flare 作:イタドリ
「千世子ちゃんが羅刹女をどう演じているのか、教えて欲しいの」
6日目。サイド乙にとっては3回目の本番が終わって黒山さんたちと楽屋へと戻る途中で、山野上さんと一緒に行く手を立ち塞いだ景から言われた一言。初日から立て直してきたとはいえ、はっきり言って甲乙の差はもうどうしようもないほどに広がっているように思える状況でも、私たちを真っ直ぐに見つめ待ち構えていた2人の目は全く死んでいなかった。もちろん私も、景たちサイド甲がこのまま初日から差をつけられたまま終わるとは端から思っていなかった。
「私たちのメリットは?」
「私たちの羅刹女を教えます」
私たちを負かすつもりで立ち塞がる景にメリットを問うと、隣に立っていた原作者の山野上さんが景に代わって「ウィンウィンでしょ?」と言いたげな表情で「私たちの羅刹女を教える」と代案を出してきた。この山野上さんという人が景に何かを
「利用しよう。私たちが」
ともあれどんな事情が裏にあろうと、舞台が続く以上は私も勝ち続けないといけない。一回たりとも、景には負けたくない。
「ありがとう」
だから私は、サイド甲から持ち掛けられた共同稽古を引き受けることにした。もちろん引き受けた理由は勝つため・・・と言い切りたかったものの、山野上さんが本番寸前に落とした
「夜凪さんが考えてる羅刹女を聞く前にどうしても答えてほしいことがあるんだけど。いい?」
本番が終わった後に行われた初めての共同稽古で、私は景にあることを聞いた。
「・・・もしかして初日のこと?」
「ご名答」
私が具体的な何かを言う前に、景は答えを察して先に聞いてきた。私のことを横目に見る僅かばかりに不安が募った視線が、彼女の負い目を表していた。勝ちたいという対抗心で平然を保ちながらも、やっぱり景は初日の舞台を心のどこかで引きづっていたのがわかった。それが見えない焦りとなって、2日目以降の凡庸な羅刹女という形で続いてきたことも。
「じゃあ単刀直入で聞いちゃうけど・・・あのとき、夜凪さんは誰のことを想いながら羅刹女を演じていたの?」
どんな炎を焚きつけられたのかは知らないけれど、初日の景が尋常じゃない怒りと戦いながら羅刹女を演じていたのはわかっていた。だからと言ってこのまま手探り状態で幕が下りてしまうのは私も許せなかったから、お互いが完璧な羅刹女になるために、私は真っ先に景が想っていた怒りの源を探し出して、あの怒りの正体を掘り下げることにした。
「あまり細かくは話せないけど・・・私には小さいときからほとんど家に帰らない、父親がいるの」
そして景の口から明かされたのは、母親を見捨てた
「霧矢コウ。斑田監督も言っていたように、性別が男であること以外は全てが謎に包まれています。そんな彼の代表作と言えるのが、今回のオファーとなった『フレア』という小説です。彼はこの小説で直木賞を受賞したことで一躍有名になりましたが、授賞式の場に彼は現れることはなかった」
「その代わりに紙切れ一枚分の手紙だけを託して、当の本人は雲隠れ。霧矢さんのくだりはもう斑田さんから聞いてるよ」
「そうでしたか。これは失礼」
喫茶店で自らが主演を務めることになる映画の監督との最初の話し合いを終えた千世子は、車へと戻り天知と共に来た道を戻り始めていた。
「・・・それより聞きたいことがあるんだけど」
もう中身が分かり切っている左隣の後部座席に座る天知からの話を無理やり終わらせて、千世子は1通の封筒をちらつかせながら単刀直入に問う。
「山野上さんはいま
「一つ目は霧矢先生からの意向で
斑田が映画監督として主演女優の千世子に要求した最初の指示。
「
「んー、あんまり詳しくは教えてくれなかったけど、“演者には先入観を持たずに演じて欲しい”って霧矢先生は言ってたよ」
「ふーん、なるほど」
一つ目の指示はともかく、二つ目の指示はおおよそ演者に求めるようなものとは思えない突飛なものだった。
「とりあえず霧矢さんの意向はこれ以上聞いても意味がなさそうだからもういいけど、山野上さんの件は私がやる必要があるものなの?」
千世子は当然問いかけた。果たしてそれを自分がやる意味があるのかということを。
「だってつい3日前に了承をもらうために会いに行ったけど、結局“もう私には何かを創り出す情熱も理由もありません”って跳ね返されちゃったからさ。やっぱりこういうのはパッと出のワタシより、
自分が説得する意味を問うた千世子に、斑田はコーヒーを口へと運びながら千世子でなければならない理由を明かした。3日前に了承のために初めて顔を合わせた自分と、敵陣とはいえ羅刹女を通じて数か月間に渡り一緒に舞台を作り上げてきた千世子。絵を描くことをやめてしまったという花子に再び絵を描いてもらうためには、そんな彼女が最適だろうと判断した監督の采配。
