スリープウォーキング・レイジネス   作:自産自消

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最終話 イロハが若き先生に告白する話

「お待たせ、棗さん」

 

 そうして若先生は、今までの逡巡が馬鹿らしくなるほどにあっさりと、突然現れた。

 

「……今何時くらいですか」

「5時半は回ってるんじゃないかな。待っただろ」

「どれくらい待ったかも分からないんですよね」

「ごめん、大事な用だろ。待たせるような真似して」

 

 若先生が申し訳なさげに私から視線を逸らす。それは私を待たせたことに対する罪悪感からか、はたまた私という存在自体への罪悪感か。どちらにせよ、私がやることに変わりはない。

 

「先生、私を見てくれますか」

「えっ、見てるけど……」

「ちゃんと見てください、両目で、はっきりと」

 

 両足に力を込めて立ち上がる。そうすると私自身も若先生を直視することが怖くなるけれど、ここで目を背けるのはつまり逃げるということだ。口を真一文字に結び、若先生と目線が合った。

 

「……ごめん、棗さん」

「何がですか」

「いや、目を合わせないのは失礼だったかなって」

「そうですね、失礼です。これからはしないでください」

 

 風が吹く。これがもし映画やドラマならば、2人は刀か銃でも持って互いに命の奪い合いをするのだろう。これから起こることもその類型だ。

 私は、負けると分かっている決闘を若先生に申し込んだのだ。

 

「……棗さんが待ってるから、すぐここに来たんだ」

「早瀬くんからは訊きましたか?」

「いや、あいつからは何も」

「そうですか。私は先程早瀬くんに会いましたよ」

 

 早瀬。彼女の苗字を冠した、先生に最も近い人。私自身の、先生への恐怖の具現の1つ。

 

「会ったんだ。何て言ってた、あいつ」

「適当に話をして、それで終わりです」

「……そっか」

 

 やめるように言われた。ここを立ち退くように言われた。それは私自身の恐怖心がそう言わせたのだろう。

 今だって怖い。「もしかしたら」という期待を捨てきれない私は、これからの負け戦できっと傷つく。それでも、私はこれから先生に告白しなければならない。

 

「……まどろっこしいことは嫌いです。先生、私から言いたいことは2つあります」

「…………うん」

「ちゃんと、最後まで聞いてくださいね」

「分かった。全部聞くよ」

 

 肺を空っぽにするまで息を吐き出す。するとその呼気に乗せて、胸の奥に次々と湧き出る不安や焦燥が飛んで行ったような気がして、少しだけ気が楽になった。

 心臓がうるさい。脳が頭蓋いっぱいになったかと思うほどに頭が重い。喉の奥はカラカラで、気を緩めたら息が止まって死んでしまいそうだ。

 

「……まず、1つ目です」

「うん」

 

 涙が出てきそうだ。目の奥がジーンと熱くなって、手がふるふると震え出す。

 言う。言ってしまう。言わないと。言え。言わなければ、始まらないから。

 

「――――先生。私は、先生のことが好きです」

 

 言った。一息に言ったからか、少しばかり息切れがある。若先生は「やはり」と言うように、眉を顰めて私をじっと見つめている。

 

「……何で、そう思ったの」

 

 若先生が、沈痛な口調で私に訊く。それはまるでぐずった赤ん坊をあやす父親のようで、そんな話し方をさせている自分が何よりも情けなかった。

 

「理由なんて……先生は、ずっとみんなのために頑張ってるから」

「ちょっと待って、俺は――――」

「生徒のために、身を削ってまで働くから。だから、私はその助けになりたくって……」

「棗さん、何の話をしてるんだ?」

「……先生を、死なせたくなくって。だから…………」

 

 涙が出てくる。分かっている。こんなこと、若先生に言ったところでどうしようもない。結局私は、目の前の少年を1人の男子生徒としてではなく、「先生」としてしか見ることができなかった。それはきっと、私が先生について何にも知らないからだ。知らないから私は、足りない要素を少女漫画の流用で済ませた。

 今目の前にいるのは、出来損ないの鏡に映った先生の虚像だ。

 

「初めて、だったんです。喪いたくないと、手を伸ばしたのは……」

 

 イブキにはマコト先輩がいる。万魔殿の人たちがいる。それぞれがそれぞれにできることをすれば、自然とイブキは笑顔になってくれる。

 でも、先生は違う。先生は日々生徒たちに追い詰められる中で、それでも笑顔を絶やさない。たとえ死にかけても、死んだとしても、彼が歩みを止めることはないだろう。それが、私には許せなかった。

 

「どうしようもなく、好きなんです。だから……」

 

 それ以上に、誰よりも先生の近くにいたかった。

 くだらないエゴだ。それを私は、涙をボロボロ流しながら吐き出すように言葉にして紡いでいる。

 

「私を、傍にいさせてください……」

「…………棗さん」

 

 若先生の目は驚愕と疑念に満ち満ちて、まるで目の前の私が百年来の仇敵であるかのようだ。

 

