夢物語   作:危橋たけ

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この辺から方向が捻じ曲がったことにお気づきになるでしょうか。


再会編・その三

「――さあて、どうしてこうなった?」

 時折、過去を振り返る。

 今がよっぽど悪い時、過去を振り返る。もちろん楽しかった時代に耽るわけではなく、現状を打破するために時を遡って状況を整理するためだ。

 隣町。

 夕方。

 武装した男に追いかけられる破目になった状況を少しずつ思い出してみよう。

 六月の十五日。午前中は授業後、『初音Ⅴоicing』の記者、東屋法被から取材を受ける。午後は授業。放課後は若紫(わかむらさき)を筆頭に女子生徒数名とバドミントンで遊んで(完敗)帰宅。帰宅途中にアーケードに立ち寄り買い物。ついてないことに弦弧ちゃんを遭遇。スタバでお茶をする。別れて帰路に着く。

 そう、人気のない道まで来たところで。

「夢浮橋芥だな」

 フードを深く被った大柄な男が前方から迫ってきた。

 右腕には巨大な刃物。丸太のような腕全体を覆うような手甲状の刃が携えられていた。

 よもや日本でそんなぶっ飛んだ獲物を拝見できるとは。

 感心も束の間、そのごっつい武器が向けられたのは、他でもない僕であった。

「命を貰う」

 さしあたって、僕は逃げた。

 逃げた。逃げた。逃げるのは得意だ。逃げ足が速い。逃げてばかりの人生だ。

 昔とった杵柄というやつで、僕は他より幾分か体力のある人間である。全速力の疾走。その速さと持続時間はかなりのものだ。

 どれだけ走ったか。バス一駅分くらいか? 止めていた呼吸を解放。息を切らす。ここも人気はない。果たして時間帯で説明がつくだろうか。こんなに走って人っ子一人通行人がいないというのは。

背後を振り返る。

 二十メートルほど後を、男は歩いていた。

「――くそっ!」

 リスタート。僕は再び息を止める。息を止めた方が速い。少なくとも僕はそうだ。呼吸を放棄しつつ、走りながら振り返った。

 二十メートルほど後を、男は歩いていた。

 のしのしと。悠然と。悠々と。走っている僕とまったく同じ速度で、男は歩いていた。

 ああ、畜生。

 やっぱりそっち側かよ。

 どんだけ技術革命すれば気が済むんだ、あの狂人共。

「――なあ、それどういう機能なんだ?」

 諦めて僕は立ち止まる。疲労と焦燥で額に浮かんだ汗を拭い、男に声を掛けた。

「……『二の足』という。対象と同一の速度で歩行できる靴だ」

「二年前には無かったな。新型か?」

「六年前のサードモデルだ。一部部隊にしか回っていない」

 フードの隙間から、微かに男の瞳が見えた。酷い眼だ。血で汚れて、死で覆われて、生気も無ければ感情も無い。執念も憎悪も戦闘欲さえ、およそ僕を殺そうとするに必要な心は何一つとさえ感じられなかった。

