夢物語   作:危橋たけ

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久し振りに学校編。


相愛編・その三

 

 おはようございます、と通りすがる生徒が頭を下げる。

 おはようございます、と僕も同じように返す。

 おはようございます、とちーちゃんも同じように生徒に頭を下げる。

 誰一人として返さない。返せない。それでもちーちゃんは、嬉しそうだった。

「本当に先生でしたね!」

 カウンセラー室に到着すると、興奮気味にちーちゃんは飛び跳ねた。室内を改めるわけでもなく、まずそこだった。

「そりゃ先生さ。先生になるべくして先生になった、そこそこ立派な方の先生さ。まさかちーちゃん、疑ってた?」

「そうじゃないですけど……でもこう、何というか、本当に先生なんだなーって……」

 そこまで言って、ちーちゃんは突然涙ぐんだ。

「う、ううう……良かったあ……。あっくんがちゃんと先生になってて……ううううう……!」

「いやいや、泣かれても……」

 ちーちゃんの夢は教師だった。

 子供たちを良い人間に育て、良い人間で一杯の平和な社会を作るのだと子供みたいな夢を子供のように語っていた。僕らはそれを本当に出来るとは微塵にも思っていなかったが、少なくとも途中まではその夢を継ぐことにしたのだ。

 僕も、弦弧ちゃんも。

「夢浮橋せんせえーっ!」

 と。

 若干しんみりした雰囲気になりかけたところで、さっき開けた窓から馬鹿みたいな声が耳に着いた。

「昨日のバドミントンで女子高生三人に大敗を喫した夢浮橋せんせえーっ!」

 窓の外を見ると、満面の笑みで二年三組出席番号四十番、カウンセラー室の悪い意味での常連、若紫志吹(しぶき)がこちらにぶんぶんと手を振っていた。

 失念していた。

 ちーちゃんの件で、日常生活においての当たり前のことが抜けてしまっていた。

 あの馬鹿女子高生はカウンセラー室の窓が開いていた場合とその時の機嫌が良かった場合、とりあえず僕を呼ぶのだ。もちろん意味など無い。僕はどうやら彼女に舐められているようなので、意味も無く声をかけられることがちょくちょくあるのだ。

「…………」

 よし、物を投げよう。

 固くて窓から投げられてもいくらでも言い訳が聞くような、突起が付いたものを、力いっぱい投擲しよう。

「あっくんあの子……」

 武器を探そうとしたところ、ちーちゃんが目を潤ませて窓の外を食い入るように見つめていた。視線の先には、若紫。当の若紫本人は幽霊からガン見されているなんて夢にも思っていないだろう。

「すっごい手を振ってますよ……! あっくんにですよね? あっくんに向かってすっごい手を振ってますよ! すごい……あっくんってすっごく生徒に慕われてるんですね!」

「あ、うん……四回も『凄い』系使わなくても」

 またもや、失念だ。ちーちゃんのことで若紫を忘れ、若紫のことでちーちゃんを忘れる。何だ、この僕にとってかなり歓迎出来ない混沌たるスパイラルは。

「ほ、ほらあっくん! 振り返してあげないと!」

「え、マジで?」

 ちくしょう、このピュアな瞳が眩し過ぎる。何て嬉しそうな眼をしているんだ。まさか百円玉でも拾ったわけでもないだろうに。

「――ええい、ままよ!」

 普段なら絶対に使わない台詞を口にして、僕は窓の外に手を振った。出来るだけ笑みを作って、若紫に手を振った。

「ええええええええええ!?」

 校庭に響き渡る若紫の驚愕の叫び。挙動不審にどぎまぎした後、やがて顔面蒼白に絶句して、「すいませんでしたっ!」と叫んでダッシュで校舎の方に逃げて行った。

「………………」

「……残念な子なんだよ」

「そうなんですか」

 思えば今朝方、僕がちーちゃんに掛けた言葉は少し甘かったのかもしれない。

 ――よかったら学校、来る?

 まさかずっと家に置いておくのも何だし、幽霊とはいえ外をうろちょろしていたら『何か』が起こる可能性さえある。目に付くところで管理した方がいいと考えたのだが。

「これはけっこう……きつい」

 

 ----------

 

 ちーちゃんは僕の授業の全てを見学した。一時限目と三時限目、一年生と三年生の授業風景を教室の隅で静かに眺めていた。

 生徒は誰一人として彼女の存在に気付かなかった。人間は地形ではなくモノで認識されるため、触れることは出来ない。誰もが帚木鵆に接触することは出来ないし、知ることすら叶わない。

