば早めるほど、彼の兄は人々を助け導ける素晴らしいヒーローなのだと。

隣で聞いていた兄が顔を赤らめるほどの熱弁だった。しかし拒望否男は全く首を縦に振らない。

それどころか、飯田のステイン事件での行動を引き合いに出されて逆に責められてしまう。

 

「同じような話だな、さっきから。結局金を用意できることを全く説明していないじゃないか。これから用意するなんていうなよ?君ステイン事件のせいで信用が無いんだよ。わかるだろ?まだ話があるのか?この場にいる以上俺には確かに聞く義務はあるが、さっさとしてくれ。俺は忙しい、時間は惜しいんだ。」

 

憤りを何とか抑える飯田だが、一方で納得もしていた。彼の周りには、飯田のあの時の行動に同情し勇気づけてくれる人間が多かった。しかし、彼らはいわば身内だ。第三者から見ての飯田の規則違反はこうも悪く映ってしまうのか、と彼は思い知る。

 

ただそれでも、なぜそこまで悪く言われなければならないのかという疑念はぬぐえない。彼が飯田を人格否定するのは何か恨みでもあるのかと思えてしまうほどだった。

 

一時間説得をねばったが、結局得られたのは暴言だけ。

もはや取り付く島なし。男の言いたいことなど「さっさと帰ってくれ」だけなのだろう。

自身の弁論技術の拙さを悔いつつ、諦めてこの場を去ろうとしたとき、拒望のポケットから着信音が鳴る。

 

忌まわし気にそれを取り出し、拒望は話を始める。

 

「……はい、こちら、……ええ、今はインゲニウムの……はい?許可する!?なんで、え?サポート会社の!?あの、私はたった今彼らに……ああ、クソ……分かりましたよ。」

 

スマホをポケットにしまった男はおもむろに立ち上がり。

 

「チッ、喜べ。一週間後に治してもらえるとさ。詳細は追って連絡する。俺は予定がある、じゃあな。」

「……え?は?」

 

そうして拒望はドアを乱暴に閉めて行った。飯田兄弟は突然ひっくり返った話を受け止めきれず、呆然とするばかりだった。

 

後から判明する話だが、ヒーローのサポート会社がヒーロー公安委員会に圧力をかけたらしい。インゲニウム事務所は様々な人員を適切に配置することで有名だったが、それに伴いサポートアイテムの扱いも高く評価されていた。

インゲニウム事務所にサポートアイテムが採用されることは、業界で強力なステータス。そのために、インゲニウムが良く世話になっているサポート会社がヒーロー公安委員会に直接口を出してきたらしいのだった。

 

飯田天哉にとってはありがたい話だったが、結局彼自身はヒーロー公安委員会というものに手も足も出ず、ただ耐えることしかできなかったのが交渉の結果だった。

 

 

もともと、その日は飯田の兄の治療の日となっていた。数日前まではその予定だった。

 

治癒のことは守秘義務が多いがために飯田は誰にも言えなかった。クラスメイトにもだ。その間あの不愉快な男の言葉を苦く噛み締めつつも、日が近づくにつれ気分は上がっていった。兄が再び人々を導く姿を、人々はどれほど喜んで見てくれるのだろうか。この間浮かれ気味だったのはA組の一部にも目撃されていたかもしれない。

 

しかし、再び不愉快な事件が起こる。日にちを別日にずらしてくれという要請があったのだ。

割り込みが入ること自体、飯田は抗議をすることができない。彼女の治癒の順番に関してはヒーロー公安委員会が管理しているためだ。あまりにも唐突な要請だったために、急な予定変更は困るというクレームは入れた。

 

だが例によって、その抗議に応対したのは拒望否男。その割り込みがなぜ必要なのか、誰が割り込むのか、その理由は全て機密扱いであるための一点張りで、詳しく聞こうにも門前払いの対応を受けてしまった。本当にヒーローの上に立つ人間の態度かと言いたくなったほどに雑な対応だった。

 

とはいえ、たった数日。それだけなら許容範囲内。不満はあるが致し方ないと飯田は耐えた。

 

だがちょうど今日。さやかと緑谷が到着する数時間前だ。ちょっとした用事で偶然人気のない場所を訪れたとき、突如として着信音が鳴る。

 

スマホを取り出してみると、非通知着信。おそらくは迷惑電話だろう。しかしもしかしたらやむを得ない事情かも知れないと、真面目な彼はその電話に出てしまう。

 

「……もしもし?」

 

それは開口一番、挨拶もなしに突如として告げられた。

 

「君の兄の前に割り込んだ奴は、身元不明の怪しい奴だよ。」

 

微妙に加工された声。おそらく身元を割られないためだろうかと飯田は一瞬電話を切ろうと考えたが、その内容を理解して逆に注意深く耳を傾けざるを得ない。

 

「……は?」

「私は公安委員会内部の者だ。八木俊典。今日美樹さやかの治癒を受ける予定の人物の名だ。調べてくれればわかることだが、ヒーローをしているわけでもないし、優れた功績を持っているわけでもないらしい。要するに一般人さ。」

「だ、だから一体……」

 

飯田は少し待ってくれと言おうとするも、それをさせない意志でもあるかのように電話の向こうの主は畳みかけてくる。

 

「ついでに戸籍上は無個性らしいよ。そんな男が、とんでもなく需要の高いであろう順番に割り込んでくる?一体いくら金をつぎ込んだんだろうね。君の兄と比べてどれほど社会貢献してくれることやら。まったく嘆かわしい。」

