後編は明後日あたりに多分上がります。
「……馬鹿なことは止めなさい。すぐにヒーローが来る。」
得体の知れない男に対し、真っ先に動いたのは八木だった。その眼付から、飯田は恐ろしささえ感じる。
「ヒーロー?いえ、そもそも逮捕される謂れはありませんねえ。私はあなた方公安と交渉に来ただけですよ。」
それに対しリデスは、それがどうしたと言わんばかりに堂々と答えた。
「何を言うのです。このような電波妨害……それとも端末へのハッキングですか?こんな犯罪行為をしでかしておいて。」
「電波妨害?ハッキング?さて何のことやら。あなた方の持っている機器が偶然壊れているだけでは?現に私のスマホは普通に通信できますよ、外部と。」
リデスがわざとらしく取り出したスマホをよく見れば、ヒーロー世代に開発された
それをしまう時、目良は敵の狙いの一つに思い至る。
(……カメラ部分が外に出ている。なるほど録画または中継。下手な言動をするなということ……いや、こちらの失言を引き出すのが狙いでしょうか?)
「仲間を呼ぶ用意もあると?配置していた護衛をどこにやったのですか。」
「私の知らない方々の話をされてもねえ。」
「……交渉とは何ですか。」
「簡単ですよ。金銭をお支払いしますので、対価として美樹さやかに優先的に治癒していただきたい人物がいるのです。ええもちろん十分な額を出しますよ?2億円ほど。」
億単位という金額に大いに覚えがある飯田は、一気に焦りを募らせた。
(彼女の治癒に割り込むための金額を知っている……!?相当に用意周到な
目良も、この発言から別方面から
(……治癒に割り込むための相場金額を知っている、訳ではなさそうですね。2億円というのは後ろ暗い所が無い、真っ当な社会的地位を持つ相手に対して提示される金額。
考えつつも、目良は間が長すぎたと直感するやすぐに口をだす。妙な間黙っているのは精神的揺らぎを与えられたと認識されてしまうからだ。
「何を馬鹿なことを。公式に用意している連絡口から申請しなかったということは、あなた方に後ろめたいことがあるからでしょう。だからこのような強制的な場を作り出している。どうせ次には脅迫でしょう?断ったら何をすると言うのです?」
「おっと、脅迫だなんて心外ですよ。断られたら私は肩を落としながら帰るだけです。まあ、確かに?もしかしたら私は断られたショックで、インターネットにあること無いこと書き込んでしまうかもしれませんけどね?皆さんが驚くようなことをね!」
「……答えなさい。何を知っていると?」
「さて、あなた方公安委員会が私のような一介の個人に秘密を漏らすなどという愚を犯すなど考えられませんけどね。」
「……あなたの身柄をここで押さえてもよいのですよ?乱暴なことは言いたくありませんが、我々ヒーローの武力を甘く見ないことです。特にこの場ではね。」
目良は
彼は実際、身体的な脅威は感じていない。この男がオールマイト=八木だと知っているのかは不明だが、実は本当に知らないのではと目良は予想している。どんな
その視線の意図を知ってか知らずか、リデスと名乗る男は話を続ける。
「おお、怖い怖い。しかし、これはただ聞いた話なのですけれどね。」
「惚けるのもいい加減にしたらどうですか。治癒の件に関する話は全てが口外禁止扱いです。正当な手段であなたの耳に入るのはおかしいのですよ。情報を漏らした場合は罰則もあり得ます。つまり、あなたは何かしら違法な手段で情報を集めているということです。」
「いいえ?私は特別なことは何もしていません。ただ私は人脈が広くてですね。なぜか、秘密のはずなのに、治癒の件を相談した際のことを話してくださった方がたくさんいるのですよ。それも、悪い悪い話を。」
「なんですって……?」
「なんでも、家族が不治の病だから必死に頼み込んだのに逆に「そいつは役立たずだからとっとと死んだ方がいい」と言われた、スポーツ好きの方が事故で動かなくなった足を元通りに動かせるように願ったら「そんなことしてもキャリアに貢献しないから義足で我慢しておけ」と言われた、周りに話してもいないのに情報漏洩を疑われて一方的に断られた、だそうです。ヒーローの取りまとめ役とは思えない横暴な話です。」
