flare   作:イタドリ

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オファー

 舞台『羅刹女』の終幕から1週間。公演を終えた千世子は翌日に景たちと打ち上げで高級焼肉に舌鼓を打ち英気を養うと、その次の日には舞台稽古の関係で公演終了後にスケジュールをずらしていた撮影やインタビューの仕事を一遍にこなし、更には大ヒット御礼の映画『デスアイランド』の舞台挨拶で東京と大阪を行き来するなど羅刹女の余韻に浸る間もなく多忙なスケジュールをこなす日常に戻っていた。芸能界でも最大手の一角として君臨する芸能事務所・スターズが誇る看板女優は、相変わらず忙しい日々を送っているのである。

 

 「ねぇ、アリサさん」

 

 そんな千世子の元に()()()()のオファーが舞い込んだのは、サイド甲の千秋楽からちょうど1週間後のことだった。彼女に映画出演を依頼したのは業界内ではあの黒山墨字にとっての“師”にあたる人物として知られ、手掛けた作品に出演した俳優からは“役者泣かせ”、もしくは“1テイクの鬼”と言われるほど起用する役者に対して容赦がないことで恐れられている映画監督であった。

 

 「()()()()()()()って人から“私の映画に出てみない?”ってオファーが来たんだけど、受けちゃっていいかな?」

 

 インタビューを兼ねた雑誌の撮影を終えた千世子は、社長のアリサがちょうど事務所に戻っていることをマネージャーから伝えられるとすぐに事務所へと戻り社長室に向かい、早速アリサに「このオファーを受けたい」と直談判をした。

 

 「いいわ。千世子が引き受けたいと言うのであれば、引き受けなさい」

 

 アリサは分かっていた。千世子の元にオファーを送ったこの監督の映画に出るということは、彼女にとっては下手をすると『羅刹女』以上の危険な賭けになってしまうであろうということ。それでも普段通りに大人を揶揄うような悪戯な表情で微笑む千世子の覚悟の決まった眼を見て、彼女の確たる意志の強さを感じ取ったアリサはその我儘を引き受けた。

 

 「もう止めるような真似(こと)はしないんだね?夜凪さんをオーディションで落としたときみたいに」

 

 拍子抜けするほどすんなりと受け入れられたオファーに、千世子はわざとらしく揺さぶりをかけた。千世子は思った。もしこのオファーが1年早ければ、きっとこの人はどんな手を使ってでもオファーが私の耳に届くことを阻止していたはず。私たちの将来を想い極端なまでにリスクというものを避けてきた星アリサという人間の、肌で感じる確かな変化。

 

 「やっぱり変わったよねアリサさん。夜凪さんと出会ってから」

 

 『デスアイランド』、『銀河鉄道の夜』、そして『羅刹女』を通して景の成長を見守ってきたアリサに、千世子は色んな意味を込めた言葉を穏やかな笑みにのせて応接間のテーブル越しに告げた。1年前の新人発掘オーディションで「芝居が危険すぎる」という理由で景を落としたアリサは、あれから季節が一周しようとしている今、黒山から託される形で景のマネジメントを行っている。

 

 

 

 「“芝居が商業活動である限り、俳優は商品”。私たちはその事実に生かされ殺されてきた・・・それでも戦い方はあるはずだと足掻いてきた・・・・・・だから最善を尽くすわ。借りは早く返したいから」

 

 

 

 この1年の間で、アリサの心は夜凪景という1人の役者を通じて少しずつながらも着実に変わり始めていた。この世界で泣くことになるのであれば自分の見えないところで泣いてくれと逃げていた彼女は、もう芝居に魅せられてしまった少女からは逃げないと心に誓った。

 

 「頬を痛ませることが芝居の全てじゃない・・・千世子やアキラにも()()()()()()というだけの話よ」

 

 

 

 

 

 

 「まさか羅刹女に続いてまた天知さんと手を組むことになるなんてね」

 「もしかして不満ですか?」

 「ううん。今のところ不満はないよ」

 