「お、おい!」

「場所は君のお兄さんがいる病院。812号室。今日の普通科の授業が終われば、美樹さやかは下校の足で向かい始めるだろうね。そこに行って、君の目で、真実を確かめて欲しい。そしてしかるべきところに公開して欲しい。地位で縛られた私にはできない仕事だ、頼む。」

 

そこでブツリと電話は切れた。

 

しばらく呆然としていた飯田だが、我に返り電話の内容を整理する。

 

(単なるイタズラ電話……では、ないな。僕の電話番号を知っているのはそう多くないはずだ。さらに今日の美樹君の治癒の予定を知っていた。(ヴィラン)の仕業……いや、個性を使っての行いと断定することはできないか。しかしとにかく犯罪者の仕業とみていいだろう。公安委員会の人間がわざわざ身元を隠すわけがない。当然先生方に報告だ。人質……を取ったなんて話は無かったよな。このような不審な電話は、大抵ならば「お前の家族を殺されたくなければ誰にも言うな」などと言いそうなものだが……)

 

当然飯田は職員室へ足を向けるが、少し歩いてはたと止まる。

 

(ん?待てよ。僕はヒーロー公安委員会から治癒に関わる話を許可なく周囲にしてはいけないと言われている。雄英の先生方に対しては例外、ではない。)

 

彼は顎に手を当て、壁に背を預け本格的に思考に没頭し始めた。不愉快な男の顔が頭に浮かぶが、努めて振り払い必要な事実のみを頭に浮かべる。

 

(……いや、暗黙の了解というものだろう。相澤先生などによく言われるじゃないか。「飯田、お前の真面目なところは美点であり欠点でもある。誰しもが全てお前のように思考するわけじゃない」と。だから、ここはマニュアルさんに学んだ「空気を読む」を実践するんだ。……いやしかし、確か公安委員会は「最低限事前に許可を取ってほしい」と言われていたな。本当にいいのか?)

 

一瞬自分がなんの遠慮も無く頼っていた存在に頼れなくなることに不安を感じた飯田だが、すぐに頭を振って打ち消す。

 

(い、いや。要するにヒーロー公安委員会に直接言えばいいじゃないか。うん、そうだ。そしてそこからヒーローや警察の方々に協力依頼をすればいい。そうしよう。)

 

飯田は公安から教えられた一般には非公開の電話番号を頭に浮かべ、スマホで電話アプリを開き順に数字を打ち込んでいく。

 

だが、最後の数字を撃つ直前に手が止まった。

ふと、交渉の時の横暴な男が頭に浮かぶ。機嫌を損ねれば、兄の治癒に影響が出かねない男。

 

(……いや、しかし、相談内容はどうなる?包み隠さず言えば、「あなた方、ヒーロー公安委員会が怪しい男を優先治癒させようとしている、という怪しげな電話が来た」ということになる……)

 

例えばだが、そんな話を拒望にすればどうなるか。さすがに訴訟などは無いだろうが、何か良くないことが起きる予感がしてしまう。

 

(か、仮にだ。あれが本当に公安委員会の内部の人間のリークだとしたら?……い、いやいや、何を考えているんだ僕は。確かに現実にそういった事例はあるのだろうが、こともあろうにヒーロー公安委員会の方が内部分裂のようなことになるのか?どうにも考えにくいな。そもそも、仮にリークするとしても僕に情報を渡す理由が無い。やっぱり公安内部の人間というのは嘘だろう。……し、しかし、実際にあの電話主は僕の電話番号と、治療に割り込まれたという事実を知っていた。この二つを知っているのは、ヒーロー公安委員会内部の人間と見るのが自然だ。すると、本当に僕に……告発してほしいというのか?あの割込みは公平なものではなかったと?)

 

飯田は最後の打つべき数字を見つめるだけになってしまった。

飯田は融通が利かないとよく言われる。規則を重視しすぎて、その規則が何故存在するのかについては頭から抜けがちな人間だと。しかし実際のところ、飯田自身はむしろ感情的な人間だと自らを評していた。この自己認識が定まったのはステインの件が原因だ。それまでは、まさか自分が規則を破る側の人間になるなど思いもしていなかったのだった。

 

それはおそらく正しい認識なのだろう。今回も、飯田は迷ってしまっている。

 

(そ、組織に問題があるのであれば、するべきことは弁護士を雇って裁判所に訴えを起こすことだ。……し、しかしヒーロー公安委員会は時に裁判の結果にすら干渉できるほどの権力を持っていると聞く。まさか、そのようなもみ消しを恐れて僕に?しかし、僕にそれを託す理由は全く思い至らないな。……だけれど、本当に内部で問題が起っていたら?それを僕にあんな遠回しで伝えてきたのは、本人ができる範囲でギリギリのことだったんじゃないか?そんな人間のことを無視して、本当にいいのか?)

 

あり得ないと思いつつも、万が一正義感に燃えた人間の苦肉の策の場合だったことをを頭に浮かべると、飯田はどうしてもヒーロー公安委員会に報告する気が起きない。

 

そしてもう一つ、恐れていることがある。

 

(それに、そんな疑いをかけられては向こうもいい気分ではないだろう。……だ、大丈夫だとは思うが、万が一、兄の治癒に影響があるとしたら……?)

 

つまりは「あなた方は良くないことをしている」という話をすることになる。そのような話をされて、ヒーロー公安委員会からの印象はどうなるのか?