「ああもちろん了承だけは“好きにしてください”って形でちゃんと貰えてるからそこは安心して」
「そもそもまず山野上さんが引退するなんて初耳なんだけど」
理由を聞いた千世子は話を遮った。第一、花子がこれから絵や小説を創ることをやめようとしていることを知っているのは、現時点で千世子や景を始めとした演者が帰り演出家2人になった打ち上げの席で花子から思いを打ち明けられた黒山と裏側を知る天知だけだ。自身も知らなかったことはともかく、ましてや羅刹女とは何も関係のないはずの斑田がどうしてそんなことを知っているのか。明らかな疑問がそこにあった。
「・・・ひょっとして黒山さん?」
だが理由を聞く前に、千世子の頭の中でこの2人を繋げる共通点の人物が浮かんだ。
「だったらどうする?」
疑問点を飛ばしていきなり真ん中を突いた核心に、斑田はその勘の鋭さに感服しつつ全てを察して、不敵に笑いながら選択を迫る。その笑みとテーブルに置かれた小説が、千世子の中に残っていたモヤモヤの正体を鮮明にした。
「引き受けるよ。斑田さんの
『フレア』という小説がどのようにして羅刹女、そして黒山が作ろうとしている映画へと繋がっているのかを読んだ千世子は、斑田の要求を受け入れた。
「その代わりマスターが持ってきてくれたこの
「・・・随分と
斑田から受け取った封筒をちらつかせながら花子の居場所を問う千世子の確信めいた視線を見て、天知もまた察する。元から千世子が女優として成功できたひとつの理由となっている勘の鋭さを承知していた天知にとっては、想定の範囲内だった。
「うん。でもおかげで斑田さんがどういう人かっていうのはわかったし、映画を撮るならまずはお互いを知っておかないと良い画が撮れないこともあるからね」
降参を意味する一言を告げた天知を横目に、千世子は得意げになって話す。もちろん双方共に表現者としての我が強いことを把握していた天知にとっては、これもまた想定の範囲内。
「まさか千世子さんからそんな言葉が出てくる日が来るとは」
ただ人生で初めて立つ舞台を通じて黒山と会う前の“天使”からはおおよそ出てこなかったであろう言葉を聞いた天知は、かつての偶像を思い浮かべながら懐かしむように千世子へ本心を告げる。
「だって今まで出ていた映画は私ありきの作品ばかりだったからさ。それが悪いってわけじゃないけど・・・でも今回は違う。たった
感慨深いと言わんばかりの表情で微笑む天知に、千世子は涼しい笑みで「それだけのこと」と締めくくる。
「頬を痛ませることが芝居の全てじゃない・・・千世子やアキラにも
「それに、先ずは山野上さんと会って話をしないと
無意識にアリサと同じような
「会ってどうされるのですか?」
「それは終わってからのお楽しみで」
その一番の理由を千世子は明かすことなく、天知に悪戯に微笑んで揶揄う。ひとつ把握していることは、彼女のスケジュールは今日はもう空いているということ。
「ならばお手並み拝見と行きましょう。
「住処というのはどちらの?」
「もちろん
千世子から向けられる天使的な笑みから発せられた悪魔的な言葉を受け止めた天知は、どこか芝居じみた口ぶりで千世子に挑発とも受け取れる言葉を返すと、ハンドルを握る運転手にある場所へと向かうよう指示をする。
「そもそも山へ行く
「そうとも言えますね。フォローのほうありがとうございます千世子さん」
花子がいるであろう居場所を運転手に伝えた天知に、斑田から話を聞いた千世子が煽り半分でさり気なく付け足す。直接的に誰かから聞いた話ではないが、花子が東京からやや離れた山奥にあるアトリエで1人黙々と彫刻や絵画を創作していることは、風の噂で千世子の元にも届いていた。
「天知さんってさ、意外と私たちの我儘を聞いてくれるよね?」
主演女優からの我儘を二つ返事で受け入れた“悪魔”の異名を持つプロデューサーに、千世子は正反対の天使の笑みを浮かべながら初めて手を組んだ羅刹女のときから思っていたことを告げる。無論彼女の言う“私たち”というのは、演者という意味以外の何物でもない。
「基本的にプロデューサーは
千世子から告げられた言葉に、天知は目を細めて静かに笑いながら答える。ステレオタイプとしてよく耳にするプロデューサーの一例というと、大概胡散臭い話をニヒルな笑みと共に持ち掛けてくる所謂世渡りの上手い嘘吐きなのだが、天知心一という男の言葉には嘘という一文字は全くなく、無論そこに悪意というものも存在しない。嘘と理不尽が複雑に絡む芸能界という世界で嘘吐きの権化のような立場にいながらも、一貫して正直さを貫き続ける稀有な芸能プロデューサー。だからこそ、目を付けられた演者側からすれば誰よりも頼もしい味方であるのと同時に、誰よりも油断ならない存在なのである。