 翌日。都心某所にあるスタジオでCMの撮影を終えた千世子は撮影を済ませるとすぐさまスタジオを出て芸能プロデューサーの天知が手配した車に乗り込み、彼と共に次の場所へと向かっていた。

 

 「ただ、アリサさんがよく許してくれたなって思ってさ。これから()()()()()()も含めて」

 

 愛用の帽子(キャスケット)を被り後部座席の右側に座る千世子が、次の仕事でも再びプロデューサーとして関わることになった隣に座る天知にどこか皮肉めいた笑みを浮かべる。

 

 「これは星アリサなりの()()()ですよ。あの人は私たち大人に百城千世子と王賀美陸というかけがえのない2人の子を救うことを託していた。もちろん私はあくまで縁の下の力持ちとして舞台のお膳立てをしたまでのことですが、結果論で言えば『羅刹女』の成功を通じて2人は救われ、特に百城千世子(あなた)は名実共に一生女優を続けられるようになったと言っても過言ではないでしょう・・・ただし、ご本人からは“余計なことはするな”と釘を刺されていますが」

 

 芸能プロデューサー・天知心一(あまちしんいち)。業界内でも屈指の敏腕プロデューサーとして知られる彼は、舞台『羅刹女』においてその手腕を遺憾なく発揮した。欲張りにも程がある因縁ありきのキャスティングを実現させ、千世子が主演を演じた『デスアイランド』の広告の近くに大々的に『羅刹女』の広告を置くなどメディアを利用して2人の若手女優による対立構図を徹底的に世間に植え付けさせ、関心を煽った。

 

 

 

 『この怒り、どうしてくれよう』

 

 結果的に舞台『羅刹女』は、王賀美の降板騒動を逆手に取った空港からの生中継によるゲリラ的な“宣伝”がきっかけで一気に社会現象になることを決定づけるほどの注目を集め、全公演のチケットは即日ソールドアウト。ネットプライムによる配信は甲乙の投票が終わってもなお一定数以上のアクセスが続くなど、その話題性の強さは公演が終わり1週間が経っても留まることを知らず、街を歩く人々の口からは良くも悪くも羅刹女の話題が出るようになった。

 

 「では皆さん。いい舞台にしましょう」

 

 舞台『羅刹女』がここまでの社会現象を巻き起こしたのは、紛れもなく天知がこの舞台の商業的成功のためにプロデューサーとして全うすべきことを余すことなく全うしたおかげといっても過言ではなく、その点で言えば彼は今回の舞台における最大の功労者とも言えるだろう。

 

 「これは()()()です」

 

 そんなプロデューサーという視点から手掛ける作品や携わる俳優陣がいかにヒットするかに心血を注ぎ、成功のためなら炎上を躊躇うことなく作品に対する巨額の投資も厭わない亡者的なほどに目星を付けた役者を売ることに拘る天知のことを、人は彼の優秀さに一目を置き認めた上でこぞって“守銭奴”、もしくは“悪魔”と呼んでいる。

 

 

 

 「しかし、意外と義理堅いところもあるんですね?お宅の社長さんは」

 

 皮肉めいたような笑みで再び手を組むことを許したアリサの名前を口にした千世子に、天知は王賀美を含む本人たちには打ち明けていなかった彼女の本心を明かす。

 

 「フッ、良いように考えすぎでしょ。それは」

 

 天知の口から明かされた真実に、千世子はわざとらしく鼻で笑うとまどろむように視線と顔を窓の外の車窓に向ける。

 

 「もちろんアリサさんが私やアキラ君の()()()()をちゃんと考えてくれていることは知ってるし、アリサさんがいなかったら今の私はいないから、心から感謝だってしてる」

 