拒望が感情任せに「我々を疑うならばもういい!治癒の件は止めだ!」などと拒絶する光景が容易に想像された。美樹さやかの治療の可否は彼らが握っているのだ。兄が治らない内は、ヒーロー公安委員会とは逆らえない絶対的権力なのである。

 

その権力に対しての反抗心は募るばかりだ。

 

あの割込みは、本当に公正なのか?八木という男は知らないが、彼が治療を優先される理由は一体何なのだろうか?

 

たとえ数日と言えども、飯田には軽んじることはできない。飯田の兄インゲニウムは一日でも早い復帰が望まれるヒーローだ。割り込みをされたということへの黒い感情を、飯田は否定することができない。

 

(もしこのまま誰にも言わずに兄のいる病院へ行けば、その治癒の場面に立ち会えるわけだ。そうすればその八木という男がなぜ僕の兄より優先的に治癒されるのかを知ることが……い、いや、何を考えているんだ僕は!すべては憶測だ。相手はおそらく(ヴィラン)だぞ!早く通報をっ!)

 

しかし、飯田がコールボタンをタップすることは無かった。

昼休みの終了を告げるチャイムが鳴ったのだ。

 

本来ならば(ヴィラン)の通報は授業を放り出してでもするべき行動だ。だが、飯田は教室へ戻り授業への準備を優先してしまう。

 

しかしその授業を受けるのにも精彩を欠いた。

先ほどの電話のことを考えていると、ふと気が付いたらノートに何も書いていなかった。そんなことが何回もあった。

 

(な、何をしているんだ僕は!早く通報を……いや、どこにだったか?あ、今先生の話を聞き逃してしまった!しまった……)

 

自習にでもしていた方が有意義ではと思えるような時間がズルズルと過ぎ、すべての授業は終わってしまった。

クラスメイトの一部は帰宅準備を、そのほかは雄英のトレーニングルームに向かい始めている。

 

(どうする、どうすればいいんだ!?なんて情けないんだ、何も行動できないまま時間だけが過ぎるなんて……!おそらく今のぼくは視野が狭まっている、いやしかし、実際どうすれば……!?)

「い、飯田君!」

 

焦りの思考との中で、突如として声を掛けられる。緑谷だ。

 

「っ!ど、どうしたんだい?」

「その、大丈夫?」

 

大丈夫ではない。ずっと不安でいっぱいだった。見れば轟と麗日も傍におり、心配そうに飯田を見つめている。

 

飯田としても当然の反応だと感じた。ステインの件で、保須に行く前の自分の表情は相当に不安を掻き立てるものだったと聞いている。それと似たような顔をしているのだろうかという疑問が頭をかすめた。

 

「その、最近の飯田君なんだかずっと焦ってたけど、今日の午後はなんだかずっとひどくて。」

「そうだぞ飯田。お前、前の保須に出る時みたいになってたぞ。大丈夫か?」

「その、お兄さんの件で言えないこともあるだろうけれど……言えることは言ってね!私達、友達だから!」

 

飯田は目に熱いものを感じた。

 

(そ、そうだ……!僕は友達に恵まれた!この件を僕だけで処理をすることなど、どう考えても愚の骨頂!僕のようないち学生にどうにかできる話ではない。何を悩んでいたんだ僕は!)

 

飯田は一呼吸置き、3人と改めて向き合った。このような素晴らしい友人たちに何もしないなんてありえない。何としても彼らの想いに応えなければならない。

 

「みんなありがとう!実は……」

 

だがしかし、言葉が続かない。

 

(しかし、ええと、なんて言えばいいんだ?治癒のことは言えない。でも、ええと……)

 

今の飯田は、冷静とはいいがたいが視野はステイン事件の頃よりも狭くはないだろう。

後に回想するところでも飯田はあの時どうすればよいのか分からないと考えている。

 

言葉に詰まる飯田。しばらくの間もごもご口の中で言葉を転がしており、3人は彼を辛抱強く見守った。

 

何とかできないかと必死に頭を回転させる飯田だが、ふと頭に麗日の言葉が浮かぶ。

 

(「言えることは言ってね」……これだ!)

 

飯田は電話の内容を頭の中で反芻し、「言えること」を言う。

 

「昼頃、僕に不審な電話がかかってきたんだ!」

 

異常事態ではある。しかしその内容の小ささに、聞いていた彼らはきょとんとしてしまう。

 

「……お、おお!それは大変だね!」

「なるほどな。」

「だからさっきから様子がおかしかったんだ!」

 

飯田が話をしてくれたことは喜ばしかったが、その内容の何ともいえない小ささに彼らの反応は無理やりひねり出したようなものになってしまった。

 

「それで飯田、その電話の内容は?」

 

先ほどから挙動不審な彼を気にかけていたのだろう、担任の相澤もいつの間にかやってきていた。飯田を気にかけて話しかけてくる。

これだけで飯田の気持ちはスッと軽くなった。心の底から言ってよかったと感じる。

 

そして、「言っても問題ないこと」を注意深く口にしていく。

 

「内容は……ぼ、僕の名前を知っていた!」

「……さっきからどうしたの飯田君?」

「飯田、それじゃわからねえ。ちゃんと説明してくれ」

 

正直に喋る気があるのかないのか分からない話し方。飯田の話を聞く彼らは首をかしげる。

 

只一人、相澤だけは何かを感じ取ったのか、冷静に質問を重ね始めた。

 

「……電話番号は何だった?」

「非通知でした。相手の声は加工されていました。」

「後でお前のキャリアの会社に警察を通して開示請求をしておこう。他には?向こうは何か要求してきたか?」

「いえ、何も。」

「え?飯田君の様子から人質でも取られたのかと思ったんだけど……。」

「それは心配ない。家族にも連絡を取ったが無事だった。襲撃されたという話も聞いていない。」

 

