flare 作:イタドリ
『本日は舞台『羅刹女』サイド甲、最終公演にご来場誠にありがとうございます。お客様に館内のご案内を申し上げます_』
開演10分前を告げるアナウンスがサイド甲の最終公演を観に来場した観客で埋め尽くされたホールの会場内に響き渡る中で、景に最後の言葉を投げかけてメイク室を後にした千世子は変装代わりの黒の
「あ?客席で観たい?」
そもそもなぜサイド乙の出演者にして景と共に主役の羅刹女を演じている千世子がこんなところにいるのか、それは昨日の共同稽古まで遡る。
「うん。せっかくの千秋楽だし、どうしても最後は羅刹女の怒りを観客として味わってみたいって思ったからさ」
最後の共同稽古を迎えていよいよ双方ともそれぞれの千秋楽を迎えるのみという状況の中、千世子は合間の小休止で景たちサイド甲の面々から離れたタイミングを図り、「最後の公演は楽屋のモニターではなく観客として生で観たい」とサイド乙の演出を務める黒山にせがんでいた。
「・・・勝算はあるのか?」
一見その場の思いつきで言った無茶ぶりのように思える言葉の裏に彼女なりの考えがあるということを、黒山は最初から見抜いていた。知名度だけで言うと日本ではまだ
「ええ、もちろん」
勝算を問う黒山に、千世子は「説明しなくてもわかるよね?」と言いたげなほどに自信満々な眼つきで不敵に笑い一言だけ返した。未だ凡庸とは言えど、共同稽古を経てサイド甲は着実に舞台の完成度を上げてきており、決して油断はできない状況であることは2人を含めサイド乙の面々も理解していた。
「・・・そういや百城、最終日はとっくに満員御礼だって俺は聞いているんだが?」
とはいえ千世子が持ち掛けてきた提案はあまりに突発的なもので、黒山は最終確認も兼ねて彼女にもう一度問う。本当の意味で千世子が無策なままこんなことをせがんで来るとは到底思えないと察していた、黒山からの揺さぶり。
「それがさ、ここに来て一席だけキャンセルが出たんだって」
あからさまな表情を浮かべる千世子の口から告げられたのは、偶然というにはあまりにも出来過ぎた話だった。つい数時間前に明日のサイド甲の最終公演はスイートルームも含め満席だと聞いていたはずが、こんな狙いすましたかとしか思えないタイミングで1席のキャンセル。黒山には思い当たる節があった。
「それ、誰から聞いた?」
「天知さん」
思い当たった節を投げかけると、千世子ははぐらかすことなく言葉通りに黒山へ正直に答えた。果たして千世子がどこまで知っているのかは分からないが、
「・・・ったく、舞台を壊しかけた元凶の分際でウィンウィンだとでも言いたげに共同稽古吹っ掛けてきた山野上もなりふり構わねぇ野郎だが、
事の裏を察した黒山は、一回りした感心と溜息を交えながら千世子の狡猾じみた勝つことへの執念に嫌味をぶつけた。
「私は勝つためだったら“悪魔”の手も平気で借りるからね」
向けられた感心混じりの嫌味に、千世子は全く悪びれる素振りすら見せずさも当たり前と言いたげなリアクションで返した。もちろん千世子が最初からなりふり構わない役者であることを知っていて受け入れた黒山にとっては想定外ではあったものの、すぐに腑に落ちた。そもそもこれぐらいなりふり構わないエゴイストでなければ、彼女は景や王賀美といった“怪物”にはきっと勝てなかったであろうことを彼もまた知っていて、“天使”を捨てる覚悟を焚きつけていた。そんな黒山もまた、1本の映画のためなら手段を択ばない“映画監督”という名の
「分かってんのか?