「・・・やっぱり阿良也さんの言ってた通り。天知さんって嘘吐くの下手だね」
そんな根っからの正直者でもある天知からの遠回しな皮肉に、千世子はクスっと笑って皮肉の裏にある本質を突いた。
__________
「・・・・・・」
書斎兼アトリエと化している自室の机の上に置いた一枚の紙に、万年筆を片手に一文字目を書こうとして、そこで手が止まり動かなくなる。何度か文字が頭の中に浮かんでは消えてを繰り返すが、一向に万年筆を持つ手は頭に浮かんだ文字を書こうとしない。そんな状態がもう、全てが終わった
「(・・・やはり、何も書けない)」
書籍の机の前で万年筆を持つこと一時間。紙に一文字も文字を書くことなく万年筆を置いた彼女は、どこか安堵にも似た溜息を吐きながら座っていた椅子にもたれかかる。
「(・・・これで本当に
絵を描く理由を失った彼女は、とうとう小説も書けなくなった自分に微笑む。初めての舞台で人と関わり合うことを選んだことで自らの弱さと向き合い、怒りの呪縛から逃げ切った彼女はついに自由を手に入れた。
「幸せだ・・・私」
そして思わずこぼれる、独り言。まさか一生一人で絵を描き続けるしかないと確信さえもしていた自分から、こんな言葉が出るなんてつい一週間前までは思いもしなかった。絵や小説を創れなくなったことが、こんなにも幸せなことだったとは。30年生きてきて初めて知った、創ること以外の生き方。
「・・・本当に幸せだ」
舞台『羅刹女』が終わってから一週間。芸術家・山野上花子は普段の住処としている吉祥寺の閑静な住宅街に佇む4階建てのデザイナーズマンションの一室で、絵も小説も創ることなく引き篭もりも同然の日常を送っていた。当然ながら絵を描く意欲もすっかり失くした花子は羅刹女の舞台が終わって以降、彫刻の創作を行う拠点としている山奥にあるもう一つの住処であるアトリエには一度たりとも足を運んでいない。
「修羅のように燃える絵に彫刻、世の不条理への怒りに満ちた小説。私にはあなたが自らの怒りから逃れたいように見える・・・・・・山野上花子さん。あなたには本当に描きたい絵があるのではないですか?」
全てはいつものように内側の怒りを込めてアトリエの近くの崖で彫刻を掘っていた花子に、天知がとある舞台の企画を持ち込みにやってきたことから始まった。怒りによって呪われ、描けば描くほど不条理な現実に対する怒りに飲まれ後戻りが出来なくなるほど追い込まれていた彼女に1人の悪魔が差し出した、
「花子さんとならちょっと勝てそうな気がしてきた」
初めはいつ降りても構わないと思っていた。それは主演の1人が彼の娘だと後になって知らされてからも変わることはなかったが、彼女と出会ったことでその考えは大きく変わった。芝居のためであれば躊躇することなく何色にも染まろうとする彼女の純粋な美しさに惚れ込み、同時に彼女を知れば知るほど怒りという不純物でしか生きることのできない自分自身に腹が立った。
「私はあなたのお父さんとお付き合いしていました」
そして私は確信した。何色にも染まる彼女の純粋さは、例え自分のように怒りの炎に飲み込まれ心が呪われようとも、その先の景色を見せてくれるかもしれないと。だから私は彼女の心を怒りで満たして、
「羅刹女を演じるということは・・・私を演じることだから」
私は絵を描けると信じて疑わなかった。舞台が終わり、
「・・・・・・」
そして人生初の舞台を終えて怒りから解放された花子に待ち受けていたのは、この手で絵や小説を創れなくなったという芸術家としての
「・・・・・・」
やっと自由になれたのに、どうして自分は毎日のように書斎の椅子に座って紙を置いたり、キャンバスを置いたりして何時間もこうやって何をするでもない時間を浪費しているのか、カーテンの閉められた部屋で花子は耽り考える。もう創る理由なんてないのは誰よりも分かっているはずなのに、どうしてこんなことをあれから毎日繰り返しているのか。
自由になれたはずなのに、どこか心が
「ずりぃな。お前だけ」
「・・・はぁ」
頭の中に割り込んできた打ち上げ終わりに告げられた黒山からの言葉を思い返し、花子は溜息を吐いて目を閉じる。「やっと自由になれた」と清々しい気持ちを吐露した花子に、黒山はいつになく寂しそうな笑みを浮かべてそう呟いた打ち上げの席。「ずるいな」という言葉が何を意味しているのかは、同じく芸術を生きる同類として彼女もすぐに察していた。人間的な意味合いでは相性が最悪なほどにいけ好かない相手でも、言葉にこそしないが黒山が黒山なりに花子の姿勢を評価していたからこそ出てきた一言。