不可解な回答をする飯田に興味をひかれたのか、他のクラスメイト達も話に参加し始める。

 

「じゃあ、単なるいたずら電話ってこと?」

「待って麗日さん。電話主は飯田君のと知って電話をかけたんだ。目的が無いとは思えないよ。」

「で、でもよ。飯田、さっきからやけに焦ってないか?後ろから見てたけど、ノートを取る手がすっげえ鈍かったぞ?」

「飯田、他に何を言われたんだ?なんでそんなに」

「待て轟、焦るな。」

 

相澤は轟の発言を遮り、辛抱強く彼の発言を促す。

 

「……飯田、何か言えることは他にあるか?どんな些細なことでもいい。」

「…………ええと、その……」

 

相澤は数分間、飯田の発言を待った。

しかし、彼は何も思いつかなかった。何を言っていいのか。無為に待たせてしまった彼らに飯田は申し訳なさを覚える。

 

「どこかにヒーローを派遣してほしいという要望はあるか?または呼んで欲しいヒーローはいるか?」

「そうですね……」

 

勿論助けて欲しいのです。飯田はそう言いたくなったが、それも言えない。

具体的に何をどうしてほしいのか?電話の主が何者なのかを知ることが一番だが、警察の捜査の領分であり、何日もかかる話だ。

振り返ってみれば、彼は何か脅迫を受けたわけではない。悪口すら言われていない。自分の個人情報を知っている気味の悪い相手がいた。それが最重要問題で、公安と治癒のことを抜きにしても、脅威を知らせ警察に動いてもらうことはできる。

 

ならばこれ以上、何もしてもらう必要はないだろうか?と飯田は自問する。しかし、それに是とは言えなかった。どうすればいいのか分からないが、ただひたすら何とかしてほしいという雑な願いが渦巻く。

 

「僕の兄がいる病院……ああ、いや、あそこはヒーローが入院するところであるとあって相当に警備が厳重だから不要だろうか?ううむ……」

「つまり、お前の兄絡みか?」

「!ええと……」

 

その通りだ。だが、治癒のことを言っていいのか分からない。

 

普段ならば法治機構の指示に逆らうはずもないが、今回はその法治機構がおかしいのではという状況。ヒーローがヒーロー公安委員会をどうやって正すべきかを、ヒーロー公安委員会の所属組織であるヒーロー科が教えるわけがない。今の飯田には重すぎる課題だ。

 

ただ一つ確かなのは、仮にあの告発が真実だとしても飯田個人でどうこうできる問題ではないということ。せめて口の堅い相澤先生に言っておけば、と後に飯田は振り返っている。

 

幸運にも、今回は遠回しな形であれ人に伝えるということができた。素晴らしい友人や教師に恵まれたのだった。

 

「飯田。」

「なんでしょうか?相澤先生。」

「お前はこれからどうしたい?何もないなら今日はヒーローに付き添ってもらいながら帰るのが最善だと思うが。」

「ええと……」

 

自分が今どうしたいか、その答えは簡単に出た。

 

兄の居る病院へ行きたい。

 

そして、兄の治療に割り込んできた八木という男が一体何者なのかを見定めたい。本当に割り込むに足る人間なのかを。

あの電話で指定された場所に行くこと自体は、違法行為でもなんでもない。

ただ、その行動原理が問題だ。リスクを考えれば、何もしないのが最も良く、そして迷惑もかけない。

 

しかし汚く思える欲望が邪魔をする。八木というのは本当に割り込むに足る人間なのか?どうして割り込む必要があるのか?それは例えば、雄英の入学試験で不当に低評価をされたと感じる人間がその採点理由を知りたいと思うような心理だ。

 

結局、自分の中で「確認しておかないと一生モヤモヤするかもしれない。」という屁理屈を付けて自分を無理やり納得させてしまうのだった。

 

「ぼ、僕はこれから兄のいる病院へ向かおうと思います。」

「なぜだ?緊急性のある用事か?」

「そういうわけではありませんが……その……」

 

飯田は再び黙ってしまう。「もともと兄の見舞いに行く日でした」などと言い訳などいくらでもできる場面だが、それも躊躇するほどに今の飯田は混乱していた。

また自分は情けない時間を過ごしてしまうのか、と暗い気持ちになったとき、意外にも相澤の方から声がかかった。

 

「まあ、いい。ヒーローを一人呼んでおく。お前の兄の件は何も知らないだろう人間だ。守ってもらいながら病院に行け。何かあったらすぐに連絡。分かったな?」

「は、はい!ありがとうございます!」

 

ヒーローに守ってもらいながらその場所を確認する。どうしてその発想が出なかったのかとすら思えた。

 

相澤の言葉通り、すぐに一人のヒーローが駆け付けた。そしてそのヒーローと一緒に、飯田は病院へ向かうこととなる。

 

相澤先生は僕のことを信用し、この状況を任せてくれたと飯田は感じた。何か言えない事情があることを察知し、それに突っ込まずにいてくれた。その甘さともとれる優しさに、思わず涙ぐみそうになる。

 

そもそも兄の病院へ向かうことは規則違反でもなんでもない。8Fの812号室へ向かうことも何も悪いことではない。電話で言われたことは「そこで割り込みされた治癒が行われる」だけだ。この言葉通りなら、おそらく見知らぬ男が美樹さやかに治癒されるのを目撃されるだけ。そもそも部屋に近付くことすらかなわず、完全に徒労に終わる可能性が高いだろう。

 