 僕もこんなんだったのかもなあ。

 そう考えると、目の前の男が酷く哀れに思えてきた。過去の自分を投影してしまう。

 こうも情が移ると。

 殺したくなってくる。

「……いやまあ、それは無えか」

 ゆっくりと、男が近付いてくる。

 右腕を僕に向けて。言葉通りに、命を貰いに。

「――本当はこういう時、僕が相手してやんなきゃいけないんだろうけど」

 何せ引退した身。否、隠居。違うな、普通に逃亡でいいんだ。

 一度入れば死ぬまで抜け切れない鬼共の巣。僕はそこから逃げ果(おお)せた、唯一にして無二の離反者なのだから。

「運動するのはもう辞めたんだ。『あそこ』で学んだ技術体術鬼術を永劫に封印することが、僕に義務付けられた退職金でね。まあ、代わりと言っちゃあ何だけど――」

 男の真上、茜色の空に亀裂が入っていた。彼女は、待っている。

「――つむじ!」

 僕が呼ぶと、亀裂から幼女が飛び出した。恐ろしいくらいに真っ黒で、悍(おぞ)ましいくらいに長い髪。空を舞うその姿からは、可愛らしさより美しさが先行して見えた。

「儂の必殺――《キリツボファイヤー》……じゃ」

 呟いて幼女は『筆』を振るう。深く、青い炎が蛇のように舞い、フードの男を飲み込んだ。

 正式名称・《神具・炎筆(えんぴつ)》。まだ五メートルくらい距離のあるこちらにまで伝わる高熱に襲われ、耳を劈くような悲鳴と共に、男は絶命した。

 すぐに真っ黒に炭化した。

 やがて真っ白に灰化した。

 僕は巨大な男のちっぽけな焼死体に近寄って、彼を俯瞰して、呟く。

「おやすみ」

 

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 桐壷(きりつぼ)つむじ。

 神様。

 この世界を成立させている数多もの神の一つ。

 厳密には元・神。

 堕落して脱線した神。

 理の境界線。

 姿は神々しく存在は醜い。

 幼女の死体を借りたが故に幼女の姿をしている。世界に存在すること自体が不安定になってしまったため、何か生物の死体に入ることが必要となったのだ。それ以外に関して、彼女は十二分に神様としての力を保持している。

 もちろん他の神様より劣る点はいくらかある。たとえば神様という存在は、基本的には視認することが出来ない。彼らが見せようとしなければ見ることは出来ない。ただし明らかに視認できる幼女の死体に入ったことで、その能力は既に失われている。とは言っても法則が逆になったと考えればそう大した欠点ではない。桐壷つむじもそうしようとすれば、姿を消すなんて朝飯前なのだ。

 あとは生命源。神様に生きているも死んでいるも無いのだけれども、それでも存在し続けるのにはそれなりの対価が必要となる。

 信仰。

 正直なところ僕も詳細はよく分からないものの、彼らは何かから信じてもらわないと消えてしまうそうだ。だから神社とか寺とか教会とか、信仰を集めれる場所で信仰を集めているというわけだ。

 というか、奉られている。プライドとかはそんなに無いようだ。否、有るから現状を許容しているのかも。

 ただし桐壷つむじに限っては、信仰を集める社も信奉する人間も居ない。信仰を構成する輪廻を放棄し、存在を紡ぐシステムから追いやられた彼女は堕落した神。

 僕、夢浮橋芥に憑依することでようやくその存在を保っている。

 滑稽な話じゃないか?

 一説には神史上最強と謳われた『桐壷』だが、ことごとく弱体化した上にその存在の鍵を握っているのは一人のちっぽけな人間である。

 僕が死ねば、つむじは消える。

「まあ、貴様は到底死ななさそうじゃがの」

 ミルクックを頬張りながら、幼女は呑気に呟く。神様に味覚があるのかどうかは知らないが、少なくともうちの神様、桐壷つむじはバニラ系のアイスがお好きだ。

「お前がいなきゃ死んでたよ」

「貴様自身が戦えば死ななかった」

「僕は戦わない」

「だから貴様は屑なのだ」

 屑、ですか。

 随分な言い草だ。

「まあだから儂がいるのだ。屑な貴様に出来ないことを、何でも出来る儂がやってやる。よかったな、儂と一緒にいて。かか」

「はいはい」

「儂がいないと貴様は何も出来ないのじゃから」

「重い女みたいになってんぞ」

 こいつをそういう対象として見てしまったら僕はおしまいである。そりゃ中身は神様だ。しかし見た目は幼女だ。

 犯罪だ。

 日本の警察は優秀だからすぐに摘発されることだろう。

「貴様が死ねば儂は死ぬ。じゃが儂が死ねば、おやおや貴様はどうなってしまうのであろうなあ。儂がいないとなああんにも出来ない貴様は、はてさて今よりどれほど堕落してしまうのだろうなあ。かか、かかか、かーっかっか!」

 神様が調子に乗っておられる。ミルクックを頬張りながら増長しておられる。どこからどう見ても、堕落しているのはお前だ。

「お前が偉いのはよーく分かったけどな。でも終日がら一緒にいるわけじゃないだろう? 朝晩、僕が家にいる時はよくいるけど、日中はもっぱらどっかふらふらしてるじゃないか」