おそらくそれは事実なのだろう。飯田はあの拒望のせいだと直感した。そして目良も同様に判断し、その上でこのリデスにはどれほど大きい
(やはり拒望に任せたのは絶対に間違いだった。それほどひどい発言をしてしまうとは。いくら事情があるとはいえ、もう少し人事に慎重になるべきでした。……しかしここで悔やんでも仕方がない。今恐れるべきは、彼らが治癒を申し込みそして断られた方々の話を聞けた、つまり接触できたということです。
この男が挙げた話は、今のところインターネットなどで話題になったという報告は無い。つまり今の話は–––鵜呑みにすればですが–––彼らへのタレコミなのではなく、彼らが自発的にその方々へ接触して得た情報ということ。相当な情報力が無ければできない芸当です。……それとも、情報が想定以上に流出している?この短期間でここまで調べ上げられるのは、たとえ情報戦に長けた
目良は顔の筋肉に全力を込めた。絶対に弱弱しく見えないように。
「何をいまさら。公安という組織は昔からコミックの悪役、もう慣れっこです。だが、必要悪でもある。その男を治癒関係の仕事に任命したのは、確かに我々の意志です。その話が事実ならば然るべき謝罪をしましょう。それでも、彼女の治癒に関していえば強い態度で拒否しなければならない時もあるのです。……あなた方には信じられないでしょうが。」
目良の役割は、どんな形であれ
拒望の発言は、彼としても許せないと思ってしまう。公安としても謝罪しなければならない案件だろう。しかししばらくの間は、ヒーロー公安委員会はそんな事実を認めないに違いない。相当な被害者が出て、大きな声を上げられてようやく一般市民に対して重すぎる腰が上がるのだ。
目良はそんな公安委員会の性質は気に入らない。だが彼は公安の組織の一員である以上、彼個人の意思で勝手に謝罪するわけにはいかない。今の目良のミッションは、リデスのどこまでがヒーロー公安委員会の落ち度なのかを判断し、判断できない部分は毅然と否定し、そして
そうならないよう神経を尖らせつつ、ヒーローが来るまで、この場の時間稼ぎをすることが彼の仕事だ。
(はぁ……なんで私はこんなブラック企業、いやブラック委員会から転職しないんですかねえ。自分でも不思議なものです。昔は私も正義の味方でありたかったのですがねえ。)
そんなことを思いつつ、目良はリデスの一挙手一投足に目を光らせる。
「不要です。どうせ美樹さやかのためだの、最大多数の最大幸福のためだのと言うのでしょう?私としても、社会の為には時には非情な、醜い決断をしなければならないときがある、そのことには同意しましょう。先ほどのひどい話ももしかしたら誇張されているかもしれませんから、これ以上何か言うつもりはありません。それにしたってその男は品性が無いとは思いますがね。
しかし……」
リデスは鋭くにらみ続ける八木に再び目を向け、そしていっそう目線を鋭くした。
「そこの八木という男を優先したこと。これは少々いただけない。」
「……どういうことだ?」
「我々が手に入れた情報によると、この八木という男は無個性。少なくとも個性届ではそうです。だがしかし、ただの男ではないご様子。」
「どこからそれを調べた?何を根拠に?」
「肯定と受け取りましょう。彼が常人ではないことは簡単に推察ができますよ。なんせ、あのインゲニウムの治癒に割り込めるほどの権力、または資金力を持っているのですからね。」
「な、なんだって!?飯田少年、今日はもともとインゲニウムの治癒の日だったのかい!?」
八木が慌てたように飯田に聞く。飯田は八木が知らなかったことに驚きつつ「はい」と言うと、八木は力なく黙ってしまった。
「さて、実に気になりますよね、飯田天哉君。なぜこの男に割り込まれることになったのか。」
「ま、まあ、確かに気になるが……」
「飯田君。申し訳ありませんが、我々から理由についてお答えすることはできません。」
「我々が聞いたところによるとですね……」
「憶測で物を語らないでいただきたい!」
「憶測なのだから間違っていれば否定すればいいでしょう!」
目良としては、今すぐにでも傍にいる
あれがある限り、