 勘の良い千世子は、アリサの魂胆にとっくに気付いていた。どうして一度は決別したはずのかつての稼ぎ頭を呼び戻すという天知の提案に、彼女が乗ったのか。そもそも星アリサが作り上げた百城千世子という存在は、本来の意味で言えばスターズを辞めた王賀美陸を目指して徹底的に作り込まれた、云わばレプリカも同然のニセモノ。辞めていった人間に何一つの未練がなかったとしたら、代わりなんて作ろうだなんて普通は思わない。王賀美さんが掴み切れなかった成功の続きを、あの人は私に託した・・・というのが、羅刹女で王賀美の起用を許したアリサへの千世子なりの解釈の()()()である。

 

 「でも裏を返せば、あの人は常に自分が幸せになることしか考えてないんだよ。王賀美さんと私を救おうって言うのもさ、結局自分が勝手に罪滅ぼしとかして良い思いをしたいってだけの都合のいい傲慢じゃん・・・」

 

 そんな自分の情だけで物を計るようなことばかりしているように思える“芸能界の母”も同然の存在へ向けて、千世子は窓の外を見ながら素直になれない反抗期の子供のように愚痴を吐く。彼女が策略でも何でもなくただ純粋に自分と王賀美を救おうとしていたことや、あくまで百城千世子は百城千世子という唯一無二の存在として今日まで育ててきたつもりだということを、理解した上で。

 

 「社長になって表舞台を降りても、思考回路が私たちと同じ()()のまま・・・そういう人なんだよ。あの人はずっと」

 

 

 

 「あなたは役者に向いてるわ」

 

 両親に連れられ会いに行ったスクリーンの向こうにいた憧れの人に「あなたは役者に向いてる」と言われて、10年。それだけ長い間一緒にいると、良いところばかりではなく悪いところもいくらか見えてきた。それでも私は文句も愚痴も吐かずに、百城千世子という存在を憧れの人と二人三脚で作り上げてきた。「役者に向いてる」と言われたことが、学校に馴染めず家族以外で心を開ける人もいない現実に窮屈な思いをしていた自分に光を射してくれたから、ここまでこれた。

 

 『私たちと一緒に、映画を作りませんか?』

 

 表情の作り方、言葉の選び方、服装・所作・体型の全てをコントロールし、エゴサーチから統計を作りその度に観客の臨む私を作るために寝る間も惜しんで軌道修正もした。カメラごとの性能の違いやレンズサイズの感覚を頭に叩き込み、自分を映す媒体についても大体は熟知した。そしたら昨日まで生きづらくて仕方のなかったはずの世界が、ガラッと景色を変えた。私を視てくれる大衆のために作り上げた、“天使”という名の仮面。その強度を上げれば上げるほど自分が1人になっていく感覚が心によぎることもあったけれど、それでも()()だった。

 

 「はぁ・・・また私頼みか」

 

 だって、私にとって女優は天職だと思ったからだ。たとえ王賀美(だれか)さんのニセモノだったとしても、憧れの人が「役者に向いてる」と言ってくれたからその言葉を信じ続けた。

 

 「醜い現実の中に非現実的な虚像・・・・・・これを極めたせいであんたは、こんなにも皆に愛されるようになったんだね」

 

 それを信じ続けたから、私にはシアターを埋め尽くす観客(ファン)がついていて、今日も女優を続けられている。

 

 「頬を痛ませることが芝居の全てじゃない・・・千世子やアキラにも()()()()()()というだけの話よ」

 

 だから私は憧れの人にこう言われて、言い返してやった。

 

 「もし夜凪さんがこの世界にいなかったら・・・・・・絶対()()()()()言わなかったよね」

 

 

 

 「いよいよ“天使”にも訪れましたね。遅ればせながらの反抗期が」

 

 法定速度で流れる景色を眺め続ける千世子に隠しきれない苛立ちを視た天知は、笑いかけながら遠回しかつ容赦のない核心をつく。当然、あの場に立ち会っていない天知があの時に社長室の中で起こった出来事について知る由なんてないが、何かがあったということは言わずとも分かっている。

 

