放課後、僕は弦弧ちゃんと会った。
他の教師や生徒の目がある為、彼女は学校では真面目で堅物な鬼教師を演じている。その実はド変態なのだが、よほど演技が上手なのかついたあだ名は『鉄血教師』。僕は鉄血モードを狙って、わざと職員室にて彼女に話しかけた。
もちろん真の目的はちーちゃんに弦弧ちゃんを見せる為である。過剰な演技で僕に向かって罵詈雑言を浴びせる弦弧ちゃんは当然ちーちゃんに気付かない。対してちーちゃんの方は、
「も、もももも、もももも、もみちゃんっっ!」
滝のように涙を流して(今日、泣き過ぎ)懸命に弦弧ちゃんに抱き付こうとしていた。その度にすり抜けていたので可哀想だった。
午後の授業は途中から別行動を取った。結局ちーちゃんは須磨と意気投合し、二人で学校中を散歩して回ったという。死んだ後でも友達を作れるとは、彼女の順応能力は素晴らしい。
「楽しかった?」
放課後の帰路で僕は喜色満面のちーちゃんに尋ねた。
「はいっ!」
まあ、愚問だったか。
「――ねえ、あっくん」
一通り須磨の話を終えた後、ちーちゃんは唐突に神妙な顔つきになった。
「私、どうしたら成仏できますか?」
「……それは成仏する方法を尋ねているのか? それとも――成仏させてくれ、って頼んでいるのか?」
僕の問いにちーちゃんは沈黙を返した。彼女がこの世にもう一度降りて、まだ一日。ようやく一日。正確には二十一時間と少し。そんな短くも充実した日を送ったくせに、もう彼女は気付いたのだ。
一度死んでおいて。
また帰って来るなんて。
「――ったく、相変わらず真面目というか、馬鹿正直というか。どうしてきみはそう、綺麗で居続けられるんだろうね。たった十八年だけどされど十八年さ。僕がそうだったように、十八年で人は腐れる。そりゃ人生経験ってもんはあるさ。だけど――きみのように純粋であり続けるのは、あまりにも難しい」
「そんなんじゃないです。私はただ罪悪感から逃げたいだけ。幽霊になって、あっくんに会えて、もちろんとっても嬉しいです。でもそれって――いいのかな、って思うんです」
「どうしてだ? きみが幸せだったらいいじゃないか。学校、楽しかっただろう? 若紫は面白かっただろう? 須磨と友達になれただろう? 行幸も結局謝っただろう? 弦弧ちゃんを見れただろう? 何が不満なんだ。何が嫌なんだ。確かに幽霊の存在は――ある真理に反しているけど、だからといって躍起になって成仏しなくたっていいんだ。それは――時間が解決してくれる」
幽霊がこの世から消滅するには三つの条件がある。
一つは一般的にもよく語られている、この世への未練を断ち切ること。別に彼らはこの世への未練があるから幽霊になってしまうわけではないのだが、とりあえず死者であれば誰だって、ちょっと思い残したことくらいはあるらしい。それを解決してこの世に残る理由を無くしてしまえば、成仏という表現が当てはまる現象になる。
二つ目は時間。彼らがこの世に存在し続けられる時間には制限があり、それは不思議なことにきっかりと決まっている。百八十二日と十二時間。つまり半年だ。半年経てば、どれだけ思いを残そうとも強制的に『あっち』に連れ戻されることになる。
そして三つ目は――
「違います。辛いのは、私じゃありません」
僕の思考を遮って、ちーちゃんは答えた。それこそ、辛そうに。
「一番辛いのは、あっくんですよね?」
「………………」
「私が見えるから、私が分かるから、だから面倒を見てくれるのは本当に嬉しいです。でも私、あっくんの生活を壊すことになるんじゃないかな、って。――ううん、たぶんもう壊し始めてます。だって十年経ってるんですよ? あっくんにも十年間で積み上げてきたものがありますよね。私はそれを壊すのが――あっくんの邪魔になるのが、嫌です。それなら、もう消えてしまったほうがいい」
何で、また。
またきみは、僕のことを心配する。平気の平佐で自分よりも他人を優先できる。 僕にはそんな価値はないのに。
十年間、きみの死から解放されなかった僕に、優しくなんてしなくていいのに。
「ちーちゃん」
きみを呼ぶ。
「僕は本当に、ちーちゃんのことが好きだよ」
きみに言う。
「十年も歳喰って言っても全然説得力無いだろうけど、僕が恋をしたのはきみが最初で最後だった。だから――だから、きみに会えて本当に嬉しい。きみに言いたかったことが山ほどあるんだ」
きみに触れる。
言いたいことがあり過ぎて、何を伝えればいいのかまったく見当がつかない。謝ればいいのか。
「僕を好きになってくれて、ありがとう」
無意識の内に口から出た言葉は、感謝だった。
「……あっくん」
またちーちゃんは涙ぐむ。本当に涙もろい奴だ。そういえば昔、デートで映画に行った時も泣いたっけ。僕は途中で寝てしまったからもう何の映画だったか覚えていない。
「ちーちゃん、今度の休みに映画館に行こうか。きみなら無料で入れるぜ」
いかにも自然な風なデートの誘い文句は、言葉になることはなかった。
僕が口を開いた瞬間。
僕が彼女に微笑みかけた瞬間。
ぐらりと
世界が
歪んだ。
「……え?」
僕とちーちゃんが同時に頓狂な声を上げる。そして絶叫。これはちーちゃんのだ。僕は――僕は驚愕に声を出すことも叶わず、ただ僕の胸にぽっかりと空いた、直径十五センチくらいの空洞を眺めるばかりであった。
血が、信じられないくらい大量で、眩しいくらい真っ赤な血が、僕の胸から流れていた――まるで、滝だ。滝そっくりだ。
「あ……はっ……あ……っ」
熱い。冷たい。痛い。苦しい。僕の胸。胸骨。大胸筋。気管。食道。大動脈及び上大動脈。両肺。――心臓。
駄目だこりゃ。
死んだ。
ちーちゃんの声が聞こえる。僕の名前を呼んでいる。憑りつかれたかのように、狂ってしまったかのように、泣きながら僕の名前を呼ぶ。だから、さあ。泣き過ぎなんだよ。涙腺が緩いったらありゃしねえ。別に泣くなとは言わないけど、もうちょっと頑張ってみたらどうだ。そんなんじゃ心配するだろうが。
笑え。
僕も、笑うから。
笑え。
……。
…………。
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ああ、なんかねむい。