それでも、この状況の確実な打開策の一つとして、彼に加減してもらいながら戦うという選択肢は頭に入れている。しかし、このリデスという男の個性が分からない以上はかなりリスキーな選択肢だった。
もう一つ、武力行使に奥手になってしまう理由がある。証拠がないことだ。
怪しいという名の状況証拠はある。がしかし、リデスの属する組織がハッキングを仕掛けた証拠も、病院内の人間に手を出したことも確たる証拠が無い。この状況下で無理やり確保すれば、悪意のある編集をされた上で一連の応対がネットにばら撒かれてしまうのだ。
「さて。私の、私たちの聞いた話によると。八木という男は特に資産を持っている様子はありませんでした。実績も、地位も。雄英ヒーロー科の事務職員だそうですね。ヒーロー免許を持っておられるようですから、もしかしたら力のヒーローなのかもしれません。」
「勝手に人の個人情報を取るなど」
「がしかし!貴方にはヒーローとしての活動記録が全く残っていない!そう、全くです!免許があるのに、一切!この情報社会にて、活動が記録されていなかった。不自然だとは思いませんか?ねえ、八木さん。あなた、今まで一体どこで何をしていたのですか?」
都合の悪い突っ込みには大声でかき消すというリデスのやり方。目良は苛々を努めて押さえつける。
そして八木は、黙っているとやましいことがあると受け取られてしまうために仕方なく話し始める。目良は、どうか正義感から下手なことは口走らないでくれと願いつつ見守った。
「…………ヒーロー免許は、個人的事情で必要だったから取得しただけだ。記録が実際に残っていないのは、八木俊典は本当にヒーローとして活動していないからさ。」
「ヒーロー免許の無駄遣いですね。あなたの枠の為に試験に落ちた人はどう思うやら。まあ、それは置いておきましょう。しかし一体何のためにヒーロー免許を取得したのでしょう?まさか雄英の事務員になるために免許が必要だったはずでもあるまいに。」
「……だったら、なんだというのです。」
「八木俊典は、ヒーロー公安委員会の施設に出入りする姿がよく目撃されています。」
どこでそれを、と目良は一瞬逡巡したが、すぐにこれはそこまでおかしな話ではないと気が付いた。
八木俊典でいる姿の行動は、控え目に言ってもまったく隠されていない。むしろコソコソして出入りする方が怪しまれるだろうと堂々と行動していた。オールマイトとのつながりがバレさえしなければよいと、マッスルフォームに変身する場面だけ目撃されないように全力を尽くしてきたのだった。
だがそれは、八木という人物に注目されれば情報が多く抜かれてしまうことでもあった。監視カメラ映像、戸籍、そう言った通常の警察が調べられる範囲での権限があれば、八木の行動がヒーロー公安委員会に大きくかかわっていることを知ることは難しくないだろう。
「仮に、この八木俊典さんがヒーロー公安委員会の人間だったからだと言って、一体何が問題なんだ?」
飯田が口を挟む。大して意味のない興味本位からの問いかけだったが、目良としては余計な口を利くなと言いたくなってしまった。
「なぜこの男が割り込んだか、ですよ。八木さん。なぜあなたは治癒を受けるのですか?」
「この状況下で君に言うわけがないだろう?」
「確かに言う義務はない。しかし随分お元気そうですね。そんなに鋭く私を睨みつけて。」
すかさず目良が口を挟む。しかし状況は少しずつ悪くなっていく。
「とある事故による臓器不全ですよ。こう見えてもう少ししたら仕事ができなくなってしまう体なのです。」
「最近、どころか昨日に普通に雄英に出勤されていたようですね。臓器不全の患者が一体職場に何の用なのですか?なぜ病院で安静にしていない?」
「機密です。そちらこそ、一個人をそこまで執拗に調べるなど。
目良は汗が背に張り付くのを感じながら、必死に外部と連絡を手段を取る方法を考えていた。公安委員会の一定の人間には一定時間ごとに通信しなければ異常事態と見なされる仕組みがある。携帯端末から常に一定の信号を公安のサーバーに返すのだ。目良のそれは、もう異常事態と見なされるほどに長く送られていないだろう。それでも、ハッキングの件を考えれば不安は残る。確実に言葉で伝えたいのだ。