 「もう反抗期なんてとっくに過ぎてるよ。天知さん」

 

 その揺さぶりに、千世子はようやく天知を一瞥し軽く笑って平然とした態度で言葉を返す。芸能界という世界で生きてきて初めて自らを脅かす役者と出会ったことで天使にはない自我に目覚めた千世子は、もうアリサの手だけでは操れないほど芝居の喜びに魅せられた()()という人間になった。

 

 「(黒山のことを肯定するつもりはないが・・・夜凪景(ホンモノ)芸能界(この世界)に与える影響は本当に僕の想像を軽く超えてくるから、驚きの連続だよ)」

 

 そのことが顕著に現れている千世子の眼に映る感情を見て、天知は改めて景の芝居が周囲に与える影響の強さを心の中で噛みしめる。ついこの間に景がイメージモデルを務めるCMの撮影を撮り終えたという大手の製薬会社に勤める知人が彼女についてこう言っていた。「芸能界に“本物”が現れた」、と。

 

 

 

 「良いもんだな。ガキの成長に驚かされるってのは」

 

 

 

 出来ることならどこぞの映画監督より一足早くその才能を手に入れて独り占めしたかったが、彼女が本当の意味で“()()()()()()()()”となるには、不本意だが黒山(きみ)映画(ちから)が絶対に必要だ。何故なら夜凪景という女優は、100年後にも名が残る映画界の財産にならなければいけない役者だからだ。

 

 

 

 「お金ならいくらでも出しますよ。あなたの映画で百城千世子を“怪物”にしてくれるというのであれば」

 

 

 

 もちろんそのためにも、百城千世子(彼女)には常に夜凪景の隣に立つに相応しい女優で居続けてもらわなければならない。

 

 「私は楽しみにしていますよ。羅刹女によって“天使の呪縛”から解き放たれた百城千世子(あなた)が、どこまで()()()()()になっていくのか・・・」

 

 

 

__________

 

 

 

 「それでは千世子さん。どうかご武運を」

 「ご武運って、決着はもうついてるようなものだけどね」

 

 スタジオから天知の手配した車に乗ること約20分。千世子は天知から背中を押される形で車を降り、オファーを持ちかけた映画監督が代表を務める映像制作会社が入る5階建てのビルの1階にある、“CLOSED”と記された木製のサインプレートがぶら下げられた喫茶店の扉を開けて中へと入る。本来であればこういった出演交渉や演者との話し合いは会議室のような外部から遮断された空間で行うことが通説と言われているが、その映画監督は演者とのファーストコンタクトは必ずこの喫茶店で行うようにしており、更にマネージャーやプロデューサーといった同行する人間を介さず、1対1で話し合うことを絶対としている。もちろん理由は、お互いが気を遣うような堅苦しい空気を嫌う監督自身の譲れぬ()()である。

 

 「・・・Zzz」

 

 事前の話では、その監督は“古くからの知り合い”がやっているというここの喫茶店で来年に公開する予定の映画への出演に向けた話し合いをすると、千世子は聞かされていた。

 

 「・・・Zzz」

 

 今時のお洒落なカフェというよりは昔ながらのレトロな純喫茶といった雰囲気の漂う閉店中の店内に入り、入り口から最も遠い一番奥のテーブル席へと進むと、ピンクがかったハンサムショートのブロンドヘアに耳には左右2本ずつの金色のフープピアス、服装はカジュアルなパンツスタイルに身を包む千世子とほぼ同じ背丈の女性が1人、頬杖をつきながらベージュ色の椅子に座り居眠りをしていた。

 

 「(この人・・・だよね?)」

 

 ここで15時から打ち合わせをすると聞いていた千世子はこの人で間違いないと確信していたが、“弟子”だと風の噂で聞いている黒山とは対照的な小洒落た服装でだらしなく口を僅かに開け寝息を立て爆睡を決め込む彼女を前に、思わず困惑する。

 

