flare 作:イタドリ
「羅刹女、客席でも観たけどホントに最高だったよ。あ、もちろん投票は百城ちゃんに入れておいたから」
「あははっ、ありがとうございます」
「ていうか黒山君から何か変なことされなかった?」
「変なこと?」
「例えばセクハラとか?」
「いえいえ、黒山さんからはちゃんと演出家として稽古をつけていただきましたよ」
「そっか。まあそもそもセクハラされたら事務所に訴えて降板してもらうわって話だよね」
「そうかもしれないですね。ついでに
「意外と物騒な言葉も平気で使うのね百城ちゃん」
斑田が社長を務める映像制作会社のオフィスが入る5階建てのビルの1階に佇む喫茶店。その中にある一番奥の席で、千世子と斑田はマスターの淹れたコーヒーを飲みながら次の映画に向けた話し合いをしていた。
「でもビックリしたよ。清純派のお手本のようなものだった百城ちゃんがあんな獣みたいな眼つきでヨダレを垂らしながら演技するなんてさ・・・それを観てワタシは確信した・・・次の映画の
本題への
「斑田さんみたいな
高めなテンションを保ちつつも映画監督として起用する演者に眼を配りながら話を進める斑田に、背筋を伸ばした礼儀正しい姿勢で脚を揃えて座る千世子は落ち着いたトーンに終始しながら優しく微笑む。羅刹女を経てこの身体に染み付いた“天使のように美しく悪魔のように恐ろしい”、二面性の芝居。
『ああ・・・何という屈辱・・・・・・許せぬ、許せぬ許せぬ許せぬ・・・あの猿め・・・しかし、あの芭蕉扇は偽物。それに気付いた奴は再びここへ舞い戻ってくるだろう・・・その時こそ、奴の最期・・・』
言ってしまえば、今までの10年で学んできたことと新たに学んだことを繰り返す実に
「・・・実は羅刹女を観るまではさ、百城ちゃんのことってあんまり好きじゃなかったんだよね」
来週に通っている学校の卒業式を控えている
「続けてもらって大丈夫ですよ。エゴサーチしてるとそういう声もチラホラと聞くので」
「このまま続けるけどいい?」と目配せする斑田に、千世子は微笑みと平然を保ち促す。自分のことを悪く言う一部の人間からの心無い言葉すらも“天使”で在り続けるための糧としてきた彼女にとっては、自身の芝居を「好みじゃない」と批判されることなどかすり傷にすらならない。
「ひとつ
もちろん千世子が並大抵のことでは動じない強靭な心を持っていることを知っている斑田は、素直にそのまま話を続ける。“天使”として今日まで芸能界という世界を生きてきた彼女を視る“ジャンヌ”の眼が、一段と鋭く笑いかける。
「だけど、羅刹女までの百城ちゃんは可愛いってだけであまりにも無味無臭だからつまんなかった。場面ごとに合うように計算された表情と、心情がまるで感じられない上っ面の芝居・・・例えるとしたら演出家の意図を全て汲み取り寸分の狂いなく指示通りに動くお人形さんって感じで、これと言って欠点はなく全てが完璧であるが故に何にも心に響かない」
穏やかな表情で容赦なく向けられる、映画監督からの批評。自分自身が観客からどのように視えているのかを常に把握し続け、自己を排除し客観的な美しさを追求した“自身を商品だと完全に割り切った”芝居。良い意味ではプロフェッショナル、悪い意味では上っ面なだけの演技。技術的な面においては飛び抜けているが、そこに己の感情は存在しない。“素顔を晒してありのままを演じることを人間と言うなら、自分は人間じゃなくていい”。それがかつての彼女であり、大衆が求めた
「本当の百城ちゃんは等身大の女の子らしい醜さを持っている役者さんのはずなのに、みんなから愛される天使になるまでに味わった苦しみを芝居に落とし込めるだけのネガティブな感情を持っているはずなのに、どうして大きくなってもそれを自分の内側にしまい込み続けて
そんな天使のことを真のプロフェッショナルだと好意的に評価する人もいれば、冷静に批評して悪いところは悪いとはっきり指摘する人もいる。少なくとも斑田は、後者側の人間として千世子のことを子役時代から注目し続けていた。
「だって本当のアナタは天使でも天才でもなくて、誰よりもお芝居が上手くなるために健気に頑張る