そんな数々の推測を重ねても、飯田は相澤に対してひたすら罪悪感を感じるのだった。

 

 

「ふぁ~……まあ、流石にイタズラ電話だったんじゃないかなあ。最近は(ヴィラン)に狙われるなんて物騒なこともあったから、100%大丈夫なんて言いきれないのが怖いよねえ。」

「そうですね……何もなければそれが一番です。」

 

(ヴィラン)に襲撃されるということもなく、飯田は何の障害も無く病院に到着する。

病院内も平穏そのもので、事件の香りなどまったくない。ついて来たヒーローも気を抜いているのか、あくびをする始末だった。

 

流石にこのまま直接812号室に行く勇気は無く、飯田はひとまず兄の病室へ向かった。

 

彼の兄、飯田天晴はこの時間帯に来る天哉に少しだけ驚いたが、喜んで弟を歓迎した。

 

「天哉?珍しい時間だな。学校が早く終わったのか?」

「いや、そうじゃないんだ。実は今日の昼頃、僕のスマホに不審な電話がかかってきたんだ。それで、心配になって兄さんの顔を見に来たんだ。……一応聞くんだけれど、兄さんの所に変な電話がかかってきたりした?」

「昼頃連絡してくれた件か。俺のところには特に何も来ていないな。ああそうだ、警察には俺からも通報しておいた。」

「ありがとう兄さん。僕も学校の先生を通して通報していただいた。それで、心配になって兄さんの所に来たんだ。このヒーローの方は、念のために雄英の先生がつけてくださった護衛のヒーローだ。」

 

飯田天晴の護衛のヒーローは互いに挨拶を取り交わす。兄はこのヒーローを知っている様子であり、特に疑うこともなかった。

 

「そうか、ひとまず天哉が無事でよかった。それで、どんな内容だったんだ?」

「……その…………」

 

飯田天哉は言葉に詰まる。

本当に言っていいのだろうか?言ったことでヒーロー公安委員会の関係が悪くなる可能性は?そもそもこんな不確かなことを言っていいのか?

 

そんな言い訳が頭をぐるぐるして、そしてやがて一つの答えを出してしまう。

 

先に行ってみればいいじゃないか、と。

812号室になにもなければそれでよし。堂々と電話の内容を話せる。いや、どうせあんなのは嘘百八だ。自分の不安感を払しょくするためにも、さっさと確認してしまおう。プロヒーローもついているのだ、何も問題ない、と。

 

「……ごめん、兄さん。」

「ん?どうしたんだ天哉?」

「20分……いや、15分ほど、出て来る。そしたらまた戻ってくる。」

「出て来る?この病院に知り合いでもいるのか天哉?」

「え?一体どこに」

「812号室です。すいませんが、付いてきてくれませんか?」

「それは構わないが……」

 

なぜそこに行くのか戸惑うヒーローを適当に誤魔化しつつ、彼は歩みを進めた。不安を振り払うように、必要以上に力を込めた歩みで。

 

しかし病室を出る瞬間、兄に呼び止められる。

 

「天哉。」

「兄さん?」

「……今度、この飯田一家に伝わる秘密の個性伸ばし方法を教えようと思っているんだ。」

「本当か兄さん!?」

 

子供のころから、天哉は兄にどうやって兄は屈強な個性のエンジンを鍛えてきたのかと兄にしつこくせがんできた。

実際、弟に教えていない鍛錬方法はある。しかしそれは、エンジンのマフラーを引っこ抜くという過酷なものであり、個性が未熟なうちに実行するとオーバーワークとなってしまうのだ。それゆえ、天晴は「天哉が大きくなったら教えてやるよ。」といつも返していた。

しかし隠されていたことは飯田天哉にとっての『特別』を促進し、それは一人前になるための登竜門のように印象付けられていたのだった。

 

「ああ、本当だ。近頃の天哉の様子を見ていると、そろそろいいんじゃないかってな。父さん母さんとも話し合った結果だ。」

「あ、ありがとう兄さん!」

「だから……この前みたいに、間違った行動はしないでくれよ?」

「……っ!」

 

飯田は背に氷を詰め込まれたような気分になった。

 

やはり、何かを見抜かれている。

その反応を見て、飯田天晴は先ほどまでの朗らかな様子をひそめ、まるで(ヴィラン)を相手にしているかのような鋭い視線に変わる。

 

「……やっぱりか。今度は何をしようとしているんだ?」

「それは……その……」

「天哉は……俺に、兄に言えないことをしようとしているのか?そうやってまた自分の身を軽視して……ステインの時はどれだけ俺たちが悲しんだと」

「そんなことはない!今も兄さんに言いたくてたまらないさ!」

 

不満が爆発したような天哉の叫びに、天晴の目線は少しばかり変化する。肯定の方向ではなかったが、否定でもなく、興味に近いように感じられた。

 

「……どうして言えないんだ?」

「それは、その……そ、そうだ。僕がさっき言った、『出て来る』用事が終わればすぐにでも話せるさ!その時、どうして言えないのかも言うことができるんだ。」

「…………」

 

飯田天晴は少しの間考え込む。時々スマホで何かを調べたりしつつ、時々天哉の顔もうかがった。

 

天哉は裁判の結果でも待つような気分だったが、やがて天晴が口を開く。

 

「……まあ、今のところこの病院に対して犯行声明が出されているわけでもない。(ヴィラン)犯罪も、今日は特別重大なものは無い。それにヒーローがついてくれている。安全だとは思うが……」

「…………兄さん、僕は」

「天哉、一つ聞きたい。お前の行動は、誰が幸せになるためのものなんだ?」

「それは……」

 