現状、オールマイトと八木とのつながりがバレていないことは良い。しかしもしこの場のやり取りが知られてしまえば、八木としての行動に今後制限がかかる可能性が高い。ヒーロー公安委員会としても、彼との接触が難しくなってしまう。
「そうですか。私の『聞いた話』はどうやら事実だったようですね。確認が取れてよかったです。」
「……私は事実だと認めていませんよ。曲解は止めてください。」
「さて、ここでの疑問。果たして、この八木という人物は本当に順番に割り込むに足る事情があるのか、です。」
飯田が、八木に、公安委員会に対して少なからず抱いていた疑念を表に出されてしまう。
ここからが正念場だと、目良は気合を入れた。
「臓器不全だという言い訳を信じても、やはり首をかしげざるを得ない。この世に臓器不全の人間などたくさんいます。では、この八木という人物に生きていて欲しい理由があるのか?これもおかしい。活動記録が全くないのですから。ああ、もしここで八木さんが自分の功績を言えるのでしたら、この話は覆りますがね。いかがですか?八木さん。」
「…………悪いが、機密だ。」
「ふむ、やはり言えない、と。」
「……彼は要職についているのですよ。ヒーロー公安委員会にとって重要な。機密情報を多く扱うのだから、活動が表に出ないのも当然です。あまり褒められた話ではないことは謝罪しますが……戸籍の無個性というのも彼の安全保障上仕方なくしていることで、実際はとある個性で社会の役に大いに立っているのです。」
かなり苦しいが、一応嘘ではない話だ。ヒーロー公安委員会から彼に対して特別に指令が出るときもある。オールマイトがヒーロー公安委員会にとって重要であることは疑う余地がない。ただし名のついた席がある訳ではないのだ。
機密ですべてを覆いつくすような言い訳は、確かに理屈は通るが説得力が皆無だ。目良は承知の上だが、それでも言い合いで負けるわけにはいかなかった。弱さを見せれば、向こうは大喜びでその心理的な隙を突いてくるのだろう。
常人ならば公安所属の目良の
「いいえ、それもおかしい。我々も調べたのですよ、八木さん、あなたについて。」
「人のことをそのようにほじくり返すなど」
「それによると!八木さん、あなたは『5歳の頃から』無個性と届けられていたそうではないですか!そして戸籍情報に改ざんの記録などは無かった。その調査記録は必要ならば飯田君に渡しても構いません。ともかく、彼には隠された個性があるなどという言い訳は見苦しいのですよ。」
「……私の個性は遅咲きで」
「もう結構!それよりも、もっと蓋然性の高い可能性がある!」
リデスはそこで言葉を止め、周囲を見渡す。八木、目良は何も言うなと叫びたがっていて、飯田は次の言葉を待っていた。
「八木俊典が治癒に割り込んだ理由。それは、ヒーロー公安委員会の私情です。」
「なっ……!?」
飯田はあり得ないとばかりにリデスを見たが、彼の自信は全く揺らがない。
「八木さんはヒーロー公安委員会の方々と相当に仲が良く、そんな大事な大事な『お友達』の為に権力を振りかざし、順番をズルしたのですよ。」
「何度も言っている!憶測で物を語るな!」
「何度も何度も言っている!間違っているというならば反証となる証拠を出していただきたい!この八木という男の功績、役割、何か一つでも言ってみてくださいよ!確証を取れる形で。」
実際、何もない。八木という身分では。雄英としての事務員の記録がせいぜいだろう。
即座に言い返せない彼らにこれ幸いと、リデスという男は演説を続けた。
「皆不安がっていますよ。ヒーロー公安委員会は、彼女の力を一般人に振るってもらうつもりではないのかと。彼女の力を独占するつもりではと。飯田君。君もそう思いませんか。」
「ぼ、僕?いえ、割り込まれはしましたが……治癒の日程は伝えられています。その期限は流石に守られるだろうと」
「『流石に』ですか。悠長なことです。それが守られる確証は?また適当な理由で割り込まれるのではと不安になったことはありませんか?」
「ないわけではないが……リデスさん。あなたの話は少し性急すぎる。」
飯田は3人の中で最もリデスの言葉に反発することなく耳を傾けていた。そして、推定