彼女は知っている。女優・百城千世子は決して天才ではないということ。故に、まだ化け続ける余地が十二分に残されている役者であるということ。“天才子役”として評価されていた子役時代と比べても見違えるほど芝居が上達した千世子が人知れずにどれだけの努力を重ねてきたのかを視てきたからこそ感じる、自分の映画に起用することで眠っている潜在能力を開花させて、百城千世子という女優が本当の意味で正しく評価されるようにしたいという、映画監督としての想い。
「それは斑田さんのご想像にお任せします」
ここまで無言を貫き向けられ続ける言葉を受け止めていた千世子は、突き付けられた図星に動じることなく笑みを崩さないまま冷静に答える。千世子の動じない芯の強さと、その中に混じる完璧に天使を演じていた裏を見抜かれたことへの僅かばかりの苛立ちを視た心の中に、確かな手ごたえを感じた。
「しっかし、出来ることならワタシが百城ちゃんの秘めた才能を開花させたかったなあ・・・全く、何でアリサ氏はよりによって黒山君にその役割を任せたんだか。まあ結果論で言えば大正解だったけどね。気分は
テーブルを挟んで目の前に座る千世子の様子を眼で探りながら、斑田は美味しいところを持っていったかつての“弟子”への愚痴を自虐的な笑みと一緒にやや大袈裟気味に溢して、おどけながらテーブルの下で足を組んで身体をリラックスさせる。飄々と振る舞いながらも、ダイアモンドのように綺麗な輝きを放つ琥珀色の瞳の中に映る内心からは、1秒たりとも目を離さない。
「というか、そもそも黒山君はどうして舞台演出なんて専門外の仕事を引き受けたんだろうね?」
わざとらしく首を傾げて、斑田は間髪を入れずに更に話を掘り下げる。耳につけた金色のピアスが、自分のことを試している斑田とリンクするように静かに光る。どうして黒山は、これまでやったことのない舞台演出という仕事のオファーを引き受けたのか。
「しかも自分が手塩にかけて育てているはずの子を差し置いて百城ちゃん側につくなんてさ・・・
「おかしいと思わない?」という、弟子に良いところを取られてしまった映画監督からの一言。これは誘導尋問であると、千世子は察した。
「・・・確かにおかしいかもしれないですね」
斑田の揺さぶりに、千世子は姿勢を正したまま答える。
「まるで私のことを利用してその子を
誘導尋問に、千世子は乗った。
「・・・やっぱり、
誘導尋問に乗った千世子を見つめる斑田の眼が、不敵にほくそ笑む。彼女が
「これはワタシの持論だけど、黒山君は羅刹女っていう舞台を通して百城ちゃんのことをあの子が成長するための
もう当人はとっくに分かり切っていることを理解した上で、斑田は真相を突き付ける。
「ええ、そうですね」
当然分かり切った真相をぶつけられたところで千世子は動じるはずもなく、顔色ひとつ変えずに淡々と返す。とはいえ千世子の心の中には舞台が終わってから1週間が経とうとしても、黒山から勝たせることと引き換えに景を役者として成長させるための
「僕は山野上花子の作品に魅せられた、ただの“いちファン”に過ぎないよ」
客席に座る自分に話しかけてきた、
「夜凪景・・・・・・きっとああいう子が、これからの芸能を引っ張っていくんだろうって、百城ちゃんも思わない?」
顔色ひとつ変えずにきっちり姿勢を正したまま目の前の椅子に座り続ける千世子に、ここまで虎視眈々と彼女の笑顔が揺らぐタイミングを伺っていた斑田が打って出る。
「どうして私にそれを聞くんですか?」
先手を打った映画監督を表情ひとつ変えずに見つめる千世子の眼から、笑みが消えた。自分にはない才能を持ち、常に比較され続けている存在のことを目の前で持ち上げられたら、誰であろうと心中穏やかなままではいられない。
「だって百城ちゃんが一番よくわかってるって思ったからさ。あの子の恐ろしさを」
冷淡さを纏う笑みを前にしても、斑田という映画監督はたとえ相手が大手芸能事務所の看板俳優であろうと関係なく揺さぶり続ける。不敵に笑いながら見つめる眼に、千世子は自らの作品に使う役者に対して一切の遠慮もせずに真正面から対峙して数多くの役者の新たな一面を引き出してきた“1テイクの鬼”の片鱗を視る。