天哉は言葉に詰まる。

 

ヒーロー公安委員会の不正───存在するかもわからない不正だが───を正すことで、不特定多数の人間が、間接的に将来的に利益を得るだろう。

 

だがあまりにも対象が抽象的だ。それよりも、自分の好奇心や反抗心といったものが大きい。

 

飯田は改めて、感情の為に理屈を立ててしまったと認識する。やはり正義の行いではないのではないか。ステイン事件の失敗を繰り返そうとしているのではないか、と。

 

「……悪い悪い、天哉。ちょっと意地悪しすぎたな。そんなに悩むなんて。」

「え?」

 

唐突な言葉に、天哉は一瞬何を言われたか分からなかった。

気が付くと、最後に言葉を発してから10分も時間が経過していた。その間、天哉はただ苦し気に立ち尽くしていたのだ。

 

「そんなに悩むなら、行ってきた方がいいと俺は思うな。」

「に、兄さん?でも僕は」

「天哉がそこまで悩む姿、初めて見たよ。そんなに悩まれたら、かえって俺の方が申し訳なくなってきちゃったんだ。」

 

何かに負けたと言わんばかりに、天晴は肩をすくめた。

 

「……」

「今回はステインの時よりははるかに安全だろう。それにステインの時だって、俺の為にやってくれたようなもんだからな。今回も、完全に私欲ってわけじゃないんだろ?そこは信用してるんだ。」

「そ、そうかな……?」

「だから一連のことが終わったら、ちゃんと俺に教えてくれよ、弟よ。何に悩んで、何を天秤にかけていたのかを。兄ちゃんは、お前の成長を楽しみにしているからな。」

「もちろんだ、必ず言うよ、兄さん。」

「じゃあ行ってこい。あんまり無理するなよ。」

 

無理も何も、確認に行くだけなのだ。頑張る必要すらない。

 

しかしそう思いつつも、兄に背を押されたかのような感覚で、飯田天哉は扉を出た。

 

 

812号室までの道のりも、何の障害もなかった。

 

時々看護師や病人らしき人物とすれ違っただけ。812号室は確かにヒーロー向け高セキュリティ病室だが、それ以上特別なものがある訳ではない。

 

エレベーターに乗り、8の数字をタップする。何の苦労もない。周囲の警戒をし続けて歩いていた自分が愚かに見えるほどに拍子抜けな歩みだった。

 

だが、エレベーターの扉が閉まり始めたとき。

 

「…………ん?あの、え?」

 

付き添いのヒーローがいない。

 

何の音もしなかった。叫び声も、気配の変化も感じられなかった。飯田は雄英ヒーロー科なだけあって周囲の変化に目ざとく気付けると評価されている。これは雄英教師からのものだ。本職のプロヒーローと比べると少々怪しいが、悪意という物に鈍い男ではないと言える。

 

その飯田が、全く気が付けなかった。個性による事象の可能性が高いだろう。

 

「ま、まさか本当に(ヴィラン)が!?すぐに連絡を……」

 

スマホを取り出そうとする飯田だが、その前にチンという電子音が鳴った。エレベーターが途中の階で止まることもなくスムーズに上昇した結果だ。

 

飯田の心情に一切構わず「8階です」という電子音声が響き、罰ゲームでも始めるかのようにドアが開く。

 

「え、ええと……?」

 

開いた瞬間に襲われることもなかった。飯田が顔を出してすぐ横を向けば、812号室の入り口が見える。

 

すこしして周りを見渡せば無人ということもなく、医師らしき人物や病人らしき者もいた。

 

余りにも平穏だった。

 

「……本当にただうっかり、エレベーターに乗り損ねてしまった可能性もあるのか……?」

 

常識的に考えればあり得ない。今すぐ元の階に戻って確認するべきだろう。時間のロスにしてもたかだか数分程度だ。

だが飯田が、ほんの少しだけだと自分に言い聞かせながら812号室へ向かってしまう。

 

ドアの前に飯田は立つ。そして気が付く。

 

「……少し開いている?」

 

本来ならば自動的に締まるドアだ。それが不自然に開いており、中を覗き見ることを容易にしていた。

 

おそるおそる中を見る。中で死体が、などということもなく、やはり平穏そのものに見える。

 

ただしもぬけの殻ではなく、人影があった。金髪でガリガリに痩せていた男だった。老人には見えないが、若くも無いように見える。服装は入院患者用のそれ。病人か怪我人だろうという印象を飯田は受けた。

 

あの人物が八木なのか。当然知らない人物だろうとその顔を飯田は見ていたが、ふと思い出す。

 

「どこかで見たような……?あ、体育祭の時、か?」

 

体育祭の時、緑谷の見舞いに行ったときに見知らぬ男がいたのだ。その人物に似ているような気がしたが、顔を見たきりだったので確信はない。

仮にそうだったとしても、だから何だという話である。八木が雄英の職員だった、それが治療を割り込まれた理由のわけがない。

 

冷静になった飯田は、はたと自分の状況を客観視する。

 

「……な、何をやっているんだ僕は。早くさっきのヒーローと連絡を取らなければ。」

 

そうしてスマホを取り出したが、その指は再び止められる。

 

「な、なぜい……君は、ここに?」

 

その男に声を掛けられたのだ。向けられた瞳には、妙に力強い蒼の光がこもっているような気がした。

 

「え?あ、いや……」

「……私に用があるのかい?まあ、その、なんだ。ひとまず中で腰を下ろしたらどうかな?」

「あ、ええ……はい。」

 