「確かに、ヒーロー公安委員会のしたことは褒められたことではないのかもしれない。この八木という男の治癒には、内部の私情のような……褒められたものではないところがあったのかもしれない。しかし、影響があるのはたった一日分の順番だ。それならば、割り込まれた人物に十分な謝罪と賠償をすればよいのではないか。そしてしばらくは、ヒーロー公安委員会の内部の人間は治癒の順番を回さない。後は、この件をきちんと世間に発表する。これでよいのではないか、と僕は思う。確かに批判を浴びるとは思う。しかし、何もヒーロー公安委員会を解体するべきだなんていうレベルではない。」
飯田は理路整然と、分かりやすく話した。ステインの時の焦りや憎悪といったものは全く感じられない喋りだ。
「その一日分で、死ぬかもしれない方がいることについては?」
「それは……そうだが……」
飯田は心が揺らいだのか一瞬下を向いたが、すぐに持ち直す。
「リデスさんの言っていることは、人間なら誰しもがやってしまう悪行をことさらに騒ぎ立て、ヒーロー公安委員会の方々の信用を不必要に貶めることが目的のように思えてしまう。どんな組織や人間にだって、間違い、不正という物は生まれる。ヒーローを目指している僕とてそのような間違いを犯してしまった。本当に、僕自身でもこんなことをやるのかととても驚いた。それの何もかも許さないというのならば、僕たちは何も成長できない。目良さん、八木さん。そうでしょう?」
「……こんな子供に支えられてしまうとは。さすが雄英生。そうですね、それが筋です。その……言えない事情のせいで素直に頷ける話ではないのですが、割り込まれた人間に対しての誠意は確かに足りていなかった。飯田さん。改めて、今回の件は申し訳なく思います。」
「その言えない事情というのは気になりますが……ともかく。僕はかつて失敗を犯しそれを許されたがゆえに、今回の割り込みに関しても許そうと思っている。ヒーロー公安委員会の方々と、もう少しちゃんと話せばきっと分かり合えると僕は思います。それに、僕からすれば数日遅れる程度のこと。時間が経てば治療してもらえなくなるわけでもないのだから、僕からもうこの件に関して責める気はない。だから、もうこんなゴシップ行為は止めてくれ、リデスさん。」
「……」
飯田が言い終わると、リデスは一歩下がって下を向いた。ただでさえ分かりにくい被り物越しの表情が一切分からなくなった。
八木、目良は彼の成長ぶりに感動していた。彼ならば将来立派なヒーローになれると信じることができ、自然に顔がほころんだのだった。
今リデスという男は、この男をどうやってほだすかに必死に頭を回しているのだろう。3人はそう考え彼の様子をうかがう。
「…………ククク……」
「な、なんだ……?」
しかし、
リデスは何も諦めていないのだと。
「『時間が経てば治療してもらえなくなるわけない』……ですって?そんな甘い話のわけがあるか!」
「は、はあ?」
「なぜ彼女がおとなしく人々を治癒し続けると?ある日突然投げ出すとは思わないのですか?」
何を訳の分からないことを飯田は思う。しかし同時に、その恐ろしい可能性を想像し一気に余裕がなくなる。
その治療してもらえるタイムリミットに自分が入れない、という可能性を。
「何を言っているのですか!?中止の予定はありません。美樹さんには……学生の彼女に働いてもらうことを申し訳なく思いますが、ともかくやめさせる予定はありません。」
「だがしかし。まず、彼女に治療を続ける義務はない。少なくとも法律上はね。そしてあなた方も、途中でやめても特に何か責任問題になる訳ではありません。『これからも美樹さやかを働かせ続けることを約束します!』なんて、どこでも発表していないはずです。」
「それはそうですが……」
「ええ、そうです。美樹さやかはインフラではない。一般的な病院でしたら、破壊されれば他の病院に病人を移送したり、公共事業として修理・再建がされるでしょう。だが彼女の場合は?彼女に出来る治療は代替不可です。これだけで、治癒を受ける側は『もしかしたら自分の番の直前に突然治癒が取りやめられるかもしれない』という不安を抱くこと、ご理解いただけるでしょう?」
「道理ではありますが、しかしこの社会に不確実性などいくらでもあります。特別あげつらうべき点では……」
