スリープウォーキング・レイジネス   作:自産自消

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第4話 イロハが若き先生を呼び出す話

 なぜ、私は今ここにいるのだろうか。

 もしこれが私の見ている末期の夢だとして、それが先生の学生時代である理由は何なのだろう。教室でクラスメートたちの声を右から左に流しつつ、机に突っ伏しながらそのことについてずっと思いを巡らせていた。

 

 あの日、私は何某かに巻き込まれてキヴォトスで道路に頭から倒れ込んだ。キヴォトスにおいて爆破や銃撃戦は日常茶飯事だ。いくらキヴォトスの生徒が銃弾を喰らっても微小なダメージしか負わないとはいえ、内臓への衝撃はどうしようもなく痛い。ましてやそれが脳に対するものならば尚更だ。

 おそらく現実世界での私は病院の中で横たわっているのだろう。その場所が病室なのか霊安室なのかは分からない。現状はまだ身体が生きていることを願うしかない。

 ということなので、今は「身体は生きている。現実世界へ戻るための鍵はこの世界にある」という前提の下で話を進めなければならないだろう。というよりその前提でないと「何をしようが何にもならない」という絶望の結論しか待ち受けていない。それはダメだ。希望を捨てたらそれこそ終わりのような気がする。

 

 夢とは欲望の現れである、と本で読んだことがある。これが眠っている私の見ている夢ならば、反映されている欲望とは何なのか。

 

「…………先生」

 

 当然、答えは1つしかない。キヴォトスにおいて多くの生徒の注目の的である先生。私の想い人。彼が関わっていることは明白だった。

 同じ学校。同じクラス。隣同士の席。そして笑顔で話しかけてくれる彼。邪魔な恋敵すらいない。あまりにも理想的な、今時少女漫画でも見かけないくらいに甘いシチュエーション。

 思い描いたことはない。しかし無意識に望んでいたのだろうか。あの日早瀬ユウカが執務室にやってきたことを、私が苦々しく思ったのと根底は同じだ。私は、他の生徒を邪魔者だと思っていたのだ。

 

 早瀬ユウカが本当の親切心から先生に接しているわけではないということは分かっていた。何が楽しくて何とも思っていない相手の経済状況を管理しなくてはならないのか。無論最初は善意から始まったことなのだろうが、それを理由にすれば先生の懐に容易く潜り込めるから今もそうしているのだろう。

 そして早瀬ユウカ自身も、私の意図を見透かしていたのだろう。サボりに最適な場所だから。先生がサボらないのが癪だから。そんなものはただの言い訳だ。私は、先生に会いたかったからシャーレの執務室に入り浸っていた。

 同じような思考回路を持った生徒は、果たしてキヴォトスに何十人いるのだろうか。何十人で済むのだろうか。

 

「本当に、罪作りな人ですね」

 

 今ここにいるのが、私が胸に秘めてきた先生への恋情故だとして。この状況を打開するためには、その感情に何かしらのけりをつけないといけない。一番手っ取り早いのは、やはり…………。

 

「…………怖い、ですね」

 

 私は、臆病だ。だから、先生の前では飄々とした仮面ばかり被っている。

 心臓がドキドキとけたたましい音を立てている。火がついたかのように身体が熱くなり、どこかへ走り去ってしまいたいくらいだ。

 

「どうすれば……」

「――――ん」

 

 どうすればいいかなんて分かりきっている。言えばいい。

 だけど怖い。言って拒絶されるくらいなら、「叶ったかもしれなかったのにしなかった」という未練を引きずった方がマシにすら思えた。

 

「……分かってるのに」

「――――さん」

 

 ならば全てを秘密にして、この甘くも苦い空間で過ごし続けるのか。

 否、それはきっとダメだ。そうしたら私は、あの猫のように冷たい土の中に埋もれて終わる。

 死にたくない。まだやりたいことはいっぱいあるのに。先生に会いたい。イブキと遊びたい。まだ、生きたいのに。

 それでも、くだらないプライドばかりが邪魔をしてくる。

 

「どうしようもない……」

「棗さん……棗さん!」

 

 肩を叩かれ、思わず頭を上げる。いつの間にか教室内には生徒の姿がなく、時計は授業開始およそ4分前を指していた。

 

「…………先、生」

「そろそろ教室移動だよ、行こう」

 

 教室の鍵をチラつかせながら、若先生が私に笑いかけてくる。私だけに向けられた笑顔。私が心の奥底で、ずっと欲しがっていたもの。

 あのビジネスめいた笑顔ではなく、先生自身の無垢な笑顔。それが私に向けられたら、どれだけ幸せなのだろうか。

 全く救いようのない独り芝居だ。この空間が欲望の具現ならば、若先生の存在さえも私の学生生活と今まで読んできた少女漫画の世界との融合でしかないだろう。

 

「……そう、ですね。行きましょう」

「どうしたの。体調悪そうだけど」

 

 心配そうに、若先生が私を見つめてくる。私は何でもない風を装おうとして、動かない身体を無理矢理椅子から立たせた。

 

