flare 作:イタドリ
「天知さん」
斑田と喫茶店で打ち合わせをした後に花子の住むマンションへと向かう道中、千世子は天知にあることを聞いていた。
「千秋楽のときに出た突然のキャンセル。あれって天知さんの仕込みでしょ?」
それはサイド甲の千秋楽を明日に控えるという土壇場のタイミングで起きた1席のキャンセル。誰かが座るはずだったその席に座ることになったのは、言うまでもなく千世子だった。
「はて、何のことでしょう?」
「話しかけられたんだよね。この封筒の中に入ってる小説の
わざとらしくとぼける天知に、千世子は『フレア』の入った封筒をちらつかせて不敵に微笑む。
「ほんとさ、あまりにもあからさま過ぎて途中から笑いを堪えるのに必死だったよ。しかも霧矢さんって人、もうあと1分もしないうちに始まるってタイミングで夜凪さんの千秋楽を観ないで帰っちゃうとか天邪鬼すぎるでしょ」
微笑みついでに、隙を与えず千世子は天知の一流プロデューサーとは思えないほどに子供騙しなレベルの策を皮肉る。前日に出た突然のキャンセルはともかく、隣に座る小説家の男が話しかけてきた時点で疑念は確信に変わっていた。それから1週間後に主演としての『フレア』への出演オファーが来て、全てが繋がった。
「ま、天知さんとしては私が原作者と会って話したっていう事実を作れなかったら
当然ながら全てがバレる前提で仕組んだことも千世子は察していて、天知もまた千世子が気付く前提で最初から仕組んでいた。
「仮にそれが本当だとして、なぜ千世子さんはわかっていた上で乗ったのですか?」
「面白そうだった。ただそれだけ」
最初からおかしいと思っていながらなぜ策に乗ったのかを問う天知に、千世子は飄々とした口ぶりで揶揄うように答える。
「だって、自分のためなら何でも喰うのが役者って生き物だからさ」
彼女の口から出てくる言葉には、仮面で塗り固められた嘘など全くなかった。身の回りにあるもの全てが喰い物で、自らのためなら悪魔の手も借りる純粋たる役者の横顔は、天使でもなければ悪魔でもなく、そのどちらもを兼ね備えた
「私たち役者が
世間的にはまだそういった印象は浸透していないが、百城千世子もまた夜凪景と同様に根っからの
「ええ。もちろん心得ております・・・」
「もうよろしいですか?中身を空けても?」
「ええ、いつでもどうぞ」
書斎であわや暴力沙汰になるほどのひと悶着が起こってから5分後、千世子と花子は収納棚から取り出した座布団に正座をして紅茶を口にしながら話し合いの続きをしていた。
「・・・すみませんあと30秒ほど時間をください。心の準備がまだちょっと」
「ここまで来て?(さっきまでの威勢は?)」
千世子がプレゼントという
「30秒経ったよ、山野上さん」
「え?もうですか?」
「自分からそう言ったんじゃん。これ以上は待てないから無理なら代わりに」
「大丈夫です、ちゃんと自分で開けますから」
手元に持つ封筒の中身が怖くて開けられない30歳の芸術家の様子を、来月で18歳になる女優が呆れ半分ながらも微笑ましく見守るというあまり見られない状況。正直これでは、果たしてどちらが年上なのかがわからなくなってくる。
「・・・そんなに怖いなら本当に私が開ける?」
たかだがプレゼントとして手渡された封筒の中身を開けるだけだというのに、どうして花子はここまで躊躇うのか。書斎で本気でぶつかったことで中身があの小説であることに花子が気付いたことを察する千世子が、最終確認も兼ねて気遣う。
「今度こそもう大丈夫です。覚悟はできました」
優しく気遣う千世子へ、花子は一呼吸を整えて「覚悟はできた」と真っ直ぐに目を向けて告げる。この封筒の中身が何なのかは、この小説の中にいる主人公のモデルである彼女自身が誰よりも知っている。中身を知ってしまったからこそ蘇る、
「やっぱり、君の描く炎はこの世にあるどの炎よりも禍々しくて、とても綺麗だ・・・」
「・・・いざ開けてみると意外と平気なものですね」
