「須磨。きみは妬ましかったんだよね」
目の前の少女は、俯いていた。まるで人形のようにピクリとも動かず、僕の話を聞いているのかも定かではなく、ただただ床のタイルを見詰めていた。
「ここは体育館だからね。休み時間はともかく、放課後に訪れるとすれば、女子のバスケとバドミントンだったかな。どっちもあんまり強いところじゃねえけど、割と結束力は強いから楽しそうなんだよな。――それがきみには」
『そういうの』に憧れを抱いていた須磨には、痛いほど見苦しい光景だったであろう。それこそまるで、傷口を抉るような。
「妬ましく――」
「うるさいっ!」
それは、怒声だった。
「う――うるさいんですよ! 先生は! さっきから! 知ったような口ばっかり叩いて! 何なんですか!」
須磨洟子の、燃えるような怒りの声だった。
「そ、それがカウンセリングなんですか……!? そんなので私がすっきりするとでも思ってるんですか!? 先生はただ、私を責めて、傷つけてるだけじゃないですか! あの子たちと同じように、私を指差して笑って、面白がってるだけじゃないですか! そんなんで『先生』だなんて――おかしいですよ!」
「須磨……」
彼女は錯乱していた。怒りのあまり、僕に対しての認識までもがどうしようもなく、不安定になっている。
「妬ましいですよ! ――私と同い年で、あんなに楽しそうに笑ってる子……妬ましいに決まってるじゃないですか! 羨ましがっていいじゃないですか!」
それは彼女の吐露だった。吐露であり、告白だった。
「いいじゃないですか……あの子たちは楽しく生きてるんだから、ちょっとくらい私が傷つけても何とも思わないんですよ? どうせみんな忘れてしまうんですし……、そうですよ。私の同級生だってもう大人ですよね。忘れてますよ、私のこと、なんて……、だって死んだんですから……」
「忘れるかよ」
思わず、言葉を出してしまった。
「犬猫相手の話じゃないんだ。自分と同じ教室に居た人間が姿を消したことを――命を失ったことを、そう簡単に忘れる筈がないだろうが。みんな憶えてるんだよ。お前を虐めていた子はそのことを悔いているだろうさ。お前を救えなかった子はそのことで泣いただろうさ。死ぬってそういうことだ。知ったような口を叩いてんじゃねえよ――人の心も知らないガキが」
「……だから――だから――だから!」
狂気さえ覗かせる瞳で、須磨は僕の睨みつけた。そしてすぐ隣の個室――一番手前になる、トイレ機能が無い個室、即ち掃除用具入れから、彼女の身の丈くらいありそうな長さの、棒状のものを取り出した。
モップは完全にその手に捉えられていた。そうだ。須磨がここに現れて、一体どれほどの時間が経った? 馴染む時間など有り余るほどあったに決まっている。
つまりこの空間の全ては、須磨洟子の支配下にあるのだ。
「先生に! 何が分かるって言うんですか!」
完全に頭に血が上ってしまった須磨が、僕の脳天目がけて真っ直ぐに、長いモップを振り下ろした。
女子の筋力と言えど、侮るなかれ。――ていうか頭はヤバいって。アホになってしまうじゃないか。
能天気に(脳天だけに)そう思いはしたが、予想通り、僕の頭がカチ割れることはなかった。
「――だから、貴様は儂を信頼し過ぎているのじゃ」
桐壷つむじが、『縦真っ二つ』にモップを破壊していた。
「いや、お前なら来るだろうよ。来ないといけない。だって僕が死んだら困るわけだし」
「かか、言うてくれる」
「ていうかお前、さも当たり前のように学校の備品を破壊してんじゃねえよ。あとでちゃんと再生しろよ」
「またせこい技を使わせるのお、『くーりっしゅ』じゃぞ」
何故こいつに非があるのに、僕がアイスを要求されなければならないのだろう。ていうか何気にブームが変わっていた。
「な、何なんですかその子供は……!?」
つむじの出現に、困惑した様子で須磨は声を上げる。そういえばこいつにつむじが神だということを説明していなかった気がする。それでは突然現れた幼女に驚くのも道理だ。
「ん? 『なんなんだおまえはとつぜんでてきて。いったいなにさまだ』じゃと?」
「誰も言ってない」
「神様じゃ!」
これが言いたかっただけか。またおかしなものに嵌りやがったものだ。
ていうかそれ、決め台詞か?
「須磨」
主導権は握った。つむじの背後に守られながらという情けない立ち位置だが、僕は混乱する少女に声をかけた。
「きみの言う通り、僕にはきみの気持ちが分からない。僕も昔いじめられたとか、苦しい思いをしたことがあるとか、今更そんな嘘を吐くつもりはないよ」
僕はいじめられたことなんかない。少ない友人とじゃれ合うだけで、それ以外はずっと独りだった。――ずっと独り。そういう点では、なるほど、虐めだったのかもしれない。そうすると僕と須磨にも、通じるところがあるのかもしれない。
だからと言って、僕はそれを自覚して、その上で苦しんだことはなかった。
快適とさえ、感じていた。
ただただ、独りであることに感謝をしていた。
「だけど何が悪いか、それくらいは判別の付く大人として分かっている」
須磨は徐に手を伸ばし、掃除用具入れから二本目のモップを取り出した。
「――あ、あなたは……、あなたはそうやって! 私が悪いって、責めるんでしょう!」
被害妄想――いや、この状況では仕方がないだろう。主導権はこちらにあり、数える単位としては『人』でいいかわからないが、こちらは二人。つまり二対一だ。不利な状況ほど、何もかも信じれなくなってしまう。幽霊と言えど人の心を持つ者として、当たり前の考えだ。
モップが振り下ろされる。
それと同時に、僕はつむじを押し退ける。
「戯けが」
そんな小さな罵倒と同時に、木製の長い棒は、肩に思い切り叩きつけられた。
「いいや――きみは悪くない。いじめられる側に、責任なんかあってたまるか」
激痛に構わず、僕は須磨を抱き寄せたのだった。
「きみは、悪くないんだよ」
はっきりと、そう言った。
あとはエピローグを二本ほど投稿すれば、終わりです。