「平気ですっ……本当に、大丈夫です。早く行きましょう」

「……ならいいけど」

 

 使った実感の湧かない教科書とノートを引っ提げ、私は先に教室を出る。しばらくすると後ろで鍵の閉まる音がして、すぐに若先生が私に並んできた。

 

「…………やっぱり、俺ちょっと後悔してる」

 

 早歩きしながら、先生が私に語り掛けてくる。

 

「何をですか」

「あの猫を、棗さんに見せたこと」

 

 あの猫は、きっと私の生存本能が見せたものだろう。真っ赤に染まった猫は、すなわち死にかけた……あるいは、死んだ私の身体だ。

 

「いえ、むしろ感謝してますよ。先生がそれを私に見せてくれたこと」

「でも、女の子に見せるようなものじゃなかった。今日棗さんずっと体調悪そうだし」

「それは別の要因です。あの猫については……本当に、先生に感謝しているんです」

 

 実際、若先生からすれば私はあくまで一クラスメートでしかなく、しかもおそらくグロテスクなものに耐性のない女子だからこそ気を遣っているのだろう。

 それでも私は、若先生が私にその秘密を打ち明けてくれたことが嬉しかった。たとえそれが私の望んだ振舞いでしかないとしても。

 

「棗さんって、そういうのが好きだったのか」

「違います。あれ……秘密を共有することの嬉しさ、といったところでしょうか」

「ああ、なるほど。さすがに学校の敷地内に埋めたって先生にバレたらなぁ」

「……先生が『先生』って言うの、何だかおかしいですね」

「俺生徒だからね?」

 

 並びながら歩く。キヴォトスにいる時のような立場の隔たりはなく、一男子生徒と一女子生徒として。それが何だかむず痒い。

 

「先生は…………」

 

 今なら、何でも訊けそうな気がした。それはきっとこの廊下に誰もいないからだろう。これもおそらく私が望んだことだ。

 この事実に自覚的になってから、やけに時間の進みが遅く感じる。きっと、本当に遅くなっているのだ。これは私の頭の中で起こっていることなのだから、私が自由にできるのは当然と言えば当然だろう。

 だから、私は今のうちに先生の本音が聞きたかった。

 

「うん、どうした?」

「先生は、好きな子とかいたんですか?」

「…………えっ?」

「いえ、その……昔の話ですよ、昔の」

 

 私は、先生についてよく知らない。ただ「キヴォトスに突然現れた、私たちにとって理想的な大人」、それだけではないはずだ。

 先生には先生の人生があったはずだ。青春だって、恋愛だって、人並みにしてきたはずだ。ストーカーというほどではないが、私は先生自身について知りたかった。

 

「……分からないなぁ」

「分からない?」

「いや、あんまり……そういう感情、よく分からなくてさ」

 

 ……予想していたことだ。目の前にいるのはあくまで私が描く若き先生像であり、実際の先生ではない。私が分からないことは、この若先生にも分からないだろう。私が「できる限り正直に答えてほしい」と思っていたならば尚のこと。

 

「ああでも、小学生の頃は好きな子とかはいたかもなぁ」

「へぇ、どんな子だったんですか?」

「覚えてない。頭が良かったような気もするし、凜としていたような気もするし」

「……ふぅん」

「まあでも、昔のことだからなぁ。覚えてないのは本当だよ」

 

 少しずつ、目当ての教室が近づいてくる。これが永遠であってほしいという気持ちと、もう終わりにしたいという気持ちがせめぎ合っている。

 でも、踏み込めないままなのはもう御免だ。どうせ夢の中ならば、やりたいようにやってやろうじゃないか。

 

「では、もし……もし、ですよ」

「うん?」

「もしも、その好きだった子がある日突然目の前に現れたら……先生は、どうしますか?」

 

 何て滑稽な独り相撲だ、と冷静な私が告げる。お願いだからもうやめて、と臆病な私が叫ぶ。

 それでも訊きたいんだ、黙っていろ。そう勇敢な……あるいは無謀な私が言う。

 

「どうって……何でそんなことを訊くんだ?」

「家で読んだ小説で、そういったシチュエーションがあったので。男子はどうなのかなと気になりまして」

 

 ああ、日和った。素直に好きだと言えればいいのに。

 

「…………なるほど?」

 

 若先生が怪訝そうな目を私に向ける。思わず視線を逸らして逃げたくなるが、ここでこれ以上踏み込まないのであれば今までと同じだ。

 じっと、若先生の眼を見つめる。2つの黒い瞳に吸い込まれてしまいそうだった。

 

「……好きだった子が、目の前に現れたら、かぁ」

 

 若先生が根負けしたように、私から顔を背けて窓の向こうを見る。重厚そうな雲が空一面を覆い尽くしているが、その中で雲の薄い場所からは光が差し込んでいた。

 

「もしかしたら、好きになっちゃうかもなぁ」

「好きになっちゃいますか」

 