「では次に彼女の視点に立ってみましょう。考えていただきたいのは、彼女は今後どんな行動をすると予測されるかということです。彼女にどんな負荷がかかっているか……いえ、これはもういちいち説明することではありませんね。彼女の警護を手配しているあなた方なら十分理解していることでしょう。そして、彼女には相当の大金が入る。簡単に計算しましょう。一回の治療が一千万円、そのたった1%が彼女に入るとしてですよ。一日10万という金額が彼女に入る。そして、聞く限り大した負荷でもないそうですから毎日続けたとすると、1年で3650万円。3年もすれば一生働かなくて済むお金が入ることになります。相当低く見積もってもです。では、その3年が経過した後彼女はどうするのか?」
「どう……するというんだ?」
「決まっていますよ。治癒をやめるんです。」
「な……!?美樹君はそんな薄情な人間ではない!」
飯田はさやかの人柄を思い出す。
少々不真面目な部分があり、勉学が普通科の中では不得手でいつも周りに助けてもらっている。しかし友人とおしゃべりすることが大好きな人だ。困っている友人に対して手を差し伸べる様子も見た。
そして何より、ステインでの戦いで助けてくれた。我が身を顧みず、自分のところに駆けつけ、そして個性を使って身を挺して戦ってくれたのだ。他者を助けることを止めるとは到底信じられなかった。
「情にも限度があるでしょう。自らに面倒ごとが降りかかっていればね。もう少し冷静になって考えていて欲しい。本当に、彼女のやさしさは無制限ですか?」
「それは……いや、しかし……いや……」
リデスは落ち着いた声で飯田に語り掛けた。
やはり信じられないが、時間が経過してみると全く馬鹿げた推論でもないと飯田は感じてしまう。
実際、飯田の目からしても彼女に精神的負荷がかかっていることは確実だった。話すときも治癒関係の話は常に気が重そうだった。電話は現在全て着信拒否にしており、登下校時は常にヒーローがついている。その時は常にキョロキョロしており、明らかに気が休まっていない。
そしてこれは彼女から聞いた話だが、さやかは最近治癒を受ける人間の話を聞くことが嫌になってきたらしい。誰もかれもが重い事情を抱えているらしく、聞いていると自分にまで不幸が移りそうだとこぼしていた。飯田の兄のような境遇の人間など日本にたくさんいるのだろう。
「まあ、『止める』は言いすぎましたか。しかし頻度は格段に下がることでしょうね。時間が経てば自分が治癒することで引き起こす面倒は十分理解できるでしょうから。それに放課後いちいち病院に向かうなど彼女にとってはそれなりに面倒です。週に一人、なんてペースに落ちるかもしれませんねえ。もしくは、嫌気がさして『今日はキャンセルで!』なんて言うかもしれません。これを薄情だと思いますか?彼女は苦しんでいる人間の為に毎日胸を痛め続けられる人間ですか?飯田君、どうでしょう?」
彼女はそんな人間ではない、と飯田は言い切ることができない。
気分で重要な案件を「キャンセル」するなどというのは不快な話が多いが、しかし実際に存在する以上、美樹さやかがそうしないとは言い切れなかった。彼女はヒーロー業を「実際は色々面倒そう」などという人間だ。普段の授業の様子などを見ても、そこまで我慢強い人間には思えない。
「そしてそれこそが、私が来た理由です。」
「な、何だというのです、それは。」
「最初に言ったでしょう、交渉だと。我々はその順番に入り込みに来たのですよ。」
「馬鹿なことを……我々が受け入れるはずが無い。」
「お金は出しますよ。先ほど2億と言いましたね。この金額、実は最低金額です。オークションで言う「○○円から!」というやつですね。しかしあなた方には嫌われてしまっているようなので、業腹ではありますが増やしましょう。10億でどうでしょう。」
「は……?」
ハッタリとしか思えない。この男の後ろには何があるのか?巨大企業でも無ければ用意することができない金額だ、と飯田は恐れた。
同時に、目良はリデスの狙いに思考を巡らせる。
(……金額が一気に飛んだことから、本気で支払うつもりはない様子。やはり治癒してほしいというのは嘘でしょうか?目的は我々の信用の失墜?)
