夢物語   作:危橋たけ

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浮気回。


相愛編・その二

 

「お化けが見えるんですよ。あと神様とか」

 今日の昼頃、雑誌の取材に来た東屋法被は僕の言葉を信じなかった。だから僕は、それを冗談だと偽った。

 この世を彷徨う死した人間の魂を僕らは便宜上『幽霊』と呼び、この世を構成する真理を持て余した理の存在を僕らは便宜上『神』と呼ぶ。ごく限られた共通点は、生物にはおよそ不可視だということ。幽霊側に関してはよほどの『気持ち』が無ければこの世に痕跡を残すことすら難しい。

 僕は物心がつく頃には、その事項を否定していた。

 神霊の視覚化。神様が授けた、と言えば皮肉だろうか。とにかくそれが僕が押し付けられた異常である。よく言って特殊能力。悪く言えば病気だ。

 もちろんそれで苦労することはあっても、大して気にすることはほとんど無かった。少なくとも小学校に二年通った頃には既に折り合いをつけており、十五年生きた頃には完全に受け入れていた。

 幽霊が視える。だから何だ。

 神様が視える。それがどうした。

 視ることも触れることも話すことも出来て、つまりそれがどう役に立つのだろう。それを思索するほど、僕は暇じゃあなかった。

 興味が無い。

 どうでもいい。

 目に付くだけ。

 そう思っていた。

 帚木鵆が死ぬまでは。

 神に殺され、死ぬまでは。

「ま、入って。何にも無いところだけど」

 時刻は二十時。六月になり日没は遅くなったものの、さすがにこの時間帯には外は真っ暗だ。

「お、お邪魔します……」

 開けたドアから入って来たのは帚木鵆。幽霊だ。

僕はこの家に住んで三年になる。お客さんなんて数えるくらいしか訪れていないが、まさか幽霊を招き入れるとは思わなかった。

 しかも昔の彼女。

「うわ……広いですね。綺麗だし」

「僕の家じゃないよ。金持ちの家に居候させてもらってるだけさ。その金持ちは仕事で外国に飛んでるんで、とりあえず僕が家主として預かってるだけ」

 元はとある診療所であり、そこを金持ちこと胡蝶翅博士が購入し綺麗に改築。自宅と同時に研究所としても使用している。彼女がドイツに旅立った今でもいくつかの研究用具は残されており、とある部屋には大量のコンピュータと膨大な研究資料とちょこっとのヤバいものが隠されてある。

 ……ん?

 嫁の家に昔の彼女を連れ込むのは旦那としてどうなんだろう。

「そうなんですか。じゃあその人にもお邪魔しますですね」

 あどけない笑顔を浮かべるちーちゃん。

 ……まあいっか。

 リビングに案内しても、彼女は居心地が悪そうに、不思議そうに家の中をきょろきょろ見回していた。この家には最初に言った通り本当に何も無いので、そんなに首を動かしても面白くないのに。

「ちーちゃん」

「あ、はい」

「そこのソファ、座っていいよ」

「は……い、失礼します」

 まるで面接のように畏まってようやくちーちゃんは腰を下ろした。しっかりとその身が、ソファに埋まる。

「……ちーちゃん」

「は、はい!」

「これ、持ってみて」

 僕はシャツの胸元からボールペンを取り出して彼女に差し出した。ボディに『玄舟学院』とプリントされた、オープンキャンパスでもらえるブランド品(嫌味)だ。

「はい! 失礼します!」

 ……何か。

 ちょっと面白くなってきた。

「あ、あれ……?」

 しかし彼女の指はボールペンに触れることなく、『玄舟学院』の文字をするりとすり抜けた。

「僕は専門家じゃないからよく分かんないけど、つまりきみ達が物質に触れるにはある程度の慣れが必要なんだって。それまではまあお化けっぽくすり抜けるだけ」

「そうなんですか……。あれ? でもソファには座れてますよね? 壁とか床とか、そういうのはどうなるんですか?」

「認識の違いなんだってさ。『触れる』『持つ』。そういう認識があるからすり抜けるわけで、『座る』とか『立つ』とかはまた別。干渉し過ぎないようにするためとか――さっきも言ったけど僕もよくは分からないしね。そういうものとしか言えないよ」