「ん……まあ、確かにそうじゃの。じゃがほら、貴様だってその限られた儂との時間が無くなりでもしたらそりゃもう発狂ものではなかろうか?」

「そうでもない」

「貴様……返答が速過ぎるぞ」

 怒られた。だって、そうでもないのに。

「悪かったよ、確かにちょっと考えなかった。お前とのコミュニケーションは僕の日常だ」

「『こみゅにけーしょん』とはどういう意味だ?」

「不良漫画でいう殴り合いのことだ」

「なるほどさっぱりわからん」

 口喧嘩で負けては敵わないので、語彙レベルを上げないようにする。

「少なくとも暇は潰せるってことだ」

「かか、神を暇潰しに使うと言うか。相変わらず勇猛果敢というか命知らずというか、ふむ。とかく頼もしい人間よ」

 彼ら神にとっての人間の認識は低い。下等に見ているとか、見下しているとか、そういう問題じゃないのだ。それよりもっと遥かに下。認識できるかできないか、そういうレベルにまで扱われているのである。もちろんそれは平均の問題で、あるいは信奉の対象となっている神の中には人間とコミュニケーション(殴り合いではない)さえ取る者もいる。だが押し並べてみると、彼らから見た僕らなどその辺の石ころと何ら大差が無いのである。

 パンダの方がまだ目立つとか、目立たないとか。

 桐壷つむじも例外に非ず。彼女がしっかりと認識できる人間は僕とあと握りの特例だけ。知り合いくらいは記憶しようと努力はしているものの、時間は残酷なもので、大体一日経てば忘れてしまっている。

「変な位置に立っちまったもんだぜ……」

「ん? 何じゃ?」

「いや、人は区別されることを恐れるものだなあと」

 なんて、大衆論を語る振りをする。どんなに虚勢を張っても、僕は一人だった。

「話を戻すが、確かに僕はさながらお前と暮らしているかのように仲良くしているよ。そりゃそうだ。一蓮托生。それが僕ら」

「うむ。相思相愛」

「それはない」

 だから、捕まるんだって。

「この際だからはっきり言わせてもらうぞ、つむじ。お前さあ、来るなら来るで時間帯とか考えてくれないか。僕が帰って、その時既にお前が居る分には構わない。家の中を荒らされることはほぼ無いしな。でも食事時に来るのが問題だ」

 僕が帰って、夕食を作る。もしくは朝起きて、朝食を作る。いずれにせよ一人分だ。一人暮らしゆえに、一人分だ。

「既に食事が出来た時に来て、そして自分の分を要求するのだけは勘弁願いたい。いいか、つむじ。食事を作る『前』に来てくれればお前の分を作るのはそう面倒じゃないんだ。吝かじゃないんだ。再び同じ工程を繰り返すってのが酷く面倒なんだよ」

「む、むう……よもや儂の訪問が貴様にそこまで『すとれす』と与えていたとは……」

「分かってくれ、つむじ。まさかアポイントメントを取れとは言わない。だが僕の動向をチェックするのなんかお前に取っちゃ朝飯前だろう? 来るのも朝飯前にしてくれよ」

「上手いの!」

「うるせえ」

「でも『あぽいんとめんと』とは何じゃ?」

「アップルパイのマブダチみたいなもんだ」

 語彙力を上げない、上げない。

「まあともかく貴様が儂と一緒に飯を食べたいということは分かった」

「……つむじさん?」

「そうかそうか、いやはや困ったのう。そこまで甘えられては儂も甘えないわけにはいくまい。心得た。これより儂は朝餉と夕餉を貴様と共にすることを約束しよう」

「ちょ、つむ……」

 僕が制止するのも聞かずに、ミルクックを食べ終えたつむじは味の無いアイス棒を咥えて、暗くなり始めた空に飛び立った。

「今夜は散歩してから貴様の家に行くとしよう。では、張り切って飯を作っておるのだぞ!」

 見えない床でもあるかのように桐壷つむじは空中で跳ね、驚くべきスピードで夕闇に消えて行った。

「……何か、してやられたって感じ」

 まあ、いいさ。

 もう慣れた。

 とりあえず今夜は、奮発して美味しいものでも作るとしよう。

 




人が一人死んだというのに、このノリ。
これが夢浮橋先生のスタイルなのね。
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