「治癒してほしい人間の個性は『変換』と、我々の間で呼んでいます。これは、体積形状をそのままに物質を別の物質に変換できる個性です。単純な原子ではなく化合物も対象範囲内。ついでに変換する際に本人に負荷がかからないと便利な個性でしてねえ。特に製造業では喉から手が出るほどに欲しい個性ですよ。おっと、個性届には出していませんが、そちらも八木さんの個性を届けていませんでしたし、そこはお相子ということでよろしいですよね?」
「……確かに便利だが、しかし」
「なぜ今日治癒を、ですか?ちょうどさっき事故に遭ったからですよ。緊急性が高く、いつ死ぬかもわからない。そして訳あって普通の病院には頼れないのです。おっと、その理由は『機密』でお願いします。なのでぜひ美樹さんをお貸しいただきたい。八木さんより優先するべきですよね?どう考えても、金額、有用性、社会的意義、すべてがこちらの方が上、そうですよね。」
「その説明を信じろと?無理です。八木さんを先に治癒することはこちらの決定事項。最低限正規の手続きを踏んで依頼していただきたい。」
目良としては突っぱねるしかない。仮にも人の生命を話に出されている上で突っぱねる。思うところがあっても、組織の人間として言わなければならないことだった。
人を助けるヒーローの取りまとめ役の人間がこの態度。この矛盾性が特に飯田に対してどんな悪影響があるかが目良の懸念事項だった。見たところ嫌悪感は感じられないが、肯定されてもいないように思えた。
「八木さん。」
「……なんだ?」
「割り込みにかかった金額はいくらで?何十億ですか?」
「いや私は、10億も出していないが……」
「ならなんでコイツを先に治す必要がある!?治療費はこちらが多く出しているというのに!!!」
「何度も言っているだろう!これは公安委員会の決定だ!金額の問題ではない!」
それは、リデスという男が最も感情的になった発言だった。治して欲しいのは本心なのだろうか?と飯田は感じてしまう。
叫びの直後、ドンという重い物が壁に当たる音が小さく響く。
「み、緑谷少年……!?」
「美樹君!?どうしてここに?」
音のする方を見ると、緑谷出久と美樹さやかが困惑顔で扉の傍にいた。大声に驚いてしまい、扉にぶつかってしまったようだ。
「どうしてって……そもそも私、呼ばれて来たんだよ。八木っていう人を治しに。飯田君こそなんでここにいるの?」
「い、いや、それもそうか……どこから説明するべきなのだろうか。」
「緑谷少年は……どうしたんだい?」
「……八、木さん!ええと僕は、その、美樹さんの治癒がどんなのかなって気になって見学に来たんです!」
「え、ええ……?」
八木は困惑しつつも、この重要場面でオールマイトの単語を一切出さなかったことに成長を感じ少しだけ嬉しくなった。
「それでえーと、失礼ですがそちらのスーツを着たお二方は?」
緑谷はおずおずと尋ねる。
これを見て、目良はこの状況の面倒さを心の中で毒づいた。おそらく飯田のように何の障害も無くここに来たのだろう。よって、まず二人にこの場は
しかしリデスは、疑いとなっている事柄を除けば紳士的に振る舞っていることから、目良も相応に紳士的に応対しなければならない。
「私は目良善見。ヒーロー公安委員会の者です。」
「私はリデス。美樹さん、あなたの治癒に関して是非交渉させていただきたいと、伺わせていただきました。」
「……そ、そういう感じですか。そんなに頭下げなくても……」
リデスはさやかに相対し、丁寧に頭を下げた。さやかは父親に近い年齢の男性にそのようなことをされた経験が無いために、言葉を咀嚼するのに時間がかかった。
その隙に、緑谷は飯田の下へ近寄る。小声でこれまでの状況を話してもらう様子だ。
「単刀直入に言います。私の大切な友人が大けがを負い、今すぐあなたの力を借りなければ死ぬかもしれない。報酬はたくさん出しますので、私についてきて欲しいのです。」
「えー……その、悪いんですけど、ちょっと信じられないというか……救急車を呼べばいいんじゃないですか?」
さやかは面倒そうに言った。一ヵ月前ならば「大変ですね!」と間髪入れずに救急車を呼ぶことだろう。
この冷淡な反応に、緑谷と飯田は少なからず寂しいものを感じてしまう。
「そうしたいのはやまやまなのですが、一身上の都合で救急車は呼べません。病院のお世話になることもできません。今頼れるのは、美樹さんしかいないのです。」
「申し訳ないんですけどちょっと……」
「美樹さん。惑わされないでください。彼は
そうと言われても、さやかは何の障害も無くここにたどり着いたためにそのような実感はさっぱり湧かない。
「一方的な憶測を述べるのは止めていただきたい!そちらこそ私情で彼女の力を振るおうとしたくせに!」
「だからそれは……いえ、議論はもう結構。主張は勝手にどうぞ。美樹さん、スマホで警察を呼んでいただけませんか?ダメ元ではありますが一応。」
「良いですけど……」
「無駄なことを。こんな時間を過ごしている時間などない。人の命が掛かっているというのに。」
「人の命が懸かっている状況下でハッキングとは悠長ですね。我々の通信手段を断ったのも」
「あの……繋がりましたよ?」
「え?」
目良がきょとんとしてさやかと緑谷を見た。
「だからその、110番、できました。」
Q: なんで八木としてはここまで調べられているのにオールマイトだとはバレてないの?
A: オールマイトだから。
Q: ハッキングでそんなことできる訳なくない?
A: これはフィクションハッキングだ!ハッキングは全てを解決する!