果たしてあの時の男はこの声だっただろうか、と振り返りつつ飯田は歩みを進め、ガリガリの男に差し出された丸椅子に腰を掛ける。病人とは思えないようなスムーズな動作だった。

 

ここからどうしようか、面と向かって「あなたが兄の治癒に割り込んだ人ですか?」と言い出す勇気もなく悶々とする飯田に、男は気さくに声を掛けた。

 

「君の名前を聞いてもいいかな?私は八木という者だ。」

 

やはり彼が八木なのかとモヤモヤしつつも、彼は意識して普通の会話を続ける。

 

「ぼ、僕は飯田天哉、です。」

「……そ、そうか!あのインゲニウムの弟か!いやあ、体育祭での君は素晴らしかったよ!君ならいいヒーローになれるだろう!」

「へ?ええ……あ、ありがとうございます。」

 

思っていたよりもずっと優し気な、それでいて力強い話し声だった。節々から正義や善といったようなものがにじみ出てくる声。

割り込みの連絡を受けたときの悪印象から、八木という男も褒められた人間ではないのではと飯田は疑っていた。しかし少し話しただけで、この人物が悪ではないと飯田は信じ込んでしまった。少し言葉を交わしただけで。

 

「それで、飯田少年はどうしてここに?」

「あ、いや……」

 

飯田少年という言い方にどこか引っかかるものを覚えた。

そのせいで、少し返答に困ってしまう。それを、八木という男は「言いたくない事情がある」と受け取ったようだった。

 

「ふむ……無理に言って欲しいわけじゃないよ。しかし今の君は、何か悩んでいるようだね。もちろん私は、ええと、大した人間じゃないんだけど、しかし人の話を聞くくらいはできるのさ。どうかな?」

 

飯田は確信した。

この男になら、治療に割り込まれた不安を言っても大丈夫だ、と。そんなことで気分を害する人間にはとても思えなかった。

 

「実は……その、八木さんは、今日、個性による治癒を受ける……予定ですか?」

「な、なぜ飯田少年がそれを?」

「その、僕のところに妙な電話が来たんです。誰からかはわかりませんが、それで気になってしまって……」

「ん?……ちょっと待っていなさい、飯田少年。」

 

スッと、八木の目が細くなる。深い集中状態に入ったような印象を飯田は受けた。USJの時、戦っていたプロヒーローの先生方がこんな空気だったと思い出す。

 

ガリガリの体でまるで歴戦の戦士のように流暢に立ち上がる八木という男。何をするわけでもなくただあたりを見渡しただけだ。

 

「……なにかおかしくないか?」

 

明らかに警戒をしている。

八木に従って飯田も見渡してみるが、少々贅沢そうな医療用の機器があるだけで特別なものは見受けられない。念のために、ベッドの下など人が隠れそうなところも探したが、誰もいなかった。

 

次に飯田は耳を澄ます。すると、かすかに聞こえてくる声があった。足音だ。

 

それはどこか別の場所に足を止めるということもなく、予定された仕事をこなすようにこちらに来た。

 

「……あれ?扉が開いていますね。ここは厳重にしなければならないというのに……って、八木さん、こちらの人は?」

 

現れたのは、スーツ姿の男。ボサボサのベージュ髪とひどい隈が印象的だ。

 

「ああ、どうも目良さん。彼は飯田少年。雄英体育祭をご覧になられたなら見たことはあると思うのですが……」

「……え、ちょ、ちょっと待ってください。飯田?飯田天哉ですか?あのインゲニウムの弟の?」

 

目良は明らかに動揺していた。やはり自分の行いは正規のものではないのだなと飯田は思い知る。

 

結局、どうするのがよいか分からない。しかしせめて堂々としていようと彼は自分に言い聞かせた。

 

「……はい。僕は飯田天哉です。」

「似ていると感じていましたがまさか本人とは。ね、眠気が吹っ飛んでしまいました。いったいなぜここに?どこまで知っているのですか?」

 

目良は飯田に一気に詰め寄った。動揺半分、怒り半分という印象だ。

 

「ええと、どこから説明すればよいのでしょうか……まず僕が聞いているのは、この八木さんは」

「……八木さん、ですね?」

 

何故か名前部分を念押しして聞いてくる目良に、飯田は首を傾げた。彼には別名でもあるのだろうかと。

 

「ええと、この方は八木さんではないのでしょうか?」

「いえ、彼は八木という人です。」

 

飯田も首を傾げた。彼には別名でもあるのだろうかと。

 

「はあ……?ええと、それで彼は美樹さやかの治癒の予定がある、ということを知っています。」

「…………いったいどこから情報が漏れた?ああ、また始末書を書くために睡眠時間が減らされる……。」

「す、すみません、僕は正直今の行動が正しいのか分からなくて。」

「君の行動の良し悪しを問うのは後です。しかし、ここで情報を隠すことは明確に悪行です。まあ君ならばそんなことをしないとは思いますが、我々公安委員会のことを悪く言ったとしても罰したり、今後君に不利になるようなことは一切しません。だから正直にお願いします。」

「え!?ちょ、ちょっと待ってください!本当に『何を言っても』罰するつもりは無いのですか!?いえ、悪口を言うつもりは無いのですけども!」

「え?は、はい。本当です。」

「おお、そうですか!」

 

飯田の一番欲しい言葉だった。「公安委員会のことを悪く言ったとしても罰するつもりは一切ない」ならば、安心して自分の持っている情報を吐き出せると思えた。これで兄に迷惑をかけずに済むと。