脳裏を横切るトラウマを振り切り封筒を開けて中に入っていた一冊の小説を手に取り、口からこぼれた一言。自らのことをモデルにして書いた小説を手にした花子の表情は、ほんの30秒前とは打って変わりとても落ち着いている。
「思い返せば無理はないです。私が彼の書いた小説の
花子は今まで、霧矢の書いた『フレア』を読んだことはおろか、その現物をこの眼で見たことすらなかった。リビングに流れる、沈黙と気まずさ。
「・・・この
リビングに流れる何とも言えない気まずい空気を断ち切るように、事情を察した千世子は敢えてトラウマをもう一度掘り下げる。花子がこれまで『フレア』を読めなかった理由の全ては、彼女が壇上に描いた炎に込められていた。
「怖かったのではなく、
「絵を燃やすのが辛いなら、最初から燃える絵を描けばいい。そうすれば君の心も少しは救われるはずだって、僕は思う」
生まれて初めて描いた、自分のためではなく誰かの為に描いた絵。幼少の頃に見た
「また明日もここに来てくれますか?」
「もちろんさ。何てったって明日は、僕が君のところを訪ねてちょうど1年になる記念すべき日だからね」
そして出会ってからちょうど1年が経とうとした春先、初めて心を許した彼は彼のために描いた絵と共にどこかへと消えた。小説家だという彼は気まぐれなところがあるから、しばらく時間が経てばまた私の絵を必要として戻って来るだろうと、私は信じていた。信じようとしていた。私の描く炎を見て喜んでくれる彼の笑顔が、嘘じゃないことを知っていたから。
『本日のトピックは若者を中心に一部の読者からカルト的な人気を誇る素性不明の小説家・霧矢コウが4年ぶりに発表した話題の新作、『フレア』についてご紹介_』
それも単なる身勝手な願望でしかなかったことに気付かされたのは、そう遠くない話だった。
「結局、私は彼のことを信じてしまうんです。信じてしまうから、ずっと彼に怒っていたんです・・・冷静になって振り返ってみれば自分勝手に女の心を弄ぶことに何の罪悪感も覚えないクズ同然の男でしたけど、私の炎を見て“綺麗だ”と呟く彼の言葉だけは、紛れもなく
初めて手にする『フレア』の表紙に目を落としながら、花子は霧矢へ感じていた想いを打ち明ける。羅刹女が牛魔王を愛していたように、1人の小説家と至福の日々を送っていた
「そんな幸せを未練たらしく懐かしんでしまう自分がずっと許せなかった・・・どんなに絵を描き続けることで彼のことを拒絶しようとも、結局は愛してしまうから燃える絵を描き続けてしまう自分が惨めで仕方がなかった・・・だから私は憎しみに逃げて、物語の終わりがどうなるかもわからないまま夜凪さんを使って惨めな自分を正当化しようとした・・・いま振り返ると、本当に人としても演出家としても愚かなことをしたと思っています」
それはまさに、彼女の描いた羅刹女が紛れもない
「うん。幕が下りるまで物語が破綻しないように稽古期間も使って役者のみんなを導いていくのが演出家の仕事なのに、一番大事な部分を全部役者任せにしちゃったら何のために演出家がそこにいるのって話になるから、山野上さんのやり方は本当に自分勝手で愚かだったって私も思う」
自らが手掛けた舞台で景へ仕掛けた演出の愚かさを反省する花子を、千世子は言葉を選ぶこともなく素直に非難する。
「黒山さんからも言われましたよ。“終わりまでやれないならうちの役者に手を出すな”と」
「あははっ、“親バカ”な黒山さんらしい」
「親バカって、黒山さんって確か独身なのでは?」
「まごうことなく独身だよ」
サイド乙の羅刹女からの非難を素直に受け止める花子に、千世子は気丈に笑いかける。
「けど、ああ見えて黒山さんは夜凪さんのことを本当に心の底から大切にしている
景を通じてこの人が羅刹女そのものだということを知って、こうやって面と向かって話してそれが自分の中でより顕著になっていく感覚。
「信じていた人に裏切られて、自分にも期待せず関わることを避け続けてきた私には少なくとも黒山さんのように夜凪さんを思いやる余裕なんてありませんでした・・・本物の牛魔王が最後まで登場しなかったのも、夜凪さんのような人の優しさを受け止める勇気がなかったからです」