「俺は、違うよ。『先生』と言われていても、ただの生徒だよ。……それは分かってるだろ。そんなこと言われても、俺にはどうしようもないよ」

「……知ってます」

「それに、俺は今部活が楽しいから……」

 

 分かっていたことだ。

 

「だから、棗さんの想いには応えられない。ごめん」

 

 最初から分かっていたことなのに、何でこんなに悔しいんだろう。

 「先生から告白を断られた」という事実が、どうして私の胸をこんなにも抉るのだろう。

 

「……分かってます。分かってました。先生は、早瀬くんたちと一緒にいるのが楽しいんですよね」

「…………うん」

「私じゃ……どうしても、その輪の中には入れない…………」

 

 視界が歪む。地面自体が揺れているかのように、足元が覚束ない。それでも私は、最後までしっかりと立っていたかった。

 

「理解、していたことです。……ごめんなさい、急にこんなこと言って」

「うん……じゃあ、俺帰るから」

 

 若先生はそう言って、そそくさと帰ろうとする。最初に言ったことをもう忘れたのだろうか。

 

「――――待ってください。まだ、あるんです」

「…………?」

 

 ここまで来ると、若先生にとっては恐怖だろう。告白を今さっき断った相手が、すぐに自分を引き止めてくるのだから。ストーカーになるかもしれない。変な噂を流されるかもしれない。懸念事項は大いにあるだろう。

 しかしながら、私はもう若先生に迷惑をかけるつもりはなかった。

 

「2つ、あるんです。今のが1つ目……まだ、2つ目が残ってるんです」

「あ、ああ……そうだった……」

「逃げないでください、私から」

 

 そうしてまた2人が向かい合う。先程と違うのは、私が泣きじゃくって目が真っ赤になっているだろうことだ。ひょっとしたら鼻水も出ているかもしれない。みっともないが、そんなことを気にしている余裕はなかった。

 

「それで……2つ目は、何?」

「2つ目は……決意表明です」

 

 私は天を見上げて、息を大きく吸い込む。雲は薄いオレンジ色に染まり、荒くれた心が凪いでいくのを感じた。

 これが、私がこの場で本当に言いたかったことだ。

 

「先生、この空間は……私の夢でしょう?」

「な、棗さん、いきなり何を……」

「夢なのか黄泉路なのか、私には分かりませんけど……とにかく、私は現実の世界で死にかけて、今ここにいるんでしょう?」

「……………………」

 

 爆発に巻き込まれて頭を打ち、現実世界のキヴォトスで眠っている私が見ているのがこの夢だ。

 若き先生と出逢い、その青春を目にして、交流して仲良くなる。そして「ひょっとしたらワンチャンあるかもしれない」という甘い空想の中で、この仮初の学生生活を過ごす。

 それはきっと素晴らしいことだ。ともすれば、それでいいと思ってしまいそうなほどに。

 

「先生。私は、生きたいんです」

 

 だけどそれはダメだ。私にはきっと、キヴォトスで待ってくれている人がいる。イブキ。マコト先輩。……そして、先生。

 まだゲヘナ学園を卒業すらしていない。まだ、先生と十分に仲良くなれていない。

 まだ、現実世界で先生に想いを告げられていない。

 

「生きて、ちゃんと成長して、先生と一緒にいたいんです」

「…………うん」

 

 最初は「これでもいい」と思えたこの空間が、今では非常に不快だ。帰りたい。キヴォトスに帰りたい。目の前の少年なんて吹っ飛ばして、飛んででもすぐに帰りたい。

 でも、まだ言わなければならないことがあるから、私はここにいる。

 

「だから、今言ったことは現実の先生にきっと言います」

「……断られるかもしれないよ」

「分かってます。それでも、行動しないまま終わるのはもう嫌ですから」

 

 この決意はきっと揺らがない。夢の中のことはいつか忘れてしまうけれど、私の背を静かに力強く押すこの焦燥感だけは、絶対に忘れない。

 

「……だから、私はいきます」

“…………そっか”

 

 いつの間にか、目の前の少年の出で立ちが変わっていた。快活そうだった容貌はやつれ、サッカー部のユニフォームは白衣とスーツに。上背も少しだけ伸びたように感じるのは、私が子供だからだろうか。

 

“イロハは、生きるんだね”

「はい。私は、ちゃんと生きます」

 

 独り芝居だ。私は、私の中の先生にそう誓っているに過ぎない。

 

「生きて、生きて……後悔しないように、やりたいことをちゃんとやります」

“そっか。そうだね。それがきっと、一番いいよ”

 

 空間に光が満ちていく。夕焼けの光ではない、青空の下にいるような暖かく白く、そして清い光。

 

“いってらっしゃい、イロハ。約束はちゃんと守ってね”

「はい、先生。いってきます」

 

 いつの間にか光の向こうに見えなくなった先生にそう誓って、私の意識は――――

 

 

 

 

 

 

「先生、イロハ先輩まだ起きないの?」

“うん。でも、いつかきっと起きるから”

「先生でも、イロハ先輩を起こせないの?」

“こればっかりはね、どうにもできないんだ”

 

 無機質な病室の中、拍動を表す電子音が断続的に響く中、私とイブキは眠っているイロハのベッドの傍にいた。

 

「先生、毎日ここに来てるね」

“そりゃあね。イロハは大事な生徒だから”

「お仕事は大丈夫なの?」

“リンちゃ……生徒会の人に断って、しばらくは仕事を減らしてもらったんだ。だから大丈夫”

 

 イロハの髪はこの1週間でだいぶ伸びた。元々毛量が多いものが、今ではその1.5倍くらいには膨れ上がっているのではないか。ベッドの上に収まりきらなくなったワインレッドの髪がはみ出て、床に数束落ちている。

 

「先生は、イロハ先輩のこと大事?」

“うん、大事だよ”

「イロハ先輩もね、先生のこといつも心配してるんだよ」

“そうだったの?”