小悪魔のごとく悪戯に微笑む千世子に、黒山は敢えて言い逃れできない事実を言葉にしてぶつけた。
「知ってるよ。でもそれは
黒山からの再三の揺さぶりに、千世子は全く動じることなく仕返した。自分のことを通じて黒山はずっと景のことを視ていたということに、千世子はとっくに気付いていた。
「言っとくけどあなたの
更には演出家と主演として出会う前、すなわち『デスアイランド』のときから黒山墨字というヒゲ面の映画監督の男は、ずっと夜凪景という役者しか視ていないということにも。
「・・・独り勝ちしたいなんざこれっぽっちも思ってねぇよ」
『本日は舞台『羅刹女』サイド甲、最終公演にご来場誠にありがとうございます。お客様にご案内を申し上げます。まもなく開演となります_』
開演5分前を知らせるブザーが流れ、続いて来場者に開演時間が迫っていることを知らせるアナウンスが流れる中で、千世子は目元が隠れるほどキャップを深々と被り目を閉じながら、5分後の開演を待つ。
「・・・・・・」
瞑想に耽る千世子の五感に、興奮と退屈が同居した待機時間の独特な空気がホールに響く静かな雑踏となって入り込む。それは演者として壇上の上に立つときの緊張とはまた一味違う、観客側になったからこそ感じ取れる胸の高鳴り。
「・・・最後くらいは私のことを惚れさせてよね?」
あの後、景はどんな言葉を自分に投げかけたのか。言葉が返る前にメイク室を出て行った千世子は知らない。それでも5分後に始まる舞台に胸が躍っているのは、ただ周りにいる3000人の観客たちの期待という感情が
「・・・はぁ」
アナウンスが終わり少しの時間が流れたところで、千世子は周りに勘づかれない程度の小さな溜息をふと溢して、ゆっくりと目を開ける。サイド甲の最終日となる今日は特に冷静な心持で景の演じる羅刹女を観るはずが、却って心が落ち着かず瞑想がままならない。
「(何やってるんだろうな私は・・・最後の一言を言わなかったら、普通に勝てたのに)」
心の中で、千世子は焚きつけた自分を自虐的に責める。本当は景のことを恐れている気持ちがしこりとなって、心の奥に今でも残っている。“天使”、あるいは“美少女”と街を歩く不特定多数の人々は千世子のことを崇拝的に持ち上げているが、あくまで彼女の本性は自らが10年かけて辿り着いた場所にたった1年で追いつこうと目にも止まらぬ速さで迫る脅威を恐れるぐらいには人並みに臆病な感情を持ち、自分の持っていない武器を持っている天才に嫉妬する心を持つ、人より少しだけ器用なだけの
『・・・ありがとう』
だがそんな普通の女の子は、この舞台を通じて初日に景から魅せつけられた一度きりの迫真で自分の芝居では彼女に勝てないことを自覚し、初日の後に黒山から半ば拉致られる形で連れてこられた映画館で『デスアイランド』を上映するスクリーンに映し出された精密に計算され尽くされたはずの天使が魅せた一瞬の綻びを見て、自分の芝居だから彼女に勝てることを自覚した。
「(でも、もう私はただ勝つだけじゃ満足できない。そうだよね?)」
こうして千世子は改めて“天使”だったときの自分を心から受け入れたことで、役者として景の一歩先へと踏み出して“天使の殻”を破った。景と同じく過去の自分と正面から向き合ったことで誰にも倒されないくらいに強くなったプライドを手に入れた彼女は、普通の女の子でも
「・・・景」
心の中で自問自答をしながら客席で開演を待つ千世子は、数分後には羅刹女として壇上に立つ景の名前を徐に呟き、キャップのつばをほんの僅かほど上げて、正面に広がる舞台へと目をやる。燃え盛る炎を模した絵画を隠すベールとなる下りた幕を見つめる眼が、自らが屠る獲物を吟味する野生動物のように、鋭く光る。
「随分と恐い眼で舞台を見つめているね。お嬢さん」
その瞬間を狙いすましていたかのようなタイミングで、左隣の71番の席に座る男が千世子に話しかけた。
「ああすみません。近視なものでつい」
いきなり話しかけてきた得体のしれない黒のジャケットに身を包む謎の男に、千世子は咄嗟の嘘で取り繕い舞台に意識を傾けつつ様子を伺う。当然ながら千世子にとっては、左隣の席に座る全く面識のない男からいきなり話しかけられている状況。不気味な予感が彼女の中にじわじわと渦巻く。
「メガネやコンタクトはしないのかい?」
「ええ、何だか景色が見えすぎてしまうのが怖くて」
ちなみに余談だが、千世子の視力は両目2.0である。
「見えすぎるのが怖いねぇ・・・確かに普段からこうやってレンズを通さず見ている景色が当たり前になっていると、レンズ越しの見え過ぎる景色は違和感でしかないだろうから疲れるのも無理はないか。実を言うと僕も視力はそんなに良い方じゃないから仕事柄でたまにメガネを掛ける機会はあるんだけど、そのとき以外は僕もお嬢さんと同じでずっと裸眼で過ごしているよ」
