夢物語   作:危橋たけ

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徘徊編・その二

 夜の学校は闇に満ちている。二十八歳の上に神霊の類が視えてしまう僕でも、少しばかり恐怖を覚えざるを得ない。警備員さんとか凄いなあ、と呑気に思った。

 ところで僕は今、犯罪を犯している。

 この玄舟学院内に仕掛けられているセコムを全て切り、夜中に校内を歩く人が居ないか調査し(セコムが仕掛けられている時点でそんな奴居ないだろうけども)今や悠々と我が物顔で校内を闊歩する権利を得ているのだ。

 ああ、後ろめたい。

 もちろん僕だって、何の意味も無く悠々と我が物顔で校内を徘徊してるわけではない。意味の無い行為など僕はしない。ちゃんと確固たる目的を持ってこの行為に及んでいるわけだ。

「――ここにするかな」

 割りと早い段階で目も慣れてしまったため、持ってきた懐中電灯は結局意味を為さなかった。――この時点で意味の無い行為に及んでしまった感はあるのだが、用意が良かったということで勘弁してほしい。

 暗闇に慣れた目を近付けて表札を確認し、僕は女子トイレに足を踏み入れた。

 ――くれぐれも、誤解しないでほしい。

 いやいや、本当に他意は無い。やましい気持ちはこれっぽっちも無い。確固たる目的とはそういう意味ではなく、もっとちゃんとした理由なのだ。

 しかしこういうの、本当に見つかった時はどう言い訳すれば切り抜けられるだろう……。確実に手錠(ワッパ)は嵌められるとして、そこからの社会復帰が出来るかが不安だ。前科持ちじゃあ教師としてはまず失格だろうし。

 ……まあ、捕まる心配は無い、と言っておこう。この女子トイレに来る前に二周ほど校内を巡回してみたが、人っ子一人、幽霊一体、神様一神とも居なかった。

 いや、正確には居るかもしれない。

 居るかもしれないから、僕はこんなところに来たのだ。

「――はーなーこさーん」

 とりあえず適当に呼んでみた。

 返事は無し。

「――ああ、そういえば十二番目のドアをノックしろとか言ってたな……」

 やはり教え子の話はちゃんと聞いておくべきだ。僕たち大人は子供の話に耳を傾けなさ過ぎるのだ。思春期だから難しいとか、反発するから面倒臭いとか、大人のくせに子供みたいな甘えた考えは棄ててしまえ。そうじゃないと、どっちがゆとりか分かったもんじゃない。黙っていたところで、何も育たないというのに。

 ――まあ、それが出来れば誰も苦労しない。むしろそういう不具合が存在するからこそ、この地球は廻っているのだろう。

 嫌なシステムだなあ、と風刺。

(とにかく十二番目だな……)

 個室を手前から数える――一、ニ、三……、そして窓にぶち当たった。

「……あれ?」

 確かに数える。何度数えるまでもなく、それで終わりだ。五つ目で次のレーンに折り返して、更に五つ。合わせて十までしかない。十二番目の個室など、そもそも存在すらしなかったのだ。

 ちょっと待て。どうして――いや、そういうものなのか? 女子トイレなんか入ったことなかったから分からないが、この学校は主に十個しかないと、そういうことなのか?

「こういう細かい事情も入学案内に記しておくべきじゃ――いや、それは駄目か。とりあえず他を当たろう」

 まだまだ夜は長い。とにかく手当たり次第に、あちこちの女子トイレを当たってみることにした。

それは極めて背徳的で。

紛れもなく、最低な夜だった。

 

 ----------

 

 諦めたらそこで試合終了だよ。――そう、何かの漫画で言っていたような気がする。僕がその少年誌を卒業したのはいつのことだったかなんて忘れたけど、確かにそれはスポーツ漫画で、確かにそれは人気漫画だった。

 あれから十年――もしかしたら二十年くらい経っているのかもしれないが、何故か人間の脳味噌は不思議なもので、どうでもいいことなのに長く覚えてしまう。この場合も同じで、スポーツへの興味が絶望的な僕がその漫画のファンな筈も無く、ただ何となく憶えているのだ。

(それにしちゃあ、良い台詞ではあるよな)

(持ってる奴とかいたら貸してもらうか。――タイトル何だっけ)

 あれから僕は三十分ほどかけて玄舟学院の女子トイレを徘徊した。生まれついての男の子である僕には、計らずも未知の世界の大冒険となってしまったが、それもこれも全て若紫の所為だ。

 くそ、やはり子供の言うことにまともに耳なんか貸すものではない。お節介に子供の面倒ばかり見てるからこんな面倒な事態に陥ってしまったのだ。大人たるもの大人としての誇りを持って、子供とある程度の距離を保ちつつ、子供なんて無視すら厭わず見放して見届けるべきなんだ。思春期ということを見落とすな。反発くらい予想しろ。そう、自主性を大事にせず、何でもかんでも大人がやってあげてるから図に乗った馬鹿みたいな子供が大量発生するんだ。