「山野上は今日に全てを賭けていたはずだ・・・そして夜凪たちもその覚悟に応えた・・・それを無かったことにする?ふざけんなよ天知」
もちろん暴露という爆弾を投下されたことは黒山自身としても誤算でそんな花子の暴走に手を焼く羽目にはなったが、結果的に今回の舞台を通じて景は役者である以前に1人の人間として大きく成長した。かなりの荒療治になってしまったものの、結果からすれば夜凪景が映画界の歴史に名を残す女優になるためには避けては通れぬ道だった。そして景にはいずれ自らの人生に深く暗い影を落とす
「でも礼を言うよ。本来なら俺がやるはずだった
こうして自由になれたと怒りが抜け切り晴れた顔つきで語った花子に、黒山は立て続けとばかりに感謝を告げた。悪意など何一つとしてない、撮りたい映画のために一肌を脱いでくれた芸術家への労い。
「嫌われ役を買って出たつもりはないですよ。全て私の
素直に労う黒山に、酒による酔いが少し醒めた花子はバツの悪そうに視線を落として受け流した。彼女からしてみれば、最後の最後まで自分が描きたい絵を描くために景へ独りよがりの炎を焚きつけただけの、限りなく傲慢な我儘を貫こうとしただけだった。黒山墨字という映画監督の男は、その怒りさえも題材にして自分のものにしようとしている。
「・・・私が黒山さんのことを人間的に好きになれない理由がやっとわかりました」
初めて黒山から言われた心からの感謝を告げられた花子は、ようやくこの映画監督がなぜ羅刹女の仕事を引き受けたのかを本当の意味で理解して、なぜ自分がこの男のことをここまで嫌っているのかということに気が付いた。
「似てるんですよ・・・黒山さんと
辿り着いた答えを、花子は黒山に打ち明けた。
「今あなたがやろうとしていることは・・・
生まれて初めて誰かのために描いた絵と一緒に自分の前から消えて、そんな自分のことをモデルにした小説で賞を獲った
また私の創った作品が、良いように
「・・・山野上」
自らに関わった2人の男を思い浮かべながら打ち明ける花子の眼に浮かぶ影を視て、黒山もまたひとつの答えに辿り着いた。
「お前、本当はまだ
ポーン_
脳裏を埋め尽くしていた黒山から投げかけられた言葉を、部屋のむこうから聞こえたインターホンの音が掻き消す。時刻は花子の推定で午後の4時を過ぎたあたり。
「(誰?こんな半端な時間に)」
昼時でもなければ夕暮れ時でもない何とも半端な時間に訪ねてきた来客に、花子は考えを巡らせながらも書斎の椅子から立ち上がり玄関へと向かう。少なくともここ1週間はお届け物の類は一切頼んでなどいないから、まず宅配便ではない。
「(・・・まさかあの人?)」
インターホンのモニターに手を当てようとして、ふと花子の手が止まる。3日前、映画の企画を引っさげていきなりこの部屋に押しかけて来た黒山の
「それなりの作品にしてくれるのであれば、斑田さんの好きにして構いません。私にとってはもう終わったことですので」
きっと彼女ならそれなり以上の作品にはしてくれるだろう、そう思ってあの小説を映画化するという話に花子は乗っていた。というより、ただ単にそれなりの作品にさえしてくれたら、後はもうどうでもよかった。
「本当に終わったことだって思ってるなら、
じゃあなぜ、どうでもいい作品にそれなりの出来を求めたのか。思い描いている答えとは違うことを口にする自分に気付いて、何をしたいのかがわからなくなった。
「ホントもったいないなあ。山野上花子ともあろう
「未練なんてないですよ・・・」
それが積もって、数日分の間に知らずのうちに溜まっていた感情が静かに溢れた。
「もう私には何かを創り出す情熱も理由もありません。誰にどう言われようと、やっとの思いで手に入れたこの
「(とにかく、私はもう戻らない)」
3日前にこの部屋で繰り広げた斑田とのやり取りを海馬の奥へとしまい込み、花子は意を決してインターホンのモニターを人差し指で押す。
「はい」
「すみません。原作者の山野上花子先生の住まいはこちらですか?」
そして目の前のモニターに映ったのは、サイド乙で羅刹女を演じた
正直な話、花子が普段どこで生活しているのかという考察でめちゃくちゃ悩みました。そしてめちゃくちゃ悩んだ末、二拠点生活という結論に至りました。納得いかない人がいましたら、本当にごめんなさい。
それと、花子と景が初めて出会った山がどこなのか見当がついてる人がいたら、教えてくれると助かります。