 

 疑問形で返したが、イロハと話していれば分かることだ。イロハは私をサボらせたがる。それはサボりの共犯者が欲しいという建前も本音ではあるだろうが、その裏にはおそらく激務に追われる私への心配も少なからずあるのだろう。

 その善意を無碍にしたくなくて、私は時折イロハの秘密の休憩スペースを訪れては、一緒にくつろいだり漫画を交換したりしていた。実際のところ、イロハが眠っているこの1週間は何をしていたのかも覚えていない。

 

「イロハ先輩と先生は、両思いなんだねー」

“あはは、そうかな”

「そうだよ、きっと。イブキね、マンガで読んだんだ!」

 

 それにしても、イロハはよく眠っている。耳をすませば呼吸音だって聴こえてくるのだ。まるで本当に眠っているかのように……。

 

“…………イロハ。みんな心配してるよ。マコトもイロハが帰ってくるのを待ってる”

「イロハ先輩……」

 

 イロハの左手を両手で包む。力の入っていないその手はそれでも温かい。イロハがまだ生きていることの証拠だ。

 

“だから、早く目を覚まして――――”

 

 ふと、気付いた。

 両手の中のイロハの指が、ピクリと動いたのだ。

 

“…………!”

「イロハ先輩……? 先生…………?」

 

 ぎゅっと、両手に力を込める。戻ってこい、帰ってこい、目覚めろ。そんな先生らしからぬ口調の念を両手いっぱいに籠め、繋がった手を通じてイロハに送る。意味のないことではあるが、それでもやらないよりはよほどマシだ。

 

“イブキ、ちょっとセナを呼んできてくれる?”

「えっ? セナ先輩を?」

“うん、ひょっとしたらイロハが近く目覚めるかもしれない”

「わぁっ……!」

 

 そうなるとイブキは、弾けるように病室から駆けだした。残された私は、ただイロハの覚醒を願い続ける。

 

“イロハ……イロハ…………!”

 

 最初は距離を掴みかねた。上手く調子に乗せられ、終わらない仕事に歯噛みしたことも少なくない。

 それでも、それがイロハなりの誠意だと知ってからは、顔を見ないと不安になるくらいには私のキヴォトスでの日々の一部になっていた。

 

“戻ってきてくれ……!”

 

 君がいないと、張り合いがない。だから。

 

“イロハ…………!”

「――――ん、ぅ、うぅ……?」

 

 そして、イロハはゆっくりと、その両目を開けた。

 私は叫び出したくなる気持ちを必死に抑え、「先生」としての仮面を被り直した。

 

“……起きた?”

「ああ……すごく、長い夢を、見ていた気がします……」

“眠ってたからね。夢も長くなるよ”

「そっかぁ……そう、ですね……」

 

 声はかすれて、私の手を握り返す力も弱弱しい。それでも、イロハは今こうして動いている。喋っている。生きている。

 それだけのことが、私にはとても嬉しかった。

 

“今イブキがセナを呼びに行ったんだ。これから検査があると思うけど……”

「あー、はい、分かってますよ。大丈夫です……頑張ります……」

“リハビリとかきついと思うけど、私もできる限り手伝うから”

「あはは、ありがとうございます。先生、お優しいですね」

 

 イロハが笑う。その瞳には涙が滲んでいる。

 私の視界もどんどん滲んできて、あっという間にイロハの笑顔が見えなくなってしまう。

 

「…………先生」

“……何だい、イロハ”

 

 イロハが、穏やかな口調で私に言う。

 

「全部終わったら、言いたいことがいっぱいあるんです。やりたいことも、いっぱいあるんです」

“うん……うん…………!”

 

「だから……これからも、先生の時間を頂戴致しますね」

 

 それは青空が眩しい日の、真昼のことだった。

 




これで最終話です。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
私としては初めての長編……とは言っても2万5千字程度のものですが、腰をじっくり据えて物語を書くというのはとてもいい経験になりました。
第1話を書いた後、8月いっぱいは創作どころじゃないメンタル状況に陥ってましたが、何とか復帰して完結までこぎつけられて本当にほっとしています。

改めまして、ここまで読んでくださった読者様に感謝を。
まさか評価10を貰えるとは思わず、本当に嬉しかったです。
またどこかで会えることを心より願っています。pixivの方でも活動していますので、そちらも是非。

自産自消
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