「……もうこれで全部じゃねえかな……、何でどこもかしこも十しか個室が無いんだ。女の子はトイレが長いんだから三十くらい用意しとけよ……」

 と、疲労のあまり滅茶苦茶な言葉を発し始めた時だった。

「かか、だいぶ衰弱しとるのお、小僧」

 背後から、首を握り締められた。

「儂の許可なしに『ざんぎょー』とは偉くなったもんじゃ。小僧、貴様は儂を誰だと思っておる?」

 紅葉のような小さな手――とは思えぬほどの凄まじい力で、『それ』は僕の首を圧迫している。まるで命すらも握っていると主張するかのようだ。

「神様だろ」

 かか、と笑ってその影は僕の前へ姿を現した。まるで瞬間移動。さっき後ろに居た影はもう前方に君臨していた。

「しかし何をしとるかと思えば、まさか雪隠(せっちん)巡りと。ふむ、小僧にこのような趣味があったとは儂も知らなんだ」

 それは幼女だった。

 恐ろしいくらいに真っ黒で、悍ましいくらい長い髪。腕を組んだ仁王立ち姿からは、可愛さよりも美しさが先行して見えた。

 彼女は『桐壷(きりつぼ)』。神様だ。

信仰を集める社も、司るものも持たない、全世界唯一の根無し草の、堕ちてしまった神だ。もともとは僕にしか認識できない筈の他と変わらぬ不可視の存在だったが、幼女の死体に入ることによって誰にでも視える存在となった、神の中でも異例中の異例。変化球どころか失策球(ボーク)の存在である。

「――む、ちょっと待て。お前の説明文で突っ込むのが遅れたな。いいか、つむじ。僕にはそんな趣向は無い。僕の性癖で他人とちょっと違うのはツンデレなメイドさんが好きだという点だけで、それ以外は一般的で健全な男だ」

「それもどうかと思うがの、不健全小僧」

「要らんことまで言いおって」とつむじは嘆息する。ちなみに彼女の名前――『つむじ』というのは僕が付けた人間名だ。桐壷と呼ぶのは彼女を神と認めてしまうようで嫌だったので、誠に勝手ながら桐壷つむじ、と人間風に名付けてみた。

「何しに来たんだよ。お前は今日、家でスーパーロボット大戦コンプリートボックスをコンプリートするんじゃなかったのか?」

「はん、考えてみたら儂は現代の平仮名や片仮名がほとんど読めんんかったわ。今度は『ふるぼいす』のやつを用意せい」

「贅沢言うなよ。僕はプレイステーションが好きなんだ」

 プレイステーション好きと言っても、別にソニーを贔屓しているわけじゃない。パソコンは富士通だし。僕は純粋に、プレイステーションのフォルムが好きなだけで、決してプレイステーション2や3、ポータブルやらヴィータの類を所持していない。初志貫徹というやつである。

「話を逸らすなよ、つむじ。お前、何で来たんだ? いつもは家で待ってるだろ」

「『そー』が食べたくなったのでな。嫌なら貴様も住処に金くらい置いておけ。儂だって買い物くらいできるわ」

「いや、金なら置いてた。お前が現代の金を認識出来なかっただけだ」

「そんなことどうだっていいんじゃ!」

 キレられた。

 幼女姿の神様に。

「いいか小僧。儂は『そー』が食いたい」

「そうか。僕は別に食いたくない。意見の不一致というやつだ。残念だったな」

「お願いします!」

 頭を下げられた。

 幼女の神様に。

「あー、分かったよ。顔上げろ。神としての尊厳が欠けてどうするんだ。――その代わり手伝えよな? 報酬は、そうだな……ハーゲンダッツでどうだ? 爽より高級だぜ」

「じゃあ『そー』二個がいい。『はーげんだっつ』は量が少ないし、庶民的ではないからのお。質より量じゃ。戦争は数じゃ、兄上」

「誰が兄上だ。お前はザビ家の二男坊かよ」

 どうしてお前が機動戦士ガンダムを知っている。

 そして神様が庶民的とか言ってんじゃねえよ。

「で、儂はなにをすればいい?」

「ああ。あと一ヶ所だけ行って無いところを思い出したから、そこまで連れてってくれ」

「む? そうは言っても、儂の空間跳躍に人間は耐えられんぞ?」

 空間跳躍――大体の神様が備え持っている、自分の領域として定めた場所なら、いつどこにでも瞬間的空間移動が出来る能力だ。通称、『どこでもジャンプ』。某漫画雑誌をいつでも読めるように持ち歩く人のことではなく、ただの通勤とかに便利なスキルである。

「いや、それはしなくていい。外に出て、僕をおんぶしてジャンプしてくれればそれでいいんだ」

 ますます分からないのか、つむじは首を傾げる。

「体育館のトイレだ」

 

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