心が読まれぬよう敢えて近視だと嘘を吐いた千世子に、男は同じく舞台に視線を送りながら優しくも飄々とした口ぶりで話しかける。
「見え過ぎる景色ばかりを見ていると自分の五感が馬鹿になりそうで、怖いからね」
「・・・そうですか」
そのどこか詩的かつやや独特じみた言い回しで舞台へ視線を送ったまま自分のことを話す男に、千世子も同じ方角へ視線を送り相槌を返す。話しかけられた瞬間から、千世子はこの男が
「言ってる意味の全部は分かりませんが、私もその気持ちは分かります」
隣に座る男へ言葉を返しながら、千世子は頭の中で考えを巡らせる。明らかに普通の人じゃないということはもう纏う空気で分かっている。もしかしたら芸能関係者?いや、この語り口からしてそれは違う。どちらかというと山野上さんみたいな芸術肌のようなものを、言葉の節々から感じる。だけれどいざ芸術家と言われてみると少しだけ違うようにも思える・・・
「・・・ところでどうして君のような人が、観客の
千世子が話し終えてから数秒の沈黙が隣り合う2人の間に流れたあと、71番の席に座る男の視線が右に座る千世子へと向けられ、少し鼻にかかった低く甘い声が彼女の正体を見抜く。隣にしか聞こえないほどの声量で突き付けられた、核心。
「その前に、あなたはどちら様?」
男が“隣にいるのが百城千世子だということに最初から気付いていた”ことを既に予感で感じ取っていた千世子は、一切動じることなく左に座る男に揺さぶりをかける。少なくとも第一声の時点で普通じゃないと警戒していた彼女の読みは、当たっていた。
「残念ながら名前はプライバシーの観点で言えないから、代わりに“物書き”という
「物書き・・・じゃああなたは“小説家”なんですね?」
「あなたは誰なのか」と千世子が問いかけると、男は名前こそ明かさない代わりとばかりに自らのことを物書き、すなわち“小説家”であると名乗った。これもまた、千世子が頭の中で考えていた予想の中の1つだった。
「そうだね。ただ著名人の君のように誰もが知ると言うほど、名は売れてないのだけどね」
「お褒めの言葉ありがとうございます」
「君ほど名前は売れていない」と静かに笑いながら相手を棚に上げて謙遜する小説家を名乗る男に、千世子は煽り半分の感謝を告げて揺さぶりをかける。
「おや、もしかして機嫌を損なわせてしまったかな?」
「いいえ、お気になさらず」
だが小説家の男もまた、羅刹女のサイド乙で主演を務める若手トップ女優からの揺さぶりには全く動じることなくどこか不敵さを伴う笑みで機嫌を伺う。明らかに自分のことを観察しているのがわかる、目元まで無造作に伸びた前髪から覗く左からの視線。
「では話を戻そう。どうして君はここにいるんだい?」
「私のことは聞かないんですね?」
「聞かずともわかるさ。君は著名人だから」
明かすべきことを明かした小説家の男は、千世子に話の続きを促す。幸いにも男が自分の名前を言わないでくれているおかげからか、はたまた満員御礼で溢れかえるホールの雑踏が反響となって2人の声を掻き消してくれているからなのか、周りにいる観客は千世子の存在に全く気付く様子もない。
「・・・どうしても観客として羅刹女を観てみたくなった。ただそれだけです」
刻一刻と迫る開演時間をずっと意識に置いている千世子は、左隣に目をやりこれ以上はぐらかすことなく
「なるほど・・・それは
千世子から明かされた理由に、小説家の男は既に思いついていた考察を展開する。
「まあ、そんなところですね」
もちろん最初から否定するつもりなど毛頭にもない千世子は、再び視線を正面の舞台に戻して素直に認める。自分が誰なのかを最初から知っているうえで話された以上、下手な誤魔化しや揺さぶりは通用しないだろうということを、彼女は理解していた。
「しかし、スターズの天使にハリウッド俳優に演劇界の申し子、そして彗星の如く現れた
そんな千世子に、小説家の男は視線を舞台の方角へと向けてさっきとは打って変わり優し気に微笑む。果たしてどちらがこの男の本性なのか、全く分からない。
「だとしたら冥利に尽きるんですけどね・・・」
千世子は内心で彼を警戒しながら、それをおくびにも出さずに笑みを浮かべて返す。ここまで言葉を交わしたが小説家であること以外は全く読めない謎の男を前に、僅かばかりに心拍数が上がっているのをこの身に感じ取る。
「羅刹女を観るのは今日が初めてですか?」
それでも彼女は自らが緊張していることを悟られないように表情や眼の動きすらも巧みにコントロールして、平然を完璧に装う。これもまた彼女が“天使”として演技の世界を歩んできた努力の賜物であり、彼女にしかない最大の武器である。