よく考えれば、この目良という男があの拒望とつながっている可能性はある。しかし、飯田はこれ以上自分の不安感を抑え込めなかったのだ。

 

「では、一から説明させていただきます!」

 

飯田は全てを正直に話した。今日の昼にあった不審な電話のこと。機密情報との兼ね合いと、兄の治癒の順番に影響が出ることを恐れたこと。雄英の教師には可能な限り話したこと。ここに来たのは飯田の独断であること。

 

一通り話し終えると、目良は毒さえ含まれていそうなため息を吐き、八木の隣に腰かけた。あまりの俯き加減に、病人のように見える八木に逆に介抱されてしまっている。

 

「はあああ……そうか、そうなる可能性があるのかあ、やっぱり拒望に任せたのは……いや、うむ。とりあえずまた徹夜は覚悟ですね。」

「……すみません、僕は一体どうすればよかったのでしょうか。」

「もちろん我々に連絡が第一でしたが……まあ、今回は責任を追及することはおそらくないでしょう。我々の落ち度が大きいですね。」

「ええと……?可能ならばそちらの事情を教えていただいても?」

「ああいやその前に、まだ飯田君は説明していないことがありますよね。どうやってここに来たのですか?」

「どうやって……?」

 

飯田は質問の意図を掴めず、きょとんとしてしまう。

 

「ですから、この812号室を警備している私服ヒーロー警備員をどうしたんですか?という話ですよ。」

「……?え、え?」

「どうしたんですか?先ほどの言ったとおりに、正直にお願いしますよ。」

「いえ、どうしたも何も……普通に歩いて来ましたよ。」

「は?」

「ですから、兄の居る病室からここまで歩いてきたのです。その過程で護衛のヒーローとはぐれてしまったんです。……あ、そうだ。連絡をしなければ。すいません、少し失礼します。」

 

飯田はここでようやく護衛のヒーローに連絡する。

電話のコール音を何度も辛抱強く聞いて待った。

 

その間手持ち無沙汰だった彼は、目良と八木の様子を改めて見る。

 

(……目良、さんはヒーロー公安委員会所属の方で、おそらくこの八木という人と何かしらのつながりがあるのだろう。そして今は……彼も電話している?あ、八木さんも同様に連絡しようとしているな。しかし……この表情は。)

 

2人は真剣な表情で耳にスマホを当てていた。

 

3人とも電話のコール音だけに集中する静寂がしばらく続く。途中で目配せし、お互いに何かを言いたげではあったが、それぞれが音に集中している状況の為に言葉は出なかった。

 

そして、心拍がひたすらうるさかった静寂を乗り越えた結果は。

 

「……繋がりません。」

「繋がらない……」

「私もだ、繋がらない。」

 

お互いが顔を見合わせ、再びしばらく無言だった。

 

飯田は、状況が呑み込めないうえにどうすればいいのかもわからない。何もできないでいた。なにかまずい状況なのは分かるが、具体的な脅威の内容が分からない。目に見える形で(ヴィラン)がいない場合の対処方法は、残念ながら雄英からまだ教えられていない。

 

しかし、八木と目良は年の分経験値があるようだった。

 

「飯田少年。私の傍を離れてはいけない。これは他の人に言わないで欲しいのだが、これでも私はプロヒーロー免許を持っているんだ。私の指示に従って欲しい。」

「え、ええ?」

 

何を突然、と言いかけたが、八木から受ける印象は病人とはもう信じられないほどに力強いものだった。飯田は殆ど疑わずに八木の近くに寄った。

 

「二人とも。これから周囲を警戒しつつ病院を脱出しますよ。今私がかけたのは警備をしていたはずのヒーローの無線です。繋がらないということは……やられましたね。」

「やられた、とは?」

「ハッキングですよ。」

 

飯田はスマホを少し操作してみたが、何も問題なく外部と接続できているように感じた。

 

「例えば110番にでもかけてみなさい。」

「110番……!?」

 

110番にかけようとした途端、飯田のスマホはブラックアウトしてしまう。

 

「どうやら向こうには相当の凄腕ハッカーがいるようですね。我々に悟らせずここまでの妨害工作とは。」

「目良さん、話は後です。今すぐここから脱出を。そして可能な限り早く美樹少女に連絡を取らなければいけません。ここに来てはいけないと。」

「ええ、そうですね。」

 

「少し待っていただけないかな?」

 

突然響く、第四の声。自らの存在を知らしめるための、芝居のような嫌に聞き取りやすい声だった。

 

扉を見れば、そこには人影がある。

 

「何者です!?」

「我々は……ふむ。ひとまず私自身はコード・リデスとでも名乗っておきましょうか。」

 

現れたのは、これまたスーツ姿の男。そして飯田を含むこの場の誰もが知らない男だった。

ただし、その顔には違和感がある。口の動きが声に微妙に合っていない。おそらくは変装用の被り物なのだろう。

 

「本日は。個性を持つ者の正当な権利として、美樹さやかの解放、その第一歩の為に参りました。」

 

ただ、親指を額に当てて人指し指を上に向けているのが印象的だった。




・兄の居る病院
おそらく緑谷は向かっているところが飯田の兄の病院だとは知らないだろう。ヒーローがいる病院が世間一般に知られたら普通に襲撃されるだろうし……

・異能をすごく解放したそうな人たち
AFOを抜きにすると次点で脅威になる連中はおそらくこいつら。この時点で10万の人員だとしても相当ヤバい。オウム真理教ですら最盛期一万人程度である。ある程度は泥花に集中しているのだろうが、それでも人工衛星を持っているカルト集団ってちょっと……
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