 「(参ったな。でもここでこんなに爆睡してるってことは相当疲れが溜まってそうだし、起こしたいけどちょっと心苦しいな・・・)」

 

 その前に彼女を起こすかどうかを頭の中で考えて、疲れが溜まっているとみた千世子は少しだけ様子を伺うことにした。映画製作に取り掛かると企画から始まり撮影準備にクランクアップ後の編集作業と丸1年に渡り寝る間もないほどハードなスケジュールをこなすことになる映画監督という仕事の過酷さを俳優の視点から十分に理解しているからこその、気遣い。

 

 「申し訳ないね百城さん。()()()()()()、2日前からほとんど寝てないらしくてお疲れだから」

 

 音を立てないように彼女と向かい合う席に座った千世子に、古くからの知り合いである喫茶店のマスターが小声で寝不足だということを告げる。やはり読み通り、目の前で爆睡する監督はお疲れ気味のようだ。けどだからと言ってこのまま数十分も寝られてしまうと、オファーを受けた側としても迷惑なのだが。

 

 「いえいえ、映画監督の人がご多忙なのは知っていますので私はいくらでも待ちますよ」

 「さすがに5分以上経っても起きなかったら叩き起こしてもらっていいからね」

 「はい。ではそうさせてもらいます」

 

 目の前で爆睡をこく知り合いの監督に代わって謝ってきた初老のマスターを、千世子は軽い冗談を交えて気遣う。しかしそんなことなどつゆも知らずと言わんばかりに、オファーの主は一向に目を覚ます様子がない。

 

 「・・・Zzz」

 

 そんな映画監督というよりは芸術家、あるいはアパレルブランドの社長のようにも見える小洒落た服装と派手な髪色という、40代後半の年齢を感じさせない年齢不詳の若々しい出で立ちで主演女優が目の前に座っていることなど知らずに気持ちよく居眠りをこく彼女こそ、千世子に()()()()のオファーを持ちかけた映画監督にして、日本人の女性映画監督として初めてカンヌ国際映画祭で最高峰のパルム・ドールを受賞した実績を持ち“邦画界のジャンヌ・ダルク”の異名で世界からも注目される映画監督、斑田(まだらた)りょうである。

 

 ビクッ_

 

 「・・・っ」

 「(あ、やっと起きた)」

 

 助監督時代から付き合いのある顔なじみのマスターが厨房のほうへと戻って行った直後、テーブルで頬杖をついていた身体がバランスを崩した反動で斑田はようやく目を覚ました。

 

 「お勤めご苦労様です。斑田さん」

 

 居眠りから覚めた斑田に、千世子は優しく声をかける。天使的な優しさと悪魔的な不思議さが同居したような息の交じる独特な声が耳をくすぐる感触に、夢現な意識が次第に鮮明になって現実へと引き戻されていく。

 

 「おはざます・・・ごめんなさい、一昨日からずっと台本(ホン)書いてたらテンション上がっちゃって・・・ずっと寝てないもので」

 

 というふうに本人は認識しているが、実際はまだ夢現の状態のまま斑田は千世子に謝る。当然ほぼ横一線の糸目な視界では、相手が誰なのかもほとんどよくわからない。

 

 「もう、監督さんがこんな状態じゃあ話したいことも話せないでしょ?寝たい気持ちも分かるけど、今だけは起きてくれないと私が困るんですけど」

 「・・・あい」

 

 眠気眼のまま寝起きのテンションで打ち合わせを始めようとする斑田を千世子が笑いながら冗談半分で叱ると、消え入りそうなほど小さな相槌が返る。明らかにこれは誰がどう見ても夢現だ。

 

 「いい加減起きないともう帰っちゃいますよー??」

 

 これまで黒山を除いてアリサから声のかかった比較的真面目に求められた仕事をこなす映画監督や演出家と仕事をしてきた千世子にとって、斑田のような芸術家気質の強い映画監督と仕事をするのは初めてのこと。だが芸能界という世界で人生の半分以上の時間を生きている彼女にとって、これぐらいは想定の範囲内。相変わらず寝ているのか起きているのか曖昧なパルム・ドールを獲った大物監督にも、スターズの天使は一切物怖じなどしない。

