つむじと別れてわずか三十秒後、僕は久し振りに『嫌な気配』を感じた。
この心臓を撫でられるようで内臓を踏みつけられたかのようで、脳味噌をいやらしく舐められたかのような、それはもう『嫌な』感覚。第六感というやつで、ある程度近くで発生するものならば、それを察知することが出来るのだ。
幽霊。
昔死んだ人。
――が、疑似的に蘇ったもの。
認識されることなく死んだ身でありながらこの世に在り続ける、哀れとしか言い様のない思念体。
それが、生まれた感覚だ。
「あー、畜生。面倒臭え」
ぼやいて僕は、新たに生まれた幽霊を探し始める。そうしなければいけない義務があるわけではない。ただこの面倒を怠ることで更なる面倒がやってくる可能性がある。少し接触しておくくらい、仕方のないことだ。
ふと。ざわついた。
ここは、隣町。あの男から追撃されている間に来てしまった、隣町だ。僕が高校時代を過ごした、最も勝手知ったる場所で、最も来たくなかった場所。道に迷うよりはマシだと思ってここまで来たのだが、それがどうやら今になって仇となってしまったようだ。
嫌な予感がする。
否、その予感だけは当たってはならない。
だって、彼女は死んだのだから。
死んで時間が経ちすぎている。幽霊となって覚醒する可能性がある期間は、僕が把握している内では死亡から一年間の間。彼女の場合はそれの十倍だ。
今になって。
また僕の目の前に現れるなんてこと、あっちゃならないんだ。
それでも僕の足は自然にあの忌々しい場所へと向かっていた。彼女が死んだ、あの場所に。雪に赤を咲かせた、最悪の道路。
何故かって?
何故だろう。
「……違う」
口に出す。口に出さないと何かが壊れてしまいそうだ。
「違う。違う。違う。違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違うが違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う! そんなわけが無いし、そんなことがあっていいわけがない! 勘違いだ誤解だ言いがかりだ! 既にあいつとこの世界の繋がりは途絶えている! あいつがこの世界に降り立つ確率は腐れている! だから違うんだ、だから間違っているんだ! 僕の予想は! 馬鹿め!」
僕の脳内に、二人の少女が過った。
一人は須磨洟子(すまはなこ)。玄舟学院に現れた幽霊である。女子トイレの地縛霊であったが四月の一件の後、晴れて玄舟学院全域を歩き回ることが可能となった。細かい世話は生徒でありながら神霊の関係者である三年一組行幸亥来(みゆきいくる)に一任している。一日に一度はカウンセラー室を訪れ、学校内の状況を僕に教えてくれる便利な幽霊だ。
問題は、彼女が死んだのが十二年前だと言うこと。
四月にはほとんど気にしなかったが、神霊学の研究者である僕の奥さん胡蝶翅(こちょうつばさ)博士は現在その時間差について解明を進めているらしい。
前例があるじゃないか。
十二年も前だぜ? 小学生が大学生になるほどの帰還だ。よくよく考えてみればこれは――異常だ。
そして僕の脳を支配する二人目、脳だけではなく心さえも支配する、あの儚いまでに世界を愛した少女。
――帚木鵆。
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駅から道を外れた、人気のない路地裏。辺りはすっかり暗くなっていた。あの時と違う所と言えば、季節が真逆だということと、彼女が『立っていた』ということだろう。
華奢な体。
紺色のブレザー。
真っ白なマフラー。
そして幽霊たち特有の、ぞっとするほど白い肌に血を彷彿させる真っ赤な瞳の色。
「あ――」
少女は口を開いた。僕の姿を改めて、明らかに動転していた。
「――あっくん……」
確立というものは、いつだって平等である。
確立というものは、いつだって残酷である。
しかし、それにしても。
確率だとしても、平等だとしても、残酷だとしても。
どうして彼女でなくてはならなかったのであろう。
「……ちーちゃん」
僕は彼女を呼んだ。
恋人になって呼び始めた彼女の呼称を、本当に久し振りに口にした。
十年の時を経て幽霊になった、帚木鵆を。
相愛編に続く。