「いいや、甲乙それぞれ初日を一回ずつ。もちろんどちらも客席で楽しく観させてもらったよ」
「舞台を観たか」と聞く千世子に、小説家の男は初日をそれぞれ客席から観たことを告げる。
「公演当日にかけて加熱するマスコミの煽り方は如何にもすぎて僕には少々下品に思えてしまったけど、この舞台にはずっと興味があってね・・・」
スターズが捨てた女がスターズを捨てた男と手を組んで、スターズの天使に真っ向勝負を挑む。おまけに演出家は別々で配信によって甲乙のどちらが人気を得られるか投票で決めるという形式を、こぞってメディアがWキャストというより甲乙が真っ向からぶつかり合う喧嘩のように取り上げたことで良くも悪くも世間から大きな注目を集めた、今回の舞台。この男もまた、その舞台に興味を示していた1人であった。
「それは演劇に興味があるからってことですか?」
「いや、僕が興味あるのは
ただしそれは千世子が問いかけた演劇自体に興味があるということではなく、男の言う興味というのはこの羅刹女を書いた原作者である花子のほうだった。
「僕はね、彼女の描く炎・・・すなわち“フレア”がキャンバスの囲いから外の世界にはみ出して、彼女が放つ“怒り”が彼女以外の人間に触れたときにどんな揺らめきを起こすのか・・・・・・ずっとこの眼で確かめたかった」
原作者でありサイド甲の演出家であり、そして壇上の壁をびっしりと埋め尽くす燃え盛んばかりに揺らめく炎の絵を描いた張本人である花子のことを口にしながら幕がまだ下りたままの舞台に再び目をやり彼女の絵を絶賛する男の表情に、千世子はただならぬ狂気と
「あのとき、夜凪さんは誰のことを想いながら羅刹女を演じていたの?」
「・・・もしかして山野上さんとお知り合いだったりします?」
1回目の共同稽古のときに景から明かされた、初日の羅刹女の答え。どうして景は、ただの愛憎では押さえつけられないほどの怒りに身を任せて演じていたのか。芝居を放棄しようとするほど景のことを苦しめていた怒りの根源は何だったのか。それがデジャブとなって脳裏をよぎった千世子は、思い切って小説家の男へ心の中で思った核心をぶつける。
「どうして僕のことをそう思う?」
「
ぶつけられた核心を逆に問おうとした男の言葉に半ば被せるように、千世子は追い打つ。彼女の中で、何かが繋がる感触が流れた。
「・・・僕は山野上花子の作品に魅せられた、ただの“いちファン”に過ぎないよ」
ぶつけられた核心に小説家の男は千世子を一瞥しながら優しく笑いこう答えると、座っていた席から立ち上がった。
「観ないんですか?」
71番の席から立ち上がり、出口の方角へと身体を向けた小説家の男を千世子は席に座ったまま呼び止める。
「ここにきて気が変わってしまったんだ。小さいときから僕は何かと
席に座ったまま呼び止めた千世子に、男は背を向け振り返らずに観ないまま帰る理由を明かすとそのまま出口へと足を進め始める。それは開演直前という土壇場でキャンセルをするにはあまりにも身勝手な理由。だがこの男がどんな人物なのかがわかり始めた千世子にとっては、男がドタキャンする理由なんてもうどうでも良かった。
「・・・私には小さいときからほとんど家に帰らない、父親がいるの」
「待っ・・・」
本番を観ずに第一バルコニーから出ていく小説家を追いかけようと席から立ち上がろうとして、心が一気にいつもの冷静さを取り戻して我に返り、男の後を追うのを諦めて座席の背もたれに背中をつけ、熱くなりかけた心を落ち着かせる。自分は何のために観客に混じりここに座って開演を待っているのか、考える。少なくとも私は、得体のしれない自称小説家を名乗る謎の男の人と話をしたくてここにいるわけじゃない。
「(・・・さっきから本当に何してんだろう、私)」
もう一度立ち去った出口のほうへ視線を向けると、小説家はとっくにどこかに消えた後だった。そもそもさっきの人は私の人生においては小説やト書きで例えると1ページも関係のない、通りすがりで話しかけてきただけの赤の他人。どっちを優先すべきかなんて、考える以前の問題だ。
「千世子ちゃんは、私のことをどう想ってるの?」
「(さて、見届けますか・・・
立ち去って行った小説家の男を脳内から消して、幕の奥に燃え盛る炎が待ち受ける舞台に千世子が意識と心を再び向けた瞬間を合図にするかのように、ホールを優しく照らしていた照明の光がバタンとブラックアウトして、客席が一瞬で暗闇に包まれた。
「(・・・・・・きた)」
舞台『羅刹女』サイド甲・最終公演、開演_
そして千世子の元に
実質ここまでが1話って感じです。それと、ヒカキンさんおめでとうございます。