 でも僕は。

 僕だけは、彼女に触れれるし彼女を知っている。少なくともちーちゃんは、僕の受け持つ生徒の中で誰よりも真剣に授業を受けていた。

 昼休み。カウンセラー室のドアがノックされた。

「若紫かな」

「わかむらさき?」

「ほら、今朝の変わった子だよ。あの子はよく来るんだ」

「へえ。ちゃんとノックして偉いですね」

「………………」

 違う。

 若紫は、ノックをしない。そんな良い子じゃない。絶対に。

「……どうぞ」

 少し身構えて、そう応えた。ドアが開かれる。二つの影。

 二つの影というのは語弊がある。幽霊の特徴のもう一つとして、影が出来ないからだ。一人は須磨洟子。十二年前玄舟学院で死した学院内を回遊する頭の弱い女子生徒である。

 そしてもう一人は目つきの悪い男子生徒。高い身長に整った顔立ちから女子からの人気は高いのだが、その粗野な態度から注目はされど寄り付かれることは無い。

「――よう、先生」

 三年一組出席番号三十六番、行幸亥来は気怠そうに挨拶をした。

「きみが来るなんて珍しいね、行幸。須磨はよく会うけど。何か相談事? まあ座れよ」

「相変わらずうぜえ対応しやがるな、あんたは。俺はあんたのそういう所が嫌いなんだよ」

 その攻撃的な視線に、ちーちゃんは身構える。どうせその視線が自分に向けられた途端、震えるだろうけど。

「駄目だよう、いっくん。そうやって誰彼かまわず睨むから友達が出来ないんだよ」

「うるせえぞ、洟子」

 行幸はぺしん、と須磨の頭を叩く。幽霊の、頭を叩く。

「え――ちょ、あっくん。この人」

「ん、紹介するね。ちーちゃん。こちら須磨洟子。昨日話した、学校に居候してる幽霊。それでこちら行幸亥来。今はこの学校の生徒として暮らしている、神様だよ」

 

 ----------

 

 カウンセラー室にはテーブルを挟んで二人掛けソファが二つある。つまりソファに掛けれる人数は合計で四人で、今日は珍しくその四つの席が全て埋まっていた。

 僕の隣にちーちゃん。向かいに行幸。斜め向かいに須磨。

「チーム戦って感じだね!」無邪気にそう言う須磨を、行幸が叩いた。

「単刀直入にゆうぜ、夢浮橋先生。『それ』は何だ?」

 ちーちゃんは行幸に顎で示され、肩を震わせた。善良な彼女に凶悪なヤンキーは相対する存在なのだ。ていうか行幸はヤンキーではなく、外見と柄の悪さ以外に関しては普通に優等生だ。

「さっき紹介しただろう? 帚木鵆。昔の友達だよ」

「何で学校にいる?」

「別に。何となく見ときたかったから連れて来ただけだよ。あー、ほら。ここには須磨もいるしな」

「え、じゃあお友達とかになっていいんですか!?」

「騙されるな、馬鹿」

 驚異的な喰い付きを見せる須磨をぺしんと行幸が叩いた。脳細胞を殺してこれ以上須磨を馬鹿にしてどうするつもりなのだろう。

「怒られちゃったね!」

 ちーちゃんに笑顔を向ける須磨。

「みたいですねー」

 微笑み返すちーちゃん。天然と天然は相性がいいらしい。というかちーちゃんは元より、誰とでも仲良く出来るスキルを所持している。

「……俺には、あんたの考えてることが分かんねえ。思考を読む能力が無えからな」

「読んだって同じさ。きみの半分が人である以上、僕の考えなんか読めば読むほど分からなくなるだけだよ」

 行幸亥来は、神と人間のハーフである。故に能力に半減や欠損が見られるのだが、それでもどちらかといえば神寄りだ。実家の行幸神社の経営も、滞りなくこなしているようだし。

「まあそれでも、俺はあんたに授業を通して心理学を教え込まれた身だからな。そこの女の子があんたにとって特別な『何か』であることくらいは察せるぜ」

「受験科目じゃない教科を勉強してんじゃねえよ。知ってるぞ? きみ、理科が苦手なんだってな」

「話を逸らすな、この詐欺師」

「え、いっくん理科が苦手なの?」

「黙れ洟子」

 ぺしん。

「リカなんて女の子の名前だ」

「それもどうかと思うが……」

「とにかくあんたの話だ。はっきり言うと俺は、あんたのことが信用できない。信用したこともない」

「三年前の大戦か?」

「それが無くても十分さ」

 行幸はソファに深く腰掛け、俯瞰するように僕を睨んだ。敵意ある、冗談じゃ済まされない雰囲気だ。もはや須磨もちーちゃんも口を開こうとしない。

「夢浮橋芥。あんたは今朝から異常だ。その女の子の所為なのか知らんが、とにかく何か嫌なことが起きそうな感じがする。――いいか。あんたがそうでもなくとも、俺はこの学校に愛着がある。学校が好きだ。そう言えるから、俺は生徒になれている。だから

 ――この学校を壊そうものなら。

 俺が何に変えてもあんたを殺す」

 かたん、と隣で音がした。ちーちゃんが、帚木鵆が涙を浮かべて立ち上がっていた。

「……待って下さい」

 震える声で、絞り出すように。

「それは――駄目です。止めて下さい」

 神に、立ち向かう。

「私は今のあっくんを知りません。あんまり変わってないけど、でもちょっとは変わってるから今のあっくんは分かりません。――それでも、あっくんが傷つけられるのは嫌です……。あの頃だっていっぱい傷ついたのに、まだ苦しい思いするなんて……嫌なんです」

 本当に、いつだってこいつは僕を惑わせる。

 弱いのに、強くて。誰かのために怒って、泣いて、喜んで。本気で自分を表現できて。それはあたかも、僕に無い感情を代わりに表現しているかのような。

 だから僕は、きみを嫌いになったんだ。

 だから僕は、きみを好きになったんだ。

 それは今でも変わることはない。他の何かが変わっても、きっと箒木鵆を好きであるこの感情だけは変えようがない。

「――大丈夫だよ、行幸。この学校が巻き込まれないように手は打つし、そもそも何も起こさないように精一杯気を付ける。だからまあ、今日はこの辺にしといてくれないか?」

 少しだけ攻撃をしよう。

 僕は冷ややかに、それでいて熱を込めて、敵意というものを久し振りに視線に乗せ、それを目の前の神に向けた。

 

 

 

「僕の女を、泣かせるな」

 

 

 

 




一度は言ってみたい台詞ですね。
「僕の女を泣かせるな」
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