「傍から視ても恐ろしいよ、あの子の秘めた才能と芝居は・・・巌のじっちゃんの遺作になっちゃった『銀河鉄道の夜』のときからとんでもない超新星が出てきたなとは思ったけど、そこから半年足らずで百城ちゃんと比較されるところまで来ちゃったんだからね・・・今はまだ百城ちゃんのほうが役者として一歩リードしてるけど、果たして1年後もそのままでいられるかはわからない・・・」
この人は間違いなく、私のことを本気で
「ここまでずっと平気なフリしてるけど、本当はもう気付いてるでしょ。このままじゃ私は夜凪景に
「ねえ」
斑田の言葉を半ば遮るように、千世子は語気を強める。
「早く私に教えてよ。
次の言葉を挟む余地を与えず、表情だけは笑顔を保ったまま天使からは程遠い冷めたトーンと眼つきで千世子は言い放つ。目の前で足を組みながら座る斑田を視る天使の感情は、明確な怒りを仮面で隠すことなく露にしていた。
「そう焦らないでよ百城ちゃん。もうすぐ本題に入るから」
ようやく仮面ではない本性をぶつけてきた千世子に、斑田は心の中で歓喜しながら冷静に宥める。もちろん彼女の人間性を視るという意味合いも兼ねてプロデューサーの天知を外して1対1でのファーストコンタクトを希望していた斑田にとっては、ここまでは全てが思惑通り。
「・・・続けて」
斑田から宥められた千世子は、容赦のない言葉の前に熱くなりかけた自分の心を小さな溜息と共に一旦冷やして、続きを促す。手のひらの上で踊らされていることは、彼女自身はもうとっくにわかっていた。
「敢えて残酷な言い方をするけど、“天使と悪魔の二面性”を手に入れただけの今のままじゃ百城ちゃんはいずれ夜凪ちゃんに確実に追い抜かされる・・・これがワタシの見解ね」
苛立ちに支配されかけた感情を冷やして再び対峙する千世子を見て、斑田は小さく頷き話の続きを始める。
「もちろん夜凪さんに追い抜かされるのはあくまで私が
斑田からの見解を受け止めた千世子は、次の見解を先読みして目の前から向けられる表情をそのまま
「そういうこと。さすが百城ちゃんほどのクラスの
「伊達に“天使”はやってないもので」
言おうとしていた主張を先読みした千世子を、斑田は皮肉めいた言い回しで素直に褒める。そして褒められた千世子は満更でもない装いで笑みを繕い仕返す。もはやお互い、今日は穏便に済ませようという逃げの感情は完全に捨てていた。
「さて・・・もう一度言うけど、“天使と悪魔の二面性”を手に入れただけの今のままじゃ、百城ちゃんはいずれ夜凪ちゃんに確実に追い抜かされる・・・何故ならアナタは、夜凪ちゃんみたいに飛び抜けた
話を進めれば進めるほどピリピリと重くなっていく空気さえも楽しみながら、斑田は語りかけるような口調で千世子に続きを話しながら組んでいた足を正して、まだ開けていなかったコーヒーフレッシュのカップを開けて、3分の1ほど飲んだコーヒーカップの中に綺麗な渦巻きを描きながら流し込む。
「でもしょうがないよ。あんな原石、数十年に一度出てくるか出てこないかってレベルだし」
その所作が軽妙で飄々とした語り口に反してどこか上品なのが、千世子の眼に不気味に映る。テーブル越しに対峙する斑田りょうという映画監督がどういう人間なのかが、段々と視えてきた。
「だけどさ、
「お金ならいくらでも出しますよ。あなたの映画で百城千世子を“怪物”にしてくれるというのであれば」
「だからワタシが一肌脱いで百城ちゃんを“怪物”にしてあげる。このまま後輩にしてやられてばかりじゃこっちとしても面目がないしね」
舞台『羅刹女』が終幕した次の日に突如この仕事場に顔を出してきた芸能プロデューサーから課された
「で?どんな映画なの?」
明るい表情で発せられた悪魔のような監督からの言葉に、千世子は目を鋭く見開き改めて問う。その眼に映る感情に恐怖の二文字がないことを瞬時に理解した斑田は「いいねえ」と心中で呟きながら、小さく千世子へ頷く。
「おっちゃん!