「不思議ですね!」

 ちーちゃんは目を輝かせた。こういう奴だ、帚木鵆は。単純明快にして天真爛漫。諦めが良くて助かる。

「じゃあ、漫画とかでよくある壁をすうっとすり抜けるとかはできないんですか?」

「出来ないね。生きている時、壁はすり抜けることが出来るものじゃなかっただろう? きみがそう認識している以上、無理だよ」

 へえ、と感嘆してちーちゃんは壁を撫でた。気の小さいくせに変なところで好奇心は旺盛なのだ。高校時代、僕たちはそれに振り回された。

「――あ、そういえばあっくんってごはん食べたんですか?」

「んー、そういえばまだ」

「もう八時ですし、どうぞ食べてください。私はお腹空いてないので……ていうか、空かないんですよね?」

「空かないね。――そうだね、じゃあお言葉に甘えて」

 目を離してしまうのが阻まれるが、とりあえず僕は荷物を片付けてキッチンに向かった。

「……何つうか」

 溜息を吐く。

 ようやく溜息を吐く。

 幽霊になって、昔の恋人にあって、本当はもっと混乱したり質問したりしてもいいはずなのに、何を冷静に食事なんか勧めているんだ。

「変わってないな」

 言ってから、それが愚かな言葉であると気がついた。

 変われるわけがないじゃないか。

 その理由は幽霊ということだが、たとえそうじゃなくても、あの少女の人格が、変化したり影響を受けたりするわけがないのだ。

 それだけ帚木鵆の精神力は、誰よりも強靭なのだから。

 

 ----------

 

「食べながらで悪いんだけどさ」

 僕は炒飯を食べながら、テーブルの向い側に座る少女に声をかけた。炒飯は簡単に作れるのでよく作る。得意料理と呼ぶにはまだまだだろうが、とりあえず好きな料理ではある。翅さんと結婚していなかったら炒飯と結婚していただろう。

「状況はどの程度まで理解できてる?」

「ええと……つまり私は、死んじゃったんですよね?」

 少し迷って、僕は肯定した。「ですよね」とちーちゃんはやはり悲しそうに俯く。

「それで、お化けになった」

「まあ、そんなところだな。割とついさっきだろ。僕と会う、ちょっとだけ前」

「はい。――びっくりしました。突然路地裏にいて、上手く言えないけど何かがおかしい感じがして、ボーっとしてたらあっくんが来てくれましたから」

 そこでようやく、彼女は嬉しそうにはにかんだ。

「自分がお化けになっちゃったってのは分かります。そういう感じがしますもん。――でも意外と視えるものなんですね。私、お化けって普通の人には視えないものだと思ってました」

「視えないよ」

 苦笑して僕は炒飯を口に運ぶ。

「僕だけ」

「……え?」

「霊感とはちょっと違うんだけど、昔から僕、他の人には視えないものが視えるんだ」

「………………」

「黙っててごめんね」

 きょとん、と効果音が聞こえてきそうなほど呆気にとられた表情だ。沈黙の後、ちーちゃんは呆けたように「そうだったんですか」と呟いた。

「そういえばあっくん、たまに変な方向見てましたもんね」

「まあね」

 まだ名字で呼び合っていた頃、僕は彼女に「夢浮橋くんって、たまに変なところ見ますよね」と指摘されたことがある。変な奴だと思われたんじゃないかと当時はかなり自責の念に駆られたものだ。

「……ところで、つかぬ事をお聞きしますが」

 不意に改まったようにちーちゃんは僕を見詰めた。

「あっくんは今、何をしているんですか?」

「何……とは?」

「えっと、職業? 私が死んでから何年か経ってるのは察せるんですけど、具体的にどれくらいなのかな、って。だってあっくん、あの頃とあんまり変わってないですもん」

 変わってない、か。

 変われない、か。

「高校の先生だよ。教師。心理学教師及びスクールカウンセラー。勤務先はあのマンモス進学校こと玄舟学院」

「……先生になったんですか?」

「ああ。ちなみに君が死んで十年経つ。まだまだ若く見えるってんなら嬉しい限りだが、僕は二十八歳だよ」

 ちーちゃんが固まった。人はマックスまで驚愕するとこんな状態になるらしい.

ロールプレイングゲームで言う石化状態だ。

「心中お察しする」

「ど、どうも……。いやあ……」

 彼女が困惑しているということは明らかだった。ちーちゃんは混乱すると唇が震える。死んだところで癖というものは無くならないらしい。

「お皿、洗ってくるから。あとシャワーも浴びさせてくれ。それでから、ゆっくり話そう」

 僕はとりあえず、彼女が混乱から抜け出す時間を与えた。日常生活的にやるべきことを終えた僕はもう一度ちーちゃんと話し合い、大体のことを説明した。

 十二時を回ることにちーちゃんは僕に睡眠を薦めた。本当に人のことをよく考えてくれる奴だ。幽霊に睡眠は必要ないのだが、眠ること自体は出来る。彼女にベッド付きの空き部屋を提供し、とりあえず今夜は別れ、寝室に入った。

「眠れるわけねえよなあ……」

 ベッドに入って僕は嘆息する。どうしてこうなったのだろう。どうして彼女でなくてはならなかったのだろう。どうして今じゃなくてはならなかったのだろう。

「――そういえば、つむじ来なかったな」

 きっとあいつは、ちーちゃんが僕と一緒にいることを察知して戻ってこなかったのだろう。然もありなん。どんな朴念仁だろうと戻って来れるわけがない。

 

 

 

 だって帚木鵆を殺したのは、他でもない『桐壷』なのだから。

 

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