 私の見も知らぬ恋敵がいるかもしれない。もしかしたら先生は、ただの面食いなのかもしれない。懸念事項が増えたはずなのに、なぜかほっとしている私がいる。

 

「先生も、人を好きになることがあるんですね」

「俺は人間みんな好きだよ。早瀬も生塩も、棗さんのことも」

「恋多い人ですね。いつか刺されますよ」

「そういう意味じゃないって。分かってるくせに」

 

 ああ、やっぱりこの先生は、私のことなんて何とも思っていない。

 当然だ。この若先生は私の憧憬であり恐怖の象徴。怠惰で気弱な私が生んだ、私が乗り超えるべき大きな壁なのだから。

 

「…………先生」

 

 いつもよりも声を落とす。冗談だと受け取られないように。

 足を止める。聞き流されないように。

 私が立ちすくんだのを見て、先生は驚いたように、もしくは怯えたように私に振り返ってきた。そんな顔をさせたかったわけではない。それでも、そうしなければ進めないというならば、私は何としてでも前に進む。

 

「今日、部活ありますよね」

「ん、ああ……あるけど…………」

「なら……部活が終わった後でいいんです。先生にもいろいろとやるべきことがあるでしょうから」

 

 先生の時間を奪おうとは思わない。私はそこまで傲慢にはなれない。

 

「体育倉庫の裏……昨日、あの仔を埋めた場所に、来てくれませんか」

 

 

 

 

 

 

 夕焼けが、私の身体を染める。

 今の私は、先生にはどう見えているのだろうか。

 いつも私がキヴォトスで着ているような軍服風の制服ではなく、機能美と清潔さに満ち溢れたYシャツにネクタイ、それに濃紺のスカート。ステレオタイプと鼻で笑えるほどにありふれたこの制服を、いつの間にか私は気に入っていた。

 

 これで、この夢は一歩先に進む。それが生に向かうにしろ死に向かうにしろ、私の未練はなくなる。

 壁に寄りかかった私の背中の向こうでは、サッカー部が散らかしたグラウンドの後片付けをしている。それが終われば、挨拶の後に着替えをするのだろう。

 

「――――あれ?」

「っ!」

 

 ガサリと草を踏む音がした。慌ててそちらの方に目を向けると、そこには男子生徒の影が立っていた。

 

「棗さん、こんなところで何してんだ?」

「……早瀬、くん」

「ダメだろ、帰らなきゃ。棗さん確か帰宅部だったよな?」

 

 早瀬が私に近づいてくる。その姿は逆光を受けて、まるで巨人の影絵のようだった。

 

「……それは、そうですけど」

「そもそもここ立ち入り禁止なはずだろ。何も言わないでおいてやるから、な? 早く帰ったらどうだ?」

 

 何て甘美な響きだろう。進まなくていいということは、現状を維持するということ。この夢の中で若き先生と、永遠にクラスメートとして過ごせたら……それは、どんなに楽しいことだろう。

 

「…………嫌です」

「何で」

「嫌なものは、嫌なんです。ごめんなさい」

 

 でも、その怠惰に浸ることだけは許したくなかった。

 私は、先生が好きなのだから。

 

「もしかして、先生を待ってるのか? 先生言ってたぞ、棗さんから呼び出し食らったって」

「……そうです」

「俺は先生の友達だから……分かるんだけどさ。先生、今んとこ恋愛とかに興味ないぜ?」

「知ってます」

 

 知っている。だって、先生自身から聞いたのだから。先生は今部活が楽しくて、友達と一緒にいるのが楽しくて。気を遣う必要がある恋人関係なんて御免被りたいのだろう。

 

「もし、その、告白するって言うんならさ……断られるぞ? それでも待つのかよ」

「…………待ちますよ、いつまでも」

 

 それでも、今この時だけは、先生の事情なんて勘定に入れてやらない。

 

「何でだよ……断られるんだぞ。辛いだろ?」

「辛くても、必要だから、やるんです」

 

 早瀬が呆れたように溜息をつく。その顔は影になって見えない。私はちゃんと彼の表情を見ようとしているのに、どうしても強い逆光が邪魔をしてくる。

 

「……早く、先生を呼んできてください」

「本当に――――」

「いいから、早く……お願いします。私の気が変わっちゃう前に」

 

 そうして、早瀬の姿が体育倉庫の影に隠れて消える。私は一世一代の大舞台を踏んだ後のように、気力が抜けてその場にへたり込んでしまった。

 右手を置いた場所に草はない。ひんやりとした土が盛られたそこは、あの仔猫が埋まっているまさにその場所で。

 

「……お願いします」

 

 少しだけ、右手に力を籠める。柔らかな土に指が食い込む。

 

「私に、勇気を下さい。私を、先生に会わせてください……」

 

 時計はここにない。だからこそ、今自分がどれだけ待ったかも分からなかった。

 来るか、来ないか。来てほしいのか、来てほしくないのか。私は蹲ったまま、その意味もない自問自答を何百回と繰り返していた。

 




ごめんなさい もう1話だけ 続きます   心の川柳
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