すると斑田は、両手を口元に当ててメガホンを作りながら大声でマスターにあるものを注文した。
「全く、これぐらい自分で用意したらどうなんだ?」
「だって普通に百城ちゃんに渡しても雰囲気的にイマイチ盛り上がんないじゃん」
「言っとくがウチは便利屋じゃないぞ」
20年以上の付き合いがある一回り以上歳の離れた映画監督からの生意気な注文に、初老のマスターはぼやきながらも斑田から注文された例のやつを千世子の元に持ってきた。
「百城さん。先ほどからこの子が色々と無礼なことを言って本当に申し訳ないね」
「いえ、私たちのことはお気になさらず」
斑田の容赦のない振る舞いを代わって謝りながらそれをテーブルの真ん中に置いたマスターに、千世子は気遣いながら微笑む。テーブルに置かれたそれは、一冊の小説だった。
「りょうちゃん。あんまり人を泣かすような真似はするなよ」
「わかってるって」
千世子の毅然とした様子を見たマスターは去り際に斑田へ念を入れて、相変わらず誠意があまり感じられない軽いリアクションを無言で受け止め厨房のほうへと戻って行った。そんな彼もまた斑田が映画のためなら手段を厭わない覚悟を持つ映画監督であることを知っている、理解者の1人である。
「・・・この
「そう。これから百城ちゃんに演じてもらうのは、この小説に登場するミカっていう主人公の画家の女子大生の役」
マスターが厨房に戻ったことを見計らい千世子がテーブルの真ん中に置かれた小説のことを聞くと、斑田は軽口を叩くようなテンションでこれが次の映画であることを明かした。
「画家・・・」
頭に引っかかったワードを独り言で呟きながら、千世子は小説の表紙に目をやる。表紙の全体を覆うように激しく揺らめく炎をバッグに、真ん中の位置に佇むように縦の白文字で書かれたタイトルと、下中央に同じく白文字で小さく書かれた原作者の名前。
『フレア』:原作・
「この小説を書いた作者は、どんな人なの?」
原作者の名前に目が留まった千世子は、視線を斑田に戻して作者の霧矢の人物像について問い出す。炎の背景で覆い尽くされた表紙絵に感じる妙な既視感と、画家の主人公の正体。
「それはまだ会ったことがないからわからないんだよね」
「会ったことがない?」
そして斑田の口から返ってきた答えは、千世子にとって期待からは少し逸れたものの有意義なものだった。
「霧矢コウ。男性の小説家だってこと以外は年齢も顔も全てが不詳で、業界人やマスコミどころか同業者の間でも彼の姿を見た者はいないってくらい、謎に包まれてる」
「まるでオカルトだね」
「だけど確かに実在はしてるよ。現に霧矢先生はこの小説で直木賞獲ってるし。だけどその授賞式も紙切れ一枚の手紙だけよこして当の本人は安定の雲隠れだから、結局真実は闇の中のままだけどね」
「ほぼバンクシーじゃん」
「もしかしたら本当にその可能性もゼロじゃないかもね」
「だとしたら大スクープね」
彼女曰く、この小説を書いた霧矢コウという作家は、男性であるということ以外は一切が謎に包まれている人物だという。確かに小説家や芸術家といったアーティストの中には、自身の正体を隠して匿名という
「で、そんなバンクシーみたいな人と斑田さんはどうやってコンタクトを取ったの?」
肝心なのは、バンクシーのごとく謎に包まれた小説家と斑田がどうやって知り合ったのか。マスターがテーブルに置いてくれた原作小説の表紙を視た千世子は既に勘づいていたが、確証を得るために掘り下げた。
「ん~、それはまだ17歳の
霧矢について掘り下げてきた千世子に、斑田はおどけながらしらばっくれようとする。
「って言いたいけど、どうせ百城ちゃんにはすぐバレると思うからざっくりだけど話すね。要は天知君がワタシと霧矢先生の仲介役になってくれたことで、一度も顔を合わせることなくこの『フレア』を映画化するって企画が実現したってワケ」
と見せかけて、あっさり事の裏側を白状した。小説の表紙に目を通した千世子の反応を観察した時点で、斑田もまた彼女が既に何かしらに気付いていることを察していたからだ。
「
最低限のカミングアウトをして、斑田は両手を口元の前で合わせ目を細めて笑う。
「いいよ。とりあえず斑田さんにはこれ以上聞かないであげる」
そのあからさまに相手を子供扱いした笑みに、千世子は動じることなく同じように目を細めニコリと表情を作り監督からの要望を受け入れる。
「それで、私は
そして間髪を入れずに、目を再び見開き斑田の眼を凝視しながら役者としての指示を仰ぐ。原作小説の表紙を視たときに感じた既視感が、少しずつ千世子の中で鮮明に見え始めていた。
「私、この
ハッタリでも閃きでもなく、揺るがない確信を持って千世子は続けざまに核心をぶつける。彼女の中で、この小説の作者と主人公の関係が一気に鮮明な形となって繋がった。
「・・・やっぱりねぇ」
核心をぶつけられた斑田はお手上げとばかりに自嘲気味に笑いながら呟き、コーヒーを一口だけ口元へと運んで小さく溜息を溢す。天知から黒山が構想している長編映画の話も含めて千世子と景のことを聞かされている彼女にとっては、全てが想像の範囲内であった。
「先生は“悪くなかった”と仰っていましたよ」
「じゃあワタシからの
自分がいま置かれている状況をいちいち説明せずとも理解を示している千世子に、斑田は監督として最初の指示を出した。
「一つ目は霧矢先生からの意向で
映画監督がいち主演女優に要求した指示は、あまりに突飛じみたものだった。
自分と自分にとって大切な人の命を大事に