もし仮に山野上さんが羅刹女で、霧矢さんが牛魔王であるとしたら、私たちと一緒に
「・・・だとしたら、黒山さんは山野上さんにとっての
舞台を通じて人と関わりあったことで自らの本音を思い知った花子へ、千世子は半ば冗談のつもりで告げる。『羅刹女』とは怒りの物語ではなく、自分の気持ちを認められない1人の女が孫悟空に背中を押されて前へと進む、救いの物語。
「あなたが黒山さんに背中を押されて立ち直ったから、私たちは文句なしに夜凪さんたちに勝つことができた・・・その答えが千秋楽の
『私を許せるものなら・・・・・・許してみろ・・・!』
「夜凪さんと山野上さんが創りあげた最後の羅刹女・・・本当に
冗談交じりの核心の後に告げられる、労いを込めた敵からの称賛。畏まった口ぶりで発せられたその言葉と表情には、天使の仮面で覆われた嘘などは何一つない。
「黒山さんのような人が孫悟空だなんてやめてくださいよ・・・」
嘘偽りのない千世子の称賛と笑みに、花子はわかりやすく満更でもない気持ちを照れ隠す。
「ですが、黒山さんが創り上げたあなたたちの羅刹女がいたから私たちが本当の羅刹女に辿り着くことができたことは変えようのない事実で、あなたたちのおかげで夜凪さんも女優を続けることができました・・・本来であれば黒山さんへ言うのが筋なのは百も承知ですが、私たちを救ってくれてありがとうございました」
ただ自らが羅刹女に仕立て上げようとした景と負けず劣らず嘘を吐くのが下手な花子は、すぐに隠しきれくなった本心を曝け出すように、真っ直ぐ見据えてこれまで言えなかった感謝を千世子へと告げる。一歩間違えれば、これからの映画界や演劇界を引っ張っていく類まれな才能を道連れという形で消してしまうところだった自らの傲慢。これまで単なる
「そして、自分の我儘で夜凪さんを傷つけてしまったこと・・・本当にすみませんでした」
こんな許しを請うも同然の言葉をこの子に伝えて、何になるというのか。演出家として、人として許されない過ちを私たちは
「そうやって自分なりに誠意を込めて謝っておけば私が許すとでも思った?」
互いの進退を賭けて戦うライバルでありながら、互いをリスペクトして高め合う友達の過去を自分の勝手で利用して傷つけたことを詫びた花子に、千世子は笑みを繕いながら容赦なく核心を責める。遮るものなど無かったはずの2人の真剣勝負に余計な私情を持ち込んだことを静かに怒るその眼が、穏やかなリビングの空気をじわりと重くする。
「いえ、全く」
笑顔を浮かべたまま怒る千世子と真っ直ぐ向き合い、気丈に自らの意思を返す。当然ながら花子もまた、この程度のことで許されるなど思っていない。
「ただ、私の思っていることを百城さんに伝えたかっただけです。きっと
テーブルを挟んで真正面から向けられる、自らと全く同じ色をした琥珀色の瞳。目の前に座るもう一人の羅刹女がこの部屋を訪ねてきた理由の全てを理解した瞬間、また絵を
「じゃあ私のために描いてくれるんだね?あなたの“
ならばこれが
「・・・はい」
返ってきたリアクションを役作りへの了承と解釈した千世子からの要求に、覚悟を決めた花子は自らを凝視する同じ色の瞳から目を離さず答える。それは自分の身体から抜けてしまった炎を、再びキャンバスへと描くということ。
「でも、一度燃え尽きた炎をもう一度焚くのは並大抵の感情じゃ無理だと思うけど何か策は考えてるの?」
「はい」と真っ直ぐ答えた花子へ、ここに来て千世子は揺さぶりをかける。もちろんこれは、霧矢の書いた小説を手にする彼女の眼を視て炎が再び宿り始めていることを確信した上でのことだ。
「正直、いま私が出来る唯一の方法を試したとしても完全にあのときに描いた炎を再現できる保証はありませんが、策はあります」
揺さぶりに動じず、花子は自信を持って答える。再びあの熱量の炎を描けるかどうかという保証は全くない。それでもたった1つ、内側で小さく揺らめく炎に薪をくべる方法がある。
「この小説を読んで・・・