 

 「ごめんごめん・・・今起きるから・・・」

 

 椅子から立ち上がりすぐ隣に顔を近づけて「起きないと帰る」という最後通告の脅しをする千世子に、斑田はようやく糸目と化していた瞼をゆっくりと開いて、声の聞こえた方角へ目をやる。

 

 「・・・・・・百城千世子!!?」

 「!?」

 

 真横で自分を見下ろす千世子と目が合った瞬間、自らがオファー主演女優をぼんやりと見つめていた眼が一気に生気を取り戻したかのように目いっぱいに見開き、斑田は店内いっぱいに響くほどの声量で千世子の名前を驚きに乗せる。その様子を真正面で受ける形となった千世子は、いきなりのことで思考が追いつかず完全に面を食らう恰好となり一歩後ずさってフリーズする。

 

 「えっ待って!?実物って想像の10倍くらい天使じゃん!つか顔小っさっ!肌白っ!」

 

 動揺で固まる千世子を前に、斑田は目の前で立ち尽くす彼女の肩を両手で掴みながら興奮気味に顔の周りを目で追い回す。ほぼ同じくらいの身長であることも相まって、千世子にとっては余計に距離感が近く感じる。その実年齢とはかけ離れた水を得た魚のようにいきなり跳ね上がるテンションが、斑田の異端さを顕著に表している。

 

 「あとめっちゃいい匂いする・・・」

 「あの、斑田さん」

 「ねえ香水とか使ってる?」

 「いや、使ってない」

 「マジか!?・・・これで香水使ってないとかどうなってんの天使の身体って?」

 「と言われても人間だからわからない・・・」

 

 前もって聞いていた“役者泣かせ”の噂や、昨日の夜に家で鑑賞した出世作の重苦しく生々しい作風とは正反対の、ハイテンションかつ自由奔放な振る舞い。目を輝かせながら監督というよりは推しを前に興奮しているただのファンのごとく自分のことを文字通りに吟味する斑田を前に、珍しく押され気味の状況に追い込まれた千世子は予見する。

 

 「てかさっきから顔可愛すぎじゃない?肌も超綺麗だし・・・ねえ、ちょっとだけ触っていい?」

 

 この人は花子と同じ類の芸術家であり、黒山と同じ類の演出家であると。そして自分の撮りたい作品のためなら人の道を外れることも厭わない、そんな映画監督(ひと)であると。

 

 「それより今は()()の話をしましょう」

 

 想像の人物像とのギャップで軽く混乱していた頭の中の整理がついた千世子は、一瞬で心を切り替え目を細めて優美なほどに綺麗な天使の笑みを浮かべたまま斑田へ穏やかにズシリと言い放つ。“幼く無邪気で悪戯で、それでいて美しい”。女優・百城千世子だけが持つ最大の武器で主導権を一気に握る。

 

 「そのために私をここに呼んだんでしょ?」

 

 安っぽく天使だと揶揄されていた少し可愛い程度の女の子はこれまで何人も芸能界に現れては消えていったが、彼女ほど“天使”という言葉が似合う浮世離れした空気を纏う役者(おんなのこ)はいなかった。穢れが何なのかすらも知らなそうな純白の仮面に潜む、底が見えぬ黒さを孕んだ悪魔的な内面。

 

 

 

 随分と憎いことしてくれたなあ・・・()()のやつ。

 

 

 

 「いいねえ。その顔と眼、ますます百城ちゃんのことが好きになりそう」

 

 次の瞬間、天使の笑みを浮かべる千世子を凝視する斑田の眼が一気に映画監督の眼へと変貌した。




羅刹女の千秋楽を期待していた人がもしいましたら、シンプルにごめんなさい。
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