それは花子にとって最も簡単で、最も自分自身を苦しめる方法だった。
「・・・言っておくけど私はこの小説を読むことはできないから、私がミカを演じ切れるかどうかは山野上さんに託されることになるけれど、それでも大丈夫?」
自分に残されている唯一の策を明かした花子に、千世子は自身が『フレア』を読むことを禁じられていることを打ち明けながら覚悟を問う。
「百城さんが読むことができないというのはどういうことですか?」
主演を演じることになる千世子がこの小説の中身を読むことができないという理由をまだ知らない花子は、当然のごとく聞き返す。
「斑田さんって監督の伝言でさ、霧矢さんから撮影が終わるまでは原作を読んじゃ駄目って言われてるんだよ。だから私はこの小説を読めない」
「それは絶対なんですか?」
「うん。監督がそう言ってる以上、役者は黙って従うことしかできないからね」
霧矢から「クランクアップまで読むな」と斑田から伝手で言われたことを、千世子はサラッと花子へ明かす。
「・・・そうですか」
それを聞いた花子は、複雑な表情を浮かべて千世子へと向けていた視線を再び手元に置いた原作小説へと落とす。
「もう一度言うけど、私がミカっていう主人公を演じ切れるかどうかは、山野上さんにかかってる・・・これからあなたが描く炎で、私の
視線を小説の表紙へと落とした花子に、千世子はもう一度覚悟を問う。今まで牛魔王への想いを殺し合いで断ち切ろうとしていた羅刹女のように怒りの炎と共に遠ざけていた記憶と数年越しに向き合うとき、果たして今までのような炎が再び描けるようになるのか。それは第三者の他人でしかない千世子はもちろんのこと、当事者である花子本人にも分からない。それでも千世子は断ち切れない想いを抱えながら前に進もうとする花子と共に、新しい
「ミカを演じるということは・・・
「羅刹女を演じるということは・・・私を演じることだから」
「・・・自分がしたこと、言ったことはいずれ自分に返って来るとは、まさにこのことですね」
真正面に座る千世子から向けられた言葉に、花子は小説の表紙へ視線を落としたまま呟く。何の因果か、それは初日の本番中に舞台袖で出番を控えていた三蔵法師役の
「なんの話?」
「いえ、この小説とは何の関係もない独り言です」
サイド甲の初日に舞台袖で花子と白石が交わした会話を全く知らない千世子は当たり前に問いかけるが、花子は「独り言」と片付けて視線を目の前の千世子へと戻す。
「百城さんにひとつ伺いたいことがあります」
そして付け入る隙も与えずに、花子はここまでのお返しとばかりに千世子へあることを問う。独り言の正体を探ろうとする相手の意思を断ち切るかのごとく見つめる据わった眼を前に、千世子は無言のまま目配りで応じる。
「百城さんは自分が好きだと思う人のことをどうしても愛してしまう自分が許せない。そういう経験をしたことはありますか?」
「完璧なあなたに勝たなきゃ・・・・・・意味がないんだよ・・・」
「あるよ」
花子からの問いに、千世子は自らを凝視する感情を鏡で写すかのような表情を浮かべ、可憐な見た目からはかけ離れた冷徹なトーンで答える。自分ではない誰かを想っていた景への想いが溢れた自分の姿が、千世子の脳裏でフラッシュバックする。好いた相手に完璧さを求め続ける自分と、完璧さを求めるくせに我儘な子供みたいに好いた相手の才能を羨み妬む自分と、その狭間を行ったり来たりする自分。どんなときでも自分を保てるほどの強い心を持ち合わせていないからわかる、自己嫌悪という醜い感情。
「だから私を演出して。
氷のように冷徹な笑みの内側で、烈火のごとく燃ゆる感情。瓜二つの感情から放たれる、慈悲の
「・・・分かりました」
千世子の想いを受け入れた花子は、睨むような眼つきで頷いて見つめ返す。
ギュッ_
「・・・ありがとう」
そんな花子の感情に宿る小さな炎が大きく揺らめいたのを視た千世子は、胸の奥を掌でギュっと締め付けられるような鈍い痛みをほんの一瞬感じた。
誰かに言ったことがそのまま自分に返って来ること、割とマジであるある説。